第三十九話 【継嗣決定】
「それにしても田安家の錦之丞とはな・・・松栄院は如何なるつもりだ。」
江戸城本丸にて水野忠邦からの報告を聞いた将軍家慶は、そう感想を述べる。
「御意。既に他家の仮養子となっている者を望むなど、およそあり得ぬ事。」
「もっと良き相手はおらんのか?」
家慶の下問に対し、水野忠邦は渋い表情で返答する。
「それが越前松平家の継嗣として相応しき家の男子で、しかも年頃の者となると、何れも既に他家の養子に定まっております。さらに此度は猶予がございません。待つ事が出来ぬのであれば、既にある養子縁組を反故にする他に道は無きかと存じます。」
「ならば松栄院の願いを叶えても構うまい?」
「確かに田安家の錦之丞殿は養子とは言え仮養子。しかも養子縁組相手である伊予松山藩の松平隠岐守殿はまだ若く、壮健です。もし仮養子が反故になっても、新しい養子選びに十分な猶予があるでしょう。」
家慶は言葉を挟まない事で、話の続きを促す。
「一方これは田安家にとっても悪い話ではございませぬ。伊予松山藩よりも越前福井藩の方が家格は上となれば、田安家が新しい縁組を断る恐れは無きかと存じます。」
「つまり其方も松栄院の返答は妙案だと申したいのだな。」
「・・・御意」
忠邦は渋々同意したものの、釘を刺す事も忘れなかった。
「残るは、落ち度が無いのに仮養子を取り消される伊予松山藩の方です。こちらは容易く収まらない仕儀になるかも知れませぬ。」
「其方の懸念は尤もである。されど理由はさておき仮養子が取り消された前例はある。ここは押し通すしかあるまい。無論隠岐守には特段の配慮を致す。」
「特段の配慮とは?」
「此度は幕府の都合により養子縁組が反故になる。そこで新しい継嗣が決まるまでの間、隠岐守に万一の事があっても、無嗣断絶にはしない。さらに伊予松山藩が届け出る新たな継嗣について、幕府はこれを原則認めるという約定を結ぶ。伊予松山藩が求めるのであれば、それらを書状にしても良い。」
「御意」
そして将軍、徳川家慶はいよいよ決断を下す。
「越前松平家の継嗣は、田安家の徳川錦之丞とする。左様心得よ。」
「承知仕りました。」
将軍の命を受け、本丸老中・水野忠邦は直ちに行動を開始した。
十分な配慮が功を奏し、幸いにも養子縁組の取り消しについて、伊予松山藩から大きな反発は無かった。
次に御定法が破られた訳ではないという体裁を整えるため、松平斉善の卒去は養子縁組の成立直前、卒去を知らせる使者の到着は養子縁組の成立直後とされた。
こうして全ての準備が整い、越前松平家と田安家の養子縁組が成立したのは、松平斉善の卒去から一月余り過ぎた、天保九年九月四日の事であった。
第一部・了
松平斉善の急死に始まる、越前福井藩の危機は今回をもって決着しました。
ここまで辿り着くのに39話もかかってしまったのは予想外でした。
これでもまだ物語全体としては起承転結の「起」が、ようやく完結したに過ぎません。
物語はある意味、ここからが本番と言えます。
今後の展開ですが、まだ名前しか出てこない、田安家の錦之丞が右近の運命を左右する非常に重要な登場人物となります。
暫く構想を練る時間を頂き、第二部を執筆する予定です。
どうぞよろしくお願い致します。




