8章
授業は恙なく進む。
僕は恙なく眠る。
科目は現代文、国語教師が物語上の人物の心情などを説明している。
そもそも僕は現代文、その中でも特に小説の授業が好きじゃないんだよな。
別に本を読むのが嫌いなわけではない。むしろは唯一の趣味でさえある。だけど、いやだからこそ、小説を取り扱った授業は好きじゃなかった。
こと小説に限らず、評価が人々の感性に委ねられる作品は個々人の内に完結するものだ。
どんな受け取り方もどんな評価もその作品を読み、感じた個人のものだ。
そこに一般的な正しさなんて持ち込むべきではない。
ぐちゃぐちゃでバラバラで整理されず分別されず区別されていない、そんな言語化さえできないそんな無秩序こそが何より大切なのだ。
などと長ったらしくさぼりの言い訳を並べる僕であるが、しかし僕の成績を何とか平均に押し上げてくれている科目もまた現代文というのだから、何とも情けない話であった。
そんなこんなで放課後である。
昼休み直後の現代文以外は比較的真面目に授業を受けた後、掃除当番でもない僕は掃除の邪魔にならないようにそそくさと教室を出る。
部活は一応文芸部に所属しているが、ほとんど行っておらず、稀に行ったとしても手持ちの書籍を読み耽ったり、僅かな知り合いとぐだぐだ駄弁るだけだった。
そんな僕とは違い、多くの同級生達が足早に各々の部活動へと向かう。
もしも花火があんなことになっていなければ、彼らと同じように彼らの誰よりも早く、部活を始めていたのだろう。
因みに花火は、空手部である。はっきり言って洒落にならない。出来ればやめて欲しいとか思っていたりする。
あいつに殴られて何度死にかけたことか。
そういえば、我が校の生徒会長も空手部だったような気がする。それが彼と花火との出会いだった気がする。
まあ、そんなことはどうでもいいや。
僕は教室を出てすぐの壁に寄りかかり花火がやってくるのを待った。
あいつは何をしてるんだか。
「なあ、そこの二年生。」
そんな僕に声をかけてくる人がいた。
いや、この時点ではまだ僕に対して言ったのかは解らないのだけど。
でもその言葉が僕に向けられたものなのだと、僕ははっきり理解していた。
「何ですか?秋水先輩。」
僕はそう言って声の方を向く。
そこには僕の一つ上の先輩にして我が校の生徒会会長、秋水落葉がいた。
「ん?お前は俺と会ったことがあるのか?俺の記憶では初対面だと思うのだが。」
彼はそう首を傾げる。
「いや、会ったことはないですし、先輩の記憶通り初対面ですよ。」
突然の物言いに僕は少し戸惑って答えた。
「では、何故俺の名前を知っている?」
「何言ってるんですか。先輩、生徒会長やられているじゃないですか。うちの生徒なら誰だって秋水先輩のことは知っていますよ。」
僕は当然の如くそう言った。
僕がこの人を知っている本当の理由は言わない。
「そうか。見た感じ、お前はそういった人間のことを態々記憶するようなタイプではないと思ったのだが、俺の勘違いだったようだな。」
「・・・そうですよ。ところで僕に何か用があったのでは?」
僕は話を無理やり戻した。
この人と話していると自分の見られたくないところまで見透かされそうな気がする。
「ああ、そうだ。いやお前に用があるというわけでもないんだが、少し尋ねたいことがあってな。
桜、春日井桜の教室は何処だか解るか?」
それなら、と僕は春日井さんの教室を教える。
僕は春日井さんの教室は知っていた。彼女は花火と同じクラスだったから。
「助かった、ではな。」
そう言って歩き出した秋水先輩はしかし、数歩進んだところで足を止め振り返った。
「ところでお前、名前は?」
僕は何と答えようか一瞬迷ったが、結局普通に返した。
「冬木雪人です。」
桜さんにしても落葉パイセンにしても、もっと上の高校に行けよって話ですけど、まあ形式美ってことで。