19.海へ行こう1
2人の間に密やかな変化を齎したリーヴが去った頃、季節は夏へと突入していた。
日々、暖かさと日差しの厳しさを増していき、昆虫達が飛び交いその鳴き声が辺りに響いている。
ブランはリーヴが訪問していた事により、レティシアから2週間の間離れることになり、彼女の傍にいられなかったことで彼女への想いを一層強く募らせていた。
しかし、そのレティシアの様子が最近おかしいような気がする。
以前──リーヴがこの村を訪れる前──より、リーヴがこの村を去ってからというものの、何処か余所余所しいような微妙な態度を此方に取って来るのだ。私が傍に寄ると、真っ赤にした顔を背け此方を見ようとしない。
今までとは明らかに何かが違う、この反応は……もしや?
これまで人里に降りて来てからというものの、それなりに持ててきたと自負している。
我々竜が人化した際は、それぞれの個性に合わせた人間の平均的な形容を模した姿をとるように自然となっている。竜にとって今の人化している姿をどう思うかは兎も角、人にとってこの容姿はそれなりに良いものらしい。
私の外見だけに惹かれ、内面を見ようともせず群がって来た女達には、これまで心が揺り動かされることがなかったので、ストイックでクールな振りを装って、その好意を無碍にし、かわしてきた。
その人達と同じような立場になってみて、改めてあれはなかったかなと、もっと真摯な対応をするべきだったと反省している。
だから、この反応はもしかしてと――長年の想いが報われたというのだろうか?
そんな自惚れにも似た淡い期待を抱く。
だが、恥ずかしがって顔を背けるような様子も堪らなく愛おしいとは思うが、そんな一見怒ったように見える顔よりも、此方を向いて笑ってくれる笑顔が見たい。好きな人の喜ぶ姿が見たいというのは、当たり前のことだろう。
何か彼女を喜ばせるようなことは出来ないだろうか?
ブランはそんな事を日頃から思案していた。
そうだ! ミルテ村は森に囲まれた場所にある。海なんて彼女は見たことがないのではないか?
――そう彼は閃く。
早速彼女を誘ってみようと、ブランはレティシアの下を訪れる。
彼女は私の誘いに目を輝かせ喜んだ。
ならば早速今からでもと――心が急いて逸る気持ちを抑えて、彼女の都合を聞く。それに、行く用意をする時間も必要だ。
結局その日は都合がつかなかったので、後日晴れた日に行く事になった。
今から楽しみで仕方が無い。
そして、その日は―――海へ行く日がやって来た。
この日は快晴。風はそれなりにはあるものの、まだ穏やかな方だ。
私は彼女と2人森の中へ行くと、竜の姿へと戻り、その背に彼女を乗せ海へと飛び立った。
きちんと他に姿を晒す事のなきよう、ステルスの魔法を駆使している。
また、飛んでいる間の彼女への気配りも忘れはしない。
それなりに速い速度で飛んでいるのだ、風の抵抗を穏やかなものにする障壁を彼女の周囲に張り巡らす。そうすることで、彼女は強すぎる風の抵抗を受ける事なく、飛んでいる間の景色をゆっくり堪能する事が出来るだろう。
初めて上空から見る、自身の住んでいる村とその周辺全てを見渡せるようなその景色に、彼女は興奮を隠しきれない様子だった。
その様子に、それだけでも彼女を喜ばす事が出来て良かったと、自身の胸も喜びに温かくなる。
――しかし、本番の海はまだこれからだ。
一体彼女は海を見た時、どんな反応を示すだろうか?
広大な森を抜け、山を一つ越えると、海へと向かう空の旅も終盤へと差し掛かった。
吹いてくる風が、潮の薫りを運んで来る。
水面が光り、何処までも広がっているような蒼く澄んだ海。何処までも続いていくように感じられる水平線。
それが見えた瞬間、彼女は瞳を瞬かせて口を開き、感動に打ち震えているようだった。
私の胸は喜びに満ち溢れた。
夏の海辺は、涼を求め泳ぐ人や、その人達を商売として生業をする人など沢山の人達で賑わいを見せている。
そんな人達から少し離れた岩陰となる他に人のいない静かな場所に私達は密かに降り立ち、姿を竜から人へと変じさせた後、ステルスの魔法を解いた。
海から吹く風が彼女の頬を撫でていく。その風が、彼女の一つに束ねた鮮やかな紅の髪を揺らしていた。
彼女は暫しの間、海をじっと見詰めていた後、波が音を立てて押し寄せては引いていくその響きに目を閉じて聞き入っている。
そんな彼女の様子を私は阻害する事なく、唯静かに魅入っていた。
今日の彼女の姿は、事前に言っていた事──飛んでいる最中、風の抵抗については此方が対応するので問題がない事など──もあった為か、珍しく年頃の女の子が身に着けているようなスカートを穿いている。
普段見慣れないそんな彼女の姿を目にした途端、私は直ぐ様「似合っているね。可愛いよ」と、在り来たりな讃辞の言葉を口にしていた。
だって本当に似合っているし、可愛いいと思ったんだ。普段はお洒落に無頓着な彼女が、こうして普段は見せないスカートを穿いている姿に、私は少なからず動揺と期待をしてしまっていた。
普段はスカートなど穿かないのだから……わかるだろう?
彼女は閉じていた目を開き、砂浜を歩き出した。
離れた場所から聞こえてくる人の声。其方に近付いて行くように彼女は歩みを進めていく。
もう少し、2人だけの世界に浸っていたかったなと少し残念な気持ちになりはしたが、そんな彼女の後ろを私は次いで歩く。
砂浜を歩いていると、様々な貝殻が波で打ち上げられているのが目に移る。
その中で、彼女は桜色した貝殻を見つけると歩いていた足を止め、その場に腰を降ろした。
彼女はその貝殻を手に取って頭上に掲げ、目を細めて「綺麗ね」と呟く。
暫しの間、その貝殻を見詰めていた彼女は、途端に2枚合わせの貝殻の片方───対になる貝殻──を探すように、視線をさ迷わせ始めた。
私もそれに付き合って共に探す。探すなら、1人より2人の方が早い。それに、彼女と共に同じ物を探している事が嬉しかった。
数分して、同じ桜色の片貝を見付ける。互いの手に持つ貝殻を合わせてみると、開く口がぴったりと重なり合う。
その対となる貝殻を彼女に手渡すと、「今日の記念に」と言って、その片方を私に戻すように差し出して来た。
――一生の思い出にしよう。
私は彼女に「ありがとう」と御礼を述べて、何時か私達もそのような対の関係になれたら良いなという思いを込めてその貝殻を受け取り、胸の内ポケットから布を取り出してそれを大切に包み込み、ポケットに戻した。
そして、妙案を思い付く。
「良かったら君の貝殻も私に預けてくれないかな? 首飾りに加工して、君に戻すよ」
「………じゃあ、お願いするわね」
私の提案に、彼女は少し悩んだ後、その対となる貝殻を手渡してきた。




