第163話 崩れゆく巨大企業
第163話 崩れゆく巨大企業
東邦メディカルホールディングスの経営会議は、かつてないほど重苦しい空気に包まれていた。
大型モニターには、最新の業績予測が映し出されている。
その数字を見つめる御堂隆臣の表情は、険しかった。
「……これが、最新の見通しか」
「はい」
財務担当役員が慎重に答える。
「医療機器関連事業の一部で受注が減少しています。医療材料についても、競合他社への切り替えが進んでいます」
「売上全体への影響は?」
「現時点では限定的ですが、利益率の低下が続いています」
御堂は黙って資料をめくった。
かつて、東邦メディカルは安定した収益基盤を誇っていた。
長年の取引先。
幅広い製品群。
全国に張り巡らされた販売網。
それらは簡単には崩れないはずだった。
しかし、九条院グループと西園寺グループが本格的に競争へ参入したことで、状況は変わった。
さらに、ルミナス・ライフの中級回復ポーション。
その登場は、一部の治療分野で従来製品の需要予測を大きく変え始めていた。
「……なぜだ」
御堂が低く呟いた。
「我々は、これほど簡単に追い詰められるような会社ではないはずだ」
桐生雅彦が静かに口を開いた。
「社長。会社そのものが弱いわけではありません」
「ならば、なぜこんな数字になる!」
「変化への対応が遅れたからです」
会議室が静まり返る。
桐生は続けた。
「我々には優秀な研究者も技術者もいます。営業や製造の現場にも、長年の経験があります」
「……」
「ですが、その力を十分に活かせていませんでした」
御堂は桐生を睨んだ。
「また私の経営方針への批判か」
「会社を守るための意見です」
桐生は視線を逸らさなかった。
「今なら、まだ立て直す余地があります」
「どうやってだ?」
「採算性の低い事業の整理、保守部門への再投資、研究開発方針の見直し。そして、必要なら他社との提携も検討すべきです」
御堂は鼻で笑った。
「九条院や西園寺に頭を下げろとでも?」
「必要なら、それも選択肢です」
「馬鹿な!」
御堂が机を叩いた。
「私が築いた会社だぞ! あんな連中に屈するものか!」
その言葉に、桐生の表情がわずかに曇った。
会社を守りたい。
その思いは、御堂も同じなのかもしれない。
しかし、御堂が守ろうとしているのは、会社そのものなのか。
それとも、自分自身の誇りなのか。
桐生には、分からなくなっていた。
◇
東邦メディカルの研究施設。
若い研究員たちが、休憩室でニュースを見ていた。
画面には、ルミナス・ライフの中級回復ポーションに関する特集が流れている。
「……すごい技術だよな」
一人の研究員が呟いた。
「ああ。正直、研究者としては興味しかない」
「うちも、ああいう研究ができたらいいのにな」
別の研究員が苦笑する。
「最近は予算削減の話ばかりだもんな」
そこへ、年配の主任研究員が入ってきた。
「何を見てるんだ?」
「ルミナス・ライフのニュースです」
「……ああ、あの新薬か」
主任は画面を見つめた。
「悔しいが、素晴らしい成果だな」
「主任もそう思います?」
「当たり前だ。患者を救う技術なら、研究者として評価しない理由がない」
主任は小さく息をついた。
「ただ……うちの会社も、もう少し研究を大切にしてくれればな」
その言葉に、若い研究員たちは何も答えられなかった。
東邦メディカルには、優秀な人材がいる。
真面目に働く従業員がいる。
患者のために研究を続ける者たちがいる。
彼らは決して、悪人ではなかった。
ただ、会社の進む方向を決める立場にはいなかった。
◇
一方、ルミナス・ライフ。
怜司は榊原弁護士から、東邦メディカルの状況について説明を受けていた。
「一部の事業では、業績悪化が明確になり始めています」
「そうですか……」
怜司は資料を見つめた。
「ただし、まだ巨大企業としての体力は十分に残っています」
「分かっています」
怜司は頷いた。
東邦メディカルが簡単に崩れるとは思っていない。
むしろ、長年にわたって医療業界を支えてきた企業なのだ。
その力を侮るべきではなかった。
「榊原先生」
「はい」
「もし東邦メディカルが事業を売却することになったら、そこで働いている人たちはどうなるんでしょうか」
榊原は少し考えた。
「事業譲渡の形によります。雇用契約を引き継ぐ場合もあれば、個別の同意が必要になる場合もあります」
「そうなんですね……」
「ですが、事前に計画を立てれば、雇用を守る余地は十分にあります」
怜司は顔を上げた。
「だったら、今のうちから準備しておきたいです」
「承知しました」
榊原は穏やかに頷いた。
「黒瀬社長の方針として、両グループにも共有しておきます」
「お願いします」
怜司は窓の外を眺めた。
自分が始めた戦い。
その結果、相手の会社が苦境に立たされている。
当然、何も感じないわけではなかった。
けれど。
麗華と琴音が危険な目に遭ったことを、忘れるつもりもない。
あの事故の責任は、必ず明らかにしなければならない。
そして、同じようなことを二度と起こさせない。
「……最後まで、やり遂げます」
怜司の声は静かだった。
だが、その決意は揺らいでいなかった。
巨大企業の経営基盤には、確かな亀裂が入り始めていた。
そして、その亀裂をさらに広げる出来事が、間もなく明らかになろうとしていた。




