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セレニアの物語  作者: さなか
第3章 オーネット屋敷の精霊

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この島のユル(第3章の百年前)

(私は何者なのか)


 潮の匂いのする風が、長い髪を旗のようになびかせる。

 岩に打ちつける波の音。

 目の前に広がるのは形を持たない海。


「ユル!」


 呼ばれる声をわざと無視した。


(世界の誰も私を知らない……)


「ユル!」


 空はどこまでも続いている。


(大精霊セレニアなら、こんな小さな島のことも見ているのだろうか……)


「おい、ユル!」


「うるさい、サガット! 私は今、世界と語らっているんだ!」


 ユルは立ち上がり、拳でサガットの頭を殴りつけた。


「痛ぇな、やめろ! イカれ女」


 サガットがユルの腕を捻り上げる。


「くっ……」


「ほら、早く来い。お前は弱いんだから、サボるな!」


 サガットはユルを引きずって坂の上の集落へ連れて行く。

 他の若者たちはみんな弓の練習をしていた。ひゅっと、風を切る音。矢が遠く空へ飛んで行く。

 

「やっとわかってきた。おい、ユル! 今日からお前が一番の下手くそだぞ!」


 アジャールカが遥か遠くにある的を指差してはしゃぐ。昨日まで坂の下に飛んでいっていた矢は、的から人二人分外れたところに刺さっていた。


「……」


「はい、ユル」


 無視しようとするユルにシェラーゼが弓矢を押しつけてくる。

 ユルは仕方なく弦を引く。教わった通りに腕を伸ばし、矢をつがえ、弦を引き、放す。

 矢がふらふらと飛んでいって、的まで半分も届かないところで地面に落ちる。


「あははは、へったくそ!」


「うるさい! お前も昨日までは同じだっただろ!」


 ユルが殴りかかろうとすると、アジャールカは言った。


「やったら後でお前の頭をかち割ってやる。私の矢は、お前がいつも突っ立ってるあの岩の上まで届くんだぜ」


「……」


 この間、モールドの足にエナが放った矢が刺さった。

 それで弓の威力がわかって、みんな練習に身が入っている。


「ちゃんと練習すればいいのに、ユルも」


 シェラーゼは小首をかしげる。


「……なにか間違ってる気がするんだ」


「間違ってる? 何が?」


「知らない! 海がそう言ってる」


「ユルってこわーい」


 シェラーゼに弓を押しつけ返す。

 アジャールカがもう一度矢を放つ。今度は的のすぐ下に刺さった。


「シェラーゼ、その弓を貸せ」


 通りがかったバドたちが弓と矢を引ったくっていく。


「訓練は?」


「海でするよ。こいつで跳ねるでかいやつを仕留める」


「すごいな。本当にとってきたら、相手をしてやってもいいぜ」


「間に合ってるよ、アジャールカ」


 バドたちが浅瀬に入っていく。


「ふーん。アジャールカって、バドがいいんだ」


「は! んなわけねーだろ。あいつ、外の血をバカにしてんだ」


 アジャールカは怒って女の家に入っていった。

 シェラーゼがアジャールカが置いた弓を使って最後に一本矢を放つ。力強く飛んでいった矢は、柱に括り付けられた死体の頭蓋骨を貫いた。


 ユルは残って、バドたちがギラギラ光る大きな魚に矢を当てるのを見ていた。





「ユル」


 戻ってきたバドが隣に座る。


「アジャールカの相手をしてやれば良いのに」


「お前もわかるだろ。名前を持って生まれてきた奴らは何かがわかってないんだよ」


「単に好みじゃないんだろ」


 ユルは吐き捨てるように言った。


「外の血だろうが一緒だよ。ここで生まれてここで死ぬ。後ろの名前は全員同じだ。バド・ファルトーソー、アジャールカ・ファルトーソー、シェラーゼ・ファルトーソー。私は憂鬱だ……男はいいよな。船が来ても、こうやって遊び道具が増えるだけなんだから」


 弓矢はこの前。

 槍はその前。

 船は時々やってきて、道具の使い方を教えて練習しろと言う。何のためかは言われない。

 船に乗って外から来た人たちは女の家に寄っていく。相手をするのは決まった女がやるのだと思っていたが、それは年齢で決まっていたのだと、この歳になって分かった。


「嫌なのか? そういうものだろ」


「シェラーゼに任せたいな。あいつ、船が来るのを楽しみにしてるんだ。唯一の娯楽だってさ」


「お前は何もできないんだなあ」


 バドが呆れて言った。


「うるさい! お前も何もわかっちゃいないんだ!」


 バドの短い髪につかみかかろうとした手は、簡単に止められた。


「お前は何がわかってるんだよ」


「……外に、何かちがう世界があるってことだよ!」


 ユルの言葉に、バドは大笑いした。

 


▪︎



 船とは外の人が乗る、この海を渡るもの。

 木でできているのは知っている。木が水に浮くのも知っている。

 けれど、そんな知識は何の役にも立たない。


 船を作ることは禁止されている。作れば即、全員が死罪。

 ――生きる条件は、この島から出ようとしないこと。


 山があって、麓に集落があって、海がある。足が着く浅瀬まで。たったそれだけがユルの世界だ。


 

「船が見えるぞ!」


 サガットが叫ぶ。

 弓を使いこなすようになった若者たちは、新しい物が運ばれてくるのを心待ちにしている。


「やーっと、名前がもらえるぞ。良かったな、お前」


 水平線に浮かぶ船の影を見ながら、アジャールカはシェラーゼが産んだ子どもに言った。


「もう来たのか。……早すぎる」


 ユルは憎々しげに船を睨んだ。

 シェラーゼの腹が大きくなって子どもが出てきて、もう船が来るなんて。

 今までは子どもが歩くまで、その次は魚をとるまで、そんな風にたまにしかこなかったのに。

 



 船は集落とは別の入江に入っていく。

 降りてきた人々は集落にやってくると全員の数を数え、減ったか増えたかを確認する。

 若者には弓と槍が使えるようになったかを聞く。バドたちは魚をとってきて見せる。的にしていた柱の下に崩れている白いものが何か、彼らが尋ねる。モールドの死体だと答えると、彼等は顔を引きつらせる。


 外の人々は今回、島に何も与えなかった。男たちはがっかりした。

 

 夜になると、彼らは集落にある一番大きい家にやってくる。それは女の家と呼ばれ、子どもを作れる体の女がそこに住む。船が来た日は夜まで、部屋の外にある篝火をつけておかなければいけない。火の数が中にいる女の数だ。

 ユルも火をつけて、部屋で待つ。


 明るい女の家と、暗がりの家。暗がりには男と子ども、年老いたものがいる。前に女の家にいた女たちは、今はあの暗がりにいる。


(どちらがマシな方なんだろう……)


 ユルの部屋に男が入ってくる。

 なぜアジャールカのように我慢できないのか、シェラーゼのように楽しめないのか、ユルにだってわからない。何が許せないのか、わからない。

 でもこの前船が来た時にユルがしなければならなかったことは、とても嫌なことだった。

 

「入ってきたら火をつけて、お前らごと燃やしてやる!」


 ユルは窓の外にある篝火に手を伸ばし、言った。

 熱くても、手が焼けても、ユルは火をつかむと決めた。驚いている男がもう一歩でも部屋に入ってきたら。

 ところが、家の外にいた他の男がユルの腕を掴む。


「やめろ!」


 部屋の男がユルを取り押さえようとする。

 ユルは手も足も頭も使って殴り蹴り、散々に暴れた。男たちは顔に痣を作りながら、ようやくユルをロープでぐるぐる巻きにした。

 シェラーゼやアジャールカ、その部屋にいた男たちも、騒ぎを聞きつけてユルの部屋を覗き込んでいた。



「こいつは頭がイカれてんすよ。俺たちもよく殴られる」


 朝、レギが外の人々に言う。

 ユルは一晩中、モールドの骨があった柱に縛り付けられていた。起きてきた島の男たちはそんなユルを見て、大笑いした。


「バカねえ、ユル。何やってるの?」


 シェラーゼは怒っている。ユルの騒ぎが楽しみの邪魔をしたからだ。

 こいつらはこのままユルに矢を打ちかねない。逃げ出そうとムキになって暴れるのを見て、みんなが笑う。


 昼頃、眠っている間に、ユルを縛っていたロープは切られていた。

 

「起きたか」


 アジャールカが、横でシェラーゼの子どもを抱いていた。


「マーシャルだとさ。こいつの名前」


「ふーん」


 転がされていたユルの横に、食べ物が置かれていた。木の実と焼いた魚。腹が減っていたので、一口で食べた。

 アジャールカが見ていたのは、去っていく船だった。


「シェラーゼのやつさ……あの船に乗せられて行ったよ」



 


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 ユルは全速力で坂を下る。 

 浜辺を駆ける。

 足が滑り転んでも、立ち上がってまた走る。


「なんでだよ!」


 船に向かって、声の限り叫んだ。


「なんで、外に行く方法があるんだよー!」


 殴る相手がいない。怒りが収まらない。


「ばあさんたちも、おっさんたちも、こんなことは初めてだってさ。すごいよな……シェラーゼは」

 脳裏に繰り返されるアジャールカの言葉。


「くそ!」


 ユルは砂を蹴飛ばした。

 何かが、砂と共に足先に触れる。


「……?!」


 それは、爪先ほどの大きさの貝殻のように見えた。先が尖っていて曲がっている。穴が空いていて、長い紐が通っている。波打ち際、ぎりぎり波を被らないところで白く光るようにも黒くくすむようにも見える。


(石か? 骨……?)


 拾おうと、手を伸ばす。


『――オオ―――』


 ユルの頭の中で何かがうめき声を上げた。

 

(中に何かが……)


 ユルは頭を押さえながら、一歩一歩近づいていく。


『――――』


「うるさい! 私は…………私は……っ!」

 

 頭を掻き毟る。次々と頭の中に浮かんでくる、怒りの記憶。


 手を伸ばした火の熱さ。

 やってくる船、的の死体、簡単に捻りあげられる腕。

 シェラーゼの子ども、痛み、屈辱、――!

 

 いつも以上に強い怒りが沸き上がる。眼の中を赤い線が埋め尽くし、視界を染める。


 生まれてくる意味なんかない。

 産む意味なんかない。

 ユルはわかっている。シェラーゼを連れて行ったら、船はしばらく来ないだろう。


 体の中で荒れ狂う感情がユルを引き裂く。

 手を伸ばしつかんだものは、火ではなく爪だった。


「私はこの世界を、ぶっ壊したいんだー!」

 



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