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セレニアの物語  作者: さなか
第3章 オーネット屋敷の精霊

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1 レイドンの帰郷

 ファムリア歴百六十五年、三月のことです。

 

 オーネット領の港に船が着いたという報告がありました。お食事を終えたエディメル様は、嬉しそうに仰いました。

 

「フィルマ、レイドンが帰ってくるそうだよ」

 

 目の前にいる精霊に、手を伸ばしました。しかし精霊は透明なので手はすり抜けてしまいました。


『嬉しいのね、エディメル』


 フィルマは美しい女性の姿をした精霊です。豊かな髪に、穏やかな目元。整った鼻筋、愛らしい唇。色はなく、揺らいでいるのに、それでも美しいとわかるのです。


「君もだろう? レイドンに会うときが一番楽しそうにしているから」


 と、ふてくされるエディメル様。

 オーネット家当主クローレア様の苦笑いは、引きつり笑いになりました。

 


 ――昔は、そうではなかったのです。フィルマと戯れてはしゃぐエディメル様を、クローレア様もダニエル様も微笑ましく見ておられました。

 

 エディメル様は、生まれつきとても体が弱い方でした。

 生まれたばかりのエディメル様の呼吸が止まろうとしたとき、お二人は精霊王セレニアに助けて欲しいと願いました。

 精霊王は淡くて丸い光――精霊を、オーネット家に授けてくださいました。その精霊を使って他の生物から生気を移し続けることが、エディメル様を死なせない唯一の方法でした。

 クローレア様は、お屋敷の近くを一面の花畑にしました。別の場所には、畑や家畜。使用人もたくさん雇われました。


「レラ、見て。ミシュワの花畑に精霊がいるでしょ。ぼくが死なないように、助けてくれてるんだよ」


 漂う淡い光を指差し、幼いエディメル様は仰いました。

 

 私は導きの家で育ちました。親が育てられない子どもを引き取る施設です。私は子どものときにクローレア様に迎えられ、オーネット家の養子兼使用人になりました。

 いつもエディメル様のおそばでお世話をし、エディメル様が病に蝕ばまれたときには、生気を差し上げるために。




 港から、待望の馬車が到着しました。

 お屋敷で当主様方にご挨拶をされたあと、レイドン様は玄関で待っていたエディメル様とご一緒に離れに向かわれました。


「やあ、レイドン。無事でなによりだ」


「君も健在で良かった、エディメル。フィルマもね」


『おかえりなさいレイドン。すぐにお話を聞きたいわ』


「フィルマ、そう近付かれると、エディメルの態度が冷たくなるからね。そうそう、エディメルの方にいておくれ」


 歩くお二人の間にいた精霊は、レイドン様の言葉を聞いて、エディメル様の外側へと飛んでいきました。


 離れはお屋敷のすぐ横にあり、昔は海を渡って訪れたお客様がお泊まりになる場所でした。今はレイドン様に管理していただいている建物です。


 エディメル様と応接室に入ると、レイドン様は専用のソファに腰を沈められました。

 後からお屋敷の使用人たちが、レイドン様の大荷物を運び込みました。

 

「ありがとう。ああ、帰ってきたんだなあ。僕はここに座ったときが旅のおしまいなんだよ」


 私が淹れたハーブのお茶を受け取られると、仰いました。

 

「ありがとう、レラ。そうだ、面白いものを持って帰ってきたんだよ。木なのだけれど、実を使って飲み物が作れるらしい。うまく育てられたら、お茶ではなくそれを飲むようにしたいんだ」


「それは、どこのものなんだ? ルワレーリオ諸島? 北オルミス?」


「アルソリオさ! 珈琲といって、賢人アイピレイスが飲んでいたらしいんだ」


 レイドン様は子どものように目を輝かせます。


「ルワレーリオ諸島にも立ち寄ったよ。大精霊ファムレに会った。あそこの精霊宮殿は面白い……どうする? 話すことがたくさんありすぎる。まずは、そうだ。レラにお土産を渡そう」


 レイドン様は足元の鞄を開け、たくさんあるお荷物の中からこれまたたくさんある本を取り出し――「これじゃない、これでもない……これだ!」――一冊を、私に渡しました。


「【ヘイスとエッカーナ】という物語だよ。北オルミスの書店に売っていた。歴史の重要な資料なんだけれども、百六十五年前の王族のお世話係の日記を元にしているから、面白く読めるよ」


「いただいて、よろしいのですか?」


「もちろんさ。家族だからね」


 レイドン様も、導きの家で育った子どもの一人です。レイドン様が一番年上だったので、皆の兄のような存在でした。昔から頭が良くてお優しい。領主であるオーネット家に、精霊研究者として迎えられているレイドン様です。家族などと呼んでいただくのは畏れ多いことですが、レイドン様は昔から少しも変わっておられません。

 

「ルワレーリオ諸島を出て二日後、船は北大陸の東側、シルクの港に着いた。世界最古の灯台が私たちを迎えた。メルキド灯台だよ。北大陸には、精霊がたくさんいるんだ。精霊の灯という消えない火種が各所にあって、火を起こす必要がない。北オルミスの精霊祭はとても素晴らしかった。百年前、ファルトーソーの残党に占拠されたオルミス城を取り戻した記念祭。ファムリアの建国祭みたいなものだよ、でもあちらの方が厳かな様式だった。犠牲者への追悼の意味があるからかもしれないね」


 使用人として控えていながら、レイドン様がお話になる光景を想像しました。空にはたくさんの星、町には精霊の灯。人々が静かに祈る時間は、どんなに美しいことでしょう。


「アルソリオは小さな町だった。四方を囲む壁、美しい北の宮殿、その向こうには白い山があった。宮殿は見学できたんだが、白い山への道には砦があって、見張り付きで厳重に封鎖されていた。どうにか入りたかったけれど、白い山への侵入は重罪、最悪死罪だと言われてね……研究のためだと訴えたんだが、頭の固い警備兵は聞いちゃくれなかった。それで結局捕まってしまったんだけど、幸運なことに記念祭に来ていたベルトロス王子が口利きしてくださって、解放してもらえたんだよ」


『良かったわ。あなたが白い山に入っても、何にもならないでしょうけど』


「そうなのかい? どうして?」


『怒りも悲しみもないでしょう、アンズィルと呼応しないからよ』


「なら、精霊の力は意思だけじゃなく感情……特に強い感情が作用するのか……狼王アンズィルは怒りと悲しみ……」


 レイドン様はペンを取り出して、手帳に素早く文字を書き込みます。


『精霊王セレニアへの強い怒りと悲しみよ』


「そうか! なるほど……」

 

「……」


 エディメル様は、はじめはにこやかに聞いていたのですが、やがて表情が曇っていきました。フィルマがレイドン様と話し過ぎているので、やきもちを妬いているのです。

 そんなご様子に、レイドン様が気がつきました。

 

「すまない、エディメル。つい二人で話しこんでしまった」


 レイドン様は、笑って済ませました。エディメル様の扱いは慣れたものです。

 

「エディメルにも説明するよ。アンズィルの牙というものは……」


 エディメル様は、レイドン様のように長い船旅に出かけることができません。ですから、レイドン様のお話を聞くこの時間をとても楽しみにしておられました。

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