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セレニアの物語  作者: さなか
第2章 オルミスの三人

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約束のもの(第2章後)

 何もしないと決めた。


 急に始めたことではない。港町にいるときだって、そのはずだった。


 何もしなければ、精霊が生気を奪っていくかもしれない。もしかしたら、それを期待しているのかもしれない。


 

 ルワリ島にあるサキタリ家の別邸。

 ヘイスはこの数日の間、寝ているだけだった。


 ――静かだ。

 

 その数日の間、ずっと――そしてこれからもそうだろう。

 あの、おしゃべりな男が死んでしまったから。


(三人で生き残りたいと……願ったはずなのに……)


 乾いていた目に水が滲む。

 心臓が音を立てる。

 そのたびに左肩の傷が裂けているかのようにひどく痛む。


 オーネットがヘイスの部屋を訪れ、話した。

 ドラギエルがグィオを殺したこと。

 ナバルと二人でヘイスとエッカーナを介抱し、オーネットたちを助けたこと。

 事件の全貌――そして、ファルトーソーによる死亡者。

 アケリオ・ケワイス。

 コートナー・フビジャ。

 ライザス・チルキア。

 ロベリタス・マッケイド。

 カラット・ロット。

 他、乗組員四名。


 北の町でカフェトー家が皆殺しにされたこと。


 オーネットは淡々と状況を知らせてくる。一度に知ったほうがマシだと判断したのだろう。


 オーネットは、自分が倒れたせいでヘイスや乗組員を守れなかったことを謝った。

 ファルトーソーに狙われる危険を(かえり)みず、オーネットの命を救ったことに感謝した。

 ヘイスがエッカーナ王女をさらわず、守るために戦ったことを称えた。

 

 オルミス城へ行き、メルキド王に会ってファルトーソーの襲撃計画に対処する手伝いをして欲しいと、頼んだ。

 ヘイスをこのままオーネットが預かり、養子として保護したいと言った。


 返事をする気もわかず、ただ横たわっていた。

 

 ヨハナの毒で衰弱しているはずのオーネットが、王甥や友人を失ってなお、責任と秩序のために動いている。

 ワイロフが、包帯を変えたり食事を摂らせたり、ヘイスを生かそうとしにやってくる。


 頭が勝手に、このままではいけないと理解してしまう。しかし、彼らは、今すぐに起き上がれとは言わなかった。

 

 

 


 扉が開く音がした。


 開ききっていない扉の向こうから、恐る恐る、覗き込むように。

 

「……!」


 一瞬、動きを止める。


(なぜ……)


 足音から歩幅を探り、誰が来たかと考える必要もない。部屋に入ってきた瞬間に、空気が変わったように思う。


「……」


 ベッドに近寄り、そばの椅子に腰掛けた。ヘイスの左肩の包帯を見つめている。

 

「……っ」


 小さな呼吸音。

 ヘイスの目尻から流れ落ちる涙を見たからだろう。驚いている。

 ヘイス自身も、驚いている。

 彼女が現れた瞬間に、自身の罪を自覚した。


 エッカーナさえ無事であればいいと、願ってしまった。

 他の者のことを願う理由など、ヘイスにはなかった。

 ――けれどそれが、間違っていたのかもしれない。

 他の人々のことも思えば、助けられたのかもしれない。

 自分の手で守ろうとしたカラットすら、ヘイスが弱かったから死なせてしまった。


 それなのに――。

 こんなにも奪われたのに、エッカーナの無事な姿を見ただけで、報われたつもりになっている。

 

 涙に浮かんで瞼が開く。

 切れ長の黄色い瞳。赤毛の髪。ぼやけて見えるその姿に泣き顔を見られたくなくて、右腕を顔の上に乗せる。

 喉が詰まり、息がうまく吸えず、嗚咽が抑えきれずに漏れる。


 エッカーナも顔を覆って泣いていた。

 二人とも、子どものように泣きじゃくった。

 

 王女ではなく、

 北の狼でもなかった。



 ▪︎


 

 エッカーナは、毎日ヘイスの部屋を訪れた。

 ワイロフの代わりに、傷を介抱したり、食事を摂らせたりする。

 オーネットとワイロフが何のつもりで王女にこんなことをさせているのか、ヘイスにはわからなかった。


「オーネットの手伝いをしてやれ」


 と言うと、「ワイロフがしている」と言う。


「ヘイスを見ているよう命じられた。船長に」


 ふふ、と少しだけ笑顔を浮かべるようになった。

 

「……何もしなくていい」

 

「……そうか……」


 エッカーナが、肩を落とす。

 

「わたくしはオーネット殿の妻でも、誰の婚約者でもない……迷惑か?」

 

「オーネットは、俺をオルミスで暮らせるようにしてくれると言った。だから、オルミス人として……これからはちゃんと王女様と呼ぶ。俺がそう言っているのをお前が聞くこともない」


「い、嫌だ……っ」


 エッカーナがぽろぽろと涙をこぼす。


「そんなの、嫌だ……」


 伸ばされた手をそっと避ける。


「お前が生きてさえいれば、それでいい」


 なぜ、奪うのをやめたのに目の前に現れるのか。

 逃がしているのに、戻ってくるのか。


 なぜ、エッカーナさえ生きていればいいと思うのか。

 奪うために生きてきたのに、すべてを放り出したのか。

 

「……」


 それでも――何もするわけにはいかない。

 エッカーナが泣き止んで部屋を出ていくまで、ヘイスは何も言わなかったし、何もしなかった。



 ▪︎


 

 ルワリ島での滞在を終え、エッカーナ号はわずかな人数とオーネットを乗せて港町へ戻った。先にルペッサン兄弟からの報せを受けていた役人たちが、血に染まった船を出迎えた。

 他の者たちは、右腕号で港へ戻った。エッカーナ王女はすぐに馬車でオルミス城に。ヘイスは城下町へ送られた。

 王妹ケワイス・オルミスを筆頭に、フビジャ家、チルキア家、マッケイド家、ドーデミリオン家、ロット家……悲惨な状況を知らされた名家の当主たちが、港町に集まっていた。ルワリ島にしばらく滞在しオーネットの回復を待ったのは、ここに来ればオーネットが彼らに事件を説明しなければならないからだった。

 ヘイスをすぐに移動させたのは、カフェトー家の関与を彼らに正しく認識させるまで、ヘイスの存在を隠すためだ。おかげで、ヘイスはドラギエルとも挨拶をする間もなく別れた。

 

 オルミス中がエッカーナ号事件で大騒ぎになった。怒り、戦いを宣言する人々。恐怖に脅える人々。死者を悼む人々、セレニアの加護を疑う人々――。

 特に次男アケリオの凄惨な死に様を知ったケワイス家の報復感情は凄まじく、メルキド王は今世でファルトーソーを制圧することを国民に宣言した。



 

 ヘイスはトメイ家に預けられていた。

 昔から王家の世話係をしているトメイ家は、家にいる者総出でヘイス一人の世話を焼いた。

 朝になるとカーテンを開けにきて、肩の様子を看て、体を拭いて、食事を食べさせて、字やオルミスの常識をどこまで知っているか確認したり、花を飾りにきたり、髪を切ったり、服を着せたり。


 数日もしないうちに、オーネットがトメイ家を訪ねてきた。


「……ずいぶんと……ワイロフの、若い頃にそっくりに……」


 仕立て上げられたヘイスの姿を見て、オーネットは震えて笑いを堪えていた。ヘイスが何もする気がないと聞きつけたトメイ家の人々は、なら抵抗もしないだろうと、好き放題に世話をしたのだ。


 オーネットはヘイスを連れて、オルミス城へ向かった。

 城にいたワイロフ、ルペッサン兄弟、あと数人の見知った要人たちが、ヘイスを見て首を傾げ、驚き、笑う。癪に触りながらも、おとなしくオーネットに付き従い、謁見の間に入った。


「よく来た、我が友人の息子よ」


 会うなりメルキド王は、そう言った。オーネットの養子であることを言っているのだとヘイスは思ったが、


「リオン・カフェトーを失ったことは無念でならない。オルミスの同志としてここに悼む」


 と、王が言葉を続けた。

 オーネットとヘイスは、王の前に跪いた。


「……ファルトーソーはいつオルミスを襲ってもおかしくありません」


 ヘイスの言葉に、王はうなずいた。

 

「北の町を終わらせなければ」


 王が命じると、謁見の間に机と地図が運びこまれた。ヘイスは北の町が港やこの大陸の周囲の海図を作り上げていることを明らかにした。

 メルキド王は即座に、東に建設中の新たな町を、守りを固め砦にするよう伝令を送った。


 ファルトーソー制圧作戦の会議は連日にわたって行われた。

 オルミス中から戦いに加わるものを募り、兵舎と訓練場が作られた。

 船同士海上で戦うことを想定し、船に乗れる者を増やした。ルペッサン兄弟が任命され、港町に兵舎を作り指揮をとった。

 農場に拠点を作る計画は、ロット家当主に断られた。終始、険しい顔をした女性――ミレア・ロットは、家族には勘当した息子が船に乗っていたことを知らせていない、と言った。国民にも名前は掲げず、長男の悲惨な末路を知るのはこのまま自分だけにしたいと。兵が留まれば、誰かの口から伝わる可能性がある。そのため、食糧の協力のみとなった。


 ヘイスは城に出向くことが多くなった。

 いつか忍びこんだ中庭を、今は堂々と歩いている。

 第一王女に会ったので、オルミスへの感謝を延べ挨拶をした。高い場所にある窓から、かすかに歌が聞こえた。


「あの子の歌、変わってしまったわ」


 第一王女シルキディアは、窓を見上げて心配そうに言った。


「前は晴れ渡る空のような、清い小川のような、そんな歌だったのに。今は聴いていると、涙が出てきそうになるの」


 ヘイスも、空を見上げた。精霊は窓の近くを漂っておらず、空には薄い雲がかかっていた。


 

 そうして日々が過ぎていくうちに、ヘイスは城ではなく訓練所にいることが多くなっていった。

 城下町に造られた兵舎に来ているドラギエルと再会した。


 ドラギエルは英雄だった。誰もが、彼がエッカーナ号を救ったことを、褒め称えもてはやした。どうやってグィオを倒したか聞きたがった。彼が剣ではなく重い箱でやっつけたのだと知ると、みんな「すごい」「さすがだ」と言って、彼の力を賞賛した。

 そうでなければならなかった。はじめはオーネットやメルキド王に命じられた者たちが言い、そのうち当たり前になった。

 そうでなければ――ドラギエルのやったことを正しい人殺しにしなければ。これから訓練した者たちはファルトーソーと戦って、人を殺すこともあるのだから。

 

「元気か、ドラギエル」


 ヘイスが声をかけると、ドラギエルは軽く微笑み、うなずいた。


「……みんなを守れるなら、これでいい」


 ドラギエルの兄弟のうち、三人が兵舎に来ていた。ナバルも時々、姿を見せた。ヘイスは安心した。


「俺が、やらなきゃ……カラットのことを思い出せばいつでもファルトーソーを殺せる」


「……」

 

「ヘイスは大丈夫なの? 元気がなさそうに見える」


 と、ドラギエルが聞いた。


「俺が元気そうなときなんて、もともとなかっただろ」


 ヘイスは「ふ」と笑顔を見せた。

 鼻で笑う癖はあまり出なくなっていた。オルミス国民になったからには、王族や要人の前でそういう態度でいるわけにもいかなかったからだ。

  

「……あったよ」


 と、ドラギエルは寂しそうに言った。



▪︎

 

 

 何もしない。

 そのために周りを動かしているつもりだったのに、気付けば自分も何かしている。

 力を持っている人間と話したり、何も知らないのんびり屋に色々教えてやったり、甘やかされて育ったお坊ちゃんに戦闘訓練をつけたり。

 それはやりがいがあって、日々には楽しさすら感じる。

 トメイ家のやり過ぎな世話焼きも含めて。


 


 

 城に行けば遠くから歌が聞こえてくる。

 エッカーナが、自分が生きていることを知らせているかのようだった。


 

▪︎



 ある日、ワイロフとオーネットに連れられて、ヘイスは謁見の間に向かった。

 王と会うのは慣れていたが、今日はいつもの様子と違い――王妃と二人の王女が、王の後ろに座っている。第二王女ヴァヘライザは伏せったきりという話だ。


「我々が遭難した島への航路を確立しました。その、海図です」


 オーネットは巻紙をメルキド王に献上した。

 ルペッサン兄弟が進めていた探索が成功したのだ。万が一にもファルトーソーが島を発見する前に、島をオルミスのものにしておかなければならなかった。


「ファルトーソー制圧後には、巨大大陸到達への足掛かりとなりましょう。こちらが、大精霊ファムレが下さったバナナというものです」


 ヘイスたちがいつか食べた黄色い実がメルキド王の手に渡された。


「これがあの、お前たちが話していたものか!」


 メルキド王は大変に喜び、「今日の昼食に出せ」と、食事係にバナナを持って行かせた。

 エッカーナは、それを目で追っていた。あれがどんなに美味しい食べ物かということを、食べたことがある者は知っている。

 久しぶりに見た姿――頭を下げているヘイスの顔に、小さく笑みが浮かぶ。


「ルペッサン兄弟に褒美をやらなければならんな」


 と、メルキド王は上機嫌で言った。

 その様子を見て、オーネットはワイロフと何かを目配せしたようだった。ヘイスが訝しんでいると、オーネットは言った。


「褒美といえば……王は以前、私に言いましたね。巨大大陸を発見した暁には、好きな王女と結婚させてくださると?」


「まあ、お父様?」 

「信じられない」


 第一王女と王妃が、非難の声を上げる。


「べ……別に良いではないか、オーネットだったら」


 王がしどろもどろに弁解をする。


「それで、少々気は早いのですが……戦いの準備でオルミスの民も緊張が続いておりますし、喜ばしい出来事も必要でしょう。必ず巨大大陸は見つかりますので、先に約束の褒美をいただきたいのですが」


「……他の物では?」


 後ろからの視線を気にして、メルキド王はオーネットに言った。オーネットは、首を横に振る。


「だめです。あと、その褒美はあの島に一番最初に到達した、このヘイス・カフェトーに譲りたく存じますが」


「え?」


 声を漏らしたのは、オーネットとワイロフ以外、この場にいる全員だった。


「ほら。望むものは、自分で言いなさい」


 と、オーネットは呆然としているヘイスの背中を押し、王の前に立たせた。


(なぜ……)


 メルキド王の向こうに見える、手に入れるはずだったもの。

 

 この国から奪いとるはずだったもの。

 

 何もしないと決めたのに、何度も手放しているのに、すぐに手が届きそうな場所に現れる。


 今までは届かなかった、伸ばせなかった――はずなのに。


 当の本人は、何もわかっていない様子でこちらを見ていた。


 ヘイスは一度、目を伏せた。


「どうか……」

 

 幼い頃から、わけもわからず願わされてきたこと。頭の中で幾度となく繰り返してきた言葉。

 しかし、口に出すのははじめてだ。


「俺に……」

 

 この願いからは、どうやっても逃れられない――。

 オルミスでの日々は、それを証明したに過ぎなかった。

 

 ヘイスの灰色の瞳は、まっすぐにメルキド王を見据えた。

 

「俺に、第三王女エッカーナ様を」





挿絵(By みてみん)


挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。

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