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セレニアの物語  作者: 和州さなか
第1章 アルソリオのトゥヴァリ

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終幕 新しいアルソリオ

 アルソリオの夜が明ける。雨に濡れた石畳が陽光を返し、人々は目を覚ます。


「ペルシュ、おはよう」


「おはよう、アーチ! サンナ!」


 近くに住む人々は、連れ立って広場へ向かう。

 子どもたちが飛び出してきて、大人の歩みを追い越していく。アーチとサンナの子、幼いラスカは、祖父――ペルシュの父に抱かれていたが、今度は降りるとせがんで、子どもたちを追いかけた。

 

 広場に着くと、人々はそれぞれの“好きな仕事”に取りかかった。多くの人は、広場の中心にある井戸から水を汲み上げる。ペルシュたちも、水を飲み顔を洗う。

 そのすぐ横には、大精霊セレニアの像が置かれている。少女の形をした像が差し出す両手のひらに、消えない小さな火が揺らいでいる。


「東の広場に、誰が行く?」


「行ってくるよ」


 と言ったのは、ドーデミリオンとフィオラの夫妻だ。

東地区には畑があり、野菜が実っているので、それを取りに行く。

 精霊像の足下に、生気を失った鳥や魚が並べられている。縄を巻きつけた木の枝で火を取り、石を組んで作った焚き火炉に移して肉を焼く。


 最初は大変だったけれど、みんなでやり方を覚えた。今ではすっかり慣れたものだ。自分たちの手で完成させた食事をテーブルに並べる。仲の良い友人と、家族と、それぞれが好きなところへ行って食べる。大体、いつも決まった場所だ。

 

 食べ終えるとペルシュは立ち上がり、


「今までありがとう」


 とみんなと握手をして周った。


「こちらこそ、ありがとう」


「さようなら、ペルシュ」


 人々は笑顔で握手を返す。

 最後に両親のところへ戻り、同じように挨拶をした。

 

「……行くのね」


 母は、険しい顔で言う。


「寂しい?」


「ミルシュカやアーチは町にいるけど、あなたには、もう会えるかどうかわからないもの」


 と、娘の手を握る。

 父は二人に言った。


「トゥヴァリと一緒なら、大丈夫だよ」


「父さん……」


「そうね。宮殿の牢に閉じ込められていたあなたを救ってくれたのはトゥヴァリだった。他の誰も気づかなかったのに……あの子がいてくれて、本当に良かった」


 ペルシュは胸が熱くなり、もう一度両親に抱きついた。

 


 東の門に向かうと、レニスとラナが待っていた。


 ペルシュはいつものように、ラナに飛びつこうと駆け寄る。だが彼女はそっと身をかわし、代わりにレニスが手を伸ばして彼女を止めた。


「お腹に子どもがいるんだって」


 白い馬を連れた鳶色の髪と目の青年が言った。そばには精霊の光が一つ漂っている。


「本当なの?」


「ええ」


 ラナは幸せそうに微笑む。


「それで、子どもにトゥヴァリという名をつけたいんだけど、いいかしら」

 

「やめろよ。五十二番目なんて名前」


 気恥ずかしそうに目をそらしたトゥヴァリだが、悪い気はしていないようだった。


「もっといい名前がある。オルマ、ってのはどうかな。精霊の言葉で“新しい”って意味らしい」


「へえ、すごく良い名前だ。でも、それを俺たちの子につけてしまっていいのか?」


 と、昔の少し意地悪だった面影を見せながらレニスが笑う。


「なんで?」


「お前たちの子どもにつけなくていいのか、ってことさ」


「なっ!」


 思わず声を張り上げたトゥヴァリに驚いて、馬がいななき身を震わせた。彼はあたふたと手綱を引き、首をさする。ペルシュはぽかんとした顔でその様子を見ていた。


「あなたのことを言ってるのよ、ペルシュ?」


 ラナが呆れてため息を吐く。


「でも、トゥヴァリと結婚したわけじゃないよ?」


「二人きりで別の地に行くのに、家族にならないでどうするの」

 

「ナランサ様も一緒だもん。それにさ……どうして男と女は家族にならなきゃいけないんだろう?」


 ペルシュの疑問を聞いて、ラナの口は開いたまま塞がらなくなってしまった。

 

「トゥヴァリ……頑張れよ」


 哀れみの表情を見せるレニスに、トゥヴァリは苦笑いする。


 その時、遠くから「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。


 全身真っ赤な姿――赤い帽子に赤い服、赤いとんがり靴まで揃えたアイピレイスが、息を切らして駆けてくるのが見えた。


「大丈夫ですか?」


「うーん、さん、びゃく年ぶりに、老化していく体が重くてね……」


 はー、と息を整えたアイピレイスは、一冊の本をトゥヴァリに手渡した。トゥヴァリはぱらぱらと頁をめくる。


「これは……治療の仕方ですか?」


「知っている方が精霊の力をうまく使える。ハーヴァが、君にと」


 トゥヴァリは本を閉じ、大切に荷物の中に入れた。一年前の宮殿崩壊の日以来、彼女とは会っていなかった。

 ペルシュを死んだと思わせ、八年も牢に閉じ込めていた張本人だ。実の母親だと知っても、許せるはずがない。


「元気ですか?」


「まあまあだ」


「……お礼を伝えてください」


「いいとも。君たちは、どこへ行くんだい?」


「東の森でナランサ様が待っているんです。木は家を作れるし、水も食べ物もたくさんあるので」


「そうか。それでも危険は数多い。気を付けて行くのだよ」


 トゥヴァリはアイピレイスと握手を交わした。それからレニスやラナとも同じように別れの挨拶をして、ペルシュの手を取り馬に上げた。


「じゃあね!」


 手綱を取るトゥヴァリの前で、ペルシュは大きく手を振った。


「今度はすごい冒険だね、トゥヴァリ」


 ペルシュは興奮して言った。赤毛がトゥヴァリの鼻をくすぐる。


「精霊のお守り付きだけどな」


 光の球はペルシュよりもトゥヴァリに近いと張り合うように、周りを飛び回った。


「ああ、ワクワクするなー! そうだ、周りの景色をよく見ておかなくちゃ。東の門を出たら草だらけだ、まずは地図を作らなくちゃね。それから家を作って……ナランサ様の部屋はどうしたらいいと思う? 四本足じゃベッドに寝られないよね?」


「……お前って、すっごいな」


 トゥヴァリは笑った。


「怖いもの知らず」







 ▪︎


 


 『ようやく、形になりましたね』


 宮殿の広場から町の営みを観ていたセレニアは、戻ってきたアイピレイスに言った。


「ええ、なんとかやれているようです」


『アイピレイスさんの記憶にある生態とまったく違っていて……まだ本来の姿には近づけていませんが、このやり方なら、生気のバランスも良い感じです!』


「素晴らしい。精霊王の慈愛に感謝致します」


 この一年を、振り返る。

 自由に、人間らしい生き方を――囲いを外された人々は、まず喉の渇きに苦しんだ。広場に井戸を作り、安全な水を用意した。

 次に、食べ物。セレニアはかつて人間が家畜としていた鳥や羊を与えたが――むしろそれらの種の方が野生化しており、人々の手に負える穏やかさを保ってはいなかった。

 加えて、虫も殺したことがない人々は、食べるために動物を殺すことなど出来ないと、騒いだ。しかし精霊に世話を焼かれている時に口にしていたので、魚や肉を食べたがる。

 そこで、精霊は鳥や魚の生気を食うことにした。残った物体を広場に置いてやり、人々はそれを調理する。


「世代が交代すれば、自然に変わっていくわ。この生き方が当たり前になれば。以前も、そうだったもの……」


 幅広の帽子をかぶっている彼女は三百年ぶりの“老い”を受け入れるのに、苦労しているようだ。

 穏やかな表情を見せているが、心境はわからない。彼女の部屋にはまだ、夫と娘――文明が滅亡する前の、本当の家族との写真が、色褪せずに残されている。


「彼らが過去を取り戻す必要はない。新しく、彼らと精霊がともにある世界を築いていけば良い。私はそう思う」


 賢人の役割とは、意見を提示することだ。

 賛同を得ても得なくても、人々の意思の流れを生み出す源を生む。

 

 いなくなった三人の賢人たちは、そういう意味では役割を果たしていた。

 

 アイピレイスは、セレニアの力で元通りに修復された宮殿を眺める。

 アルソリオの人々を生贄に自らの願いを叶えていた、堕ちた賢人、悪王、ナリファネル。しかし、彼の芸術作品だけは、人々にもう一度見たいと願われたのだ。

 

 書庫のようなオーウェンの部屋も、塗料の匂いがするナリファネルの部屋も、何の面白みもないアイピレイスの部屋も、元通り。しかし、住人はいない。さながら歴史博物館の展示物のように、時を止めてそこに在る。

 アイピレイスはトゥヴァリが住んでいたルディの家に移ったが、ハーヴァは宮殿に住み続けるようだ。

 

 ――ロースウェイの部屋は、彼女の部屋だけが、暴走したナリファネルに踏み潰された時も、黒い光に煌めく廊下ともども形を留めていた。


『私たちが通れない部屋を作れるか、とロースウェイさんが仰ったので、作りました! 地球上にはない物質です。筒や廊下の形状なら通れますが、部屋のように囲まれてしまうと、その中にある物体も思考も認識できません。だからナリファネルさんも干渉できなかったんです。面白いことを考えますね、ロースウェイさんは!』


 そう説明しながら、セレニアは無邪気に微笑んだ。

 

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