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御囲部屋の子どもたち  作者: たびー
恩の章

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糸穂の章 8

 夏は静かに過ぎていった。

 特別な出来事といえば、夫人が糸穂を飾り立てて写真を撮ったことくらいだった。

「かわいい、糸穂! 旦那さまは男の子が欲しい言うけど、わたしは糸穂みたいなかわいい女の子がいいわ」

 海城婦人は、糸穂を洋装させた。白いワンピースだ。前身ごろにふれると、糸穂の指先は細かな縫い取りを感じた。細い(タック)が何本も入っているとトキが教えてくれた。襟や袖口には薄くて繊細なものが縫い付けられているのがわかった。

「糸穂は洋装が初めてよね。レースがたくさん使われている服を、旦那さまに買っていただいたのよ」

 夫人の弾んだ声に反して、糸穂はワンピースが体にぴったりすぎて息苦しさを感じた。それに腰から下の頼りなさときたら、落ち着かないことこのうえない。草履ではない靴は、固くて歩くのが難しく、かかとが痛くなった。

 夫人は表座敷に絨毯を敷き、猫足の椅子を置くよう女中たちに命じると、糸穂を椅子に座らせた。

「せっかくだから、写真を撮るよう写真技師を呼んだの」

 写真のなんたるかを理解する前に、命じられるままに作り笑いを浮かべた糸穂は、強烈なストロボを浴びた。何かが燃えたようなにおいに糸穂はむせた。


 ひとしきり夫人の「もてなし」を受け、糸穂が解放されたのは昼過ぎだった。

 もとの着物に着替え、いつもの居室に戻ると糸穂はぐったりと壁にもたれた。

「夫人は毎日退屈されているからね。子どもが生まれたら、糸穂にかまっていられないよ」

「赤ちゃん、いないの?」

「お嫁に来て三年経つのだけど、なかなかできないんだよ」

 糸穂の継母は、男児をたて続けに生んだ。お嫁さんになったら、すぐに子どもができるとしか思っていない糸穂には、子どもが生まれないということに理解が及ばない。

「寒川さんは、子どもがいるの?」

 とたんにトキの笑い声がした。

由岐哉(ゆきや)……寒川はまだ二十歳前だよ。たしか十八」

 え! と糸穂は思わず体を起こした。じぶんの父親と同じくらいだと糸穂は思っていたのだ。

「父親が急に亡くなってね。去年から、虫取りの仕事を継いだんだ」

「虫取りって……」

 トキは、しばらく間を空けた。

「御囲様を探す仕事さ」

 糸穂は瞬間、自分が虫になったような気がしておぞけがした。

「ああ、違うよ。おまえが虫だというわけじゃない」

 糸穂は知らず知らず後ずさった。

「おまえ、寒川が訪ねて行く前から、不思議なものにあっていたはずだ」

「不思議なもの?」

 首をかしげて糸穂は考えた。ときどき、何もないはずのところで花の香りがしていた。あれのことだろうか。

「虫は、こちらとあちらの間にいる。虫に好かれる者は、御囲様になるのに向いているんだよ」

 他にも条件はあるが、とトキは語った。

 花の香りが、小さなときから身近にあったと糸穂は思い返した。

 家族の団欒が聞こえたとき、雨風が強く吹き付ける夜、離れに来た父が継母に呼び戻されるとき。

 花の香りと、花びらの気配がした。

 あれが、虫?

「あした、あした御囲部屋に入りたい」

 糸穂は初めて自ら御囲部屋に入ることを望んだ。


 翌日の夕方に、糸穂は準備を整えて御囲部屋へ入った。

 入ると間もなく、目を覆う遮幕が徐々にはずされるように、糸穂の視界がはっきりとしてきた。

 頭上に灯る明かりから視線を前に戻すと、黒羽織の男は既にいた。すると、いつの間にか現れた、顔を隠す青年が糸穂の手の紐をほどく。

 青年は、また形を取り戻していた。糸穂は、ほっとため息をつくと、青年の手にふれた。

 少し冷たく、しっとりとしている。まるで花びらのように。

 糸穂は青年の顔を見上げた。青年もまた見つめるように、糸穂へ顔を向けた。

 ――たぶん、このひとが虫なんだ。

 確証はない。けれど、最初から糸穂に優しかったことを思えば、あながち思い違いではないと感じられた。

「おいおい、俺は眼中にないか?」

 あぐらをかいた黒羽織の男が、皮肉げに声をあげたが糸穂はいつまでも青年の手を握っていた。

 

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