転校の痛み〈小学校時代 蓮〉
夏休み前日の今日、星さんと一添さんと僕の3人は揃ってこのクラスとはお別れだ。きっとまたこの日が来るだろうとは思っていたけれど、再び訪れた悲しい記念日となった。
僕と、後の2人は女子。帰りのHRの最後に揃って教壇の前に立った。
順番に女子たちが一言づつ挨拶し、僕の番になった。ドキドキが止まらないけど、最後だからちゃんとしなきゃ。
「今まで仲良くしてくれてありがとう。みんなも元気でいて下さい」
ペコリと頭を下げた。
「これ、自由ノートと一言メッセージカードです。みんな1つずつ受け取って下さい」
パラパラと拍手を浴びた。
「蓮くんも向こうで元気でがんばってね」
担任の先生が僕に優しい笑みを向けた。
「はい、ありがとうございます」
いつもと同じ。この拍手。
僕も送り出す側で何回これをしたか。年中行事過ぎて、記憶には無い。
夏休み前日、僕と同じこの日に学校とさようならするクラスメイトは僕を含め3人いて、クラスのみんなは僕らのためにささやかな送り出しの時間を設けてくれていた。
連絡先の交換をしたけれど、どうせ1年と経たずに繋がりは消えるんだろうな。今まで去って行った人たちと同じように。
それは僕の場合もその通りだった。
***
僕が小学校入学直前に引っ越して来たこの街は、転勤族の集まる街だった。僕の家族もその一つだ。
この小学校に通う子の約3/4は、転勤で越して来た子で、残りの1/4くらいが地元の子。
だから転校生イジメなんてダサいことはあり得ない。だってほとんどの子が自分も転校生なんだから。新しい転校生が来たら、その子は皆の興味深々を集めて人気者だ。
入学から卒業まで6年間この学校に通う子は、地元の子だけって言われてる。転校生の方が圧倒的に多いという特殊環境で、生徒の出入りが激しい。僕が1年生の時は、年度末までの間にクラスの1/3弱が去って行った。
僕はこれが普通だと思っていたけれど、大抵の小学校はそうじゃないって段々と知った。
去ってしまったかつての仲良したち。行ってしまう君と置いてかれる僕とでは、どちらの方がより寂しいんだろう? 僕は置いて行かれる方だと思ってた。
誰かがいなくなると、誰かが来る。僕たちの友だちはどんどん入れ替わっていく。
僕は入学直前に引っ越して来てから5年生になっていて、長く残っている方だったけど、夏休み前に遂にお父さんの転勤が決まって東京に引っ越すことになった。
かつて置いていかれる僕は喪失感で寂しかったけれど、去って行く僕も寂しいって知った。
ひとり知らないところに放り込まれる分、余計に。
引っ越し先の新しい小学校では、夏休み明けからの転入生は全体でたったの3人だった。同学年は僕一人。僕ら3人は体育館での始業式で、校長先生から一人ずつ名前を呼ばれ、全校生徒の前で挨拶する羽目になった。転校生が少ない学校はいきなりハードモードだった。人見知りの僕には馴染むのには少々時間がかかった。
***
今、大人になって思うことは───
僕には幼なじみと呼べる人はいないから、地元だってはっきり言える場所も見つからないから、そういうのある人たちは羨ましいなって。
一体どんな感触の場所でどんな位置の友だちなんだろう‥‥‥
ただ、俺の中で子ども時代の思い出だけは一部あやふやながらも記憶の中にちゃんと記録されていて、特に小学校時代の日々については、時々不意に蘇って来て、なつかしく眺めてる。
神戸に北海道、そして名古屋、東京。国内の都市をあちこち。全く記憶の無い場所もあるし、どうせなら転勤するなら海外だったら良かったのにって憧れるけど、残念。あり得なかった。そもそもうちのオヤジの勤務する会社は、海外展開するような総合商社でも、業種でもなかったから。
子どもは生まれる場所も親も選べない。そして大人に保護されなきゃ生きていけない可哀想な哀しい生き物。そして生まれ持った環境を当たり前として、なんの疑問も無く過ごして行くんだ。
たとえ子どもの人権なんて無視されてる環境だろうとね。
だから、俺は虐待のニュースなんか聞くと心がきゅっとするんだ。子どもはそこから逃げられないってよくわかるから。
俺は大学2年になって、地域の子どもたちの放課後の居場所をサポートするボランティアに参加することにした。一緒に遊んだり、勉強を教えてあげたりとか。
その中で、一人の小学校低学年の男の子と出会って、仲良くなった。
彼はスケートボードが好きらしい。
小さな友だちが出来たせいか、最近はやたらと昔のことを思い出すんだよね。もう、名前も顔もあやふやで、今後二度と人生ですれ違うこともないだろう、だけど楽しかった思い出を共有してる、あの子たちのことを───
『組曲』だったんで、1話ごとの登場人物を次第に関連づけて行く予定だったのですが、諸事情により変更します。次回、最終回。