例えばのフィクション〈歩行者 M〉
最終回です
ある高層マンションから、地上を歩く人に向かって、1円硬貨を落とされるという事象が何件も発生していた。
落とされたものは少額とはいえ、一応価値のある硬貨だったし、低層階からだったので、当たった人は特に被害の自覚さえ無く話題にさえならずにいた。不意に足元に転がる硬貨に、ラッキーを感じる人さえいたかも知れない。
しかし、ある男Mにそれが当たった時に潮目は変わった。
そのMはコインを落とし続けていた人物よりも、更に陰湿な男だったから。
彼は落とされたコインが右手にぶつかった弾みで、持っていたカバンを側溝に落とし、徹夜して仕上げた大切なプレゼンのための配布書類を台無しにしてしまった。
彼はショックの余り、数日間鬱ぎ込んだ。
ただの名も無い通行人の自分が狙われた理由も分からなかった。運が悪かったのだろうか? もしかして自分は無意識で、誰かに何か悪いことでもしてしまっていて、その復讐だったのだろうかとも考えた。
だからと言って、落ちていたとて拾う人さえほぼいないような、ひらひら風に舞ってしまいそうな軽いコインを上から落とすなんて酔狂をする人ならば、狙いは誰でも良かったのだろうとは思ったが、Mは狙われた理由に思い当たるフシはあるような無いような思考の迷宮に陥って、悶々と考え込んでいた。
大抵、通り魔に狙われるのは、幸せそうに見える人だとか、自分より弱そうに見える人だとか、若しくは社会のゴミと目障りとされる人たちだ。
俺はひょろひょろでケンカも弱そうに見えただろうし、頭も悪そうに見えたから、バカにしてからかい半分だったのだろう‥‥Mはそう思うことにした。
実際Mという人物はその通り、相当頭の悪い人物だった。
───些細なことだ。そう、どうってことない、大人気なく騒ぐほどのことじゃない‥‥‥
だが、傷ついた右手と心、頑張って仕上げたプレゼンの配布資料が台無しになってしまったことには怒りが湧いた。
───姿を見せぬ誰かは、この高層マンション、若しくは近隣マンションにいるに違い無い。
考えたMは密かに一軒一軒、くまなく調べることにした。M自身もそうだったが、ここのエリアのマンション住人のほとんどは、ネット上に誰にでも見ることが可能な窓口を持っているはずだった。彼ら住人同士が交流して繋がっているらしきことは以前から知っていた。ここにおいては真のプライベートは隠されるが、不正防止の観点から隠せない部分もあることくらいは知っていた。
素人でも地道に行えば、たった数日間である程度の情報は調べがついた。
これまで他人にはそれほど興味も無かったMは、全体がこんなにも広大で巨大であるにも関わらず、自分が住まうエリアは、ここまで不人気で狭い区域だったと、薄々とは知っていたものの、その時初めて実際の実態に気がついた。
お陰で今まで関心すら無かった他人の相関関係まで、たった数日で結構詳しくなってしまった。
たとえ相互を隠しているとしても、公開されている交流など全て探って辿って図にして行けば、それほど広くも無かった界隈の相関関係なんてすぐに知れた。
Mは、自分の不運発生と同じスポットにおいて、興味深い住人の部屋を発見し、さっそくスクショした。
繋がってる奴らも同類だ。まとめて腹が立つ‥‥が、落ち着くべきだった。
Mは何も知らないふりをしなければならない。誰に対しても。
本当は、寝るのも惜しんで散々何日もかけてネットを探りまわっていたというのに。
なぜなら、残念。Mはぶつかったショックの余り、初期に大きな失態を犯していたからだ。
Mは台無しになった書類をショックの余り廃棄しまっていて、自ら投下された痕跡を消してしまっていたからだ。
こうなったらMは被害者を正式に名乗ることさえ出来はしない。M自身、何も言い切れることなど無いのだから。
───どうすればいい? だからって俺は黙ってらんないよ。
考えた男は、マンションの掲示板を使って、コインを投下した人物に、間接的にメッセージを送った。
Mは自身に投げられた証拠を自ら棄ててしまい持ち合わせていないのに、直接なんて何も言えやしないからだ。何も言ってはいけないのだ。
自分は何もネット探検してはいないし、界隈の人間関係も何も知らないという、仮の硬いマインドを形成した。Mにコインを投げた住人はその住人かも知れないし、そうではないかも知れない。結局は知らない方が良かったことだった。
自分が受けた事実と気持ちを語り、このマンション界隈のどこかからコインを投げた人物に、自ら名乗り出てもらうしか方法は無い。
Mはエントランスの掲示板に、想いを綴った紙切れを貼った。
しかしながらMの思惑は外れ、掲示板の反応は無関係な住人たちに広がって、想定外の多さの野次馬の傍観者と、あちら側のお仲間?も加わって、Mは再び1円コインをいくつも投げつけられる事態となった。Mにも無言の賛同者は多少はいたようだったが擁護論は皆無で、なのにアンチだけは何人も付き、散々な痛い目に遭った。
Mは流石に自分は大人気ないことをしてしまったかもと反省し、謝罪を述べたが反感は収まらなかった。
抗議がある人には言葉での反論を要求していたが、ほとんどには無言投石されただけだった。
そして彼は悟った。自分は独り相撲をしていたらしいと。
なぜなら、こんなくだらない足の引っ張り合いの事象は、ここの住人たちの周知の事実であって、皆、暗黙の了解で受け入れ、そうなっていただけだったのだ。その他大勢の野次馬の無言とは、いわゆる承認に他ならないのだから。
だからきっとMのような迎合出来ない性格の不器用な奴らは叩かれ弾かれて、このエリアの過疎に更に拍車がかかっているのだろうと推測した。
Mがここに住み出した3年前の当時からこれまで、ほとんど誰とも関わることなく他人に無関心だった故に、エリア事情を全く知らなかったMだけが1人声高に叫んでいただけだったのだ。
───本当にこれこそ俺はピエロだ。くっだらねぇ‥‥‥
夜な夜なあれこれ住人たちの部屋を探ったので、辛口で際立った、ある人物の存在をMは当然ながら知っていた。
まさかその方と自分と関わることになるとは思いもしなかったMだったが、無言投石の奴らとは違い、ただ1人真っ向から『言葉』で自分に対立してくれたカラスさんは、正々堂々としてる分、意見相違ながら、真っ当な人に思えた。
───この文字がモノを言う空間では、言葉にしなきゃ結局は真意は通じねーじゃん。
俺は、今お前が息してんのかどうかさえ知らねーし、どんな顔して読んでんのか、その顔色も目の動きも口許が語る表情も知る由もないんだから。
読者も片手で足りるような書き手に、いつまでも構うほど暇な人がここにいるらしい。
こういうとこに住まう文章を操る奴らは、行間に漂う心理さえ自然と読めちゃうような力量のある繊細な人たちだと思ってたけど? 今となってはそれも俺のかいかぶりだったのかもな。
***
結局Mの無知無謀により残されたものは、無言投石のアンチたちと、今はすっかり景色が変えられてる、スクショのページ1枚。
この構図はきっとしばらくこのまま変わらない。
不本意ながら、オワリ
ここまで、全話ともフィクションです。
この小説は、俺のアンチさんのあなたに捧げる




