第22話 高木という男
車を止めると同時に美月は降りて、音を殺して自分の部屋に駆け込んだ。
ガレージを閉めた陽介は、頃合いを見て「ただいま」と、騒々しく玄関に入る。
部屋から出てきた母は、「あら、みっちゃんは?」と辺りを見回した。
「今、二階に上がった。車を、オープンで走らせてたから寒かったのかもしれない。部屋で着替えるみたいだ」
「そう。さっき高木から連絡があって、あと一時間ぐらいで着くみたい。そしたら私を入れた三人で話したいことがあるそうだから、お部屋で待ってて下さるかしら。その後でまたパーティをしたいみたいなの。何度も付き合わせて御免なさい」
「分かった。だったら、みつきにパソコン教えてるから」
「有り難う。後で飲み物持っていくわね」
「あっ。じゃあ僕は紅茶が良いな。今入れてくれたら僕が運ぶよ」
母を二階に上がらせたくなくて、そう言った。
*
「ブラウスを脱いでみろ」
肩と上腕部、背中に赤く縄の痕が残っていた。
「もう少し時間が経てば消えるだろう。ローションでも塗ってからにすればよかったな。今、何かあるか?」
「ニベアとか?」
「それでいい。擦り込めばすぐ消えるからバーティには間に合うだろう」
「塗って。陽にいが着けた痕なんだもの」
「お前が俺に要求とか指示をすると、呪術関係が逆になるぞ」
「だって……」
ブラを交換するために、両手を背中に回しただけで縛られた感覚が戻ると言って目が潤む。
陽介は苦笑混じりに「しかたが無い。では特別に、俺様がお前につけた傷を直してやろう」
芝居を延長しているノリでそう言い、白いクリームを指に取り、背中、肩、腕に掛けた縄の痕に擦り込んでいく。陽介のリストバンドをしていたので、手首に縄の痕跡は無い。
「構わないんだけどな」
美月が呟く。
「縄をほどかれるとき、陽にいから離れていくような気がして、ずーっとこのままでいたいと思った」
胸の縄痕を愛しそうに撫でる。
だからこの痕も消えなくていいのよ。これは陽にいなんだから、ずっと一緒に居る」
陽介は、美月が堪らなく愛おしくなり、乱暴に引き寄せると抱きしめてキスをした。
*
母の和子は、夫である高木洋一が陽介に会いたいという、本当の訳を知らない。
そのことは、昨夕、食事の時に和子の言葉で確認した。
陽介は弁護士の吉本からのメールで、父の知的財産について(権利は陽介が引き継いでいるが)のオファーがあり、それが高木の関連会社だったと、連絡を受けている。
このことから、高木が陽介に会うのは特許の譲渡に関する商談のためであろうことは予想できた。
その特許がどういうものか。或いは他の何かに転用できるものなのか、それを知りたくて、父の共同研究者であった間島に電話を掛けたが、その番号はもう使われていなくて、所在もつかめなかった。
陽介は特許の内容について、意図的に知らされてなかったのだ。
後になって、父とは全く脈絡の無い友梨の所属する研究室に保管依頼をした資料が、それだったと知らされたのは父が死ぬ半年ほど前だった。
父は亡くなる直前、その扱いについて「必ず、ある者から連絡があるから、それまでは守ってくれ。決して外国人の手に渡すな」とそう言い残していた。
『ある者』が誰であるかを言わなかったのはそれなりの理由があるのだとは思っていたので、それが説明できる人物が、『ある者』だ。
過去、『発明』の殆どが社会・人類に貢献して、それは『文明』を発展させてきた。
しかし一方で、ある種の発明は人類の生命や存在を脅かす両刃の剣でもあった。
何かを害することになるのであれば、それを制御する別の『何か』が必要だ。
父が言った『守れ』とは、そう言う意味だと理解していた。
『ある者』とは高木なのか、そうでないのかも確かめる必要があった。
「高木さんってどんな人なんだろう」
陽介は朝食の時、母にそう聞いた。
「いい人よ。優しくて強い。それに正義感がある。情熱家っていうかな。熱い人。あなたに似ているところがあるわね。あとは自分で確かめて」
美月も「そう言えばそんな感じがするけど、私は陽にいの方がいいな」
「それ、何の参考にもならないから」
結局たいした情報も得られず、美月が食材の準備を終えるのを待って、陽介のマンションに向かったのだった。
*
十六時過ぎ、黄色に塗装されたハマーが入ってきた。
普通の民間人がタイプH2のハマーを、日本の狭い道で走らせる意味が、陽介には理解出来ない。
二階の窓から見ていた陽介は、ガレージのシャッターを開けるのが高木で、運転しているのが女性である事に気付き、冬の雪道をこの別荘に来るための四駆だと納得した。
「高木です。初めまして」
陽介の自己紹介のあと、野太い声で高木は握手を求めた。
「大介君は実に残念でした」
そう言って陽介の父の死を悼んだ。
「でも悔いの無い人生だったと思います」
生き様は確かにそうだったと思う。実に自由に、好きな事をして生きていたように、陽介には見えていた。
「そうですね。だが、ただひとつ。彼は見たかったことがあったのではないでしょうか」
その言葉には陽介の知らない父と高木のやりとりがあったことを伺わせた。
「それは何でしょう。高木さんは何故それをご存じなのですか」
「どうぞお座り下さい。もちろんお話致しますが、先ずは順を追って」
陽介に上座のソファを勧める高木は、あくまで招待者の態度を崩さない。
陽介の着座に合わせて、自分はシングルソファに座る。
自分がいない間の出来事を逐次、和子から聞き取っていく。
「信一からの連絡は何か? ミッキは、ちゃんとご挨拶を済ませたのかな」
「信一さんからは何も。きっと遊ぶのに夢中なんだわ。みっちゃんは勉強を見て貰ったり、プレゼント頂いたり、本当によくして下さったの。一緒に釣りもしたのよね」
「それはよかった。ゆっくりして頂きたかったけど、逆に気を使わせたかな」
「いえ、僕も久しぶりにのんびりしたし、楽しかったですよ」
「大学はどうですか。やることが沢山有って大変でしょうね」
「そうですね。学ぶことがそのまま生き物の命に直結する。という意味では気を抜けません」
何気ない日常が交わされる。
「新潟港に着かれたんですよね。船旅は如何でしたか」
「いやいや。中々快適でしたよ。スタビライザーっていうのかな? あれのおかげで殆ど揺れないし、朝まで酒飲みながら映画見て過ごした」
悪巧みが成功した子供のように、わははと無邪気に笑う。
そんな高木の姿が、陽介には、父を思い起こさせる。
「まあ。朝までお酒だなんて、飲酒運転ですよ」
「だから啓子に運転させたんだよ。そんなには飲んでないし、明け方には寝たから大丈夫だ。そうだ。啓子と言えば、苫小牧港を出てすぐに、一度だけ揺れたときがあったんだけどね」
高木は和子と陽介を交互に見ながら、秘密を打ち明けるように言った。
「そのとき啓子はデッキに出ていたんだが、段差につまずいて倒れそうになったらしい」
「まあ!」
和子が額に皺を寄せる。
「丁度その時、手を差し延べてくれた方がいたらしいのだが……」
「あら素敵」
「ところがその方がその時に言った言葉が啓子には気に入らなかったようだ」
「まあ。何ておっしゃったのかしら?お聞きになったの」
「勿論聞いたよ。『こんな腕でも転がるよりは……』と言ったとか。私的には中々ウィットに富んでいると思うのだけどね。それで啓子は『そんな腕なら転がる方がましです』と。悪気は全く無くて思わず反射的に出た言葉らしいが、その方はえらく気分を害されたようだ」
「まあ。失礼な娘ねえ。よくそんな恥ずかしいことを。それで啓子は大丈夫だったのかしら」




