第十五話 いざ戦場へ
北東部国境への派遣を命じられてから三日。諸々の準備を終えたニコラはセレンと共に帝都の外で出発を待っていた。
三日前の痴話喧嘩の後、騎士団長フランシスに直談判しに行き、セレンを諦めさせようとしたが、ニコラの期待通りにはいかないかった。あろうことか予想を裏切り、フランシスはセレンの同行を許可した。派遣の名目は騎士だが、それに付随する兵や雑用を担う使用人の裁量も騎士団に一任されているので、騎士団長が是とすれば見習いのニコラに抗う術は無い。
それでも普通は男ばかりになるが、今回の派遣騎士にはノンノも居るので、少数は女性も混ぜねばならないのと、やはりニコラが言葉をまだ話せないのが大きな問題だと思われていた。そうなると通訳を担うセレンが同行するのはフランシスの中では既に確定事項だった。結果、ニコラも不承不承ながら認めざるを得ず、勝ち誇るセレンに腹が立ったので、その夜は散々にベッドの上で彼女を弄り倒して満足した。
そのセレンも今はノンノとお喋りに興じている。セレンは人見知りしない性格で、ノンノもネガティブ思考だが人付き合いが下手なわけではない。今回の派遣で数少ない女同士という事で、それなりに仲良くしていた。
そしてもう一人、この派遣団に加わる者が居た。その人物を含め、三名の騎士と三騎のデウスマキナが今回の増援の内訳である。
「じゃあ、そろそろ出発しようか。国境までは長いし、気楽にいこう、お兄さん」
「そうだな。行軍で力を使い果たしていざ戦えないじゃ情けないしな」
最後の一人はニコラも良く知るリシャールだった。皇帝の弟の彼が名目上の派遣団の団長である。といっても強さは折り紙付きなので不満は無い。
派遣団の騎士は全員顔見知りだったので挨拶はそこそこに出発する。はずだったが、かすかに一団を呼び止める声が聞こえた。声が小さいというより、かなり遠くから叫んでいるので聞き取りにくい。
無視するのも可哀想だったので少し待っていると、声の主が追い着いた。息も絶え絶えで、必死で走って来たのが誰の目にも明らかだった。
「あれジゼルじゃん。わざわざ見送りに来たの?めずらしー」
「はあはあ。―――ええ、リシャール。渡す物があったから。間に合って良かった」
間に合った事に安堵し息を整えたジゼルがリシャールと気さくに話す。ジゼルは現皇帝の姪、リシャールは皇帝の腹違いの弟であり養子。同じ城に住む近しい親族なら親しくしても何ら不思議はない。
ただし、彼女は親族の少年と挨拶をそこそこに、全力疾走して乱れた服を整えてから、隣にいたニコラの方に向き直る。
「差し出がましいと思いましたが、戦地に赴くコガ様へせめてこれをお渡ししたくて」
差し出されたのは幾何学模様の刺繍の施された小さな袋だった。よく見ると、所々刺繍がほつれていたり左右の寸法が僅かに違っていたりと、作った者のなんとも素人臭さが目立つ。中身は見ていないが、肌触りから軽くて柔らかい物か何も入っていないかだろう。
「御守りみたいなものと思っていいのかな?」
「はい。私のような女の物では塵芥ほどの価値しかありませんが、居ても経ってもいられずに作ってしまいました。ご迷惑でしたら後で捨ててしまってもかまいません。どうか受け取って頂けないでしょうか?」
御守りを持つ手が震えている。口ではああ言っていてもニコラが受け取る事は疑っていない。震えている理由は彼が無事に帰ってこられるか、それは神の気まぐれに懸かっている。だからこそ神に仕える身として不安で仕方が無いのだ。
恋人や伴侶ではないが、良く知る男が戦場へと赴くのを見送らねばならない女の気持ちはニコラには分からない。分からないが、無事に帰ってきてほしいと願う、目の前の黒髪の少女の悲痛な気持ちと魂の慟哭は、胃が締め付けられるほどに理解出来た。
だからこそニコラは、差し出された不格好な小袋ごと少女の手を己のごつごつした掌で包み込むように触れて、彼女を努めて安心させるように帰還を約束した。
「大丈夫。俺もリシャールもセレンもノンノさんも無事に帰って来る。だからジゼルさんも病気とかにならないように、ちゃんといつも通り過ごして待っててほしい」
「そのお言葉だけで私は救われました。それでは無事の御帰還をお待ちしております」
受け取った御守りを懐にしまい込み、二人はしばしの別れを惜しんだが、いつまでもそうしてはいられず、一行は出発した。ちなみにリシャールもジゼルから同じ御守りを貰っていたが、真っ先にニコラに渡した事をからかわれて彼女は顔を真っ赤にして、さらにそれをからかわれるという悪循環を引き起こしていた。
帝都を出発してから数時間後。最初の休憩兼昼食の為に、一行は街道の脇に天幕を張って食事の準備に取り掛かった。と言っても実際に食事を用意するのは同行した使用人の役目だったので、セレンも使用人として料理の手伝いに回り、ニコラ達騎士は暇を持て余している。
ニコラは草原に寝転がりながら出発時にジゼルがくれた御守りを弄っている。中身は分からないが、きっと見ない方が良い気がする。数年前に兵士になると言った時に父が持たせてくれた日本式の御守りによく似ており、今更ながら家族や任地であり故郷の『エデン』がどうなったのか気になった。あの時は家族の事などあまり考えず、自分の事だけ考えて兵士になると決めたが、送り出す時にジゼルと同じように心配してくれていた思い至り、碌に家に帰らなかった事を謝りつつ、感謝している事を伝えておけば良かったと遅ればせながら思っていた。
「お兄さんジゼルの事考えてる?いつの間にそんな仲になったの?」
御守りの影から、リシャールがぬっと顔を覗き込む。ニヤニヤしているのは彼も暇なので面白そうな玩具を構いに来たのだろう。それとノンノも一歩下がった位置に居る。
起き上がってから違うと首を振る。
「昔、似たような物を家族に貰ったから、今頃どうしているか考えてたんだよ。それと、そんな仲ってのはどういう仲なんだ?」
「えっ?それはその、色々だよっ!ジゼルからは色々お兄さんの事とか聞いてるからさ、親戚だし同じ兄上の養子として気になるの」
慌てて話題を逸らそうとするのが微笑ましい。確かリシャールは14歳だから、異性への強い興味があってもおかしくないが、この様子では随分と初心なのだろう。それにノンノも乗り掛かって騎士三人は軽い雑談に興じる。
「でもリシャール殿下の言う事も分かりますよ。あの時のニコラさんとジゼル様って、どこからどう見ても旦那さんか恋人を戦場に送る女性ですよ。隣にいたセレンさんも物凄い顔してましたから。単純に怒っている訳ではないんですけど、とにかく物凄く複雑そうに見てました」
「後でフォローしておけって事か。ありがとうノンノさん、飯時か夜にでもセレンと話しておくよ」
「あー下世話ですけど、夜は出来るだけ声を立てずに静かにしてくださいね。その、他の人達に聞こえて、行軍中に欲と持て余すと大変ですから」
ニコラとセレンが恋人なのは周知の事実。そして行軍中は夜営が基本で、天幕にプライバシーなど皆無である。そんな状況で若い男女の情事が丸聞こえとなったら、確実に兵士達は感情が昂ぶり持て余す。中には手近なノンノに手を出そうとする輩も出てくるかもしれない。それは非常に不味いので、フォローを促しつつ今のうちに釘を刺しておくのを忘れなかった。気配りを忘れないノンノは実質的に集団の纏め役で、それ故に苦労人だった。
セレンについては迷惑を掛けないようにするとニコラは保証したが、今度はリシャールからジゼルの事はどう思っているのか詰問された。彼にとっては年上の姪であり、皇帝ローランに引き取られた養子同士として気にしている。叔父の養子となると彼女の両親は既に他界したか、表沙汰に出来ない理由によって引き離された、あるいは健在でも捨てられた可能性も無いとは言い切れない。それならあの自己評価の異様に低い姿勢や空虚さにも納得する。
とはいえニコラは敢えてその理由を探ったり余人に尋ねる事はしなかった。彼女が自分や家族の話題を極力避けているのは知っているので、知られたくない事実を無理に知ろうとは考えなかった。もし本人が話したくなったら、ただ自分は耳を傾けてやるだけで良い。
「ふーん、お兄さんってやっぱり良い人だよ。貴族ってさ四六時中相手の事を観察したり、弱みになりそうな事を目敏く探って、ある事無い事面白おかしく噂したり悪口を広めたり、いつも他を引き摺り下ろそうって狙ってるんだ。お兄さんはそんな陰湿な奴とは違うね」
「俺には他人を蹴落としてまで上に登る気なんて最初から無いからな。そんなドロドロした政治劇なんて興味無い」
「私もジゼル様の事は噂で知っていますけど、あまり人に話すような楽しい話じゃないですよ。出来ればそっとしておくのが一番だと思います。ただ、お城で何度かお見かけした時と別人みたいに感情豊かで驚きましたよ」
「そこらは俺よりセレンが構い倒したからだろうな。子供みたいに無邪気な所があるから相手の懐に入りやすいんだよ」
ニコラがジゼルと最初に会った時は人形か何かかと思うぐらいに感情が希薄に思えた。実際に接していると所々感情は出ているが、それでも多感な年齢に似合わない空虚さが嫌でも目立った。そこに感情丸出しのセレンと関わる事で引っ張られて、彼女自身の素が顔を覗かせていた。それはニコラも良い傾向だと思う。
ただ数日前に剣を突き付けられて人質にされた時に見せた、あの狂気を孕んだ虚無感もまた彼女の本性だと思うと、どれほど心を病んでいるのかニコラには想像すらつかない。出来れば友人として何とかしてやりたいと思うが、生半可な覚悟では背負えそうにないので手を出すのは躊躇われた。
明らかに面倒な背景を抱えるジゼルの事を考え過ぎて鬱な気分になったニコラは、気分直しに昼食を目いっぱい食べると宣言してメンタルリセットを図った。
昼食の野菜スープとパンをセレンから受け取り、リシャールとノンノと一緒に食べるが、一口目で顔を顰めた。妙に塩辛い。
しかし、ノンノもリシャールも別段気にせず食べている。不思議に思い、リシャールのスープを一掬い貰って飲んでみると、こちらは丁度良い味付けだった。どうやらニコラのスープだけ、わざと塩が余計に入っている。
「セレンだな」
「怒っているって事ですね。早めに謝って仲直りした方が良いですよ」
「俺が悪いのか?」
「女は大体そういうものですよ。例え友人でも目の前で別の女性と仲良くしてたら大抵は腹が立ちます」
したり顔で助言をくれたノンノに感謝しつつ、どうせ代わりのスープはくれないので塩辛いスープを頑張って飲み干した。戦場に赴く緊張感より不機嫌な女のご機嫌取りをしなければならないほうが、胃を痛める事を今日初めて知ったニコラだった。




