死と同じく、生も避けられない1
ちょっと話の順序にミスがありました。スイマセン
夕焼けが雲を火事のように赤く染めている。時計はないが初夏であることから、結構な時間なんだろう。一日中歩き続け、幾つもの山を越え、今も山中を彷徨っている。オキの追っ手も、いつからかいなくなっていた。なのにまだ山奥へ行こうっていうのか?
これまで四つの村を通ってきた。全てレラ族だという。だが俺はどの村にも入れてもらえなかった。タシロが入れてくれなかった。奴は、俺がまた余計なことを言うからだ、とか言ってやがった。意味わかんね。
いつもタシロだけが村に入っていって、ジャバウォッカがうろついていることを忠告した。俺とレーナとイメラは揃って村の前で待った。レーナはゾアーズの軍服を着ているから、村人に不信感を与える可能性があるとのことで入らなかった。そしてイメラは、村人が俺たちにちょっかいを出して、トラブルにならないための見張りだそうだ。
実際、原住民は珍しい物を見るように、村の中から遠目で俺たちを覗っていた。街近くに住む原住民と違い、奥山の原住民はゾアーズとの交流も少なく、俺たちが珍しいらしい。まるで珍獣扱いだ。気に喰わねえ。ちょっと睨むと、何処の村人もすぐに隠れた。原住民ってのは、やっぱ噂通り陰気で薄気味悪い奴らだな。気持ち悪りぃ。
しかし、そんな原住民の村にもしばらく立ち寄っていない。代わりに道はいよいよ険しさを増してきた。日も暮れようとしているのに、いったいあとどれだけ歩かなきゃいけないんだ? 不眠の上、一日中歩かされて頭がボーっとしてきた。スルクの効果も切れたみたいだ。水分が失われて、ひび割れた大地のようなカサカサの喉で訊いた。
「おい、あと……どれくらいで……着くんだよ……」
自分でも驚くぐらいの酷いしゃがれ声だ。だが先頭を行くタシロは何も喋らない。無視すんなよ、大猿め……。
「あと、少し……」
代わってイメラが答えた。
くっそぅ……何で俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ……。昨日の昼までは普通に学校に通って、キーンと悪さして、ラシェルに嫌われ、親父に怒られる。それが俺の日常だった。別に居心地が良かったわけじゃない。学校じゃ勉強にも運動にも意欲がなく無気力で、家では親父と弟の存在が疎ましくてギスギスしていた。でもそれが俺の居場所だったはずだ。なのにどうして俺は今、息を切らしながら山の中を歩いているんだ? こんなのおかしい。間違ってる。ここは俺がいるべき場所じゃない。
おまけに謂れのないことで原住民から恨まれる始末。俺は何もしてないっつうの。悪いのはキーンだろ。イノンチを怒らせたキーンが全部悪いんだ。
タシロも悪い。こいつについてきたから、こいつの言う通りジャバウォッカと出会ったときの話をしたから、オキで要らぬ恨みを買うことになったんだ。その上、全部俺のせいだなんて、意味わかんねえよ。今も延々とこんな山道歩かせやがって……。小さなことでグチグチとウゼえし、偉そうに仕切りやがるし……。お前は俺の親でも先生でもないのに、何でそんな上からものが言えるんだよ。こんな横暴な奴に保護されたのが失敗だった。大失敗だったんだ。
あと、レーナたちも悪い。俺たちを捜索しに来たのに、何で出会う前に全滅してんだよ。意味わかんね。バカじゃん。軍隊が聞いて呆れる無能さだ。
そして島自体が悪い。そうだよ一番悪いのはアーソナに来たことだ。親父がこんな極北の島になんか配属されたのが全ての元凶だ。全部、親父が悪いんだ。
だから俺は悪くない。あのときもそうだった……。
◆
まだアーソナに来る前のことだ。俺は十歳で、エアライフルのジュニア・シューティング大会に出ていた。
エアライフルは、銀玉を撃ち出すエアソフトガンのような、子供の玩具とは違う。火薬の代わりに、圧縮した空気または不燃性ガスで鉛弾を撃ち出すものだが、実銃だ。殺傷能力は充分にあり、大人の競技用ライフルや狩猟用にも使われる。
火薬と薬莢を使った銃は法律上許されていないが、エアライフルなら保護者が申請して許可を取れば、十八歳未満の子供でも持つことができる。
大会には親父が勝手にエントリーしていた。
ただ、俺は競技射撃が好きじゃなかった。キーンみたいに、未経験者は射撃を格好良く思っているようだが、俺に言わせればあんなに面倒くさくてしんどいものはない。撃つ瞬間は様になって見えるかもしれないが、実状は銃の整備や装弾など、地味な作業時間の方が圧倒的に長い。トリガーを引く瞬間なんて一瞬で終わりだ。しかもずっと立ったまま同じ姿勢で撃つから、首から腰、更にはふくらはぎにかけての筋肉が固まって辛い。グリップの握り過ぎで、スプーンを持てないくらい握力が落ちることもある。構えが悪いと、発砲の反動で肩が脱臼する場合だってある。見た目以上体を酷使するのだ。だからこんな競技、嫌いだった。
嫌いだったけど、その頃の俺はまだ素直に親父の言うことに従っていた。
「大した奴はいない。お前の腕なら、優勝だって充分可能性がある。期待しているぞ」
親父は笑顔で送り出してくれた。俺も親父の期待に応えようと、意気揚々と挑んだ。
けどその日は調子が悪かった。照準が思うように定まらない。コッキングレバーもガリガリと中で何か引っ掛かるような感じがして、上手くスライドできなかった。
ダメな日っていうのは、どんなにリカバリーしようとしてもダメなんだ。外す度に焦りとストレスは溜まっていき、更に連鎖的に外していく。試合前はまだモチベーションがあったが、俺の気持ちは早々に萎えてしまった。エアライフルもそんな俺の心を察したのか、競技の終了間際には故障して弾が出なくなった。
競技終了後、まるで屠殺場に連れて行かれる子羊みたいな心境で、親父のところに戻った。俺の心を支配していたのは、親父に怒られるという恐怖心のみだった。どう言い逃れるか、それしか考えてなかった。
しかし親父は怒らなかった。どうした? と不思議そうに訊ねた。
「そ、その……じゅ、銃の調子がおかしいんです。僕は、僕は一生懸命やったのに……。だから僕のせいじゃなくって……」
俺は必死に訴えた。
「そうか。じゃあ、家に帰ったらその銃をちゃんと整備しておきなさい。部品の欠陥や破損があったら、新しいのを用意するから交換するといい。弾が出なくなったのは、恐らくシリンダーかピストンのOリングが古くなって空気漏れが起こっているんじゃないか?」
Oリングとは、エアライフルの各接続部に使われているゴム製のリングのことだ。シリンダー内に蓄気をする際は、パッキングの役割をして空気漏れを防ぐ。ただし、Oリングのゴムは時間と共に固くなって破損することがあり、定期的に交換する必要がある。
「今日は残念だったな」
親父は俺の頭に手を置いた。俺は殴られるのかと思って一瞬体を強張らせた。でも軽く頭を撫でただけだった。
重苦しい帰路となったが、それでも内心ホッとしていた。安堵感のせいで、銃の手入れのことなど深く考えていなかった。というか、もともと銃の手入れなどする気はなかった。時間がかかるし、作業は細かくて神経を使う。おまけに防水・防錆・潤滑用の油脂は臭いがきつく、嫌いだった。そもそもここまで壊れたエアライフルを、子供の自分が直せるわけがないと思っていた。親父も無茶な要求をするもんだ、と軽く受け流して終わった。
その日、俺は銃を自室の机の上に置きっぱなしにして眠った。
翌日、学校から帰ってくると、まだ司令部にいるはずの親父が家にいた。しかも有無を言わさず、いきなり殴られた。
「何だこれは!」
親父が突き出したのは、机の上にあるはずの俺のエアライフルだった。
「昼間、テオボルトが誤って暴発させたぞっ」
「!」
「警察から暴発事故があったと連絡が入って、急いで戻ってみれば……この銃を見て愕然としたぞ。油脂が古くなってゴミや埃がくっついている。これでは埃が邪魔してコッキングレバーが上手く引けないはずだ。Oリングも上手くはまっていない。空気漏れが起って当然だ! バート、お前、銃の整備を全くしていなかったな?」
図星だった。
「こんな銃で戦えるはずがなかろうがっ! シューティング大会で結果が出せなかったのも必然だ。私は何度も教えただろう、軍人が怪我をする一番の原因は銃の暴発だと。だから己の扱う武器の手入れは、必ず己の手でせねばならん。それが責任ある行動だ。幸い今回は怪我人が出なかったが……もしテオボルトが怪我をしていたら、お前はどう責任をとるつもりだったんだっ!」
「ぼ、僕のせいじゃない……じゃあ、じゃあ、勝手に僕の部屋に入ったテオはどうなんです。盗人みたいに人の部屋に入って勝手に銃を触ったテオが悪……」
「黙れっ、見苦しい!」
親父の一喝に、俺は金縛りにあった。
「人に触られて困るのなら何故ガンロッカーにしまって鍵をかけておかない。机の上に出しっぱなしにしておいたんだっ? しかも装弾したままで。不用心にも程かある!」
「う……うう……」
「バート、我がロックウェル家は代々軍で主要なポストについてきた。将来その家名を背負う者が、自分の過ちを認めず、剰さえそれをつくろうために醜い言い訳をするとは、あまりにも男らしくない。お前には期待していたのに、失望したぞ」
親父は再び俺の前にエアライフルをかざした。
「銃を見ればそれを持つ人物も見えてくる。よく手入れの行き届いた銃からは、所有者の誠実さや熱意が伝わってくるものだ。逆に、整備不良で銃をダメにしてしまう者はだらしなく、自分を律しきれない自分勝手な奴に決まっている。最早お前に銃を撃つ資格はない。この銃は私が預かる」
何だよ……。人の銃を勝手に触ったテオはお咎めなしで、俺だけ悪者かよ……。不公平だ。こんなの不公平だ……。
それに俺は軍人じゃないし、軍に入るつもりもない。勝手に自分の理想を押し付けるな。的外れなことを一生懸命語って、説教したつもりになってんじゃねえよ。気持ち悪い。
あと、“この銃は私が預かる”だって? それで反省でもしろっていうのか? 冗談じゃねえ。もともと射撃なんて大嫌いだったんだ。あんたに言われて、渋々やっていただけだ。これからやらなくていいのなら、むしろ清々する。
別に辛くないし、悔しくもないし、反省なんかするものか。
その日を境に、親父と口を利くことが急激に少なくなった。俺は前よりも一層、親父を避けるようになった。親父も俺を無視するようになった。代わって、当てつけみたいにテオを可愛がるようになった。
俺は親父に見捨てられたんだ……。
いいさ、別に……。俺も親父のことが嫌いだ。ずっと前から嫌いだったんだ……。