死と同じく、生も避けられない2
人一人がようやく通れるくらいの細い山道だった。右側は傾斜のきつい林。左側は崖になっている。水の音がするから、下は川になっているんだろう。俺たちは一列になって進んでいる。先頭にタシロ、そしてレーナ、俺、最後がイメラだ。こんなところを通っていくなんて、こいつらの村はどれだけ辺鄙なところにあるんだ? 俺、家に帰れるのか……?
それにしても頭が痛いな……歩くたびに頭蓋に響いてくる……。
「タシロさん。タシロさんとイメラさんはジャバウォッカを倒したことがあるんですか?」
「……何回かな」
「すごいです。銃も効かない怪物なのに」
「ジャバウォッカの体毛は鋼のように頑丈で弾力性があり、容易に銃弾を通さない。おまけに分厚い皮下脂肪と鉛のような筋肉で全身を覆われている。自動小銃の弾では、なかなか致命傷を負わせられないだろう」
「なのに、よく倒せましたね。その槍や弓で倒せるもんなんですか?」
「……やり方による。毛並みに沿って刃を当てると、まず体毛の防御は関係なくなる。そのまま脂肪の壁を破って内臓まで届くかどうかは技量次第だ」
「はぁ~、ジャバウォッカに近づいて斬りつけるなんて、危険すぎて私たちには出来そうもありません」
いつからか唾液が一滴も出てこない。口の中はカラカラだ。
「……だがイノンチを倒したことはない。会ったことも……。二年前、熟練の狩人五名が出くわし、四人が遺体も残らずに消えた。残った一人は命からがら逃げてきて状況を仲間に話したわけだが……そいつも翌日、傷が酷くて死んだ。今回の相手はそれくらい別格ということだ」
「……でも心強いです。お二人ともジャバウォッカのプロなんですから」
「ふっ、プロときたか。レーナ、オアラサムを倒したことがあるとは言っても、せいぜい片手で数えるほどにすぎん。俺はレラ族の狩人の中では、まだまだ青二才だからな」
「青二才? タシロさんがですか?」
「そうだ。というか、オアラサムを狩って名を上げようとしても、そう狙ったように出会えるもんじゃない。毎日山を歩き回ったって、年に一度会うか会わないか……普通に里で暮らしていたら一生出会うこともないだろう。いや、会わない方が幸せだ」
気持ち悪い……吐きそうだ……。靄がかかったみたいに、眼に映る景色が霞む。
「だからゾアーズの街近くにオアラサムが現れるというのは非常に珍しい。俺は初めて聞く。普段はもっとずっと山奥を縄張りにしているはずだからな。それもイノンチが……。」
「……どうしてこんなことになったんでしょう?」
「確証はないが、恐らくゾアーズの企業が乱開発をしたせいだろう。俺たちは昔から野の獣と上手く住み分けをしてきた。だがゾアーズ人はそういった境界など無視して、安い値段で俺たちから土地を取り上げ、自然を荒し、獣たちの住処を奪った。必然としてオアラサムの食料も減った。そして街近くにまで……」
「……ファラデー社とか、ですか……」
「軍もだ。俺たちが土地を譲らないと、軍が出てきて無理矢理追い払う。だから軍とファラデー社は蜜月関係らしいな。ついでに自治政府の高官たちも一枚噛んでいると聞いたぞ」
「……ゾアーズ軍人として、耳が痛いです」
「こいつらがオアラサムに襲われた場所も、ファラデー社が資源採掘の為に買い取った土地らしいな。俺たちから言わせれば自業自得だ。オアラサムは時に人を襲う危険で獰猛な魔獣だが、レラ族では、その強さから大地と山の神と崇められている一面もある。人が山を荒し、大地への敬意を忘れた時、神の代行者として神罰を下すため、オアラサムは人を襲い始める……とレラ族には言い伝えられている。まったく、俺たちにしてみればいい迷惑だ。自然を荒らしているのはゾアーズ人だというのに……」
息苦しい。体力の限界だ。足を上手く上げられず木の根に躓いた。俺は前のめりに倒れた。
「バートさんっ、大丈夫ですか。どうしたんです?」
すぐ前を歩いていたレーナが戻ってきて、俺を抱き上げた。
「こんなところで倒れないでください。横は崖なんですよ、危ないです……あっ……! 汗が出てない……。タシロさん、バートさんが脱水症状です。水、水ありませんか?」
「手持ちはない。水場ならすぐ側にあるがな」
そう言って崖の下を覗く。
「直線距離なら一間(十八メートル)もない。ただし水平の距離じゃなくて、高低差になるぞ。下りるのなら少し迂回することになるが、そこまで歩いて行けるか?」
「ガ……グ……ハッ……」
“お前が行って水汲んでこいよ”と言おうと思ったが、言葉が上手く出てこない。
「ちょっと無理かも。……です」
代わりにレーナが答えた。同時にタシロの溜息が聞こえる。
「まったく、次から次へと面倒を……」
「タシロ、スルク」
俺の後ろにいるイメラだった。
「イメラ、本気か? こんな奴にまたスルクを? 一口だけでもどれだけの金になると思ってるんだ。それにスルクは気付けにはなるが、水分の補給にはならんぞ」
「下の川に降りるだけの体力が戻ればいい。それに水気のあるものは、今はそれしかない」
こいつら、本人の意思も聞かずに、ごちゃごちゃと……
「るっせぇっ、もう飲まねえよ、んなもんっ!」
腹の底に力を入れて、肺と喉を振り絞ったら声が出た。俺の大声で全員が静まり返った。タシロの歯軋りが聞こえるくらいだ。
「あ、あの……じゃ、じゃあ私が下まで担いで行きますから」
レーナが自動小銃とザックを下ろし、背を向けて屈んだ。おぶされってことか……。
「遠慮はいりませんよ、さあ、肩に掴ってください。背が小さくて不安かもしれませんが大丈夫です。六十キロのザックを背負った行軍訓練だってしてきたんですから。男の人一人くらい何とかなりま……」
「触るなっ! うぜえ。キモいんだよ。ああっ、もうホントうぜぇっ!」
「……」
「……」
「……」
全員が黙って俺を見下ろしている……。うう……くそっ、何だよ。レーナ……お前もそんな眼で俺を見るのかよ……。
「おいレーナ、ゾアーズ人同士の諍いにあんまり首を突っ込みたくはないが、お前のことを考えれて言わせてもらえばだ、もうそんな奴構わん方がいいぞ。生きる意志がないのなら、ここで朽ちるだけだ。もうすぐ日も暮れるし、先を急ぎたい」
「そんなこと言わないでください、タシロさん。ごめんなさい、バートさん」
「?」
「私のせいですよね? また気に障るようなことしちゃったみたいで、本当にごめんなさい。私、頭悪くて、要領も悪くて、いつも周りをイライラさせて……情けないです……」
何だ? 何でこの女は、謝ってんだ? お前の好意を踏みにじったのは俺だろ? 非難を受けるのは俺だろ? 嫌われ役はいつも俺だろ?
いつの間にか、俺は地面の泥を握り締めていた。
「……だってんだろ……」
「え?」
「全部、俺のせいだって言いてえんだろ、お前らっ!」
「…………あー……レーナ、お前の上司の息子は何を言っているんだ?」
タシロが頭を掻きながら言う。くそっ、バカにしやがって……
「さっき話してたじゃねえか。ゾアーズ人のせいでジャバウォッカが人を襲うようになったって。俺のせいだって言いたいんだろ。俺の親父は軍の参謀本部勤めだし、許嫁はファラデー社社長の令嬢だ。ファラデー社の開発でお前ら原住民やジャバウォッカが住処を追われているのも、ジャバウォッカが見境なく人を喰い荒しているのも、全部、全部、全部俺のせいだっていいたいんだろっ! 遠回しな言い方しやがって。はっきり言えばいいじゃねえか、俺なんか疫病神だって……」
「……久々に口を開いたと思ったら、そんなくだらんことを言い出すとは……」
“くだらんこと”だと、この野郎……。
「別に当てつけで言ったわけじゃない。お前、脱水症状で少しおかしくなってないか? まあ、もとから非常識極まりないがな」
「…………………………………殺せよ……」
「は? 何だって?」
「もういい、殺せって言ったんだ」
「……また、話しが急に雲の彼方まで飛んだな。会話の成立しない奴を相手にするのはもううんざりだ……」
「へっ……お前らだって俺を殺したいんだろ……。なあレーナ、考えてもみろよ。こいつらは自分たちの村に向かっているっていうけど、こんな山奥に民家なんかあると思うか?」
「え……っと、どういうことでしょう?」
「ホントに頭の巡りが悪りぃな、バカ女。こんな山奥に連れてきたのは、ゾアーズ人にわからないよう俺たちを殺すためなんだろ……」
「お前……」
タシロの口元がヒクヒクと痙攣している。
「歩き疲れて少しは大人しくなったと思ったら、ずっとそんなことを考え込んでいたのか? バカバカしい……そんなに死にたいのならそこから飛び降りればいい。あっという間だぞ」
「タシロさん、何て事を言うんですか。バートさん、早まってはいけません。大佐も、お父様もきっと心配しているはずですから……」
「あんな奴っ、俺のことなんか心配なんかしてるわけねえだろ!」
「え?」
「俺が死んだってあいつは悲しまねえよ。むしろ諸手を叩いて喜ぶに決まってんだ。ひょっとしたら、俺を殺した方が報奨金を貰えるんじゃねえか?」
俺はタシロの顔を仰いだ。
「逆に街まで送り届けたら、何でこんなバカを助けたんだって恨まれるぜ、きっと。あいつは俺のことに興味がないんだ。素行の悪い兄貴よりも、出来のいい弟の方が大事だからな。弟は勉強も運動も出来て、素直で、親の期待にこたえるだけの才能もあって……。だから親父とも仲がいい。俺だって、これでも昔は親父に期待されていたんだ。そんで俺も……期待にこたえようと頑張ったんだ……頑張ったんだけど、けど……」
何で俺はこんなに出来が悪いんだろう……。
親父の“期待している”、この言葉がどれだけ俺を苦しめてきたか……。何が期待しているだ。その言葉がどれだけ俺を傷つけるのか、苦しめているのかわかっているのか?
「俺は弟に才能を全部奪われて産まれたんだ、ってメイドたちが陰口してんのも知っている。親父も弟に家を継がせたがってる。へっ……そんな大した家柄じゃない、三流の下級貴族にすぎないのに。それを軍人の家柄だって大事そうに……。けど弟に継がせるには、俺が邪魔なんだ。だから俺が死ねばいいんだって思ってるに決まってる。あの家には、俺がどうなろうとも、悲しむ奴なんかいねえんだよ」
「そ、そんな……そんなことありませんよ。悲しむ人いるじゃないですか。ほら、許嫁のラシェルさんが。まだ生死は不明ですけど、きっと生きていますから……」
「……ラシェルには、他に好きな奴がいる……」
レーナは、焦点の定まらない眼をして、陸に打ち上げられたフナみたいに口をパクパクと開閉させた。適当なこと言ってんじゃねえよ、このバカ。
「許嫁なんて、もともと親同士が勝手に決めたことだ。本当は、あいつは俺のことを嫌ってっからな。俺が死ねば、婚約が解消されて喜ぶはずだ。わかるか? 俺が生きていたら、みんなして厄介者扱いするんだ。そんで俺が死ねば、みんな幸せになる。だから俺に生きる価値なんてねえんだよ。それに俺自身、もうずっと死にてえって思ってた。ただ首を吊るのが怖くて、だらだらと無駄に生きてただけだ。へっ……へへへへ……ハハハハハ……」
笑い出した俺を、三人とも気味悪そうに見つめている。大方、脱水症状で頭がおかしくなったんだとでも思ってんだろう。
「へへへへ……キーンはいいよな、羨ましいよ。ジャバウォッカに殺されて、そんで終わりなんだから。もう苦しむこともねえんだ。楽でいいよな、ハハハハハハ……。あ~あ、くそっ、それに比べて、俺は何でこんなとこ彷徨ってんだ……」
キーンの奴、人を強引に連れ出しておいて、責任も取らねえで勝手に死にやがって……。生き残った奴は、まだこうして地べた這いずり回って生きてなきゃいけないってのに……。
「キーンなんかについて来なければよかった。そしたら山に来ることもなかったんだ。山に来なければ、ジャバウォッカにも会わず、遭難することもなかった……」
いや、それ以前に……
「何でこんな島に来ちまったんだ。こんな怪物がうろついている島なんか……」
アーソナなんかに来なければよかった。
「俺は行きたくねえって言ったんだ。学園の寮生活でもいいから本国に残るって。でも親父が無理矢理……。親父は俺の言うことなんか聞いちゃくれない……俺のことが嫌いだから……」
親父がアーソナに連れて来なければ、親父が俺のことを嫌いにならなければ……キーンたちとも仲好くなることはなかったんだ。そしたら悪さをすることもなく、大人しい優等生でいられたはずなのに……。
「親父が俺を嫌うなら、俺も嫌ってやる……」
きっと親父も、テオも、メイド長も、ラシェルも、キーンも、そして原住民の猿どもも……、みんな俺が嫌いなんだ。みんなで俺を苦しめる。だったら俺はそいつらをもっと嫌ってやる。世界が俺を嫌うなら、俺の方がもっともっと嫌ってやる。こんなクソみたいな世界、大嫌いだ。だからこの世界に復讐してやるんだ。死んでやる! それが俺を嫌っている世界への復讐だ。
ついでに親父も死ねばいいんだ。そしてテオも。全員死んで、あんなショボい下級貴族の家なんか潰れちまえばいいっ。
「……きっと、お前も俺のことが嫌いなんだろ……?」
俺はタシロを睨んだ。
「俺も、お前のことが大嫌いだ。さあ、とっととその槍で俺の心臓を貫けよ」
何だよその眼は。黙ってねえで早く殺せよ、島猿のボス猿がっ……。
「……話しは終わったか? じゃあ、とっとと立て」
「あ? 何言ってんだ? もう立てねえから殺せって言ってんだろ。意味わかんね」
「それだけ文句が言えるなら、まだ死ぬことはない。本当に死にかけているなら、喋る力もないはずだ。そこまでの元気があるなら、下の川まで降りられるだろう。立て」
「てめえ……」
「もし構ってほしいというのならいくらでも同情してやるぞ。可哀想にな、って……」
「うっせぇ、殺せって言ってんだろ、このバカ!」
「……そういえば、今朝もそんなふうにして動こうとしなかったな。そうやって卑屈になっていれば誰かが助けてくれるのか? そうか、レーナが優しい言葉で励ましてくれるのを待っているわけか? 幼稚で安っぽい生き様だな」
「ちっ……ああ、そうだよ。俺なんか幼稚で甘ったれの無能な人間だ。だから何だ。早く殺せ。どうせ俺が死んだって世の中には何のプラスにもマイナスにもならないんだろがっ」
「ああその通りだ。だから殺す価値もない」
「…………な……に……?」
「お前みたいに、活きていない奴は殺す価値もないと言ったんだ。そんなに死んだ仲間が羨ましいなら、自分の幕ぐらい自分で閉めろ。周りに手を煩わせるな。少なくともお前の仲間は、末期に殺してくれと乞食のように醜く縋ったりはしなかったはずだ。イノンチに立ち向かって死んでいったんだろうが」
「……う……うるせ……」
「わかったならそこから飛び降りてみせろ。もしこの先お前の父親に会うことがあったら、子息の最後は大変立派なものでした、と伝えてやろう。そうすればお前を嫌っている父親も、少しは見直すかもしれんぞ。それとも、仲間を残して一人逃げ延びた臆病者に、そんな度胸はないか?」
「うっせぇっ!」
「ふん、やはり立てたな。さあ、先を急ぐぞ」
「待てよ、このやろっ……」
タシロに掴みかかろうとしたが、相手は鍛え上げれれた狩人。脱水症状でふらふらになった俺に捉えられるわけがない。余裕でかわされ、足はもつれて躓き、眼前にはジャバウォッカが口を開けたような深い谷底が広がった。
「あ……っ!」
叫び声を上げる間もなかった。俺の体は呑まれるように、落ちていった。
その刹那、視界の隅に黒い影が横切った。意識はそこで途切れた。
脱水症状は最近ではあまり使いまねんね。熱中症になります。
時代の古さを意識して、昔の言い回しをしてみたんですが、あまり意味ないですかね?




