表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界喫茶で再出発ライフ  作者: 鳥助


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/44

16.合間の休憩

「また来ますね」

「はい、ぜひ。またのお越しをお待ちしております」


 カラン、と扉の鈴が鳴り、笑顔のお客さんが外へと去っていった。


 その背を見送ると、ようやく大きく息を吸い込み、ふぅと吐き出す。胸の奥に溜まっていた緊張が、少しずつほどけていく。


 改めて店内に目をやる。


 ついさっきまで満席で、話し声や笑い声が溢れていた場所は、今やしんと静まり返っていた。賑やかな余韻だけが、まだ空気のどこかに残っているよう。まるで波が引いた後の浜辺のように、ぽっかりと空虚な静けさが広がっている。


 並んだ椅子はきちんと元の位置に戻っているのに、誰も座っていないのが不思議なくらいだ。テーブルに残された水の輪染みや、まだ微かに漂うコーヒーの香りが、さっきまでの熱気を確かに物語っている。


 ひと息つきながら、その静けさを味わう。


 騒がしさに包まれているときは気づかないが、客の去った後の静寂は、どこかしら温かい。頑張った一日のご褒美のようにも感じられた。


 私はトレーと布巾を手に、カウンターを出た。残された食器を集め、テーブルを一つひとつ拭いていく。


 何度か繰り返すうちに、賑わいを取り戻していた店内は、すっかり開店前の静けさを思わせる姿に戻っていた。


 カウンターへ戻ると、今度は食器の片づけ。洗浄の魔法を発動させると、ぱっと汚れが消えて、つややかな輝きを取り戻す。まだ慣れない魔法だから緊張したけれど、こうして成果が目に見えると少し嬉しい。綺麗になった食器を棚に戻していると――。


「ようやく、客が引いたな」


 不意に声がして振り返ると、ハイドがカウンターに体を投げ出していた。


「まさか俺の居場所がなくなるくらい客が来るとはな。いつもはせいぜい七割くらいだったろ」

「じゃあ、今日はいつも以上に来てくれたってこと?」

「ああ。星見亭の再開を楽しみにしてたってことだろうな」


 思わず胸の奥が温かくなる。新しい星見亭を、こんなにも多くの人が待っていてくれたんだ。


「まぁ……滑り出しは上々だな。正直、俺はほどほどに暇な方が性に合ってるんだが」


 そう言いながらも、ハイドのふさふさのしっぽがゆらりと揺れる。


「ふふっ、何それ。全然隠せてないよ」

「……これは、言葉の綾というやつだ」

「しっぽが返事してるのに?」

「……聞かなかったことにしてくれ」

「はいはい」


 照れ隠しにしっぽを慌てて丸める姿が可笑しくて、つい笑い声が漏れた。


 ハイドとのやり取りで気が緩んだのか、ふいにお腹がぐぅと鳴った。思えば、朝から何も口にしていない。今頃になって、どっと空腹が押し寄せてくる。


「お客さんも帰ったし……そろそろ遅めの朝食にしようかな」

「それはいいな! で、何を作るんだ?」

「残ってるミックスサンドと……あと、チョコパンを作ろうと思ってるの」

「ミックスサンドは分かるが……チョコパン? チョコって、あの甘くてとろけるやつだろ」

「そうそう。パンにチョコシロップを挟むだけの、簡単な軽食だよ」


 口にしただけで、ほのかに甘い香りが鼻先をかすめる気がして、自然と笑みがこぼれる。


「それ、俺は食べたことがないな。……よし、俺にも食わせろ!」

「ふふ、分かったよ。ハイドの分も作るね。でも……猫なのにチョコ食べても平気なの?」

「誰が猫だ! 俺は精霊のケットシーだぞ。猫と一緒にするな!」

「はいはい。ケットシー様、ですね」


 からかうように言うと、ハイドはむすっとした顔をしながらも、しっぽの先をちょこんと揺らしていた。


 私は保管庫から材料を取り出し、まな板の隣に並べる。パンの上に具材をきれいに置き、もう一枚のパンで挟み込む。それを斜めに切れば、色鮮やかな断面が顔を覗かせた。ミックスサンドの完成だ。


 次に取り掛かるのはチョコパン。まな板に置いたパンへ、容器に入ったチョコシロップをとろりと垂らす。濃い琥珀のような色がつややかに光り、甘い香りがふわりと広がった。


 その時、素早く伸びてきた影――ハイドの手だ。


「あ、こら!」

「どれどれ……むっ!? な、なんだこれは……甘い! とろける! 美味いっ!」


 舌の上に広がる未知の味に、ハイドは本気で目を丸くした。そして抑えきれないとばかりに、カウンターの上でごろごろと転がる。


「もう……」


 思わず苦笑しながらも、私も頷いてしまう。


「でもね、分かるよ。これ、私も大好きなんだ」

「やっぱりな……! 日本って国には、まだ俺の知らない美味しいものが山ほどあるんだろうな。……いいか、これからもどんどん取り入れろ!」


 しっぽをぴんと立てて上機嫌な様子に、私は心の中で小さく笑った。うん、日本の味、これからも持ち込んであげよう。


 バターナイフでチョコシロップをパンに塗り広げ、仕上げに砕いたナッツをぱらぱらと散らす。それをふんわりと挟み込めば、チョコパンの完成だ。


「はい、どうぞ」


 切り分けて皿に盛り、ハイドの前へ置くと、その瞳が期待にきらめく。そして豪快にかぶりついた。


「んっ……! な、なんだこれ! ただ挟んだだけなのに、シロップの甘さとパンのふわふわが合わさって……うまいっ! ナッツの歯ざわりも最高だ!」

「気に入ってくれたみたいで良かった」


 コーヒーを淹れながら、嬉しそうに頬を膨らませているハイドを眺める。しっぽはブンブンと振られ、甘い幸せを全身で表現していた。


「じゃあ、私も……いただきます」


 手を合わせ、まずはミックスサンドをひと口。その瞬間、胸の奥がきゅっと熱くなる。


 昔、おばあちゃんが作ってくれたあの味だ。懐かしくて、安心するようで、自然と頬が緩んだ。


 続いてコーヒーを口に含む。香ばしさとほろ苦さが舌に広がり、思わず目を閉じる。おばあちゃんの家でいつも飲んでいた味と、寸分違わない。自分の手で、あの味を再現できたことに、胸の奥からじんわりとした感動が込み上げてきた。


 そして、何よりも――この時間。胸の奥からじんわりと力が抜けて、心が安らいでいく。ゆったりとミックスサンドを頬張り、コーヒーを味わう。社畜として慌ただしく過ごしていた頃には想像もできなかった、贅沢で穏やかなひとときがここにはあった。


「さて……〆はチョコパンだね」


 最後に残しておいたチョコパンを手に取る。期待を込めて口に運ぶと、甘いチョコが舌の上でとろけ、パンの柔らかさとナッツの香ばしさが絶妙に重なり合った。


「ん……やっぱり、美味しい」


 思わず両手で頬を包み、幸せを噛みしめる。簡単なのに、こんなにも美味しくて、心を満たしてくれる。やっぱり、チョコパンは特別だ。


 ふと横を見ると、ハイドもまた夢中でチョコパンを頬張っていた。しっぽをブンブンと揺らし、時折「むふーっ」と鼻を鳴らしている。その姿が可笑しくて、つい笑ってしまう。


「そんなに気に入った?」

「当たり前だ! この甘さは反則だぞ……! パンに挟んだだけでこんなに美味くなるとは……日本、恐るべし!」


 真剣な顔で唸りながらも、しっぽは嬉しさを隠しきれず揺れ続けていた。


 静かな店内に漂うコーヒーの香り。甘いチョコパンの味わい。そして、隣でしっぽを振る仲間の存在。


 ただそれだけで、胸がいっぱいになるほど幸せな時間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ