ついに!
圭介が、タバコを吸いにベランダへ出たのは、
深夜を過ぎた頃だった。
ガラス戸が閉まる。
——今。
光莉は、反射みたいに立ち上がった。
音を立てない。
かばんはない。
スマホもない。
でも、
出入口まで辿り着ければ。
心臓が、喉の奥で暴れている。
玄関の鍵を開ける。
指先が震える。
圭介は、
本当に閉じ込めているつもりが薄い。
「戻しただけ」
だと思っている。
これが最後のチャンスだと思った光莉は、
ゆっくりドアノブを回した。
廊下。
暗い。
古い蛍光灯。
まるでホラーゲームの中のような雰囲気…
息を殺して、一歩。
もう一歩。
後ろを見ない、見たら終わるような気がした。
エレベーターに乗ろうとしたが待つ時間が怖く階段で行くことにした。
薄暗い踊り場を、足音を殺して降りる。
足が震えて、何度も踏み外しそうになる。
でも止まれない。
外にさえ出れば、どうにかなるかもしれない。
しかし上の階から、ドアが閉まる音がした。
心臓が止まりそうになる。
「光莉ーーーー」
圭介の叫び声。
静かな場所で響く圭介の声に、
一気に血の気が引く。
見つかった。
光莉は、反射的に走った。
階段を駆け下りる。
「待て!」
初めて、圭介の声に焦りが混じる。
光莉は、転びそうになりながら、
一階まで降り、出口付近までやってきた。
あと少しのその瞬間。
後ろから腕を掴まれた。
「っ……!」
強い。
逃げようとしても、びくともしない。
「離して!」
「っ、なんで逃げるんだよ!」
圭介の声が、今までで一番荒れていた。
「帰る場所、なくなるぞ!」
「ある……!」
叫んだ瞬間、圭介の動きが止まる。
光莉は、息を切らしながら、
振り返った。
涙で視界が滲む。
それでも。
「……あるの」
圭介を見る目が、もう昔とは違っていた。
縋る目じゃない。
怯えながらも、ちゃんと“拒絶”している目。
「蓮さんがいるから……!」
その名前。
圭介の顔から、一瞬で熱が消える。
代わりに、どす黒いものが落ちる。
「……そんなにかよ」
掴む力が強くなる。
「数週間だろ」
「そんなの関係ない……!」
声が、建物に響く。
「お前、俺といる時そんな顔しなかった!」
呼吸が止まる。
圭介は、自分で言ってから、はっとしたように黙る。
でも、止まれない。
「なんでだよ……」
掠れた声。
「俺といた時は、 ずっと諦めた顔してたくせに」
光莉の胸が、ぎゅっと痛む。
——違う。
諦めさせられてた。
でも、その言葉を飲み込む。
今は、刺激しちゃだめだ。
その時だった。
外から、急ブレーキの音が響いた。
圭介が反応した直後、階段を駆け上がってくる足音。
複数。速い。
圭介の顔色が変わる。
「……は?」
次の瞬間。
「光莉さん!」
聞き慣れた声が、階段に響いた。
蓮が息を切らしながら、そこに立っていた。
スーツの上着も乱れている。
でも目だけが、異様なほど冷えている。
光莉の腕を掴む圭介を見る。
一瞬、本当に一瞬だけ。
蓮の表情から、感情が消えたような気がした。
「——その手を離せ」
低い声。
圭介が、反射的に笑う。
「なんだよ。迎えに来たのか?」
蓮は答えない。
ただ、光莉だけを見ている。
「光莉さん」
その声だけで、涙が溢れた。
「……蓮さん」
掠れた声。
その瞬間、蓮が、一歩前に出る。
「もう大丈夫です」
そのたった一言で、
光莉の中で張っていた糸が、完全に切れた。
我慢していたものが切れたのか
涙が止まらなくなった。




