3. 心の変化とドロテアの力
「まあ、ドロテア様。今日もドレスを着ていただけるのですね!」
メイドのリンが嬉しそうに手を叩いた。
「近頃は自らドレスを選んでくださいますし、腕が鳴りますわ」
言いながらドロテアの髪を梳く。
手入れをしていなかった頃とは比べ、亜麻色の髪は見違えていた。
変わらずマスクは手放せないが、顔面を気にしなければ、姿かたちは間違いなく令嬢なのだ。
メイドが代わる代わるやってきてはドロテアに世話を焼いていく。
やれ体調はどうか、やれお菓子はいらないか、散歩はどうかなど。
自分を構ってくれる存在を、ドロテアは申し訳なく思う。
(こんな私なんかに優しくしてくれなくていいのに)
「ふふ、ドロテア様は立ち姿がお綺麗ですし、この花飾りも素敵だと思うんですよね」
そう言いながらいくつかの髪飾りをドロテアにかざしてくれる。
悪意一つない純粋な好意──いつまで経っても慣れないそれにドロテアは身じろぎした。
甘えていいのだろうか。
そんな資格があるだろうか。
そんな思いが何度も浮かんでくる。
(醜くなってしまって、お母様にも、国にも見放された……価値のない私に)
下を向きかけたドロテアの前で、リンが手を叩き、満足そうに頷いた。
「よし、今日もとても素敵です、ドロテア様!」
それだけで心が浮く。
泥沼のような思考から、助けてくれる。
そんな存在が、尊くてありがたかった。
(言霊の力……私も試してみようと思って、自分を貶める言葉は口にしないようには努めてみたけれど──駄目ね。何一つ行動は変わってない)
良くしてくれるメイドたちがいて、気遣ってくれるオズワルドもいて。
ここはドロテアを閉じ込めていたヴァランベリー国ではない。
(……こんな私だけど、許されるかしら。望んでも、いいかしら)
ぐ、と握りしめた手が、汗ばむ。喉が渇いた。
「あの、リン。今日は、とても天気が良い日ね?」
「ええ、はい。外はぽかぽかと過ごしの良い日ですよ!」
この国に来てからも、ドロテアは外に出たことがなかった。
理由は二つ。
慣れない広い世界が怖いこと。
それから、気味の悪い顔を人の目に触れさせることのないように、だ。
「もしよければ、なのだけど。その、庭園を見てみたいと言っても、いいかしら。……こんな姿の私だけど、外を歩いてもいいかしら?」
顔色を窺いながら言うと、食い気味に「もちろんです!!」と返事がある。
リンの満面の笑みを見て、自分が拒否されなかったことに安堵の息を吐いた。
(私だって、ほんの少し勇気を出せば、外だって歩けるのね! ……と、そう思っていた時もありました)
初めての外とあって、リンは嬉々として準備してくれた。
肌への負担が軽くなるよう、長い手袋や日傘まで用意してくれたのには驚いた。
しかしこれはやりすぎだ。
置いた手が震えてくる。
「大丈夫ですか、ドロテア?」
しっかりと手を握りエスコートしてくれるのは、オズワルドである。
太陽の下で見る笑顔は格別に綺麗だ。
ここまでは望んでいなかった。
リンに視線を送るも、親指を立ててウインクしてくれる。援護は見込めそうにもなかった。
「その、お忙しいオズワルド様にこのようなこと……私の我儘にお付き合いいただかなくても」
「いいや、ドロテアが外に行くときには俺がエスコートしたいと以前から言っていたのです。なので、これは俺の我儘ですね。お付き合いいただけますか?」
「うぅ……」
そう言われると断りにくい。
あえてその言葉を選んでくれているのだとわかっている。けれど、優しさを無下にできない。
並んで歩いた庭園は広かった。
「あまり変わり映えのしない花ばかりで申し訳ございません。丈夫な花でなければ育たず……」
言われた通り、同種の植物が多いようだった。
「気候や人手の問題がありまして。ドロテアを楽しませるには不十分かもしれませんが」
「……いいえ、とても美しい庭だと思います」
ドロテアの庭園の記憶は、幼少期のもの。
まさかまた見られることになるとは思わなかった。しかも人と一緒に、だ。
今さらながらオズワルドの隣が温かい。
ドロテアは辺りを見渡した。
つぼみが多く、くすんだ緑色の葉だったとしても。
「本当に、美しいです」
心からそう言って、目の前のつぼみに手を伸ばす。
すると少し開いた気がして、また感動する。
「わあ……! とてもきれいね」
そう零した。
──途端まるで呼応するように、ドロテアを中心に葉が色鮮やかに変化していく。
気がつくと、ほとんど見えなかった花も存在感を増し、艶のある葉が庭園を彩っていた。
足を踏み入れた当初の庭園とは別物だ。
「……やはり」
隣で聞こえた低音の声に振り向くと、オズワルドがいつも通りに笑っている。
不思議な出来事に驚いたが、その顔を見ると不安もなくなった。
「──少し、お話をしましょうか。場所を移して」
優雅な様子で差し出された手に、ドロテアは自然と自分のそれを重ねたのだった。
◇◇◇
「うーん、どこからお話すればいいのか」
オズワルドの書斎で向かい合って座った。
マスクを外せないのでテーブルにはお茶もお菓子も並べられなかった。
代わりに先ほど咲いたばかりの花が一輪置かれる。
「先ほど咲いた、こちらの花ですが、本来であれば開花はまだ先でした。……ドロテアがいたから咲いたのです」
「ええと?」
「ドロテアが言ったでしょう。庭園が綺麗だと、とても美しいと。だから花や葉はそうあろうとした」
正しい言葉遣いなのか不安になる。
ただ、オズワルドは至極真面目な顔だ。
「言霊の話を覚えていらっしゃいますか? 言葉が現実に影響を与える、と」
「ええ」
「俺が言霊の力を信じるのには理由があります。……力が現実になるところを、この目で見たのです」
オズワルドの話によると、事故に遭い不自由になっていた父親の足を治してくれたのだと言う。
「ご存知かと思いますが治癒魔法使いは少数で、その力を頼るには我が国には金も人脈もなかった。そんなところへ特別な言霊の力を持つ女性が現れたのです。言霊は誰にでもありますが、その方はより強力な言霊を持っていたんです。……その女性の話によれば、極まれにそういう人間がいるようですが」
意味ありげにちらりとドロテアを見て、目の前の花を見る。
穏やかに微笑んでしまうほどその花は美しく輝いていた。
「その女性は言いました。思いが強ければ、言霊の力も強くなると。しかし他人にも影響を与えることは難しいことらしく、誰にでもできることではないそうなのですが。言霊は真剣に、心からの言葉でなければ力を発揮できません。他人相手に──それもその場で初めて会ったような人間相手に、心からの祈りができる者がどれだけいるでしょうか」
それほど幸運な出来事でした、とオズワルドは過去を思い返しているようだった。
ドロテアはなんと言っていいかわからず頷いた。
「素晴らしい人がいたんですね」
「ふふ、でしょう。ドロテアもそう思われますか? でしたら、ドロテアもとても素晴らしいです。この花、ドロテアの言霊で咲いたんですよ。ドロテアの心からの言葉通り、この花が持つ一番美しい時を引き出したのです。自分ではない他人──今回は花ですが、どう見ても綺麗ではなかった庭園で心から”美しい”と言える方はなかなかいないと思いますから」
女性を褒めたつもりが何故か自分が褒められる。
ドロテアは大きく首を傾げた。
「……まさか私が、オズワルド様のお父様を助けた女性のように、特別な言霊を持っていると仰いますか?」
「ええ」
平然と頷いたオズワルドを見て、マスクの下で口を引き攣らせた。
(まさか、ありえない。お母様にもお父様にも嫌われた私なんかにそんな力があるわけ──)
「ありえないことは、ありません。言霊は誰にでもあるものですから」
思考を遮ったオズワルドは安心させるように手を握った。
触れた手は大きく、ドロテアの手を包み込むようだった。
「けれどいきなり言われても混乱しますよね。お聞きになりたいことがあればまた後日お話ししましょう。いつでも構いません。……もし気になるようでしたら試してみてもいいでしょう。ポイントは前向きな言葉であること。言霊は前向きな言葉を好むようですよ」