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腰掛け公爵令嬢のモットーは  作者: nobu
公領 ガーデナー見習い編
57/70

弦の音

(あのこは、じるっていうんだね)


色とりどりの花々が咲き誇っている。

どいつもこいつも原色そのまま、斑点模様がとってもチャーミング。肉食獣が口を開けているかのように大輪で、むせ返るほどの芳香が漂っていた。


これは花なのか魔獣なのか。


考えを巡らせながら、手にした枝で忍び寄る花の影を叩き潰した。ぎぃぃぃぃ、と潰した雌しべから悲鳴が聞こえる。

耳障りなそれらにも最早表情が動かない。

聞き飽きるほど聞いているからだ。


(じる、じる。はやくあいたいね)


かさ、と微かに聞こえた背後の物音に反射的に枝を振るった。

枝の先が散らしたのは大ぶりな緑の葉。


はっと息を呑む。


釣られたことに気づいた時には遅い。

背から腰にかけて柔らかに食い込む八本の脚、その節張っていて毛深くひんやりとした感触に、生理的嫌悪感で手へ足へぞわりと鳥肌が立つ。

控えめに言って怖気が走ったわ。


(じる)

(…ご機嫌だなぁ。喜んでもらえて何よりだよ)


背に張り付いた白い大蜘蛛を振り返り、なけなしの意地でもって笑みを浮かべた。

キチキチキチと口元を蠢かせたのは微笑みを返したつもりだろうか。

怖すぎるよ、と文句を言った私の両膝を薙ぎ払うように揺らめく太い蔦を跳んで避け、ふわり背から離れた大蜘蛛目掛けて後手で枝を突き付ける。


(…早く落ち着かないかな)


身を翻し、離れゆく複眼から視線を逸らさないよう半ば睨みつけながらそう思う。

想い人の名を知った半身とやり合うこと三回目、まだ熱は引かないようである。




最後の一刺しを終えて、裏の縫い目に針をくぐらせる。


フレドリック様の一言とアルバート様の態度に心ざわめき、ジルの名を知り胸が高鳴り、帰りしなのクライヴの言葉で記憶が途切れるほどのショックを受けたあの日からなかなか針を持つ気になれなかった。

でも少し時間をあけたのが却って良かったのかもしれない、久々の刺繍に随分集中することができた。


他に何が切れるのか疑問に思うくらい刃先の小さな鋏でぱちりと糸を裁ち、刺繍枠を外して手巾を広げる。


「…………」


広げた刺繍を改めて眺め、黙り込んだ。

傍に控えているメイも表情こそ分からないが無言である。


さて、ラストスパートに助けられようやく完成した双子の世界樹は、白い手巾のなか狭い狭いと言わんばかりにその枝を伸ばしていた。

下絵に沿って針を動かしたはずなのに、何故なのだろう、紋章とはかけ離れた躍動感というか脈動感というか。何を養分にしてるのかな、と余計な想像力を掻き立てる出来だ。

厳かというよりは禍々しい。ぎいぎい鳴きそう。…あれ、そういえば昨夜こんなやつを散々ぶちのめしたなと思い至ればため息が出た。


完成したら是非お見せくださいませとリジウェイ夫人に可愛くお願いされていたが、これ見せたら最終的に侮辱罪とかで罰せられやしないだろうか。

ああちょっとこれはナシだ。もう一枚やらせてほしい。メイにも口止めしなければ。

でも今日はこれでお終いでもいいでしょうか。


達成感と無力感で脱力しながらよろよろと刺繍の道具を片付けていると、ふと部屋の外からぽろんぽろんと弦を弾いたような音が聞こえて顔を上げた。


「…新年の宴に向けて調律師が来ているようです」

「そう」


そういえば少し前にも鳥の囀りのような音が聞こえたことがあったな、とぼんやり思う。


年の始まりを祝うため、初月には城で大きな催し物が開かれるらしい。

通例として成人にのみ参加資格が与えられるはずが、急遽サプライズゲストとして参加することとなった前回の宴の賑やかな雰囲気をなんとなく覚えていた。まあそれほど愉快な思い出ではないけれど。


裁縫道具と畳んだ手巾を箱にしまいながら、漏れ聞こえる音に耳を澄ませ目を閉じた。

メロディにはなっていないただの音の羅列だが、なんともいい音色だ。

脱力したままぼうっと聞き流しているとメイが小首を傾げた。


「ご興味が?」

「いいえ、珍しいなと思っただけよ」


問いかけに首を横に振った。

いい音だしもう少し聞いていたい思いもあるのだけれど、ここで何の気なしに肯定でもすればガーデンルームの二の舞になりそうな気がしたのだ。

言葉にしない意図を察して先回りするのが良い使用人なのかもしれないけれど、私付きのメイドは過激なまでに職務に忠実である。あっという間に楽器の二つ三つを与えてきそうだった。


メイは否定する私をじっと見つめ、左様ですかと頷いた。


「お嬢様」

「なあに?」

「いえ。お茶の用意をして参ります」

「…ありがとう」


何事も簡潔で無駄のない彼女にしては珍しいやりとりに、何処となく嫌な予感がしたけれど何がとも言えずに黙って見送る。

そして、暫くして銀のワゴンとともに戻ってきたメイは淡々とした態度を崩さないまま言った。


「午後に予定されておりました大陸語の授業ですが、家令がアレンビー先生へご相談したいことがあるとのことでお休みとなりました」


なに?


「…お休み?」


聞き返したいことは幾つかあったが、取り急ぎ最後の言葉を繰り返す。


「はい。ただ、ちょうどその時間帯は調律の立ち会い業務があるそうでして。もしお嬢様のご都合がよろしければ、楽器室の見学がてら立ち会いをお願いできないかとクライヴが申しておりました」


黙り込んでメイの顔をじっと見つめた。


これまで私あるいは教師役の都合によりレッスンの予定が変わることはままあったとはいえ、このタイミングでの申し出に違和感しか感じない。

弦の音を珍しいと思っただけ、なんて下手な言い訳を鵜吞みにはしてくれなかったのだろう。

クライヴも巻き込んで、私がこの音色をもう少し聞き続けていられる言い訳を用意してくれたようだった。


本人は私から視線を逸らすことなく無表情のままである。後ろ暗いことなど何一つないという態度だ。


「…調律の立ち会いをするはずだったクライヴが急にアレンビー先生に用事ができたの?」

「はい」

「アレンビー先生に?クライヴが?」

「はい」


口に出してはいないものの、それが何か?とはっきりと聞こえる。

その顔を見ていると腹が立つような困ったような申し訳ないような、いややはり嬉しいような複雑な気分になる。たぶん今の私は、気持ちそのままの複雑な表情を浮かべていることだろう。


「…立ち会うだけでいいの?私、楽器のこともお城のこともそれほど詳しくはないのだけれど」


突っ立っているだけでいいならいいけど何かチェックしたりするのであれば私では不適当である。

そう思って尋ねると、メイが頷いた。


「代々懇意にしている専属の調律師ですので調律自体はお任せいただいて構いません。楽器室へ入室する際に同伴いただければ。引き受けていただけるのでしょうか」

「私で不足でないなら、喜んで。…気を配ってくれてありがとう」

「いえ」


短い否定は毅然としていた。


「代わりの者を用立てることも可能ですから、ご無理はなさらず。どうかお気持ちのままに」


ああ、と内心小さく嘆息する。


体の柔らかい部分、腹を隠すように両手の指を体の前で組みそうになり、意識して手を下ろした。

どうにも落ち着かず髪を掻き上げたくなる。やらないけれど。


流されるままフィッツロイに引き取られ、周りの人々の言うがまま、勧めるがまま様々なことを選んできたというのに、ここ最近のお城での暮らしは少しばかり自由度が高くて困惑する。


特にメイは、これだけお膳立てをしておいて結局やらなくてもいいという選択肢を用意するのだから。

気遣ってくれていることは分かっていて、でもやらねばならない、を理由にさせてくれない分だけ意地悪だとさえ思う。


世話になる数年くらい、もっといいように使ってくれて構わないのに、なんて。


まるで甘やかされているようだと思いながら、小さく首を振った。


「うん。…本当は、もう少し聞いてみたいと思っていたから、嬉しいわ」


少しだけ躊躇いがちにそう零せば、メイが小さく息を呑んだ気配がした。

すぐに綺麗な礼をして見せたから本当かどうかは分からないけれど。


「それでしたら、ようございました」

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