鬼授業
さてさて、予期せぬ事態に朝から疲れてしまったが、今日のメインはこれからだ。
カザン・バウムハルト氏の授業である。
授業は王城の一室で行われる。
本来は王族の子息向けの授業であったのだが、バウムハルト氏の提案で同じ年ごろの高位貴族の子女を集めての開催となったらしい。
今期は、第三王子を筆頭に、公爵家から私を含め二名、侯爵家から三名の六名体制である。
このすごい面子に公爵家の枠でご一緒させていただいていいのかなとも思ったが、アルバート様もクレドリック様もすでに受講経験があるとのことだしクローディア様はまだ三歳にも満たない。行けと言ったのはご当主様だからね、と言い聞かせながら参加している。
しん、と静まり返った部屋の中、バウムハルト氏の穏やかな声が響く。抑揚のついた話し方は、まるで歌のよう。ははは、異国語だけどな。
初回は法力学から地学への展開、前回は幾何学を応用した魔術体系図の理解だった。そして今回は他の国の言語を用いた代数学の授業である。
やあこんにちは。それじゃあ始めようか。今日は代数学だよ。代数学は南にあるシンバラという太陽の国が最も進んでいるから、今日は太陽の国の言葉で説明しようかな、からのこれだ。
天才によるとてもありがたい授業なのかもしれないが、受けている年齢層を見てごらんよ。私を含め、上は10歳、下は5歳のおこちゃま達だ。さすがに第三王子と最年長の公爵家の坊ちゃんは黙って聞いているが、ほかの面々は完全に飽きている。飽きていることが姿勢から滲んでいる。後ろで立っているお付きの方も気が気じゃないだろう。
とはいえ、私も同じように気を抜くわけにはいかないというのが悲しいところ。
もっと小さな頃から超一流の教育を受けてきたであろう彼らと土俵が同じはずがない。兎って速いね、と亀同士できゃっきゃしていたら、みんな亀は亀でもミドリガメだった、なんて十分に考えられる。
強迫観念に責め立てられるように、私はひたすら耳に聞こえた言葉をつたない大陸語で書き殴っていた。
ちなみに、公爵家に引き取られた直後から数多の教育を受けているが、共通語である大陸語ですら不安になる出来、シンバラ語なんてはじめましてである。
幸いにして、代数学には一定の理解があった。バウムハルト氏の言っていることはさっぱり分からないが、計算自体はどうにかいける。これが代数学じゃなくて建国史とかだったら分からな過ぎて詰んでいた。手がかりをかき集めて書籍館で辞書と突き合せれば、逆に解読できるはずだ。
本末転倒な気もしなくもないが、できないのだからしょうがない。
バウムハルト氏の口もとを見ながら一心不乱に書いていると、不自然に言葉が止まった。
おや、と思い視線を少し上げると、バウムハルト氏の金色の瞳がこちらを向いていて、思わずぎょっとする。ふわりと笑ったバウムハルト氏は何事もなかったかのように言葉を続けた。
心持ちゆっくりになった読み上げに、もしかして気遣ってくださったのかと過るが、怒涛の書き取りにそんな考えも追われていった。
「…はい、今日の授業はここまで」
ようやく意味の分かる言葉に、脳がびっくりしている。
一心不乱に書き続けた右手の指がペンを握った形に固まっている。痛い。
誰かが深く深呼吸した。わかるよその気持ち、と肩を叩いてやりたくなるが、一応みんな聞いてるからね。取り繕おうね。
「前回の課題を返すから一人ずつ取りに来て。それから、今回の課題も持って行ってね」
開放感から一転、ぐっと唇に力が入った。そうなのだ、この授業は宿題があるのだ。
与えられた課題について期限までに書き上げ提出することが求められているが、課題の設問もまた何言っているか分からないレベルで難しい。
ちらっと耳に挟んだが、侯爵家のお嬢さんは家庭教師が一緒にやってくれているんだってさ。なにそれ羨ましい。
名前を呼ばれ、バウムハルト氏のもとへ向かう。
「フィッツロイさん…はい、お疲れさま。今回の課題はこれね」
「ありがとうございます」
紙面を受け取って、静かに席へ戻った。
ちらりと見れば、採点された前回の課題は恐ろしいくらい赤字で書き込みがなされている。
これはあとでちゃんと見返そう…。
もう私のライフはゼロだもの。




