書籍館従僕の回顧
「でもさ、ほんとびっくりだよ」
帰り道、そう声をあげた同僚に苦笑いした。
「まだ言ってる」
「そりゃ言うよ。何回でも言うよ。だって」
睨まれる。
「公爵家の人たち、とあーんな仲良さそうにしちゃって!」
辺りを気にしてか、公爵家の人たち、のところはぐっと声を絞っていたが、それでもあまり往来で口にしたい内容でもない。サイキはとりあえず苦笑いを返した。
「あの方たちってアレですよね、サイキさんの担当部屋の」
「そうだよ!」
後輩の興味津々の問いかけに、胸を張って誰かが答えた。
さすがに城では我慢していたようだけど城下に出てしまえばどんどん遠慮もなくなってくるな、とサイキは遠い目をする。現実逃避だ。
「貴賓室担当って上手くやればあんな雲上の人たちともお近付きになれちゃうんですか?」
「んなわけないでしょ。俺サイキより随分長く部屋付きやってるけど、顔を覚えられてすらいないんじゃない?」
「同じく。会話すんのはお付きの人だし」
「だよなぁ」
俺もそう思ってたよ、と口に出しては言えない。言ったらぎゃあぎゃあ噛みつかれることが明らかだからだ。
「…まあ、大層難しい課題に取り組まれるのに頻繁に通われていたから」
「うそ!絶対他にもあったでしょ!じゃなきゃあんな親しそうな空気出さなくない!?」
白状しなさいよ!と詰め寄られ、白状と言われてもと首を掻く。心当たりなどない。自分でもびっくりしているくらいなのだ。
由緒正しい公爵家の御令嬢と他国民の従僕。
この世にも奇妙な関係を支えているのは、強いて言うなら御令嬢のちょっと変わった心根のみだと思う。
「お前そんな亭主の浮気問い詰めるみてぇな…」
「そんなんじゃないわよ!バカなの!?」
「落ち着けって。双樹の間は暫く前になんか騒動があったんだろ?そういうのも関係してんだろ、どうせ」
なあ?と問いかけられる。指摘は間違ってはいないが、あまり口外すべきことでもない内容に苦笑いで答えた。
「違うじゃないの!」
「お前ほんと考えなしだな。お貴族様の面子に関わることを易々と認めるわけねぇだろーが」
「なによー!!!」
騒ぐ二人を他所に、まだ話題は続く。
「騒動あったね。毎年何かしらあるよね、貴賓室」
「そうなんすか」
「うん。利用規則とか無視して本を持って帰ろうとしたり、本に書き込みしようとしたりするんだよね。それを部屋付きが止めると、まあ揉める揉める。こっちは平民だし気分良くないんだろうな…仕事だからやるけど、ボロクソに言われるもん。それで担当部屋変わったりしてね」
うひゃあ、という戯けた悲鳴は好奇心半分、身分を笠に規則を守ろうとしない貴族の傲慢への嘲りと、高位貴族に目をつけられてしまうことへの恐怖が見え隠れしている。
彼の諦め混じりの説明はその通りで、書籍館の規則に馴染みのない貴族、特に若年層は毎年一定数のトラブルを引き起こす。だからこそ部屋付きは常日頃は気配を消して、不要な揉め事をできる限り避けようとするのだ。
その点あのお嬢様にその手の注意などしたことがなかったな、とふと思った。
「あ、でもその暫く前の騒動ではサイキは部屋変わってないね」
「今日も仲良さそうだったし。同じ人間とは思えないくらい可愛かったなぁ」
「同じ人間じゃないよ、大貴族と平民だよ」
「なんかお詫びにってたんまり寄付もらったんでしょ?双樹の間だけじゃなくて書庫も改装入ってた」
「館長めっちゃ嬉しそうだったよね」
「なんか希少本も寄付されたらしいからね…」
「公爵家秘蔵の希少本?太っ腹ー!読みたい読みたい」
楽しそうにひそひそ話す姿にサイキは小さくため息をついた。
職場は静かでこういった話も出来ないのだろうが、それにしても盛り上がる。日頃から何かしら溜めているものがあるのだろうか。
同僚の鬱憤晴らしに貢献できたのは良いことかもしれないが、それでも興味本位で騒ぎ立てているのを聞いていたくなくて、サイキは同僚たちに声をかけた。
「…俺、ちょっと寄っていくところあるから」
おー、またね、と声をあげる同僚たちに手を振り、横道に外れて歩き出す。
服の上から首元のチャームを探る。台座の角が指先に食い込む感触にほっと息を吐く。妙な癖ができてしまった。
この首飾りは、フィッツロイ様からもらった魔石を館長に加工してもらったものだ。
双樹の間での一騒動から暫く経ったある日、館長に呼び出された。
何処ぞの御令嬢に随分な口の利き方もしたし、フィッツロイ様に怪我をさせてしまった。こりゃ部屋替えかなと覚悟をしていたが、渡されたのは白い封筒だった。
なんでも、双樹の間を荒らしてしまったことの謝罪としてフィッツロイ家から多額の寄付金が贈られたらしい。それから、本の寄贈も。
高位貴族が代々受け継いでいる古書を部外者が閲覧できる機会、手に入れる機会など滅多にない。館長は踊らんばかりに喜んでいた。
貰った封筒には一通の手紙と小袋に入った美しい石。
手紙はフィッツロイ様からだった。
迷惑をかけて申し訳なかった、同封する石は魔石で小さいけれど悪いものではないからどうか役立てて欲しいと。
そして暫くはそちらに行けない旨が書かれ俺の幸運を願う文句で締められていた。
館長は単なる従僕に宛てるにはあまりにも丁寧な対応に目を回す俺を見て、魔石を首飾りに変えてあげようと面白そうに笑った。
後日渡された首飾りは清廉として甘やかで、どこか贈り主を思わせた。
館長は一転して困った顔で、これは相当良いものだから毎日肌身離さず身につけなさい、でもあんまり人には見られない方がいいね、と仰った。
その言いつけ通り、服の下につけるようにしている。
無意識に探った台座の尖に、今日見た彼の方を思い出す。
窓から差し込む光が祝福のようにただ一人を照らしていた。
光は髪も睫毛さえも透かし、とろりとしたドレスはそれ自体が光り輝いているようだった。シュパルド、といつものように声をかけられて反射で返事をしたけれど、実は夢心地だった。
埃を被っていた記憶を思い出したのだ。
サイキの生まれ故郷、この国ではないもっと随分南にある小さな村には、昔から村人が大切に大切に守ってきた小さな泉がある。由来は忘れてしまったけれどとても有難い泉だとかで、村の子供達はよく泉に向かって感謝の歌を歌わされたものだった。
よくあるしきたり、昔話だ。
けれど、そこでサイキは見たことがある。
それは村の祭りの夜のことだった。
くすねてきた酒瓶を片手に騒がしい広場を抜け、静まり返った泉のそばに腰を下ろした。
少しばかりの子供の冒険だ。何か目的があったわけではなく、ただ大人だけが飲んでいいという酒とやらを飲んでみたかっただけなのだ。
栓を抜いて口をつけた透明な飲み物はくらりとするくらい甘い匂いがして、なるほどこれがと思った覚えがある。
瓶にはまだたっぷりと残っていたが、酔いが回って仰向けに倒れた。星空をぼんやりと眺めていたら、ふと虫のざわめきに混じって鈴のような笑い声のような軽やかな何かが聞こえて、思わず体を起こす。そして、目に入った光景に呆然とした。
泉の上で、それはそれは美しい何かが追いかけっこをするようにして絡まりながら踊っていたのだ。
炎のような、水の流れのような、光の粒のような美しいなにか。声を出すこともできず、ぼうっと見惚れていた。
そこで意識は途切れている。
気がつけば夜も大分更けていた。まずい、帰らなければと慌てて立ち上がり、酒瓶を手に取る。
酒瓶には酒が残っていなかった。
酔って見た幻惑だと思う自分と、いいやあれは神秘的な何かだったのだと思う自分がいた。けれどいつしかそんなことがあったことすら忘れていた、遠い日の記憶だ。
そして、今日フィッツロイ様を見た時、何故だかわからないけれどあの日の光景が再び甦った。
あの美しい何かを、フィッツロイ様から感じたのだ。
跪いたのは咄嗟の反応だった。
健やかであってほしい。微笑んでいてほしい。
この世は美しいものばかりではないけれど、それでもどうか見捨てずにいてほしい、と6歳の幼児に請い願った自分を自覚して頭を抱えたのは、宿舎に帰ってからだった。
拙作を読んでくださるみなさま
ありがとうございます。
これにて一区切り、少しお休みをいただきまして次回からは公領でのお話となります。
引き続きお付き合いいただけましたら嬉しいです。




