癇癪玉
一部過激な差別的表現があります。
本日は朝から書籍館でカザン・バウムハルト氏の課題に取り組んでいる。
建国史が書かれた本を端から読むのだ。著者の着眼点やら立場やら切り取り方の違いを設問にされているためである。
今日でようやく四冊目に手が届いた。先は長い。
えげつないなとは思うが今回の課題はとんでもなく難解、というほどではなかった。
まず大陸語というだけで大分難易度下がっている。読めばいいってことが分かっているし。
授業だけでなく課題についてもテコ入れが入ったのかもしれない。誰だか分からないけれどクレーム入れてくれた方、ありがとう。
なんて油断していると思わぬ事故に遭うものだ。
「双樹の間が使われていると思ったら、お前なの?」
笑い含みの声は蔑みと怒りで震えていた。
視線は強く、瞬きもせずこちらを睨み付けている。
彼女の感情を表すかのような美しい赤髪は燃え盛る炎を連想させ、手の内でギシギシと軋む扇がその苛立ちの深さを伝えていた。
アルバート様に恋する癇癪玉、レイラ・レンフィールド様の御也である。
「レンフィールド様…」
「メイ」
一歩踏み出そうとしたメイをすかさず止める。
多分、前回の件もあったから庇ってくれようとしたのだろう。でもレイラ様は身分の意識が高い方だ。使用人を家具と称して憚らないタイプ。
どれだけ認めていなくとも仮にもフィッツロイの養子となった私を直接害することはないだろうけど、使用人は分からない。
「レイラ・レンフィールド様。ご無沙汰しておりま…」
「どこぞの汚らしい平民の娘が。伝統と格式あるフィッツロイの双樹の間にのこのこと上り込んで、一体何を企んでいると言うの…!?」
わあ、もはやクライマックスのテンションですね。
偶然出会ってしまったのか、私がいると当たりをつけてわざわざ来たのか。
確かに前回から大分日が経っているしそろそろだとは思っていた。しかし公共施設である書籍館でとは想定外だ。人払いもしていないのにこの取り乱し方、相当鬱憤が溜まっていたのだろう。
「お前、私は言ったわよねぇ?身の程を弁えなさいと。フィッツロイのおじさまはやむを得ない理由があってお前を渋々引き取った。お前ができることは、その望外の幸運に地に頭を擦り付けて感謝することだけだと。それが…なぜ?笑わせないでちょうだい」
ちらりと見れば、レイラ様の後ろでサイキさんが顔真っ青にして立っている。
貴族間の諍いなんてめっちゃ怖いよね。巻き込んで本当にすみません。
「ここは、この部屋は、フィッツロイをはじめとした特別な方々しか入れない特別なお部屋。陛下の誕生パーティもそう。選ばれたものだけが参加を許された特別な式典よ。それをお前如きが…信じられない。お前のような寄生虫にフィッツロイの恩恵に触れる権利があると思って?」
レイラ様の怒りの根底に触れた気がした。
パーティに招待されたことを聞いたのか。同伴者にはアルバート様の名が挙がっているし、レイラ様からしたら許せるものではないのだろう。
さらに双樹の間を我が物顔で使っているのを知って、怒り心頭に発したということだろうか。
お前のような卑しい寄生虫が、と扇で頬を叩かれ我に帰る。
「…っ」
後ろで息を呑む気配がする。
大丈夫、と合図を出す。扇は硬い部分もあるけど、非力なレイラ様が更に手加減しているのだ、痛くない。
しかし、レイラ様はその吐息ですら気に入らなかったようでぎろりと私共々後ろを睨め付けた。
「…うるさい家具ね。正しく伯爵令嬢たる私が光栄にも親戚としてこれと話をしているの。邪魔だわ、出て行きなさい」
「承服しかねます。それよりもその扇をどけていただけますでしょうか」
「…なんですって?」
「メイ、メイ。大丈夫だから、ちょっと散歩に行ってきて。…命令よ」
真っ向から立ち向かって行きそうな慌ててメイを止める。刺激しないでー!
レイラ様の声、低っ!感情の乗っていない声だけど、導火線に火がついた気配がした。
あれ、メイも瞳孔広がってない?頼むよ、落ち着いて。
これ以上メイが何か言う前に、命令の形で封じる。
躊躇うメイはサイキさんをじっと見つめてから部屋を出て行った。
サイキさん、すごい汗だよ。ごめん。本当に巻き込んでごめん。でももう少し付き合って!一人にしないで!
広くて豪奢な部屋にいるのは私とレイラ様とレイラ様のお付きの方、そして離れたところで固まっているサイキさんだけど、たぶんレイラ様はお付きの方もサイキさんも目に入ってないんだろうな。
ああ、心細い。やっぱりどうにかしてメイに残ってもらうべきだったとずっと考えている。
お付きの方も血の気引いてません?
でもそのなかレイラ様は喋り続けていた。
「お前みたいな塵が、公爵家のみならず王家の歴史に泥を塗るだなんて…どれだけ罪深いの。アルバート様の、フィッツロイ、王家の御慈悲に意地汚くも縋って、なんてこと…!」
許せることではありません、と瞬きもせずこちらを見るレイラ様の目はまん丸で、顔からは血の気も引いていて、指先はガタガタ震えていて、ちょっと見たことがないくらいのキレっぷりだった。
うひゃああ。どんどん怒りが加速していませんか。
表立って害そうとしない?ほんとに?ちょっと疑わしいんだけど。
「お嬢様…」
お付きの方も腰が引けている。
「お前を甘やかし過ぎたのかしら?いくら下賤の者とはいえ仮にもフィッツロイに引き取られたのだからと、私が見過ごしていたためこんなにもお前が増長したの?お前が、お前のような汚れた血が…!」
レイラ様はもはや叫ぶようにして声を振り絞った。
「アルバート様に寄生する害虫め…!いやらしくも公爵家に擦り寄った親も親なら子も子だということね!お前など生まれてくるべきではなかったというのに…本当に罪深い、罪深い…消えなさい!即刻、お前など!」
はあ、はあ、と肩で息をするレイラ様の後ろでお付きの方が蒼白の顔で小さく首を振っているのが見える。
泣かないで、否定しないで。落ち着こう、ちょっと今レイラ様刺激するのはやめよう。
そっちに気を取られている間に、いつの間にかレイラ様があと一歩の距離にまで近づいていた。
ひえ。
「お前…聞いているの?」
ゆらりとレイラ様が首を傾げた。
「この私が、フィッツロイの名誉のためこれだけ真摯に話をしていると言うのに、お前、聞いているの?」
説教中に余所見すんなってことですね、すみません!
思わず背筋を伸ばした私の顎の下を扇が掬い、僅かに顔が上向かされる。
凍えるような、燃え盛るような目と視線が合った。
「卑しい平民風情が、許可なく私と目を合わせるな」
至近距離で、言い捨てられる。
そして叫ばれた。
「害虫め!お前如きが何故顔を上げて私の言葉を聞いている!虫なのだから這いつくばりなさいよ!」
大音声に耳が悲鳴を上げた後、ばしりと衝撃が走って頭が揺れた。




