後日談 三年目の星祭り
エリカとシリルの後日談です。
※激甘警報発令中
私が王都にやってきて三回目の春、シリルが留学から帰ってきた。
十五才になったシリルは特別長身というわけではないけれど、私より背が高くなってしまった。
カーディナでは魔術だけではなく、剣術も一生懸命やっていたので細身だけれども筋力がついてすっかり「男の人」になっていた。
シリルはこちらに帰ってくるたびに成長してしまうので、それを見ることができない私としては少し寂しいし、再会したシリルに慣れるのに毎回時間がかかってしまう。
すぐ動悸がして、なんだか落ち着かないのだ。
彼が留学先から帰ってきた今、早く動悸がおさまって前みたいに普通に過ごせる日がくるのを切実に願っている。
そんな私の願いは虚しく、王立学園の制服を着たシリルはとてもかっこいいので夏を過ぎても私の動悸が収まる気配はない。
シリルは王太子殿下よりも正統派王子様という外見で女子生徒の熱い視線を集めている。そして、王太子殿下は少し近寄りがたい雰囲気があるのに対して、シリルは誰に対しても優しい。黙っていると人形みたいに冷たい印象を受けるが、少しドジで抜けている部分があり、そこが親しみやすい雰囲気なのだろう。それはとても素晴らしい事であるはずなのに、なぜかムカムカする。
私にだけ優しくして、私にだけ微笑みかけてほしいという独占欲だという自覚はあるのだが……。
そして、私にとって王都で過ごす三度目の夏、今年の星祭りはシリルと一緒にサイアーズで過ごす事にした。王太子殿下達やバルトロメーウス殿下は、王宮で披かれる行事に参加しなければならないので、一緒には過ごせないのだ。
果てない海に映る星々はとても幻想的なものだとの事で、私は港町の星祭りをとても楽しみにしている。
日中は海からまっすぐに延びる中央通りに露店が並び、至るところで大道芸が披露され町中が華やいだ雰囲気になる。
そして、王都からこの港町に到着したばかりの私とシリルは、さっそく昼食を兼ねて祭りで賑わう通りへとくり出した。
「エリカ? どうしたんですか?」
「なんでもない! シリルがいつの間にか大きくなっちゃって上を向かないと視線が合わないのが寂しいだけ!」
「そうですか……」
淡い茶色の髪に菫色の瞳を眼鏡で隠したシリルは少し考えるような表情をした後、私の耳元に唇を近づけて囁く。
「上を向かないと視線が合わないのは、僕とエリカの距離が近いからですよ? 僕はちょっと嬉しいです」
いつもより低い声で囁くように告げられ、耳元にすこし吐息がかかる。それだけで他人に指摘されなくてもわかるくらい顔が熱くなる。きっと真っ赤になっているはずだ。
「シリル! いつからそんなに悪い子になっちゃたの!?」
「僕は前からずっとこうですけど? 変わったのは僕の背の高さとエリカの気持ちです」
「違うわ! 昔は私が困るような事なんて言わなかったもの!」
「だから、僕は昔から同じような事を言っているのに、エリカが勝手に恥ずかしがるようになってしまったのでしょう?」
「うっ!!」
シリルの言っている事は正しい。シリルは昔も今も、私の気持ちをよく理解してくれる。たぶん理解しようと努力してくれている結果なのだと思う。昔はそれを心地よいと感じていたのに、今は心を見透かされているようで恥ずかしさが勝ってしまう。
変わったのは彼ではなく、私の方だ。
シリルが私に対する好意を隠さない事で私は安心する。同じように私も彼に気持ちを隠すべきではないと思うのに、なぜか出来ない。
私が素直になれない理由すらシリルはわかったような顔をする。そして微笑んで許してくれるのだ。その余裕が少し腹立たしい。
「今日は髪の色も雰囲気も違うから、何だか調子が狂うのよ」
「……うーん。サイアーズで変装しないまま歩くと目立ってしまいそうなんですよね……。変ですか?」
「ううん。似合っていると思うわ……」
領地のサイアーズで、シリルの顔を知っている者は意外と少ない。小さな頃は病弱で外に出なかったそうだし、最近までカーディナで暮らしていた。戻ってきてからも王都にいる事が多いのでそれも当然だ。
でも、銀髪に菫色の瞳と高名な画家でもキャンパスに表現出来るかわからないほど整った容姿は異常に目立つ。
庶民が多く参加しているお祭りに、シリルが変装もせずに参加したら大騒ぎになってしまうかもしれない。だから魔術で髪の色をありきたりな薄茶色に変えて、眼鏡で瞳の色と整った顔立ちを目立たなくしている。
手を繋いでサイアーズの中央通りを歩く私達は姉弟のように見えるだろうか。それともきちんと恋人同士に見えるのだろうか。
「シリルの手、ゴツゴツしてる。剣を操る人の手になったわね」
「でも、エリカに勝つどころか同級生にも全然勝てないですけどね」
「剣術だけなら、でしょ? シリルはとても強いわ」
私に褒められたシリルは、頬を染めて嬉しそうにしている。こういう彼の素直な笑顔が私はとても好きだ。出会った時から変わらない部分だからなのだろうか。
シリルの純粋な剣術の実力は同学年の男の子に限定しても真ん中より下だ。でも、実践では魔術と剣術の合わせ技や、一緒に戦う仲間との連携が大切になるので剣術は強さの一つの要素でしかない。
魔術師には剣士に守られて大規模な魔術で敵を殲滅するような戦法をよしとする習慣がある。ただ、最初から敵に接近されている状態だと魔術を使う前に無力化される可能性があり、いつでも有効な戦術とは言い難い。
シリルは魔術師としては外道と言われそうな戦術もしっかり学んで自分で考えている。例えば、高速で発動出来る超初級の魔術や剣術を組み合わせて闘うような方法などだ。
留学前はサミュエル君と二人がかりでディーン様に全く歯が立たなかったという話だが、今ではディーン様と一対一の闘いでも負けないくらいに強い。
「エリカは最近、ディーン様やバルト様に負けても悔しがらなくなりましたね」
「うん……私の武術はやっぱり護身術でしかないの。張り合っても仕方がないし、今は目指すものがあるから」
私がシリルの事を「ライラ」と呼んでいた時、「ライラ」の事を護れない自分の弱さがとても嫌だった。守れる力を持っているディーン様が羨ましくて嫉妬したのだ。
でも、兄はそのままの私でいろと言ってくれた。セドリック君は兄弟や友人を守るために文官になるのだと言っていた。そして非力で、皆に頼りながらでもシリルを助ける事が出来た。
今までの経験が私の自信になって、単純に文官になりたいというのではなく、どういう文官になるべきなのかという事がわかってきた気がするのだ。
魔術が得意ではなくても、武術に長けていなくても、私は誰よりも大切な人達を守れる力を持ちたいと思う。それが今の目標だ。
「ねぇ、シリル。早く露店を覗きに行きましょう?」
「そうですね! 僕のおすすめは魚です!! 王都よりも新鮮で美味しいですよ」
一年目の星祭りは政変で祭りを楽しむどころではなかった。二年目は、シリルがハーティアにいなかった。そして三年目の今日、初めて一緒に祭りを楽しむ事が出来るのだ。一緒に過ごせなった時間を埋めるように、今日はとにかく二人でとことん楽しみたい。きっとシリルもそう思ってくれている。
*****
クタクタになるまで遊び歩いた後、私達は最初に流れる星を浜辺で観ようと海へ向かう。
露店で賑わう中央通りから海沿いを西に進むと、その昔要塞として使われていた名残を残す堅牢な外観の領主屋敷が見える。行き交う人も徐々に減り、楽団が奏でている音が小さくなる。
海沿いの道から砂浜へ降りる階段は、前にサイアーズに来た時と全く変わっていない。でも、二年前に腰を掛けた太い木の流木はどこかへ行ってしまったようで見当たらない。嵐か潮の満ち引きで運ばれてしまったのだろうか。
砂浜に降りる為の階段をシリルに導かれて下る。あと数段というところでシリルが私の手をゆっくりと離し、腰に手を回してくる。私は驚いて思わず一歩後ろに下がろうとするが、満面の笑みを浮かべたシリルがそれを許さない。
「靴に砂が入ると不快なので、僕が運んであげます!」
「そんなのいいよ! 恥ずかしいもの」
「いいえ、これは譲れません! 僕だってエリカをお姫様抱っこして運べるって証明したいんです。……ほら、しっかり首に手を回してください」
こういう時のシリルは絶対に退かない。人目が全く無い訳ではないのに、気にする様子も無く、必ず実行するんだという強い意思がその瞳に宿っている。
恥ずかしいとそれだけでなぜか泣きたい気持ちになるけれど、シリルに抱きしめてもらいたいという気持ちもある。だから、私はゆっくりとシリルの肩に腕を回す。
シリルは私を横抱きにして、不安定な砂浜を歩む。そして四歩目で体が左に傾き、私を下敷きにするように倒れる。
一瞬の浮遊感の後、私に覆い被さるシリルの重みを感じる。
「わっ! ちょっと、シリル! これなら普通に歩いて靴に砂が入った方がマシじゃない」
「ご、ごめんなさい……」
「もう!」
靴の中だけではなく、服の中にも砂が入ってしまったし、髪も砂まみれだ。
私は開き直って、ワンピースが汚れる事も気にせず砂の上に座る事にした。シリルは汚れてしまった眼鏡をしまい、髪の色を銀色に戻してから私の隣に腰を下ろす。暗くなればシリルの銀髪も目立ってしまう事はないのだ。
そのまま二人で手を繋いだまま空を見上げる。
「エリカにいいところを見せようとすると僕は大抵失敗してしまいますね……」
「うん。でも、私はそういうところも……す……」
「す? ……ちゃんと言ってほしいのに。ねぇ、エリカこっちを向いてくれませんか?」
シリルは隣に座ったままの状態で私の両肩に手を添える。最近見上げる事が多くなったシリルの顔が真正面にある事に気がついて、それだけで心臓の鼓動が早くなる。
シリルの顔がゆっくり近づいてくる。キスをされるのかと思った私は反射的にぎゅっと目を閉じた。
でも、私の予想は外れてしまった。シリルが唇を落としたのは、私の右肩――――二年前の事件で怪我をしたところだった。
薄い夏の衣に阻まれて、それでもシリルの吐息が少しだけ伝わる。くすぐったい感覚から逃れようとしても、強い力で阻まれる。服の上から触れる唇だけがどこまでも優しい。
「僕はまだ、あなたを守れる力は無いのかもしれません。守るどころか、いまだに助けてもらう事ばかりで……」
「シリル、私は守ってほしいわけじゃないのよ。私がシリルを守りたいんだから!」
私がそう言うと、シリルは少しいじけたような顔をする。
「ねぇ、多分私とシリルは足りない部分を補える関係だと思うの。とりあえず、二人でハーティア最強を目指さない?」
シリルは私の事を過大評価するけれど、私にも弱点はあって完璧な人間には決してなれない。昔はそれがとてももどかしかったし、私よりも私の理想に近い人物に嫉妬したのだ。でも、最近は別に一人で何でもする必要なんてどこにもないのだとわかった。
シリルと私の二人なら、きっと誰にも負けない最強になれる気がする。
「ふふっ。エリカってば変ですよ? でも、そうですね……僕とエリカでハーティア最強で最高に幸せな夫婦を目指しましょうか?」
「夫婦!?」
「僕とエリカは親も認める婚約者同士で恋人同士なんだからいいでしょう? 僕が卒業したら絶対すぐ結婚してくれますよね?」
「う、う、うん。でも、言葉にするのは恥ずかしくって……」
「じゃあ、言葉以外でエリカの愛情を証明してみてください。僕が口にするのと同じくらいエリカも僕にちゃんと伝えてください。じゃないと、不公平ですよ」
今度は本当にシリルの菫色の瞳が私に近づいてくる。
目を閉じる直前、私の目中に映っていたものはシリルの瞳。そして夜と昼の間、紫紺と茜色が混ざり合う空だった。
シリルの瞳の色は、夜の始まりを告げる刹那の時間を彩る空の色と、とても似ている。
(終)
この作品の登場人物レイ先生がヒーローのスピンオフ
「ウィルフレッド・レイと砂時計の呪い」連載始めました!
こちらよりもシリアス多めですが、糖分も多めです。
レイ先生が呪われたヒロインを保護して助けてちゃっかり妻にする……今度こそ王道!のストーリーです。
スピンオフもよろしくお願いします。