右肩の謎
桜京高校との準決勝戦、それに敗れたことで宍戸真紘の高校生活最後の大会は終わりを告げた。
そして、もしかするとこれが私の野球人生最後の試合になるかもしれない。
そんな陰鬱とした気持ちを抱えながら自宅のドアを開ける。
「ただいま」
そう声を掛けながらリビングに足を踏み入れると、お父さんの姿があった。
椅子に座ったお父さんは何か考え事をしている様子だった。
「お父さん、もう帰ってきてたんだ」
「ああ……少し、話をしてもいいか?」
「う、うん、もちろんいいけど……」
椅子に座る前からこれからなされるであろう話の内容の予想はついていた。
私の今後の野球人生について、これぐらいしか考えられなかった。
椅子に腰掛けたあとに無意味に腰の据わりが悪いフリをしてモゾモゾと体を動かして時間を稼ぐ。
少しでもその瞬間を先延ばしにしたかったが、そんな行動で間がもたせられるはずもなく十秒もすれば私はきちんと話を聞かざるを得ない状況になる。
「話というのは安島くんに関してだ、彼はケガで野球部を退部したという話をこの前していたが彼の映像などは残っていないのか?」
どうやらすぐさま私の話にはならないらしい、想像もしていなかった内容に少し拍子抜けする。
「えっと、前に預かった映像のコピーがあるよ」
東堂さんの説得のために渡されたDVDのコピー、それは特に返却を求められたわけでもなかったためなんとなく私の手元に置かれたままとなっている。
「それを見せてくれないか」
特に秘密にしないといけないものではないだろう、そんな風に考えた私は頷いてから自室に向かいそこに置いてあるそのDVDを手に取ってリビングへと戻る。
「じゃあ、プレイヤーに入れるから」
そう一言断ってかリビングに備え付けられた大型テレビの横にあるDVDプレイヤーにディスクを滑りこませる。
「それは安島くんが退部する前の中学生時代の映像なのか?」
「ううん、詳しいことは知らないんだけど高校二年の時に他校の練習試合に混ぜてもらったらしいの。もちろん右肩は壊れたままだから左投げのファーストとしてだけど」
「しかし高校に入ってからの安島くんは女子野球部のマネージャーだったと聞いているが、いきなり試合だなんて無謀なんじゃないか?」
「一応、日々最低限の練習は自主的にやっているみたいな話は聞いているけれど……」
そんな会話を終えてから流れてくる映像に目をやる。
お父さんもその間に言葉を発することはなく静かにその映像を見つめていた。
その試合の安島くんは四打数一安打、三塁打一本で打点が一つという結果だった。
そのタイムリースリーベースが試合を一対一の引き分けに持ち込んだのだから価値ある一打だったと言えると思う。
「相手もなかなかいい投手だったじゃないか」
「プロ注目の投手だっていうぐらいだからね、後で調べたけど実際にドラフト候補に挙げられていたし三位ぐらいでの指名が予想されているみたい」
「そうか……」
再びお父さんが俯き何か考えこんでしまう、しばらくしてから顔を上げた。
「安島くんについて知っていることを、全部話してくれないか」
「えっと……小学生の頃は東京に住んでいて元のポジションはキャッチャー、中学で大阪に引っ越してから高校で再び東京に戻ってきた。家族はお母さんと妹さん三人家族で今は寮で大阪の母親とは離れて暮らしている、あと喫茶店でバイトをしている」
思いつくままに自分の知っている安島くんの情報を話す、佳矢がよく安島くんの話をしていたから私も安島くんについてはそれなりに知っているつもりだ。
「分かった、ありがとう……そしてもう一つ頼みがあるんだ」
私はその翌日、お父さんの頼みを受けて佳矢をつれてある場所に向かっていた。
行き先は仲林整形外科病院、前の大会で負傷した愛里ちゃんが治療を受けた場所だ。
「佳矢は確かに安島くんがそう言ったのを聞いたんだよね」
「うん、絶対に間違いないよ、ハッキリ覚えてるし記憶違いってことはない」
これだけ佳矢が断言するということは確実といってもいいだろう。
「俺もお世話になった先生だ、って言ってたということは」
「ここの仲林先生が事情を知っているのは確かだと思う」
しかし問題はここからだ、医療関係者には守秘義務というものがある。
直接聞いたところで明確な回答が貰えるとは思えなかった。
それでも、他にいい方法があるかというとそういうわけではなかった。
ドアを開けて中に入る、患者さんがちょうど途切れたタイミングなのか見当たらないのは幸いだった。
「初診ですか?」
受付のお姉さんにそんな風に聞かれてしまい取り乱してしまいそうになる。
「あの違うんです、仲林先生と少しお話をさせていただきたくて来たんですがご迷惑でしょうか?」
普通に考えれば聞くまでもない、診療に無関係な人間が先生を訪ねて行くなんて迷惑以外の何物でもないはずだ。
偶然、患者さんの姿がないタイミングで来れたようだがそれも言い訳にはならない。
受付のお姉さんも予想外の申し出に戸惑っているようだった。
「少々お待ちください」
しかしそれも一瞬、丁寧に返答してから先生を呼びに行ってくれたようだ。
「あなたは安島くんの妹さんの診療についてきた女の子、ですよね?」
仲林先生が佳矢の顔を見てそう口にする。
「少し見た程度なのに覚えているものなんですね、私は天帝高校二年の江守佳矢です」
佳矢は驚いた様子だ、付き添いで言った程度で覚えられているとは思っていなかったのかもしれない。
「少し記憶力には自信があってね、そしてそちらは?」
「初めまして、天帝高校三年の宍戸真紘と申します」
「こちらこそ初めまして、私になにか聞きたいことでもあるのですか?」
「はい、ですがこんな形で急に押しかけられてもご迷惑ですよね……」
せめて事前に電話をしてから尋ねるべきだったかもしれない、そんな風に考えたが今更言っても仕方がない。
「ううん、気にしなくていいですよ。丁度患者さんも途切れたところだし私に話せることならば話させてもらいます」
先生はそのまま待合室の椅子に腰掛けた。
「二人とも立ってないでまずは椅子に座って」
頼み事をする立場で椅子に腰掛けるのもどうかと思って立っていたのだが、椅子を勧められては座らないほうが失礼に当たるだろう。
そう判断して一言断りを入れてから椅子に腰を下ろす。
「お時間をお取りするのも申し訳ないので単刀直入にお尋ねします、安島修平くんの右肩のケガの症状について教えていただけませんか?」
「それは……」
仲林先生が口ごもる、スラスラと答えてもらえるとは最初から思ってはいない。
「あの若さで右肩を少し痛めたからといって再起不能なんてことは滅多にないと思うんです、手術すれば回復するようなケガなんじゃないですか?」
少なくとも安島くんの口ぶりや態度からすると自分は再起不能だとそういう風に考えているように見えた。
しかし本当にそうなのだろうか、あの若さでいきなり普通に野球のプレーをしていただけで右肩が再起不能の状態になるというのは冷静に考えると相当確率が低いはず。
「ごめんなさい、私には守秘義務がありますのでお答えできません」
仲林先生の回答は予想通りのものだった、当然の結果だろう。
「そうですよね、申し訳ありません先生の立場も考えずこのような質問をして」
席を立ち、玄関口へと向かう。
こういう結果が出た以上長居は無用だ、無駄に先生の手を煩わせる必要もない。
佳矢と一緒に病院を後にしようとスリッパから靴に履き替えている時、背中越しに仲林先生の声が飛んできた。
「あななたちが悪意の下にあの質問をしたのではないということはなんとなく分かってるわ、でも私は医師として安島くんの許可なしにその症状を伝えることは出来ない」
「ええ、当たり前のことです。先生に医師として当然の選択をしただけです」
「安島くんと直接話しあってみて欲しいの、そして一緒に来てくれれば私はいくらでもこのことで相談に乗ることが出来るから」
「……ありがとうございます、お手数掛けてすみませんでした」
最後に一度頭を下げてから仲林整形外科病院を後にする。
詳しい内容こそ聞けなかったものの、あの仲林先生の態度は安島くんのケガが再起不能といった類の物ではないことを示していた。
もし本当に再起不能であるならば相談に乗れることなど何もないはずだ、つまり今の安島くんにはなんらかの選択肢が残っているという状態にあると推測される。
「後のことは修平さんにきちんと話してから、ですね」
「そうだね、佳矢」
安島くんの右肩の謎は少しずつ解けつつある。
その一方で、私のお父さんがどうして安島くんのケガのことを調べるように私に頼んできたのか、その理由は未だにわからないままだった。




