9.証し
病室に差し込む陽が翳った。
伯父は疲れたような表情だった。
「どうだ、そんな話?」そう言うと伯父はニヤリと笑って、僕を見た。
「え?」僕は少し驚いた。
「お前ぇも勘の悪ぃ野郎だな」と伯父は言った。「まさか、こんな世迷言みてぇな話を本当のことだと思って聴いてたわけじゃあるめぇ?」
「嘘なの?」と僕は訊き返した。
「お前ぇも堅物なところがあるからな」と伯父は言った。「嘘を悪と思ってねぇか?」
「出来れば正直に生きたいかな」と僕は答えた。
「そこが堅ぇってんだ。正直でいることは、時として残酷なこともあるぜ」と伯父は言った。「他人の魂が救われるなら、大いに嘘を吐いてやるってのも優しさじゃねぇか。正直でないからといって、そのことで自分に後ろめたさを感じることはねぇや」
「伯父さん、……」
僕が言いかけたところで、伯父は廊下で待つ家内を呼んだ。
「待たせたな。話、終わったぞ」
引き戸を開け、家内が再び白い病室に入った。
「どんなお話だったんですか?」と家内は伯父に訊いた。
「くだらねぇ、世迷言さ。後でこいつから聞くといい」と言って、伯父は笑った。「長話したら疲れちまった」
僕は家内を見た。家内も頷くような視線を僕に送ってきた。
「じゃあ伯父さん、僕たちはこれで」そう言って僕は丸椅子から立ち上がった。「また来るよ」
「バカ野郎、また見舞いになんか来なくて良いや」伯父は笑いながら言った。「そろそろ退院しねぇでどうするんだ」
僕と家内はその言葉に救われた気がした。
何だか自然と笑えた。
病室の戸を開け、家内に続いて廊下に出ようとした時だった。
「おい!」
伯父が僕を呼び止めた。
僕は振り向き、ベッドの伯父を見た。
「何?」僕は訊いた。
伯父ははにかむように微笑みながら、右手を上げてこう言った。
「ありがとな」
僕も右手を上げて、微笑んで返した。
そして、その名残りをそのままに病室を後にした。
それが、僕と伯父の最後に交わした言葉になった。
さて、この話には後日譚がある。
伯父の葬儀が済んで暫くした頃、彼の遺品整理をするため僕は家内と母を連れて伯父の家を訪ねた。
主を失った一軒家の庭はコスモスが伸びたい放題になっていた。
家に上がりこんだ僕はすぐさま雨戸を開けた。
淀んで少し黴臭い空気が、小春日和の暖かなそれと入れ替わった。
母と家内はてきぱきと台所を片付け、僕は埃っぽい廊下や縁側を拭いた。
お昼近くになり、トイレ掃除を終えた僕はマルボロに火を点けて一服していた。
空へと消えて行く煙を眺めつつ、幼かった頃ドアーズの「インディアン・サマー」を伯父の膝の上に座って聴かさられながら、それが小春日和のことだと彼から教わったのを僕は思い出していた。
そんなノスタルジックな気分の僕を、書斎で作業していた母が呼んだ。
煙草を灰皿に押し付けて消すと、書斎へと向かった。
書斎で母は床にぺたりと座り、アルバムを開いて懐かしそうに眺めていた。
「この人が小夜子さんだよ」母は指差して言った。
僕と家内はアルバムを覗き込み、その指先に示された人物を凝視した。
セピア色の美しい女性が、こちらを見て優しく微笑んでいた。
「綺麗な人でしょう?」
そう言いながら、彼女はページを繰った。
「温泉ですかね」家内は訊いた。
「そうみたいね」母は答えた。「見てみて。小夜子さん、打掛姿で綺麗だこと。私も、小夜子さんの花嫁姿見たかったなぁ。でも、本当にいい笑顔」
「伯父様も、いい笑顔されていらっしゃいますよ」家内が言った。
「本当だ」と母は笑った。
「この横のご夫婦は、親戚方ですか?」
「こんな伯父さんと伯母さんいたかしらね?」そう言って、母は首を傾げた。「旅館の方かしらね?」
僕は黙ったまま立ち上がった。
再びマルボロに火を点け、書斎を出た。
「あら、どこ行くの?」家内が僕の背中に言葉をかけた。
「ちょっと、気になることがあってね」僕は答えた。
光沢を取り戻した廊下を抜け、玄関へ向かった。
上り框の脇の下駄箱の戸を開けた。
伯父の靴と靴の間にそれはあった。
爪先にリボンをあしらった、ポインテッド・トゥのパンプス。
(了)




