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白い部屋  作者: 深津メイ
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2.死神

 二七年前のその晩、伯父には予感めいたものがあった。

 誰かが訪ねて来るのではないかという虫の知らせというのか、そんな直感的なものだった。

 扇風機に当たりながら、近所で貰った枝豆をつまみにビールを飲んでいた時だった。

 玄関の方から男の声がした。

 コップに半分入ったビールを一気に呷ると、伯父は立ち上がり玄関へと向かった。

 玄関は真っ暗だった。

 電灯のスイッチを入れた。

 格子戸に嵌めこんだ擦りガラス越しに、白熱灯の明かりに照らされた男の影がぼんやりと浮かび上がった。

「どちらさま?」

「私ですよ」と男の影が答えた。「ご無沙汰してましたね」

 聞き覚えのある声だった。

 伯父は格子戸の鍵を開けた。

 ガラガラと引き戸を開けると、四十代か五十代の男が右手に新聞紙の包みを持って立っていた。

「あれ!」と伯父は驚いて声を上げた。「お久しぶりです」

 無意識のうちに出た言葉だった。

 それは伯父にとっても不思議なことであった。

 既視夢のような感覚に、彼の大脳の細胞がピリピリと痺れた。

「こちらこそご無沙汰をしておりました」そう言って男は玄関の三和土へと入り、格子戸を後ろ手に閉めた。「こんな夜分に申し訳ありませんでした。実はご相談したいことがありましてね。少々お時間をいただけますか?」

「いやだな、そんな他人行儀はやめてくださいよ」笑って伯父は言った。「ま、こんなところで立ち話も何ですから、どうぞ上がってください。ちょうどビールを飲んでたところです。どうです、一杯やりながら?」

「これはこれは、ありがたいことです」男は人懐っこい笑顔を浮かべた。「私も、ちょうど良い酒の肴を持って来ました」

 男は右手に持った新聞紙の包みを、伯父に差し出した。

「開けても良いですか?」と伯父は訊いた。

 男は笑顔で頷いた。

 伯父はその包みを広げた。丁寧に折り込まれたその中から、黒っぽい塊と褐色の塊が出てきた。

「これは…?」と男を見ながら、伯父は訊ねた。

「黒いのは、サラミ・ソーセージです」と男が答えた。「で、褐色の方がスモーク・チーズです」

「ほぉ、こいつは豪勢じゃないですか」そう言って伯父は微笑んだ。「では、ありがたく頂戴します。今日はこいつでやりましょう」

 男も微笑み、大きく頷いた。

「どうぞ、お上がりください」と伯父は男に上がるよう促した。

「では、遠慮なく」そう言うと、男は白いテニスシューズを脱ぎ始めた。

 男が靴を脱いで上がりかけたとき、伯父の記憶回路が繋がった。

「あ、そうそう」伯父が男に言った。「自転車! 自転車は大丈夫ですか?」

 男の横をすり抜け上りかまちを降りた伯父は、下駄を突っかけると格子戸を開けた。

 玄関から洩れ出た明かりに照らされ、玄関脇に停められた堅牢な造りの自転車が宵闇に浮かび上がった。

 伯父は振り向いて、男を見た。彼は微笑みながら大きく2度頷いた。

「心配、ご無用ですよ」笑いながらそう言って、男は廊下の奥へと消えていった。

 伯父は後を追うように、茶の間へと向かった。

「散らかり放題で申し訳ありません」そう言いながら、伯父は男に座布団を奨めた。

 彼はそれを丁重に断った。そして洗練された所作で、縁側に近いところへと正座した。

 脚を崩すよう伯父は男に奨めたが、彼は正座の方が楽なのだと言ってその奨めもやんわりと断った。 伯父もどこかで「そうだろうな」と納得していた。

 伯父は台所からまな板と包丁、そして良く冷えたビールを持ってきた。

「すみませんね、男所帯なものですから」そう言って伯父も席に着くと、よく冷えたビールを二つのグラスに注いだ。

「では、乾杯!」

 二人は互いのグラスを当てると、ビールを一気に飲み干した。

「ふぁぁぁっ、生き返る」と伯父は言った。

「生き返る、ですか?」微笑みながら、男が訊き返した。

 伯父は大きく頷いた。

 男は笊に盛られた枝豆に手を伸ばしながら、二杯目のビールに口をつけた。

 伯父はその間、サラミ・ソーセージとスモーク・チーズを切り分けた。

「俺、こんなの食べるの初めてですよ」二杯目のビールをコップに注ぐと、伯父はサラミに手を伸ばして言った。

「人生とは常に初めての連続です」そう言って男は笑った。

 伯父はサラミ・ソーセージを頬張った。

「旨ぇっ!!」顔を歪め、噛み締めるように伯父は言った。

 二人の酒はどんどん進んだ。そのうち昔の話になった。誰にもいえない秘密に話題が及ぶと、大いに話に花が咲いた。

 国語の答案で、二問目の答えが解りそうで解らず、そこに拘っていたら時間切れで20点しか採れずにその答案用紙を神社の境内にあった桜の樹の根元に埋めたこと。好きだった女の子にわざと意地悪したこと。高校の友人宅へ行き、そこで見せられた春画に妙に悶々としてしまったこと。学生時代、彼女を口説き落とすためにああだろうか、こうだろうかと図書館の本を読み漁ったこと。ラブレターの殺し文句などなど。伯父しか知らないことをその男は何故か知っていて、でもそれが不思議と当然のように伯父には思えてしまうのだった。

 夜もだいぶ深まり、トリスを飲み始めた頃だった。

 二人とも良い気持ちになっていた。

「実は、今日伺った件ですが」と、男が静かに話し始めた。「先ほどお渡しした新聞の或る記事についてなんです」

「新聞、ですか?」伯父がそう訊くと、男は大きく頷いた。

 卓袱台に無造作に広げられた、数時間前までツマミを包んでいた新聞に伯父は目を落とした。

 毎朝新聞の地方版。昭和四一年五月一四日(土)の日付だった。

「その下の方に記事が掲載されていると思います」と男は言った。

 伯父は記事を探した。

 山菜取りの男性がクマに襲われて大怪我をしたという記事の隣に、それはあった。



  女性銀行員、乗用車に轢かれ死亡。



「悪い冗談ですか?」伯父は男に強い口調で言い、ウイスキーを呷った。「つまらない冗談をおっしゃりに来たのなら、このままお帰りください」

「あなた、小夜子さんに逢いたいのでしょ?」ウイスキーを啜りつつ、男は言った。「私に隠し事はおよしください。あなたのことは、あなたご自身よりも良く存じ上げているつもりです」

「あなたに」伯父は声を荒げた。「あたなたに俺の一体何が解るというんです?」

 グラスになみなみとトリスを注ぎ、伯父は一気に飲み干した。

「無理にとは申しません。ただ、あなたと彼女の心がシンクロしていますので、お互いに伝えるべきことを伝えられる最後の機会であるのかなと老婆心ではありますが思ったものですからね。それに、このままでは彼女は何処へも行けずに彷徨ってしまいますので、救っておあげになることが出来るのはあなただけなのでね」

 男は言って、ゆっくりとグラスをテーブルに置いた。

「もう終わったことです」視点の定まらない目をこすりつつ、伯父は静かに言った。「シンクロだかジョニ黒だか解りませんが、もう蒸し返さないでください。そっとしておいてください!」

 アルコールのせいなのか、急に睡魔が伯父を襲って来た。

 目の焦点が定まらなかった。

 こんなに酔ったことは、今まで経験したことがなかった。

 柱時計の振り子の音が鼓膜を激しく振動させた。

「もう俺はぁ、きちんと心の整理を、整理をつけたんすよ」そう言って、伯父はその場に倒れるように横になった。

 目を閉じると、死んだ恋人の顔が浮かんできた。

 名前を呼んだ。

 でも、彼女はどんどん遠くへと行ってしまうだけだった。

 必死で追いかけて手を握ろうとしても、その瞬間にすぅっと離れて行ってしまった。

 遠くでぼんやりと声が聴こえた。


 

  メモを置いて参ります…、決めるのはあなたです。



 そんな風に伯父には聴こえた。



 翌朝目覚めると、飲みすぎた感じが食道の奥に重くもたれかかっていた。それでも頭痛などの二日酔い特有の症状はなく、水を飲んで、お茶漬けでも軽く啜れば即回復しそうだった。

 柱時計に目を遣った。午前十時をまわっていた。

 周りを見回した。

 昨晩の男は何処にもいなかった。

 卓袱台に伯父は目を落とした。

 飲んだビール瓶が一本とグラス一つ、トリスのボトルとシングルグラス一つ、枝豆の入った笊、空のサヤを捨てた小鉢が一つ。

 男が飲み食いした痕跡は、何一つ消えてなくなっていた。

 夢だったんだと伯父は思った。しかし、きちんとたたまれて置かれた新聞紙とその上のメモが視野に入ると、彼の頭の中は益々混乱してきた。

 メモを、手に取った。

 クセのある字で、こう書かれていた。



 前略


 本日、八月一五日の午後三時に、弁天通り商店街入り口の広瀬川のたもとにお越しください。僅かな時間ではございますが、小夜子様にお逢い出来るはずです。

 遅刻は厳禁ですので、宜しくお願い申し上げます。

                              草々




 グラスや空き瓶を片付けながら、消えた男とメモ書きについて伯父は暫く考えていた。

 台所の食器類も出したり片付けたりした様子はなかった。

 洗い物を終え、タオルで手を拭きながら茶の間にあぐらを掻いて座った。

 そのまま目を閉じて、暫く伯父は考えた。

 額から一筋の汗が顎に伝い、左の脹脛に落ちた。

 伯父は、パンと膝を打ち、すっくと立ち上がった。

 小走りに玄関へ向かうと、上り框を降り、下駄を突っかけて外へと出た。そして、そのまま通りの角にあるタバコ屋へと向かった。

「おばちゃん、いつもの」

 老婦人の店主は愛想もない感じで後ろの戸棚からショート・ピースを三つ取り出すと、「はいよ」と言って小窓の勘定台の上にそれらを置いた。

 伯父は代金を払うとパッケージから一本取り出し、マッチで火を点けた。

 青い煙とともに、ピース独特の香りが立ち昇った。

 タバコ屋のおばちゃんは伯父の様子を横目でジロジロと見た。

「なんか良いことあるんかい? これだんべ?」と彼女は小指を立てて伯父に声をかけた。

 伯父は黙ったまま笑った。そして、煙をぷはーっと吐いた。

「今日も元気だ、煙草がうまい」

 そう言うと、伯父はタバコ屋をあとにした。

 三軒先の床屋へと入った。

 先客が一人。

 頭のすっかり禿げ上がったマスターが、頭の禿げ上がった客の顔剃りをしていた。

 伯父は待合席に腰掛けた。新聞受けから地方新聞を手にして読み始めた。

 待っている間中も、伯父は昨晩のことをずっと思い出していた。

 消えたビールの空き瓶、サラミ、チーズ。

 伯父の順番になった。

 散髪をしてもらいながら、そのことをマスターに話してみた。

「そりゃさ、何か夢を見てたか、それともよっぽど几帳面なお客だったんじゃないの?」とマスターは笑いながら言った。「自分で飲んだものくらいは片付けて帰ろうってんでさ。ツマミがなくなったのだって、勿体ねぇからってんで、持って帰っちまったんじゃないの」

 マスターの回答は伯父もある程度予想していたものだった。しかし、思ったとおりに返答されるというのも実に虚しいものであると、改めて思い知らされた瞬間でもあった。

 頭も胃のもたれもスッキリして、床屋を出た。

 腕の時計に目をやった。

 午後一時を少し過ぎていた。

 近所の中華料理屋で支那そばを啜り、自宅に戻った。

 風呂場の脱衣所へ向かうと、そこで汗ばんだ麻のシャツを脱ぎ、紺のポロシャツに着替えた。

 そして再び玄関へ行き、下駄履きのまま自転車で待ち合わせ場所へと向かった。

 商店街入り口に着いた。五分前だった。

 スタンドを立てて自転車を停めた。

 胸ポケットからショート・ピースを取り出し、火を点けた。

 広瀬川に架かった橋の欄干に身体を預けるように肘をつくと、煙が渦を巻いていく様子をぼんやり眺めた。

 両岸に植えられた枝垂れ柳が風に揺れた。

 遠雷が聞こえた。

 一雨くるな、と思った時だった。

「待たせたな、小次郎」

 聞き覚えのある女の声だった。

 伯父は振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。

「小次郎、敗れたり!」

 また、女の声がした。

 伯父は声のする方へ、視線を下げた。彼は息を呑んだ。そこには、死んだはずの小夜子さんが屈んで伯父に微笑んでいたからだった。

「相変わらず、修行が足りんのう」そう言いつつ、小夜子さんは立ち上がった。「遅いぞ、武蔵!とか言って欲しかったな」

 白いブラウスに、ブリティッシュ・グリーンのシルクスカーフを首に巻き、少し濃いめのグレーのタイトスカートという格好だった。すらりと伸びた脚に、つま先部分に小さなリボンをあしらった、ちょっとヒールの高い黒のパンプスを履いていた。

 それは亡くなったときの彼女の服装だった。

 幽霊ではないのかと伯父は思ったが、ポインテッド・トゥのパンプスに救われた感じも正直あった。

 伯父は彼女を見つめた。

 色白だった彼女の肌は、さらに透明感を増したようにも思えた。

 彼女はすらりと伸びた脚を半歩ほど開き、腰に両手を当てた。そして、伯父を観察するようにじろじろと見た。

「ね、何で下駄履きかな?」と言って、彼女は笑った。

 伯父は言葉に詰まってしまっていた。話すべき言葉が、頭の中に全く浮かんでこなっかたのだ。

「驚いてないで、何かしゃべってよ」と彼女は微笑んだ。

「や、やぁ」と伯父は言った。

「やぁ、なの?」彼女は眉をひそめた。「久しぶりに逢った恋人同士なのに…」

 身を乗り出して迫ってくる彼女にタジタジになりながらも、半歩後退し、伯父は事態の収拾と態勢の立て直し図るべく腹に力を込めた。

 右手を彼女にかざして、にっこり微笑んで彼は言った。

「げ、元気だった?」

 上空で、雷が乾いた音を鈍く響かせた。

「いやぁね」と小夜子さんは笑った。「私は死んじゃってるのよ」

 飛車角取りで、詰み。伯父は、そんな気持ちだった。

「ご、ごめん」そう言って、彼は唇を噛み締め、俯いた。

「謝らないの」と彼女は微笑み、伯父の手を握った。不思議な温もりだった。「私、あなたのそんな顔を見たかったんじゃないのよ。それに謝らないといけないのは、私の方だし…」

 伯父は顔を上げた。

 風が柳を揺らした。

「ね、キスして」彼女はそう言うと、目を閉じた。

「な、何を昼間からバカなこと言ってるんだよ。世間様が見てるよ」伯父は驚いて、言った。「お前、どうかしてるぞ」

「どうかしてるの、私」彼女は目を開けた。「あなたに逢ったらあれもしたい、これもしたいとか思ってて、でも逢ったらできなくて…」

「俺もだよ。でも本当のところ、逢えるなんて思ってなかったんだよ」不意に言葉が彼の口から飛び出してきた。「どう考えたって、まともじゃないだろ! 昨夜、男が突然現れたと思ったら、死んだお前に逢えるから来いって書置きを残して消えちまってさ。死んだ人間に逢えるなんて、どこの誰が『はい、そうでございますね』なんて素直に信じられると思う? 常識外だろ? そうだろ、違うか?」

 小夜子さんが悪戯っぽく微笑んだように伯父には思えた。

「でも、少なくともあなたは信じる気持ちになられたのでしょう?」と、背中の方からあの男の声が聞こえた。

 伯父は、その声のする方へ身体を向けた。

 昨夜の男が自転車を両腕で押すようにして立っていた。

 ポツリポツリと雨が落ちてきた。

 彼女のことが心配になって、もう一度彼女がいた方を伯父は振り返った。

「小夜子?」

 しかし、もうそこに彼女はいなかった。

 伯父は彼女を探した。

 欄干の陰、柳の後ろ。何処にも彼女の姿はなかった。

 雷鳴とともに稲妻が光った。

 大粒の雨が降り始めた。

 白んだアスファルトの道路が、まだら模様に黒くなっていった。

「何なんですか、あなたは?」伯父はムッとして言った。「彼女がいなくなっちゃったじゃないですか」

「私はあなたと小夜子さんを見届ける使命をずっと昔から享けている者なのですよ。あなたも小夜子さんも明るく、とても素敵な方なので、この3ヶ月の間、お二人を救済する方法はないかと知恵を絞ってまいりました」と男は言った。「彼女がお隠れになったのは私の責任ではありません。私はあらかじめ彼女とお逢いできるのは僅かな時間とお伝えしていたはずです。時間とは一見漠然とした概念のようですが、その実、非情なリアリストなのです。あなたの都合など待ってはくれないのです」

 顎を伝って、雨が胸に浸みてきた。

 服で乾いている場所はほとんどなくなった。

 そんな伯父とはまるで逆に、男の服は全く乾いていた。

 空気を引き裂く激しい雷鳴。遠くで消防車のサイレンが響いていた。

「もう、彼女には逢えないんですね?」伯父は男に訊いた。

「結論から申し上げましょう」男は答えた。「逢えます」

「本当ですか?」

 伯父は男のそばへと歩み寄った。

「ウソは申しません」男は言った。「ただ、もしお逢いするのであれば或る条件が課されますが」

「どんな?」

「お逢いになる一定の時間を、あなたの寿命の一定時間で埋め合わせてをしていただくのです」男は淡々と答えた。「その覚悟は…?」

「あります」伯父は言った。

 男は頷いた。

「では」そう言って男は右手の人差し指と中指を立てた。「これで、いかがでしょう」

「二秒でいいんですか! 嬉しいな」伯父が言った。

「そのセンスが、先ほどの会話に反映されるべきでした」そう言って男は笑った。「単位を変えましょう」

「メートルですか、尺ですか?」

「年がよろしいですね」男は笑い続けた。

「解りました」と伯父は言った。「二年ですか?」

「もう一声、いかがでしょう?」男が静かに言った。

「二十、ですか…」伯父が呟くように言った。

「無理でしょうか?」男が訊いた。

「結構です。二十年、やりましょう」と伯父は答えた。

「最初にお断りしておきますが、あなたがお考えのように会社をお辞めになってずっと小夜子さんと過ごそうというのは不可能です」

「なんだ、見透かされちゃってるんだ」そう言って、伯父は笑った。

 男は頷いた。

「あなたと小夜子さんとでは存在している場の時間に差があります。時間の密度と思っていただいて結構ですが、約一三〇〇倍ほどの違いがありましてね。もし仮に漠然と一緒に過ごされた場合、今度はあなたの魂が干からびて宇宙の塵となって散らばってしまいます。そうなると、もう輪廻の螺旋を歩くことはできなくなりますので、小夜子さんとお会いになることは二度とできなくなってしまいます。お気をつけください。まずは、休みが明けたら会社の上司に相談されるのがいいでしょう。気分転換にどこか温泉にでも行きたいので長期休暇をとりたいとおっしゃってみてはいかがでしょうか。無断欠勤では信頼を失ってしまいます。それは、小夜子さんが一番望まれないことです。ご都合がつき次第、しかるべき時に、改めてお伺いいたします。目的地は、私にお任せください。それでは、また。ごきげんよう」

 そう言うと、男は自転車を押して、商店街のアーケードの中へと入って行った。

 伯父は激しい雨に打たれながら暫くその後姿を目で追いかけたが、行き交う人々の影に紛れて解らなくなってしまった。

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