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白い部屋  作者: 深津メイ
3/9

3.入り口

 盆休みが終わると、伯父は長い休暇を貰えないだろうかという相談を上司に持ちかけてみた。

 休み明け早々休暇の話をされた上司の驚き様は尋常なものではなっかた。特に、いつも皆勤賞の伯父が休みを欲しいなどと言い出すことが信じられないといった様子だった。

 上司は会社に対して何か不満があるのではないかと頻りに心配してくれた。しかし、それが誤解であることを伯父は丁寧に説明し、休暇の目的も正直に話した。もちろん、死んだ恋人に逢いに行くなどということは話さなかったが、いろいろな事情を知っている上司は伯父の内心を察してか、九月の第三日曜日から一週間休暇をとる手続きをとってくれたのであった。


 九月に入ると、伯父は毎週末を買い物に費やした。

 中央通り商店街やスズラン、十字屋へと出かけた。

 それは婦人服を買うためだった。

 けれども、それは伯父にとって苦痛を伴うものでもあった。というのも、売り場には女性客しかいなかったからで、そんな中で婦人服を買い漁っている自分を想像すると恥ずかしくて顔から火が出そうになった。

 女性店員に声を掛けられるたびに、伯父は恋人へのプレゼントで自分に特殊な趣味があって買うわけではないのだということをいちいち説明した。

 小夜子さんの年格好、容貌、好きなもの、好きな色を伯父は細かに店員に伝えた。すると彼女たちは要領を得ましたとでも言うように商品を手にして戻ってきて、それを伯父に奨めた。

 その中のいくつかは伯父の描いたイメージ通りのものだった。しかし、中にはギョッとするものを持ってくる店員もいた。あまりに差が大きいものは購入せずに帰ってきてしまった。


 土曜日の夜だった。

 すべての仕事を片付け、一切の業務に支障のないように段取りをつけておいた。

 隣近所にも挨拶を済ませた。いよいよ、明日から一週間の休暇という晩であった。

 パジャマ姿で、湯上りの髪をタオルで拭いている時だった。

「こんばんは」

 聞き覚えのある男の声が、玄関からした。

 伯父は慌てて玄関へ向かった。

 鍵は開いていた。

「どうぞ、お入りください」と伯父は言った。

 擦りガラスの格子戸が軽い音を立てて開いた。

 開いた戸口から男が顔を覘かせた。

「お迎えに上がりました」そう言って、男は微笑んだ。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」伯父が右の掌を広げ、言った。「まだ準備ができてませんよ」

 男はにこやかに笑った。

「準備はもう既にできているではありませんか」と男は言った。「あとは、あなたがお召しになっている物をお着替えになればよろしいだけです。」

「そうだぞ」と女の声が、男の背後からした。「あまり、待たせるんじゃないぞ」

 闇の中から小夜子さんが現れた。

 伯父の胸は熱いものでいっぱいになった。

 言葉が、やはり出てこなかった。

「時間はあなたの都合を待ってはくれませんよ」男が言った。

 伯父は頷き、自分の部屋に戻った。

 服装は既に決めていたので、着替えに時間はかからなかった。

 アーガイル模様のソックス、インディゴブルーのジーンズを穿き、ペール・イエローのボタンダウン・シャツを着た。念のため、コットンのクリケット・セーターを小脇に抱えた。

 伯父は箪笥の隅から小箱を取り出すと、小夜子さんのために買った服を詰めたバッグにそれをそっとしまった。

 部屋を出るとき、カメラを首に提げ、肝心なバッグを右手に持った。

「待たせたな、小次郎」伯父は玄関に出ると、そう言った。

 小夜子さんは笑った。

「遅いぞ、武蔵!」と彼女は言った。

「小次郎、敗れたり」そう言って、伯父も笑った。

 下駄箱から、新調したデザート・ブーツを出した。

「僕のキャロルで行きましょう」靴を履きながら、伯父は男に言った。「で、目的地は何処なんですか?」

「すぐそこですから、歩いて参りましょう」と男は答えた。

 伯父は驚いた。

「まさか、重兵衛湯じゃないんでしょ?」と伯父は笑いながら尋ねた。

「そこが、ご希望であればそういたしますが」そう言って、男も笑った。

 伯父が靴紐を結んでいる時、小夜子さんの足元に目が留まった。

「小夜子、お前その靴じゃ歩きにくくねぇか?」と伯父が訊いた。

「全然平気よ」と彼女は答えた。

「その服には合わねぇけど、ほれ」と言って、伯父は下駄箱から新しい靴を出した。

 それはサンド・ベージュのワラビーだった。

「まぁ、可愛い靴」そう言って、彼女は伯父から靴を受け取った。「ずいぶん軽いのね」

 小夜子さんはパンプスを脱ぎ、伯父から貰った真新しい靴に履き替えた。

「軽い、軽い」彼女はそう言って、はしゃぐ子供のように飛び跳ねた。

 伯父は下駄箱にパンプスをしまうと、黙って彼女を見つめていた。

 そんな風に無邪気な彼女を見たのは、二人して海へ出掛けた時以来のように伯父には思われた。

「ありがとう」と彼女は言った。「ほんとに、ありがとう。嬉しいわ」

 男が擦りガラスの格子戸を開けた。

「よろしいですかな?」男が訊いた。

 伯父と小夜子さんは頷いた。

「では、参りましょう」そう言って、男は外へと出て行った。

 二人もその男の後について外へ出た。

 伯父は玄関の鍵を締めると、張り紙を画鋲で留めた。




  一週間ほど旅行に出かけてきます。

  御用の方は、隣の白川さんに言伝ください。

  よろしくお願いいたします。

                   主




 電信柱に取り付けられた街灯の下に、いつもの自転車が停めてあった。

 男はスタンドを上げ、それを押し始めた。

 立川町通りに向かって歩きながら、伯父は最近のことを彼女に話した。

 二人の共通の知り合いである鈴木さんに女の子が生まれたこと。同僚の野中が盲腸で入院したこと。 いろいろなことを彼女に話すたびに、彼女から様々な質問が返ってきた。

 諏訪若御子神社の入り口で、男は立ち止まった。

「こちらです」と男は言った。

 伯父と小夜子さんは社のほうを見た。

 鳥居の向こう側に、なにやら霧にも似たガス状のものが参道を這うように蠢いていた。

 男が自転車を押し、鳥居をくぐって行った。

 伯父はその白く蠢くものに不気味さを覚えたが、小夜子さんの手を強く握り鳥居をくぐることにした。

 二人が歩みを進めるほど、白いものは大きくなり、二人を包んでいった。

 それは真っ白な空間だった。

 上も下も、前も後ろも、右も左も、すべてが真っ白だった。

 高さも、奥行きも、無限なのか有限なのか全く解らなくなってしまう感覚に伯父は襲われた。

 前を行く男の後姿、そして隣にいてくれる小夜子さんによって、かろうじて自分という存在の座標軸が保たれていると伯父には感じられた。

 不安感が彼の中で大きく膨らんでいった。

 意識が次第に薄れていった。


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