第八十九話 神崎蓮
禁書庫の前室に。
確認した資料を並べる。
到来時の日本語音声。
『かん――れん』
後に残された名乗り。
『――ざき、蓮』
剣を授けた式典の記録。
そして。
勇者の署名が貼られていた可能性のある台紙。
「写しによる照合を行う。」
【資料情報を確認】
【名称候補:カンザキ・レン】
【文字情報:蓮】
【末尾文字候補:崎】
【記録群の接続を検証】
表示は。
レインにしか見えない。
「今、記録同士を確かめています。」
待つ仲間へ。
見えた内容をそのまま伝えた。
◇
【到来記録と式典記録:接続を確認】
【署名痕跡:名称情報として参照可能】
台紙の写しに。
淡い線が重なる。
欠けていた一文字。
縦の線。
短い払い。
ばらばらだった跡が。
一つの形へ寄っていく。
『神』
レインは息を止めた。
「見えました。」
「何が?」
トーマが一歩近づく。
「最初の文字。」
レインは紙へ書く。
『神』
その隣に。
昨日確認した文字を置く。
『崎』
「神崎。」
音と。
文字が初めて重なった。
◇
「本当に、その字ですか?」
セレスが尋ねる。
「クロニクルが補っただけでは?」
「確認する。」
レインは表示へ問いかける。
「復元したのか。推測したのか。」
【推測補完:なし】
【既存署名痕跡への参照を回復】
【完全な原資料ではありません】
失われた線を。
新しく作ったのではない。
台紙に残っていた署名の痕跡を。
複数の記録から読めるようにした。
「私たちが見ても、その字になりますか?」
トーマが尋ねる。
「今ある写しだけだと、全部の線は見えない。」
「クロニクルにしか出せない部分があるんだな。」
「うん。」
だから。
レインが読み違えれば、ほかの者には確かめられない。
紙へ書いた『神』を。
桐谷玲の記憶にある文字と比べる。
名前では、かんと読むことがある。
表示された音とも一致する。
「原本が戻ったわけではありません。」
レインは皆へ説明する。
「でも、残っていた署名の参照がつながった。」
「では、蓮の字も?」
司書が黒い本の写しを置く。
別の記録に残っていた。
『蓮』
それを台紙の署名と照合する。
【文字情報:一致】
【音声情報:一致】
【名称情報:完全】
最後の表示が現れた。
【神崎蓮】
◇
「神崎、蓮。」
レインは。
一文字ずつ読み上げた。
「それが、あの人の名前。」
トーマが紙を見る。
「役割じゃない。」
「はい。」
セレスも。
二つの文字を見つめている。
「日本にある名前なんですね。」
「うん。」
知っている音だった。
けれど。
知っていた人ではない。
桐谷玲の記憶の中に。
神崎蓮という知人はいない。
同じ日本で生きていた。
それだけだった。
生きた時代も。
住んでいた場所も。
ここへ来た理由も分からない。
同じ国の出身だからといって、気持ちまで分かるわけではない。
それでも。
通じない言葉の中で、自分の名を伝えようとした声だけは。
昨日までより近く感じられた。
「対象識別は?」
ガレスが尋ねる。
レインは表示を切り替える。
【名称:神崎蓮】
【到来記録:接続】
【勇者記録:接続】
【役割変更記録:照合中】
すべてが。
一度にはつながらない。
名前が分かっても。
その人がなぜ魔王になったのか。
なぜ今も役割を担っているのか。
答えは残っている。
北から逃げてきた魔物。
白く変わった角。
レインの身体が覚えていた剣。
名前とは別に、進み始めた異常もある。
「まだ、現在の魔王まで完全には届いていません。」
レインは言った。
「でも。」
紙へ。
もう一度、名前を書く。
『神崎 蓮』
勇者でも。
魔王でもない。
日本から来た、一人の人間の名前。
百年近く失われていたその名を。
レインたちは。
ようやく見つけた。




