第六十二話 選んだ役割
【対象者音声:再生可能】
レインは、すぐには触れなかった。
四人が帳面を開く。
聞こえた言葉だけを書く。
今度は。
百年前の誰かが、自分で選んだ時の声だった。
「再生します。」
青い表示へ触れる。
雑音は少なかった。
重い呼吸。
遠くで、石が崩れる音。
そして。
男の声。
『俺が、壊した。』
禁書庫の声と似ている。
救護所で聞いた声とも。
『知らなかったでは、済まされない。』
『あの人が支えていたものを。』
『今度は、俺が――』
音が乱れる。
続きは聞こえない。
『勇者のままでは、届かない。』
『なら。』
一度。
深く息を吸う音。
『この役割を、引き受ける。』
【音声終了】
◇
「あの人。」
セレスが呟く。
「初代魔王でしょうか。」
「可能性はある。」
ガレスが答える。
「だが、音声には名前も役割もない。」
誰が。
何を支えていたのか。
まだ表示されていない。
レインは最後の言葉を記す。
『この役割を、引き受ける。』
奪われたのではない。
誰かに命じられたとも言っていない。
自分で選んだ。
少なくとも、音声にはそう残っている。
「怖くなかったんでしょうか。」
セレスが言った。
「自分が何になるか、分かっていたなら。」
「怖かったと思う。」
レインは答えた。
声に迷いがなかったわけではない。
息を吸うまでの、長い沈黙。
それでも選んだ。
「勇者でいられなくなるってことだよな。」
トーマが呟く。
「みんなに呼ばれてた役割を捨てて、別の何かになる。」
「役割が変わっても、人まで変わるとは限らん。」
ガレスが言う。
「だが、周囲の見る目は変わる。」
この場所の二つの石板が、その証拠だった。
「勇者のままでは届かない、か。」
トーマが言う。
「役割を変えないと、できないことがあった。」
「何に変われば届くんでしょう。」
その答えは。
四人の前に、もう現れ始めていた。
◇
【選択記録を確認】
【変更処理を再現します】
青い光が、黒い地面へ広がる。
百年前の像。
黒衣の男が膝をついている。
白銀の剣は、地面へ刺さったまま。
男の周囲に。
細い光が集まっていく。
森から。
地面から。
さらに遠い場所から。
一つの身体へ向かって。
「魔力を集めている?」
「逆です。」
セレスが目を凝らす。
「一度受けてから、外へ返しています。」
弱くなった光が。
男を通ると、少しだけ強さを取り戻す。
そして別の方向へ流れていく。
どこへつながっているのかは見えない。
けれど。
止まりかけた何かを。
男が一人で動かそうとしていた。
【役割変更を開始】
【変更前属性:勇者】
次の行は、長く乱れていた。
文字が現れ。
消える。
レインは息を止めた。
やがて。
一つの言葉に定まる。
【変更後属性:魔王】
◇
風が吹いた。
窪地の草が揺れる。
それ以外は。
何も動かなかった。
「勇者が。」
トーマの声は、かすれていた。
「魔王になった。」
今度は。
誰も否定できなかった。
同じ役割変更記録の中に。
二つの属性が並んでいる。
変更前。
勇者。
変更後。
魔王。
「だから、魔王と記録された。」
セレスが石板を見る。
「ここへ来た時には、もう。」
「順番は確認する必要がある。」
ガレスは冷静だった。
「役割変更が先か、目撃記録が先か。」
「同じ日でも、前後は重要だ。」
【時系列を照合】
【役割変更後、最初の観測記録を確認】
答えが表示される。
魔王になったあと。
魔物を退かせる姿を見た人が。
その人を魔王と書いた。
「魔物を率いてたんじゃない。」
レインは言った。
「少なくとも、この記録では。」
「魔物を南へ退かせて。」
「弱くなった流れを、戻そうとしてた。」
魔王という呼び名だけでは。
そこまで残らなかった。
百年前の勇者は。
世界を壊したあと。
魔王という役割を選んだ。
けれど。
その人の名前だけは。
今も、どこにもなかった。
トーマは帳面へ書いた二行を見つめる。
「これを学院へ持ち帰ったら、みんな信じるかな。」
「すぐには無理でしょう。」
セレスが答える。
「私たちも、別々の記録を見て、やっと確かめられました。」
「なら、結論だけじゃなく順番も持ち帰ろう。」
レインは三人の帳面を見る。
勇者だったこと。
討伐のあとに異常が起きたこと。
自分で別の役割を選んだこと。
魔王になったあとも、魔物を退かせていたこと。
「役割だけを伝えたら、百年前と同じになるから。」
ガレスが、小さく頷いた。




