第四十話 重なる痕跡
五文字分の空白。
それは、
一枚だけではなかった。
◇
午前の授業が終わると、
レインたちは再び図書館へ向かった。
閲覧机には、司書が集めた古い記録が積まれている。
「全部、百年前のものですか?」
「討伐の前後、三年分です。」
「王都へ運ばれた写しだけですが。」
「写しが作られた時期は?」
「式典や報告と、ほぼ同じ時期です。」
「少なくとも、討伐から長く経って作られたものではありません。」
討伐隊の名簿。
救護所の記録。
街道の報告。
王から勇者へ剣を授けたという式典の記録。
「この量を全部やるのか。」
トーマが紙の山を見る。
「名前を見つけたいと言ったのは、あなたでしょう。」
「言ったけどさ。」
セレスが小さく笑った。
司書は修復術具を机の中央へ置く。
「一度に使えるのは一枚だけです。」
「魔力の流れを乱すと、紙を傷めます。」
「俺たちにもできますか?」
「導石へ均等に魔力を流せるなら。」
レインは四隅の導石を見る。
以前の魔法実技で使ったものより、小さい。
「やってみます。」
指先を導石へ触れる。
魔力を押し込まない。
細い水路へ流すように、少しずつ。
青白い光が一本だけ伸びる。
だが、隣の導石へ届く前に揺れた。
「強すぎる。」
ガレスの声が飛ぶ。
「力ではなく、流れを見ろ。」
初めての魔法実技でも、同じことを言われた。
レインは息を整える。
今度は、導石の中にある微かな抵抗を探した。
魔力が四隅へ分かれる。
白い膜が紙を覆った。
「できた。」
「驚くところじゃないだろ。」
トーマが言いながら、少し悔しそうな顔をする。
「次は俺がやる。」
調査は、一枚ずつ進んだ。
文字の跡。
消えた印。
折り目の下に隠れた数字。
名前と関係のない欠損も多い。
トーマも修復術具へ挑戦した。
「均等に流すだけだろ。」
「さっきも同じことを言っていました。」
セレスが紙を押さえる。
「今度は大丈夫だ。」
トーマが導石へ魔力を流した。
四つのうち、三つが一度に強く光る。
残った一つだけが暗い。
白い膜は三角形になり、紙の半分で止まった。
「惜しい。」
「どこがだ。」
ガレスが呆れた声を出す。
「剣なら勢いも必要なのに。」
「これは剣ではありません。」
「分かってる。」
言いながら、トーマはもう一度息を整えた。
二度目は、四つの光が同じ強さで灯った。
紙の上へ、薄い文字が浮かぶ。
『北方街道、魔物の群れにより一時封鎖。』
『討伐隊の生存者一名が、封鎖区域へ進入。』
「生存者。」
レインが読み返す。
「黒衣の負傷者のこと?」
「日付は同じです。」
司書が二枚の報告を並べた。
「ただし、人物の特徴がありません。」
誰かは、魔物が残る道を一人で北へ進んだ。
傷を負い、
勇者の剣を持ったまま。
「逃げていた人間の行動じゃないな。」
ガレスが言った。
「向かう理由があったのでしょう。」
セレスが北方の文字へ触れる。
「危険だと知っていても。」
名前のない足取りが、
少しだけ長くなった。
夕方近くになり、
セレスが一冊の薄い記録を開いた。
「これ。」
勇者へ剣を授けた式典の写し。
そこには、こう書かれていた。
『王は、勇者へ白銀の剣を授けた。』
『勇者は剣を受け取り、北方の――』
その先が擦れている。
「北方?」
レインが紙を覗き込む。
司書が術具へ置いた。
今度はセレスが魔力を流す。
水のように静かな青い光が、四つの導石をつないだ。
紙の上へ文字の影が浮かぶ。
『北方の』
そのあとに、五文字分の空白。
さらに続く文字。
『へ預けると答えた。』
「剣を、誰かに預けた?」
「記録の読み方としては、そうなります。」
司書が答える。
「でも、救護所では。」
トーマが立ち上がる。
「黒衣の負傷者が、勇者の剣を持っていた。」
「勇者本人だったなら、預ける必要はない。」
ガレスが言う。
「別人なら。」
セレスが空白を見る。
「勇者は、その人へ剣を預けた。」
黒衣の負傷者。
勇者の剣。
北へ向かう足取り。
三つの記録が、一つにつながり始める。
「クロニクル。」
【はい】
「三つの空白を照合して。」
【照合します】
【文字数:一致】
【記録位置:人名欄と推定】
【同一名称である確率:高】
答えは、まだ表示されない。
だが、
誰か一人の名が、複数の記録から失われている。
「この人は誰なんだ。」
トーマが呟く。
「勇者から剣を受け取って。」
「傷を負って、北へ向かった。」
「そして、名前だけが消えた。」
レインは音声記録の魔石を見た。
百年前の勇者は、言っていた。
『間違えた。』
『終わっていなかった。』
もし、
勇者が剣を預けた相手を知っていたのなら。
その相手こそが、
勇者の後悔とつながっているのかもしれない。
セレスが式典の記録を裏返した。
「ここにも、何かあります。」
紙の裏。
光へ透かさなければ見えないほど薄い線。
アルディア文字ではなかった。
レインには読める。
日本語だった。
『名前を残せなかった。』
その一文だけが、
紙の裏側に書かれていた。




