Ex.『それは、透明な毒のようで』
構想に時間がかかってしまい、投稿途絶えてしまって申し訳ありません。今後はなるべく定期的に投稿できるように努力していきます
ミステリー小説には、幾つかの暗黙のルールがある。名著と呼ばれる作品も、鬼作と評される作品であっても、そこから逸脱することは難しい。アンフェアな後出し、意地悪なだけのミスリード、どんでん返しを履き違えたトリックと推理。
一般にそれらは駄作の要素として揶揄されたり、様々なミステリー小説で、“ネタ”にされることだってある。
だが、書き手が、悪意を持って、読者を傷つけるために、それらを用いているならどうだろう。
それは仕掛けであり、作者が意図的に埋め込んだ、読者への刃になりうる。そしてそれこそが、作者が最も読み手に伝えたいことであるならば。
果たしてそれは本当に、暗黙のルール、足りえるのか?
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烏丸幸太郎という男は、祖父が死んだ次の年に、西条凪紗と結婚、夫婦となる。平凡な家庭である。少なくとも、男はそう感じていた。
人は死んだ後、最初に変化を奪われる。進めない、戻れない。停滞。だが生きている限り、変化とは絶えず訪れるものだ。
蒸し暑さが肺にへばりつくような、梅雨の真っ只中であった。
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俺は残念ながら、自分の心をありのままに描写できるほどの才覚も、謙虚さも持ち合わせることはできなかった。或いは、そこまで楽観的にはなれず、そこまで懐疑主義ではなかったとも言える。
彼女は俺の妻になった。気恥しい、嬉しい。幸せ。そんな感情よりも先に、俺には、漠然とした不安が残っていた。
「浮かない顔、してますね。そんなにここを離れるのが心配?」
「……えぇ。少しだけ。ただ西条さんの……」
「あら、意地悪?今は烏丸なの、貴方が一番知ってるはずでなくて?」
「……凪紗、さんの、故郷が、どんな所か気になっている気持ちの方が強いです」
祖父の死や、土地の相続等、色々な問題が重なったため、結婚式を挙げることは叶わなかった。彼女は気にしていないそぶりではあったが、記念日を記録に残せないことを残念がってはいた。
都市に転居することを決めたのは、そんな、彼女への後ろめたさがあったからなのかもしれない。
「いい所、だと、思うわ。でも、説明はできない。あそこに住んでる人たち、みんなそう言って誤魔化すの。私も同じ」
「なにか、あるんですか?」
「此処よりは少しだけ、時間が早く流れていて、少しだけ便利で、少しだけ刺激的。でも、同じ国だもの。そこまで変わることなんて、あると思う?」
「……俺からしたら、異世界のようなものです。都市にあるような技術は、こっちに流れてくることもないし……」
「でも向こうに貴方はいなかった。そういうことじゃない?」
彼女はいたずらっぽく微笑んで、それ以上俺に何も言わせまいと、目を閉じてしまった。
窓の外には、幾つもの風景が流れては消えていく。俺の肩に頭を寄せる彼女の座席は、ほんの少し、後ろに倒されている。俺は初めて新幹線というものに乗った。こんな所に詰め込まれて、少しでも外れたら、崖に真っ逆さまに転落する、不安定な乗り物。
移動する密室は、ミステリー小説では殺人事件の現場になると相場が決まっている。次々と殺されていく乗客。偶然居合わせた名探偵が、鮮やかな手腕で犯人を言い当てるのだ。
眠っている彼女の横顔を見る。ミステリアスな美人というのは、容疑者の槍玉に挙げられがちだ。彼女が小説の登場人物だったら、きっと大いに読者を悩ませる存在になるだろう。目的も、出自も不明。内心を語られることもない。ただ主人公の傍にいる。
主人公。そんな自惚れをする程に、俺は人生に、充実感というものを見出していたのだろう。
そう多くない荷物を持って、俺はマンションの一室に入った。殺風景な部屋だが、そこは、未来への希望で満ちていたと思う。
「ここの部屋は、子供のために取っておくの」
荷解きをしている最中、彼女は突拍子もなく呟いた。手招きされて扉の前に立つ。貼られたばかりの木製のフローリングが、僅かに軋む音がした。
彼女は躊躇せずに扉を開ける。何も無い部屋。彼女は奥の一角を指さす。
「ベッドはあそこ。机は……ここだったら日の光が差すと思うの。窓の向きも……うん。これなら、時間感覚を失うこともないわ」
「ずっと取っておくんですか?物置とかには……」
「物置に使ってた部屋をあなたの部屋にしたの、なんて、子供に言ったら、少しだけ悲しいと思わない?元々私たちが住んでたところに、偶然生まれてしまって、空き部屋をあてがわれるなんて」
彼女は、いつになく、真剣な表情をしていた。俺にはそれが分からなかった。言わなければ分からないじゃないか。そんな言葉を吐くほど、子供ではなかったけど。
「事実であるということが、重要だと、凪紗さんは考えているんですか」
「だって、口ではなんとでも言えるでしょ?実際に言ったことが本心じゃなくても、言葉は現実に存在しえる。……悲しいじゃない、望まれてなかったんだ、なんて。そんな想いをするのは」
「過去と今は、必ずしも繋がっているわけではないと、思うんです」
「ふふ。主観的ね。でも、今を大事にしている、って見方もできる。どちらがいいとは言えないけど」
彼女はどこか楽しげだった。荷解きの続きをするから、と先に居間の方に戻って行く時でさえ、足取りは軽かった。
何が
何がそんなに楽しいのか
変化とは、楽しいものではない。止まることも進むことも、痛みを伴うのではないか?
俺は分からなかった。分からないまま、彼女を見つめていた。
その部屋には、もう入ることができなかった。




