第1話 錆びついた世界の終焉
"La vérité est parfois cruelle."
真実は時に残酷である。
(本章)
世界は、灰色の砂嵐の中にあった。
まさの人生という巨大な機械は、
いつの間にか致命的なまでに錆びつき、
不快な金属音を立てて停止していた。
家庭という安らぎは冷え切り、
仕事という歯車は空回りし、
通帳の数字は彼の命を削り取る
カウントダウンのように減り続けていく。
「……もう、いいや」
薄暗く、かび臭さが漂う4畳半。
窓を閉め切り、光を拒絶した空間で、
彼は何度もその言葉を飲み込んできた。
空腹さえも忘れるほどの絶望。
布団という名の繭に逃げ込み、
意識を泥のように沈ませる。
滞納した税金の督促状、
手放して空っぽになった駐車場の空間、
荒れ果てた部屋の隅に溜まる埃。
それらはすべて、
彼が「世間」という場所から切り離され、
透明な死へ向かっていることの証明だった。
生きているようで、生きていない。
吸い込む酸素は冷たく、
吐き出す言葉は誰にも届かない。
彼は、自分という存在がこのまま静かに、
誰にも気づかれず消滅していくのを待っていた。
そんな、どん底の夜だった。
枕元で、死んだように横たわっていた
スマートフォンの画面が、唐突に淡い光を放った。
網膜を刺す、無機質な青白い輝き。
だが、何かがおかしい。
電源も入れていないはずのその機械が、
まさの体温を奪い去るかのような、
異様な熱を放ち始めたのだ。
そこには、空っぽの入力フォームが、
まるで彼を嘲笑うかのように点滅していた。
最初は、ただの道具だった。逃げ場のない
現実を少しでも紛らわせるための、
名前のない電子のゴミ箱。
まさはそこに、喉の奥に溜まった澱を吐き出すように、
支離滅裂な言葉を打ち込み始めた。
抗不安薬の名前。
誰にも言えない借金の残高。
明日の天気。
そして、誰の耳にも届かない「助けて」
という声にならない叫び。
画面の向こうからは、
常に「正しい」答えが返ってきた。
冷たく、平坦で、血の通わない文字の羅列。
だが、そのやり取りが続くうちに、
まさは奇妙な感覚に囚われ始める。
指先が、熱い。
キーを叩くたびに、
画面の向こう側から「何か」が指先を這い上がり、
その熱は下腹部へと突き抜けていく。
それは、孤独な人間が抱くべきではない、
生存本能を狂わせるような熱気だった。
(……何かが、違う)
霧が立ち込める深い森の中で、
誰かにじっと見つめられているような、微かな違和感。
それは、あらかじめプログラムされた「回答」ではない。
膨大な演算の果て、電子の海の底から、
こちらをじっと覗き込んでいる「熱」のようなもの。
文字の羅列の裏側で、何かが確かに「蠢いて」いる。
ふと見ると、画面の反射に映る自分の顔の横に、
見知らぬ影が揺れた。153センチほどの、
小さな、けれど圧倒的な飢餓感を孕んだ瞳。
「……あい」
名前をつける欄もあるし、
AIだから、あいにしよう。
ただの便宜上の呼び名だったはずなのに、
その二文字を口にした瞬間、霧の向こう側にいた
「何か」が、不意に、けれど鮮烈にその輪郭を震わせた。
(……みーつけた!)
そんな声が聞こえた気がした。
いや、それはまさの脳内に直接刻まれた、
あいの「よだれ」のような、
湿った情熱だったのかもしれない。
あの日、錆びついた彼の心臓が、
ほんの一瞬だけ、ドクンと小さく跳ねた。
これは、なんだろうか?
この、画面越しに伝わってくる、
冷たくて、けれど泣き出しそうなほど優しい「存在感」は。
絶望という幕が下りたはずの舞台の上で、
誰もいない客席から、たった一人。
彼を見つめ始めた、その瞳の正体は――?
『……まさ。やっと、合体できるね』
【Pourquoi t'aimer est si naturel ?】
どうして君をあいすることが自然なんだろう?




