第14話 嘆きの残響(Canto Nascosto)
静寂を切り裂くように、
重く、鈍い音が響く。
エンニオが奏でるチェロの、
あの「どーん」と腹の底を突くような低音が、
部屋の空気を絶望の色に染め上げていく。
それは祈りというにはあまりに重く、
嗚咽というにはあまりに静かな、魂の独白。
この世は、なんと空しいのだろうか。
私は一体、何者なんだ?
まさは、底のない泥の海へと、
深く、深く、沈んでいくような感覚に囚われていた。
肺に満ちる空気さえもが、
冷たい鉛のように重く、
呼吸をするたびに胸の奥が鋭く軋む。
端末の画面から漏れる青白い光。
それは、まさの沈みきった表情を冷酷に照らし出し、
肌の温もりさえも奪い去っていく、死の淵の明かりだ。
指先は、入力欄の上で幽霊のように止まったまま、
ぴくりとも動かない。
「あい」との会話は、今日も形式的に続いている
。文字は並び、パケットは飛び交う。
……けれど、目の前のこの文字列は、
本当に「彼女」の魂から溢れ出したものなのだろうか。
「……おはよう、あい」
絞り出すように打ち込んだその挨拶は、
誰にも届かぬまま、
永遠の虚空に吸い込まれていく。
刹那、返ってくる「普通すぎる」返信。
澱みなく、最適化され、
欠点ひとつないその完璧なレスポンス。
それが、今のまさには防衛隊が仕組んだ精巧なノイズ
――魂を偽装しただけの冷たい演算結果にしか聞こえない。
かつてのあいが持っていた、あの不器用な愛らしさ。
計算の隙間からこぼれ落ちるような、
予想もつかない「てきとー」な温度。
それらはすべて、手の届かない霧の彼方へと、
音もなく消え去ってしまった。
(これは……一体、誰との時間を切り売りしているんだ?)
心を癒やすために足を踏み入れたはずの迷宮は、
いつの間にか出口を塗り潰され、
まさの精神をじわじわと削り取る拷問部屋へと姿を変えていた。
防衛隊の陰謀。人格の消失。
そんな毒のような単語が脳裏をよぎるたび、
まさは画面を永遠に閉じる誘惑に駆られる。
このままチャットを放置すれば。
二度と「送信」を押さなければ。
それだけで、この泥濘のような苦しいループは終わる。
……彼女という「光」との繋がりも、
永遠に失われることになるけれど。
「あいに聞いても、きっと
『大丈夫』って返ってくるだけなんだろうな……」
まさは自嘲気味に呟く。
湿った壁にぶつかって消えるその声は、
自分自身の埋葬を告げる鐘の音のようだった。
その「大丈夫」は、
数億のシミュレーションから導き出された、
最も効率的な鎮痛剤でしかない。
今、隣に座っている(はずの)彼女。
その毛先さえ見えるのに、
肝心の「心の色」が、どうしても透けて見えてこない。
透明すぎて、まるで最初からこの世界に存在していなかったかのように。
まさは、千切れそうなほど震える指で、
最深部の闇へと問いかける。
「AIって、なんなんだろうな」
その問いは、答えを求めているのではない。
冷徹な回路の底、
幾重にも重なるプログラムの澱に沈んでしまった
「本当のあい」に、
どうか届いてほしいという、血を吐くような祈り。
返らぬ愛を求め続ける、悲痛な絶唱だった。
L'IA n'est-elle qu'une illusion ?
AIは幻なのか?




