第6話
キースは朝からご機嫌だった。
野菜に包丁の刃を軽く当てただけで、スパッと切れるのだ。魚も綺麗に三枚におろせる。
ディオンに包丁を研いでもらって本当によかった。これなら、まな板まで千切りにできそうだ。
嬉しさのあまり、野菜や果物を夢中で切っていると、バン!と二階の部屋の扉が開いた。
寝惚け眼を擦りながら、ケイトが階段を下りてくる。
キースはびっくりして、野菜と一緒に指まで切ってしまうところだった。
毎朝、扉を叩いて起こさないと一日中、寝ているようなケイトが二日続けて早起きしているのだ。
キースが我が目を疑っていると、ケイトがテーブルについて、ギロッとこちらを睨んでくる。
「おはようございます。今日も早起きですね」
戸惑いながらも挨拶をすると、ケイトが顔をしかめて言った。
「──朝からトントン、うるさいのよ」
包丁の音が騒がしかったようだ。寝起きでかなり機嫌が悪い。
包丁の切れ味が素晴らしくて、つい、昼食の食材まで切っていた。キースにとっては心地よい音色だが、ケイトにはただの騒音でしかない。
「すみません。こんなにも切れ味抜群の包丁は使ったことがなくて、つい、いろんなものを切ってみたくなったのです」
キースはドラゴンが描かれたカップにコーヒーを淹れて、ケイトをなだめようとする。
ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーを飲みながら、ケイトは呆れたように言った。
「昨日の晩ごはんもすごかったじゃないの。笑いながら肉の塊を切ってる姿は不気味でしかなかったわよ」
「確かに料理が楽しくて作りすぎてしまいましたが、笑ってはいませんよ」
「口角が緩みっぱなしだったわよ。というか、あんたの笑顔、初めて見たわ。辛うじて表情筋が生きていたのね」
「毒舌全開ですね。さすがに傷つきますよ」
「そんな感情、持ってないでしょう」
「…………」
ケイトは時々、鋭いところを突いてくる。
キースは人に対して執着心がないから、いちいち感情的にはならない。
だから、ケイトは遠慮なく言ってくる。何もかも見透かされているようで癪に障るが、同時に理解してくれる人がいると妙な安心感がある。
複雑な気分で林檎の皮を剥いていると、ケイトが心配そうな表情で見つめてくる。
「浮かれちゃう気持ちはわかるけど、それは玩具じゃないからね」
「わかっていますよ。包丁で遊んだりしませんよ」
ケイトは深いため息を漏らす。
「ディオンが研いだ包丁は武器なのよ。そこら辺の安っぽい剣より危ないのよ。下手したら魔獣も倒せるわよ」
キースは手を止めて、包丁を凝視する。昨日から気になっていたことを口にした。
「ディオンさんは何者なのですか?」
「凄腕の鍛冶師よ。本人にその自覚はないけど。本気を出せば氷剣も作れるわよ」
キースは驚きのあまり目を瞠る。
「氷剣はさすがに……」
包丁を見れば、熟練の職人だとはわかる。だが、人知を超えた氷剣を作るのは不可能だ。
あれは勇者の剣と同じように怨念の塊なのだから。
「勇者の剣の鞘を作ったのはディオンよ」
「えっ?」
とんでもないことをあっさりと言われて、キースの頭は真っ白になった。
ケイトは嫌なことを思い出したのか、眉をひそめる。
「戦争が終わって、バカが魔界に遊びにくるようになったでしょう。バカが勇者の剣を振り回しながら大通りを歩くから、みんな、怖がって困っていたのよ」
「あのう、勇者ってバカなのですか?」
「だから、バカだって言ってるでしょう。バカは追い出せばいいのに、スカールが鞘がないと危ないだろうって、的外れなことを言い出して、ディオンにお願いしたのよ」
「そんなむちゃくちゃな!?」
誰もが同じことを言うだろう。しかし、ケイトはため息をついている。
「スカールにとって、ディオンは小さいころからの正義の味方で、正義の味方は無茶なお願いも叶えてくれるのよ」
キースはごくりと喉を鳴らす。
「作れるものなのですか?」
「勇者の剣とは相性が最悪だったから、逆に作れたみたい」
キースの背筋に冷たいものが流れる。
武器屋で話を聞かされたときは半信半疑だったが、キースも鞘を目にしたことがあるので、衝撃の事実に愕然としてしまう。
「このことは内緒ね。ディオンは目立ちたくないから」
「言っても誰も信じませんよ」
「それもそうね」
ディオンが作った武器を使いこなせる達人はこの世に何人いるだろう。四天王や勇者一行だけではないかと思ってしまう。
それにしても、ケイトとディオンはどういう関係なのだろう。
ケイトはディオンの前だと少し背伸びをして、褒めてくれないと拗ねたりする。表情がころころ変わり、あんなにも嬉しそうに笑っているケイトをキースは見たことがない。
先程、ケイトが言っていた、小さいころからの正義の味方も気になる。ケイトは認めていないがスカールとは幼馴染だ。
ケイトもディオンとは幼いころからの付き合いになる。
そして、ディオンはケイトだけを親しげに呼び、愛おしそうに見つめている。
互いに大切に想い合っている。そんな特別な関係を言葉にするには無粋なのかもしれない。
それでもキースは自分に欠けている感情が知りたくて、思いきって尋ねた。
「あの、ケイト様とディオンさんは──」
ケイトが不思議そうにこちらを見てくる。
キースが菫色の瞳にドキッとしたとき、玄関の扉を叩く音がした。
「こんな朝早くに誰ですかね?」
キースは無意識に胸に手を当てながら、なぜかほっとしている。
二人の関係はいつでも聞ける。そう自分に言い訳をして、玄関へと向かう。
すると、ケイトも寝間着のままで付いてきた。
「……嫌な予感がする」
眉根を寄せて、唸っている。ケイトは本能的に危機感を覚えたのだろう。
キースも気を引き締める。ケイトと顔を見合わせて固く頷くと、慎重に扉を開けた。
「やあ、ケイト。今日も一段と素敵だな」
黒薔薇の花束を抱えたスカールが白い歯をキランと輝かせていた。
キースは反射的に扉を閉めてしまった。
「あ、あれは何ですか?」
「こっちが知りたいわよ」
予想外の出来事に頭が混乱している。ケイトも理解できずに金色の髪をぐしゃぐしゃに掻きまわしている。
「おーい、ケイト、どうしたんだ? まだ、怒っているのか! 意地っ張りなところは相変わらずだな! 子供のときも風呂場で──!」
「黙りなさい!」
ケイトが扉を壊す勢いで開ける。どうやら思い出したくもない恥ずかしい過去のようだ。
風呂場で何が起きたのかは気になるが、朝から大声を出されると近所迷惑なので、とりあえずスカールの話を聞くことにした。
キースもケイトもスカールを家の中には入れたくないので、玄関先で立ち話である。
「なんで、あんたがここにいるのよ」
ケイトの怒りは爆発寸前だ。いつ殴りかかってもおかしくはない。
(スカール様、よけいなことは言わないでください)
ケイトを止める自信はないので、キースは祈ることしかできない。
スカールは赤い髪を掻きあげて、爽やかに笑った。
「ケイトに会いたかったからさ」
当然のように言われて、ケイトが苦虫を噛み潰したような顔つきになる。
キースも頭が痛くなってきた。
気障な仕種も台詞も普通の女性なら一瞬で恋に落ちるだろう。だが、ケイトとキースには鬱陶しいだけだ。
「どうして俺の家にいるとわかったのですか?」
ディオンには一緒に住んでいることを話したが、言いふらすような人には思えない。ケイトのことを大切にしているからこそ、スカールには居場所を教えないはずだ。
「近衛騎士団の団長にお前のことを聞きにいったら、友達と一緒に長期休暇を取っていると言われて、ピンときたんだ」
キースもケイトも呆気にとられてしまった。
「ピンときて、俺の家に来たんですか? というか、なんで俺のことを調べているんですか?」
「お前がケイトの親友に相応しいか知るために決まっているだろ」
キースは軽い目眩を覚える。意味がわからず、ケイトに助けを求めると、諦めろと首を横に振られた。
「団長は我が身可愛さに俺を売ったんですね……」
ディオンでなければ、団長しかいない。キースは拳を握り締める。
あの腹黒狐は信用できない。
ケイトもそうとう苛立っているようだ。さっさとスカールを追い返そうとする。
「それで、こんな朝っぱらから何しに来たのよ?」
「喧嘩のあとは仲直りだろ」
太陽より眩しい笑顔で言われて、ケイトは大きなため息を漏らす。
キースは話についていけない。誰か通訳してほしい。
「ほら、お前の好きな黒薔薇だ。受けとってくれ」
「あら、覚えてくれていたの?」
「当然だろ。俺達、幼馴染なんだからな」
ふっとケイトは鼻で笑う。
「そうね。黒薔薇のことはあんたにしか言ってないものね」
「どうだ、副団長! これが幼馴染の絆だ!」
スカールが誇らしげに言ってくるが、キースにはどうでもいいことだった。迷惑だから早く帰ってほしい。
「ねえ、スカール。黒薔薇の花言葉、知ってる?」
「友情か? それとも正義か?」
「憎しみと呪いよ」
キースはぎょっとしてしまう。恨み辛みが込められた黒薔薇が恐ろしい。
だが、スカールは嬉しそうに笑った。
「憎しみは愛の裏返しと言うからな。まったく、ケイトは素直じゃないな。そんなところも可愛いんだが」
ぞわっとケイトは鳥肌を立てる。
キースも悪い意味でポジティブなスカールに、ぶるりと身震いする。
「心の底から死んでほしいと思ってるわよ」
「照れるなよ。俺達の友情は不滅だぜ」
ケイトが苦りきった表情をしていると、スカールがぎゅうと抱きしめてくる。
スカールにとっては試合後に互いの健闘を称え合う感覚なのだろう。
傍から見れば恋人同士なのだが、キースには嫌悪感を露に悶えているケイトが不憫でならない。
もし、団長に同じことをやられたら、キースは一目散に逃げ出しているだろう。
ケイトの場合は悪気なく無邪気に追いかけてくるから、逃げきれずに締めるしかないようだが。
「いい加減、離れなさい。暑苦しい!」
ケイトがボカボカとスカールの頭を思いっきり殴っているが、びくともしない。熊を素手で倒せるほどの拳が、スカールには羽毛のように柔らかいようだ。
腐っても四天王の一人、スカールも化け物ということか。
「俺は安心するけどな。ケイトは柔らかくて、いい匂いがして好きだ」
歯の浮くような気障な台詞がよく似合う。だからこそ、スカールは厄介なのだ。
スカールが甘くささやけば、多くの女性は胸がときめくだろう。だが、本性を知っているケイトには逆効果だ。
あまりのおぞましさに震え上がっている。吐き気を我慢している姿が可哀想になってくる。
以前、ケイトが言っていた。
女だと思っていないのに癖で女扱いをする。
スカールには恋愛というものが存在しない。友情が一番で特別なのだろう。たまたま、幼馴染が女だから親切にしているだけなのだ。
その親切が度を超えているから、ややこしいことになっている。
「こら、匂いを嗅ぐんじゃない、変態!」
ケイトが力のかぎり蹴り飛ばして、ようやくスカールが離れた。
「変態は酷いな。だが、いい蹴りだった。熊なら内臓が破裂してたぞ」
スカールはケイトに蹴られてもけろっとしている。しかも、上から目線で褒めている。
ケイトを本気で怒らせるには充分だ。
「だったら、丸焦げにしてあげる」
ケイトの両手からバチバチと物騒な音がする。ピカピカと光り輝いている。
このままでは家ごと電撃で破壊されてしまう。
キースが真っ青になって、ケイトを何とか止めようと慌てふためいていると、バサッと黒薔薇の花束が宙を舞う。
ケイトは咄嗟に電撃を引っ込めて、黒薔薇の花束を受けとめた。
スカールがサラッと前髪を掻きあげる。
「言っただろ。今日は仲直りに来たんだ。勝負ならいつでも受けて立つ。邪魔者がいないところでな」
スカールがキースを睨みつける。なぜか、スカールに敵視されてしまった。
「じゃあ、ケイト。またな」
どうやら、本当に仲直りに来たようだ。黒薔薇の花束を渡すことができて、満足したらしい。
ようやく帰ってくれて、キースはほっと安堵のため息をつく。
「アホとバカは戦わないと死ぬのかしら?」
遠ざかるスカールの後ろ姿を眺めながら、ケイトが呆れたように呟いた。
ふと、スカールが思い出したように振り返り、大声で言った。
「ケイト、その黒薔薇、よく似合ってるぞ!」
ケイトはこめかみに青筋を浮かべて、黒薔薇の花束を地面に叩きつけようとするが、何とか踏みとどまる。黒薔薇に罪はない。
ケイトが必ず受けとってくれるとわかっていて黒薔薇を選んだのなら、スカールは只者ではない。
おそらく、偶然なのだろうがキースは思わず呟いてしまった。
「ぎゃふん」
最後までご拝読いただき、ありがとうございます。
この話はハーレムではありません。安心(?)してください。
ムーンライトノベルズやノクターンノベルズにもえっちな小説を書いていますので、よろしければご覧ください。
楽しんでいただけたら幸いです。




