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64_懇願

 ――次はもうない。


 そんな翼の返答を聞いて、二人の表情がわずかに歪んだ。


「……やっぱり変わったね、小宮くん」

「そう、かな」

「うん。変わるしかないってのも分かるよ。だから今、話しておきたかったんだよね」


 アリアが視線を落とす。

 その横顔には、普段のアリアには珍しい、何かを測るような色が浮かんでいた。


「それに、今後も変わらざるを得ないだろう」


 その沈黙を破るように、凛乃が翼へ向き直った。


 彼女はまっすぐ正面から問いを投げる。


「護衛は続けるんだな?」


 その問いへ翼はすぐには返せなかった。


 問われた瞬間、頭の中で心桜のことがよぎり、理屈が崩れる。


「……まだ、わからない」


 これでもできる限り正直に答えたつもりだ。


 心桜との話を受けても、まだ翼の中で納得しきれていない部分もある。


 次々と変わる状況に、確信がもてないのが偽らざる本音だった。

 それを自ら口にしてみると、その不確かさがより輪郭を持ってくる気がした。


「それはお前の発作のせいでか?」

「うん」


 聞かれた凛乃の言葉をそのまま肯定する。

 核心を突かれたと翼は思ったが、否定できる言葉がどこにも見当たらなかった。


 この二人は何が問題なのか、よくわかっている。

 だからこそ、ここで話しておくべきだ。


 次いで、翼は重く口を開いた。


「間違いなくおれは……お二人にも手をあげると思う」


 あの日の感触が、いつまでも掌に残っている。


 発作が出てしまえば、相手が誰であろうと関係ない。

 それがかつての恩人に対してでも……協力者であったとしても。


 もう傷つけないと誓ったはずの313にまで手をあげた感触が、翼の中でその根拠として深く刻まれていた。


 故に心桜がいない今のうちに、切り込んでしまうべきだと腹を決める。


「だから、お願いしたい」


 翼は真剣な眼差しを向ける。


 この問題だけは、はっきりと伝えておくべきだと。


 そう覚悟を形にする。


「心桜さんの説得。おれの退学の手助けを、お二人に――」

「断る」


 しかしそれは一秒も待たなかった。


 凛乃がいつものように、ばっさりと切り捨てる。

 その憂いない口調が、凛乃の答えに迷いが一切ないことを示している。


「……なんで。鷹野さんならわかるはずだ」

「結論を急ぐ必要はないだろう」


 翼の視線を受け流すように、凛乃はカップへと目を落とした。

 視線を向けることすら拒絶するその態度が、翼の言い分を聞く気がないと告げていた。


 それでも、ここで引くわけにはいかない。


「おれの障害は完治がほぼ不可能なものだ。それに、たったの一回で取り返しがつかなくなる……誰かが被害に遭う前に見切るべきだって分かるはず」

「お前がなんと言おうと、私のやることは変わらん」


 どれだけ口で必死に伝えようとも、凛乃の態度は変わらない。


 それでも引き下がるわけにはいかない。

 翼はひとつ息を落としてから……言わないでおきたかった言葉を絞り出す。


「もしおれがあなたたちを傷つけたら……おれはもう……生きたく、ない」


 そう言葉にして、初めて気づいた。


 誰よりもこの力を自分が恐れていて、誰よりもどうにもならないという確信がある。


 心桜に救われたのとはまた別問題。

 被害が及びかねない二人へと、いざという時に翼を排除する準備が必要なはずだと。


 絶対に引き下がるわけにはいかなかった。


「だから、お願いします」


 そう改めて願いを口にする翼。

 言いたくなかったことすら口に出し、これ以上話せることはない。


 しかし、凛乃は答えない。


 どれだけ言葉を尽くしても届かないと、凛乃の沈黙が告げていた。

 視線も向けず、一切耳を貸そうともしない様を受けて、翼は考えを改める。


(……人に物を頼む態度じゃないか)


 そう自分に言い聞かせ、翼は立ち上がった。

 損傷した足が、体重をかけた瞬間に軋んだような気がする。


 それでも構わないと、ゆっくりと床に膝をつく。


 視界が低くなると同時に、室内の静けさが一段と深まった気がした。


 そして、床に両手をつく。


「ど阿呆(あほう)が!!」


 そのまま頭を下げようとした瞬間、肩を掴まれた。


 無理やり顔を上げさせられると、正面に凛乃の顔が映る。


 今まで見たことないほど激しい形相で、凛乃が睨み据えてくる。


 きっとこの人は、頭をいつものように掴むことを意図的に避けた。

 そうやって自分の怪我の部分を傷つけないようにしたのだろうと、翼はその烈火のような優しさを感じて言葉が出ない。


 そうして凛乃の怒りに耐えかねるように、翼はちらりとアリアへ視線を送る。


「落ち着きなよ、二人とも」


 間に入るようにアリアが制す。


 すると凛乃が舌打ちしながら翼から手を離した。


「あーあ。雰囲気最悪だなぁ」


 やれやれというような口調だが、アリアの目には感情が宿っていない。


 翼と凛乃を交互に見渡しながら、小さくため息をついた。


 一旦この場を流すように、アリアが一つ提案を口にする。


「ともかく。凛乃ちゃんは心桜ちゃんが来てからやりたいことがあるんだよね?」

「……ああ」

「じゃあ一旦心桜ちゃんを起こしに行こう。寝てるならチャイムで起きるかもだし」


 そうアリアが提案した瞬間、凛乃はすっと立ち上がり、玄関の方へ歩いていく。

 納得したわけではなさそうだったが、それ以上をここで言い争う気もないのだろう。


 彼女を宥めるためにと、アリアも黙ってそれについて行った。


 バタンと、玄関ドアが閉まる音。

 二人分の足音が遠ざかり、やがて消える。


 重い静寂が、部屋の中に戻ってきた。


「……いまのうちにっ!」


 翼は寝室まで片足で駆け抜けた。

 怪我した箇所が悲鳴を上げるのも、今はすべて後回し。

 構っている暇など一切ない。


 そうして寝室のドアを開けると、相変わらずすやすやと眠る心桜の姿があった。


 規則正しい寝息。


 何も知らない、穏やかな顔。


 このまま眠らせてやりたいのは山々だが、今の翼にそんな余裕はない。


 もはや無理やり起こして部屋を出てもらうしかなかった。

 と手を伸ばしたところで――宙を掴む。


(……毛布なら)


 一度躊躇ったのちに、タオルケットを掴む翼。

 やはり素手では触りたくないと、理性の砦がそう告げていた。


 もたもたと毛布を介しながら、心桜の肩のあたりを揺らす。


「頼むっ! ほんとに! 起きてくれ!」


 しかし、というか予想通り、心桜の寝息は変わらず穏やかなままで、翼の切迫には一向に応じようとしない。


 もうなりふり構わず切に揺らしていると――


「どーん」


 誰かの声と共に、ふいに寝室のドアが開けられる。


 それまで揺らしていた翼の手が、音に引かれるようにして止まった。


「あ」


 なんとも情けない声が翼の口から漏れ出る。


 毛布越しに心桜の肩を掴んだまま、翼は固まった。


「ワタシ相手に嘘が通じると思ったのかなぁ? こぉみやくぅ〜ん?」


 その一言で、アリアがカマをかけてきたのだとわかった。


 玄関ドアの音は、退場の合図ではなく芝居。


 翼がボロを出すことを、最初から見越していたのだ。


 続いて凛乃が入ってくる。


 彼女は翼のベッドですやすやと眠る心桜を見た後、『心配して損した』とでも言いたげな顔をしていた。


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