62_無防備
悪夢は続く。
鮮烈でありながら、朧げに流れていく情景。
(もう、いい)
最後に手に残る感触は、確実に仕留めた手応え。
呆然と視界を巡らせてみれば、足元に転がっているモノ。
それがこちらを見て、目を逸らさない。
瞳に映る全てが焼き付いている。
(おれは、もう……)
――翼くん。
そう柔らかく名を呼ばれた瞬間。
声に思考を塗り潰される感覚。
ふと抱き寄せた誰かが、微笑みかけてくる。
あなたは1人じゃないと――そう言いたげに、その温もりが声もなく翼へ届いてくる。
暗い倉庫ではなく、白い病室が心の内を晴らしてくれる。
いつかあの時のように、二人の息づかいがやわらかく溶け合った。
◇ ◇ ◇
重い瞼を開ける。
すると視界が滲み、翼は再び目を瞑る。
一瞬開いた瞼には、窓から差す光が焼き付いていた。
まだ陽が落ちていない頃だろうか、と翼はぼんやり認識する。
夜でないにもかかわらずかなり長く眠っていたのか、思考がまだ鈍い。
ただ翼としてはそれを受け入れた。
今まで感じていたような、思考にまとわりつく重さではなかったからだ。
また二度寝でもしたくなるかのような心地よさに、瞼を閉じたまま深く息を吐く。
ようやく休めた、と思う。
悪夢から逃れられたという、少しの安堵ののちに。
生気を取り戻したかのように、体へ力を込める。
(……?)
するとベッドの中に、何かの感触がある。
柔らかく、温かい。
意識が覚醒しきっていない中でも、それだけはわかった。
そこへ追うように、甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。
なんだと思い、瞼を開けて胸元へ目を落とせば――
「こ!? こは、るっさんっ!?」
眠っている心桜を抱いていた。
それもベッドの隅ではない、しっかりと体を寄せる位置に。
丸くなっている心桜の体に、翼の腕が回っているあたり、言い訳しようにも明らかに自分が悪い。
そう理解する間もなく、体が反射的に距離を取ろうとする。
「あだっ!?」
飛び跳ねた勢いのまま、反対側の壁に後頭部をしたたかに打ちつける。
しばらくそのままうずくまって痛みをやり過ごしたが、それでも心桜は目を覚まさなかった。
この寝付きの良さは、もはや才能の域だろう。
(ど、どういう状況だこれ……)
ひとまず体を離し、そそくさとベッドから出る。
経験上、彼女をどれだけ揺さぶっても起きないとわかっている。
それよりも、このまま視線を向け続けていれば、また心桜の香りやら感触やらに正気を削られる。
頭はそう思考を巡らしながら、翼は少しだけ呆れたようにこぼす。
「さすがに、無防備すぎるでしょ……」
目の前ですやすやと寝ている心桜を前に、自らの額に手をやる。
とは言いつつも、自分も寝ていたのだから何とも言えないところではあるが。
寝付く前の記憶もまばらだが、おそらく彼女が自分の身を案じてそばにいてくれたことは察せられる。
ただ自分が眠るあいだずっと起きて待たせるよりは、一緒に眠ってくれた方がまだ良かったか。
そう自分に言い聞かせながらも、あまりに穏やかな彼女の寝顔に、心臓が妙にうるさい。
少しだけ冷静になった途端、自分がどんな夢を見ていたか思い出す。
夢が変な内容だったことは、翼自身がいちばんよくわかっている。
恐怖を、暗い倉庫を、上書きするかのように。
ただ心桜が微笑んで、翼の腕の中にいた。
それだけの夢が、なぜかやけに鮮明に頭へ残る。
(……なんで夢まで)
翼は残像を追い払うようにして、目を逸らした。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら、時間を確認するために机の上のスマホを手に取る。
「え」
そこには珍しく、凛乃からの連絡と繰り返しの着信が残っていた。
素っ頓狂な声が漏れるほど意外ではある。
凛乃から連絡が来ること自体めったにないのに、ここまで何度も連絡が来ているのは、何か緊急事態だろうか。
そう思って内容を確認する前に、焦って折り返す。
「も、もしもし?」
『今は家か?』
何コールもしないうちに繋がった、と思ったらすぐに声が聞こえた。
凛乃の落ち着いた声から発せられたのは、短い問い。
実際そうではあるので、迷う間も無く翼は返答する。
「うん、そうだけど」
『数分で行く。待ってろ』
「え?」
たったそれだけで電話が切れた。
凛乃らしく端的に、一切の迷いがない受け答え。
無駄のないやり取りに、寝起きの翼の思考は固まる。
ただ今回は、何よりもその内容が問題だろう。
(鷹野さんが……来る?)
『数分』という言葉から、すでに近くまで来ており、迷いなく辿り着けるということだ。
凛乃は翼の部屋を知っているため、本当にすぐ来るだろう。
状況を整理する間もなく、翼の視線はある一点へ吸い寄せられる。
自分のベッドですやすやと眠り続ける心桜が目に入る。
翼のベッドで、翼のタオルケットに包まれ、どう見ても起きる気配の全くない状態で横になっている、心桜が。
「……これ、やばくないか?」
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