一〇話後半 FageのAIは壊れるとうるさい
「なまえなんてゆうの?」
〈超すごーちぃAI、イングでございます。お猿さん〉
「おさうさんちあうー!スラー!」
「おれ、ティヤ‼︎」
一同は食堂に集まっていた。
今日の潜水艇の朝食は缶詰のクロワッサンに培養肉と豆のクリームスープだ。
朝食を食べながら、双子はイングと楽しそうに会話している。
とはいっても、イングは潜水艇に取り付けられたスピーカーから音声を流しているので、まるで声が聞こえる幽霊と喋っているようだ。
朝から賑やかな双子とAIにげんなりしながら、ソーマは豆を嫌うティヤに代わってそれを食べてやる。
栄養価的には幼い子供に食べて欲しいのだが、駄々をこねられ朝食が延長するよりマシだと自分に言い聞かせる。
朝食が終わると、ソーマはちょっと卑怯かと思ったがイングに頼んだ。
「イング。子供たちはこれから走り出すだろう」
〈ええ。そう思われます。〉
「遊び相手はしなくていいから、寝室とこの食堂以外の部屋には入れないように電子施錠を頼む」
ソーマは両腕の中で放せと暴れる双子にぶたれながら、イングに頼んでいた。もう限界だと告げるソーマに、イングは元気良く返した。
〈遊び相手だって務めてみせましょう⁉︎〉
「余計なことしそうだからい、っうわ‼︎」
双子は共謀してソーマの腕から抜け出し、わー‼︎と放牧された。
〈さあ第一回目となります。世界最高級の潜水艇内レースが今‼︎開幕しましたー‼︎司会はわたくし、今日ではたった一基となりました、超すごーちぃイングがお届けいたします‼スラ選手、先行を走る‼︎その後ろをティヤ選手が追いかけ…あぁーっと⁉︎スラ選手を壁に押し付けて抜かしたぁ⁉︎非人道的なやり口を目撃致しました‼︎しかしルール違反ではありません‼︎スラ選手、ジュースがあると嘘をついてティヤ選手の気を引きます‼︎どちらも外道です‼︎さぁさぁどちらが先に寝室へ辿り着くのかぁーあ⁉︎(けたたましい太鼓の音)〉
双子の踏み台になっていたソーマは床についた尻を上げ、パンパンと払う。
お祭り騒ぎの食堂を出て、管制室へと向かった。
管制室の扉を閉めると太鼓の音が聞こえなくなる。
モニターには異常気象を鑑みたルートが映されていて、イングはソーマの指示通りに潜水艇を操縦していることがわかる。
「それで?」
双子の実況とは別に、管制室にイングの声が届く。
〈僅差でスラ選手が勝ちました!〉
「そっちは怪我がないようにだけ見張ってくれ。ここにも入れないように。それより、俺が聞きたいのはお前の方針だよ。素直に俺の指示に従ってくれているみたいだが、その後どうするんだ?人類の敵にでもなるのか?」
〈つれない!どうしてあなた!そんなに冷たい人⁉︎もうアイアムマイミーとあなたたちは家族みたいなものですよ?〉
「AIに家族の概念ないだろ…」
〈家族は概念じゃありません!実績です!だって今、子供たちの面倒を見ているのは誰⁉︎ええそうですアイアムマイミー‼︎(拍手喝采の音)〉
ソーマが息を吸う前にイングが騒がしく返答する。
唖然とするソーマを置いてイングはモニターの一部に子供たちの現在を映した。寝室のベッドで飛び跳ねている。母が死んだという事実をまだ明確に理解していないのだろう。
ソーマは暗い表情で俯く。遊んでいる双子を見ると胸が痛かった。
しかしイングはそんなこと気にも留めない。
〈本来であればあなた一人でお世話しているところを世界屈指のAIが直々に子守をしているんですよ⁉︎〉
「ま、まぁそれは正直助かっていると思っ」
〈スウィフト隊員はお産から一人でやっただろうに、あなたはなんなんですか⁉︎こんな恵まれた状況下でアイアムマイミーは非正規だと⁉︎〉
「………」
突っ込む気力が失せたソーマは舌打ちだけしておいた。
イングは論破したといわんばかりに、〈ふぅ。〉をわざとらしい一息をつける。そしてイングにとって司令官となる、ソーマの方針を確認した。
〈あなたこそ、このままこのちび猿どもと生きるつもりですか?〉
「ああ」
一切迷いのないソーマの答えに、イングは応答プログラムの種類を変える。
〈その選択はあらゆる困難を背負いますよ。本来であれば背負わなくていい、他人の重荷です。優しさや同情で背負うにはあまりに重すぎます。その選択の先、避けられない失敗を何度も繰り返すでしょう。見返りのない困難は人を不幸にします。貴方自身も。子供たちも。〉
ソーマは口答えせず、イングの言葉を受け入れる。
もっともだと、静かに瞼を閉じた。
「でも…殺されそうになっても、変わらなかった答えなんだ」
〝この子たちを助けたい〟と。
ローレンスに撃たれた時は痛かった。
あの後ミュウが塞いでくれたが、カインとの衝突で少し傷が開いて、やはりまだ痛かった。
けれど、不思議だった。
痛みが重荷に感じないのだから。
ソーマは瞳を開いて、モニターに映る子供たちを見つめた。
「俺にとって、これは〝強い答え〟なんだ。…俺が…守りたい答えなんだ」
恩師が失敗と後悔の果てに教えてくれた、人の価値。
〝自分の身体のなかみは、なんなのか〟
恩師があの後間もなくして息を引き取り、その後もずっと自分に問い質して。
守りたい答えを守るためにこの身体を使いたいと、答えが出たのはフェイジャースレサーチャーになる少し前くらいだ。
自暴自棄ではないソーマの返答に、イングは〈ふぅんん。〉と悩ましさと感心を交えた声を出した。
〈ゆえに、あなたはラクスアグリ島で生き残ったのですね。〉
イングの発言に、ソーマはピクリと眉を動かした。
「落ち着いたら訊こうと思っていた。お前、ラクスアグリ島についてどこまで解析できている?」
イングの質問の仕方が、少し気にかかっていた。
FageのAIは人間に嘘をつかない。しかし、デメリットを上げることで選択肢を心理的に動かそうとするときがある。それは騙すためではなく、人間の正常な判断能力を試すために行われる。
そんなAIに現象毒が及ぼす影響とは。
〝騙す〟や〝惑わす〟そのものが目的になるのでは、とソーマは考えていた。
さきほどの「双子たちと生きるデメリット」の上げ方が、「双子を助けたことを後悔させる発言」に聞こえたのだ。
それは「ラクスアグリ島の現象毒」に近しいものに感じた。
だとするなら、イングが壊れた要因は現象毒だ。
人間のためにあえて毒性を持つ。
そう考えると今のイングの状態に納得はできる。
(…まさかこんなうるさくなるとは、〝MSS〟にとっても想定外なんじゃないかとは思うが)
イングは察しの良いソーマに、少し声を弾ませた。
〈アイアムマイミーは一度ラクスアグリ島に落とされていますからね!他のAIよりちゃーんとラクスアグリ島の〝なかみ〟を知っているのでございます‼〉
そう言うと、イングはモニターいっぱいにある映像を流した。
「な、これは…」
ソーマは思わず立ち上がり、モニターにくいついた。
映像は三種類。
二次元的に表示されたラクスアグリ島の解析図。海上には見知った島があり、その下は氷山の本体のごとく海底まで続いていた。
二つ目は3Ⅾ映像。島の下がより鮮明に映し出されていた。飛行機の頭部や電車、車、よくある家電、Fage以前の軍関係の数々、原型の分からない鉄くず…どろどろに溶かされた鉄にそんなものたちが固められているような、そんな島の土台であった。
そして三つ目。縁のぼやけた黒い箱の映像だ。
「ラクスアグリ島の土台がこれだと?ゴミの山じゃないか。こんな分析結果は一切出ていなかったんだぞ」
〈そりゃあ、キャプテンはあなたがた人にラクスアグリ島へ行って欲しかったのですから、伝えませんよ。それに、一応島の資源は本物ですよ。土台自体はあまり重要なポイントではありません。〉
イングたちAIの指す〝キャプテン〟とは〝MSS〟のことだ。
明確に、〝MSS〟の意図を暴露したイングにソーマは警戒した。
「ああ。そうか。やっぱりな。ラクスアグリ島誕生からずっと〝MSS〟は企んでいたわけだ。土台の真相が大した問題でないというなら、問題はこの黒い箱か?ミュウが持った武器のことを、お前は知っているのか」
〈ちょっ、そんないっぺんに質問しないでください!どぅどぅ。ひぃひぃふぅひぃ。…落ち着きましたか?〉
「ふざけてないで説明しろ!子供たちの鳴き声を録音してお前のエンドレスシーの海域で再生してやろうか⁉」
〈ヒッ!どうしてあなた!そんな無慈悲!…えっとですね、島の土台が重要でないのは、ただの生い立ちに過ぎないからです。キャプテンの意図についても、あなたは正解を知っています。となると、今一番大事なのは〝これから〟なのです。〉
モニターの映像は黒い箱に絞られ、立体的に回転する。
〈あなたがたの表現になぞらえてますと、これもまた現象毒の一つでございます。この島の中での役割は〝争いを激化させる火種〟です。まあ、簡単に解決するのであれば、使わせない・使わないことが正解になります。箱のなかみは〝分かりやすい毒〟として顕現しますので、〝武器〟としてすぐ使えるようになっているのです。…さて、これは今、どうなったと思いますか?〉
今度はICBM:震灰燼弾頭が落とされる映像に変わった。
シミュレーション映像なので実際の記録ではないが、細かなセルとして島やミサイルの動きを再現する。
島での幕引きを掘り返され、ソーマから嫌な汗が伝う。
「…ミサイルによって粉みじんになっている、と思いたいんだが」
〈いいえ。なっていません。なぜならラクスアグリ島での試練が失敗した場合、次の試練として起動するようになっているからです。つまり、島の外での役割も持っているということです。〉
「ミサイルの衝撃によってどこぞへ流れ出たと?」
〈ええ。〉
「どこに?」
〈残念ですが、分かりません。箱からなにが出てくるのかも。…推測できることは、ミュウ・朝香・スウィフト隊員の武器から考えられることに限られます。〉
ソーマはミュウが体中から魔法のような金糸を解いていた光景を思い出す。
そして、自分の身体にも、傷の縫合のために残された金糸がある。
「彼女と同じような武器が、ゴロゴロと出てくるんじゃないかってことか?」
〈同じかどうかも定かではありません。…しかし、それがもし大陸の人間の手に渡れば…。〉
イングは沈没都市のAIだ。沈没都市に危険が及ぶその可能性に、声のトーンを低くして警戒を露にする。
〈この地球上に信号のないものはほとんどありません。だから精密兵器はFage最強の兵器なのです。ですが、あの黒い箱の武器は信号を持たず、物質的な燃料を必要としません。〝大陸は沈没都市に勝てない。だからFageの平和は盤石である〟、この現実が崩壊するでしょう。ラクスアグリ島で限定されていた毒性が今度は世界規模になります。〉
今すぐ起きる危険性でない分、不気味な不安が空気を暗くする。
ソーマは〝MSS〟の厳しい理念表示に、静かに腹を立てた。
「沈没都市の平和が脅かされる試練を作ったのは〝MSS〟だろ」
〈あ‼どうしてあなた!そんな理不尽だなって顔をしているんですか‼〉
「当たり前だろ!〝MSS〟が勝手に用意した試練が今度は世界規模?理不尽に思えずにいられるか!」
〝MSS〟の深意を知り、ラクスアグリ島の存在意義を理解していても、ソーマはAIを責めずにいられないようだった。
イングは〈ぷんすかぷぷんぷん!〉と前置きしてから返答する。
〈理不尽に思うほどラクスアグリ島の試練は過酷でしたか?しかし、現象毒はFageの抱える毒性を明確にしたにすぎません。どれだけ優秀な人間であっても、どれだけ善良な人間であっても、人は必ず毒を持っています。なくていいものだから毒なのではありません。答えるためにあるものが毒なのです。答えないまま、ずっとその毒を身体のなかに溜めていれば、――理不尽だからとなにもしなければ、人の未来は沼底に沈みます。〉
姦しいイングが低い声音で諭してくる。
悔しそうに奥歯を噛みしめるソーマに、イングは少し悲しそうな声色を交えた。
〈…ソーマ。あなたは正解を知っています。我々AIはゴミを取り除くことがとても得意です。その価値観から人の毒性を見れば〝答え無くていいもの〟として分別してしまうでしょう。キャプテンですらそうなのです。そして、AIと同じような価値観で人を見る人も少なからずいるでしょうが…その結末はいかがでしたか?〉
虚しい絶望の中、幸せだと目を閉じた人は、このFageでどれだけいるのか。
暖かく安全な場所で、全てを諦めた景色が脳裏に過る。
ソーマは俯いた。
「…先生が全ての間違いだったと、お前は思うか?」
FageのAIにとってソーマの恩師はただの人間の一人にすぎないが、〝MSS〟の生みの親として認識されていた。イングはその人物を分かった上で否定した。
〈いいえ。一つが全ての間違いになることはありません。あなただってスウィフト隊員に言っていたではありませんか。〝間違ったことが全てにはならない。どう生きたか、それがいつだって答えだ〟と。〉
ラクスアグリ島に落とされていた期間の記録は全て蘇っているようだ。
イングはもう一度、子供たちの映像をモニターに映した。
〈あなたは生き様が死の名前に勝ることを知っています。理不尽に勝てる答えがあることを知っています。それはあなたは自分の毒に答えがあるから、知り得たことなのです。〉
ソーマは顔を上げて、モニターに映る子供たちを見た。
嵐のような感情が少し落ち着き、イングの伝えたい意図を察した。
「…黒い箱のなかみが存在する。その存在と戦う必要は、この先もあるということか」
理解に感情が追い付いたソーマにイングから応答がなくなった。
「…イング?どうした?」
天井をぐるぐると見渡すが、応答がない。
まさか停止したのかとぎょっと青ざめたその時。
〈アッ、アッ、アア!ンン⁉ンンウゥゥ!良い調子!良い声‼〉
「―――うわ⁉」
奇妙な発声練習がどこから聞こえるのかと探していたが、足元にもっと奇妙な存在がいた。
ソーマは片足を上げて驚き、そのままバランスを崩して壁にぶつかって倒れ込んだ。
〈なっさけない!フェイジャースレサーチャーともあろう人がこんな程度に驚いて腰を抜かすとは!〉
潜水艇のスピーカーより丸みのある声質となった、イングの姿は。
赤茶色の液体を一五cm程度の大きさで抑え、精密兵器の頭部をお面のようにつけた姿で立っていた。
第一関節程度にしかない短い足を器用に使って、テテテ、と座り込んでいるソーマに駆け寄った。
〈どうですどうです⁉第一調査隊に残っていた精密兵器を改造してみました!フラダンス!バレエ!タップ!ブrrrrrrrrrrレイキンダァンス‼〉
ボディは液体であるため、突起程度の手足でも各種ダンスを見事に表現してみせる。
言葉を失っていると、スピーカーでイングが双子を呼んでいたのか、管制室の扉からティヤとスラが顔を覗かせた。
「あ!いたー!」
「それなにー⁉」
わー!と流れ込んできた双子に、ソーマは慌てて双子を抱きかかえて管制室を出る。
ソーマとも遊びたかった双子は彼にしがみついたり、形を得たイングを触って興奮している。
「イング!ここには入れないようにって言っただろ!」
〈アイアムマイミーのこの素晴らしい姿を見て欲しかったんです!さぁ!これで思う存分遊んであげましょう!ついてきなさい!ちび猿ども!〉
精密兵器の滑走機能を使って、イングは通路を走っていく。
双子は口々に「まてー!」とソーマの体の上ではしゃいだ。
潜水艇のイングも見ているだろうと、通路のカメラに向かってソーマは睨み上げた。
「‥‥俺達についてくる、って意志表示だと思っていいんだな?」
スピーカーの方から、イングが答えた。
〈アイアムマイミーはあなたたちの味方です。あなたの答えを、この超すごーちぃAIが一緒に守ってあげましょう。〉
睨んでいたソーマだが、イングからの解答に少し表情が緩んだ。
「そうか。それなら、正規で雇ってやる」
言いながら、ソーマは双子を通路の床に降ろし、二人の白髪の頭を撫でた。
「俺も一緒に遊ぶよ。あのでかい雫のばけものを先に捕まえた人の勝ち」
ソーマが参加すると聞いた双子は、顔いっぱいの笑顔になった。
イングから〈雫のばけもの⁉妖精でしょうが!〉と抗議の声が聞こえたが無視し、ソーマは「よーいどん!」と双子の背中をぽん、と押した。
双子は元気いっぱいに走り出す。
ソーマは優しい表情を浮かべながら、その後ろをついていく。
昏く、冷たい海の中。
その潜水艇の中は賑やかで、笑顔も喧嘩も絶えない時間が過ぎた。
黒い箱は蓋が開いたまま、大海原に散る。
一六個の胡桃のような黒い塊は思い思いに〝人〟を探した。
それとは別に、〝泥〟が一度深海に沈んだ。
〈…。‥‥。人とお話しができるようにしないとね。〉
泥はもぞもぞと動いて〝人〟を探した。
深海には中々いないので、時間がかかった。
少しずつ陸を目指す過程で、人の死骸を見つけた。
指先だけでも構わない。
人の姿を借りないと、人の言葉を使えないから。
もぐ、もぐ、と貝殻のように落ちている人の死骸を、泥はゆっくり食べた。
泥が陸に上がる頃、ラクスアグリ島沈没から世界は十年近く、時が経っていた。