30.お前ら場所を弁えろ、呪うぞ
ねえ、知ってる?―――そんな出だしから紡がれる「この街の怖い話」は二種類ある。
まず学校、そして怪奇現象の起こる「学校」を含めてこの地区に居座る【怪異】――その二つのうち、学生たちに最も身近な怪奇現象「七不思議(中学校版)」はこうである。
1.全てを失う代わりに全てを知ることができる、日陰の「おうち」
2.不思議な北校舎二階の女子トイレ。ルール違反は許さない「色紙さん」
3.完璧な演奏をすれば帰れる。失敗すれば二度と帰れない「音楽室の亡霊」
4.美術室のどこかに眠る誰かの作品。"付け足す"のが大好きな「未完成」
5.ある手順で玄関前の桜に触れてから学校に入ると、二度と帰れない「寄り道にどうぞ」
6.犯人は先生?…古い投書箱に触れるべからず、「ずた袋さん」
そして終いの7つ目は――この六つをコンプリートしないと辿りつけぬもの。
……まあ、この地区は怪奇現象が起こりやすい最悪の土地のため、この七不思議は入れ替わったり消失したり新たに誕生したりするのだけど……現在の学生たちが口にする「七不思議」は以上の7つなのである。
……で、だ。
「怪異は怪異に惹かれる」――その法則から、私と羽継はとりあえずこの学校の七不思議遭遇ツアーを実行中なのであった。
放課後になったばかりの夏の校舎は当然まだ明るく、賑やかな生徒の声が向こうからはっきり聞こえるせいか、ちょっと気が緩んでしまいそう…。
「……どうだ?」
「んー…やっぱり優秀な彩羽ちゃんレーダーにはピンとこないよ父さん…」
「目玉抉られたいのかお前は」
あだだだっ、ちょっとふざけただけなのに羽継に私のレーダーことアホ毛をびぃんびぃん引っ張られた。まったくやめたまえよ君!ハゲるだろ!
っとに…――羽継って、ほんっと私のアホ毛を摘むのが好きだよね。ハゲろイケメンがっ。ぺっ。
「…――しかし…急な変化だな。しばらく続いていたあの騒ぎが朝にはすでに落ち着いてるなんて…お前が拾った魔導書が原因だったのか?」
「ん?どうだろう…誰かが使用した跡はなかったし、通常は魔導書がただ在るだけでも起きる被害が今回は無い、珍しい種類の物だったみたいだから」
「…どんな本だったんだ?」
「【英雄の書】っていう題名で、一人の人間に取り憑く珍しい魔導書でね、主に若い男の子が狙われる。で、被害者――いや使用者か。使用者は自身にとっての【英雄】になれる」
「……その人にとって?」
「例えば使用者が取り柄もない地味で平凡な子だった場合、何でもできる皆に人気の子になれるとか」
「…あまり危険じゃなさそうだな」
「――ただ、その"変化"は魔導書への代価を支払い続けなければすぐに元に戻るものだよ。代価が支払えなければ支払えなくなるほど、【英雄】の力は失せ、周囲の気持ちも離れてしまう。
ほとんどの使用者はかつての地味な日々には戻りたがらないから、無理をしても代価を払っちゃうの」
「その代価って――」
「―――命だよ」
羽継は私の返事に、なんとも言えない顔をした。
「まず最初は体調が悪くなるくらい。でもだんだんと酷くなって、今度は精神を削られて魂が剥き出しにされた所を魔導書に喰われる。
だから使用者の最期はほとんど暴力事件に終わるんだよ。……今回私が手に入れる前――ああっと、魔導書が行方不明になる前の話だけど――なんでも、何をしても振り向いてくれないからって理由で、ヤケになった使用者はずっと片思いしていた女生徒に乱暴しようとしたらしいよ…」
「!――そ、その女生徒は…無事か?」
「………………」
「…彩羽?」
「……その…」
「……っ…」
「その……女生徒は……、」
「…………」
「…―――襲ってきた使用者を椅子で殴って悶絶している間に相手の骨を折った挙句、股間のアレを潰したらしいよ」
「痛っ!?」
ちなみにそんな女生徒は私の知り合いだ。
―――と教えたら、ただでさえ顔を青ざめてる羽継に引かれそうなので、黙っておく。
「…まあ、地味っ子でそんなレベルになっちゃうんだからさ、使用者が苛められっ子だった場合にどんな英雄譚が出来上がるか想像しやすいでしょ?」
「ああ、すっごくしやすいな……」
わりと真剣に聞いてくれていたらしい羽継は「怖…」と何度も呟きながら我が身を摩る。
まるでとびっきりの怪談を聞いたように、寒気を散らすように腕を何度も擦っていた。
「―――と、ツアー一箇所目に辿り着いたね」
「ああ…」
羽継はいつものクールなイケメン顔に戻ると、一息吐いてから中庭に入った。
「やっぱり寂しいよな、ここ」
―――羽継の言う通り、ここは人影もない寂しい場所だ。
そのくせ綺麗に整えられてはいるから、何だか違和感を感じてしまうような場所でもある。
学校内には他にも中庭があるけど、どんなに向こうが混んでてもあんまり生徒はこっちの中庭にはやって来ないため、私が穂乃花たちとお昼ご飯を食べるときは広々と利用させてもらっているのだった。
「…奥だったよな?」
「うん」
私としては慣れ親しんだその場所を、羽継は居心地悪そうに見回した。
そして先頭切って歩き出し――私たちは中庭の奥にある日陰へと向かう。
それは紅葉苺の裏にあり、辿り着くにはこの紅葉苺の棘に気をつけなければならない。
冬場ならまだしも露出の多い夏場にはちょっと行きたくない道だ――内心うんざりしていると、羽継の手が苺の枝を抑えてくれた。
「…ありがと」
「ん、」
羽継の手を借りて急いで進むと―――目当ての「おうち」が見える。
「傷んだ屋根の小さなお家」こと目の前の【七不思議】は、ただ静かにそこに在った。
「―――ちょっと離れててね」
羽継は頷くと、私の邪魔にならないようにと自らの【異能】を切った。
その途端にあの子から発されていた、清々しくピリッとした…ミントのようにすっきりとした気配は失せてしまう。―――残り香もなく消えたそれを、少しだけ惜しむ自分がいた。
「……はぁ」
息を吐く。
……背後に羽継の気配を感じる。
目の前には、小学校の頃に作らされた小鳥用の家みたいなものが、苔を生やして鎮座している。
丸い穴からは「悪意」が溢れていて家を取り巻いていて、この一見静かで素敵な木陰の空気を変質させている。
―――それを確認すると、私は一度目を伏せ、そっと指を伸ばし……私の「中」から溢れて周囲で遊んでいた魔力に命令した。
(さあ、【術者/安居院 玲】が創りし"錠"よ。 彼の血族である我が身の前に現れよ)
安居院の魔力を証拠に、封印の陣は私の目の前に姿を見せる。
それに遅れて私の周囲から優雅に伸びた金色の糸――まるで編むように錠を象ると、終いに「かちゃん」とわざとらしい音をたてた。
一呼吸吐いた私はこの十余年、まったくもって無傷で完璧に【怪異】を縛っているお父さんの術。それに感動しながら、この手を開く―――。
(時計よ時計、厳粛に過去を記した魔法の時計―――)
その呼びかけに、【怪異】と【私】の中に在る「時計」が大きく鳴った……幻聴を聞いた。
―――この幻聴は私の命令に対する「了承」の合図だ。これが鳴ればすぐに起動する。
…というのも、我が安居院家は「時間」にまつわるものならば、他の術者と違って早くに起動し複雑な陣や呪文を言わずに行使することができるのだ。
だから私が普段なんてことなく使っている「加速」の魔術すら、分家や他の術者がやろうものならば手間と準備がかかる。
そして私が現在行っている「過去あったことを読み取る」魔術は、道具がなければよっぽどの術者でない限りは使えないのである。………ドヤッ
まあそういうわけで――私は魔力が黄金の花びらとなって時計の形を象るのを待つと、【霊安室】が保護する前に魔導書が奪われた日から現在まで、この七不思議に異常はないか、魔導書の力と接触していないかを調べる。
「……………異常なし」
―――走馬灯のように過去の景色を見た私は、起動していた術式を切る。
すると時計も錠も、黄金の花弁と散って空気に溶けていった。
これで、もう終い。
次の【怪異】に向かわねばならない――の、だが。
(………振り返り辛い)
―――術式を起動する最中から今まで、背後の羽継の強い視線を感じていた。
不快ではないのだけど、……あの子が【異能力者】として目覚めた原因が私の魔術行使によるものであるがゆえに、………そう、怖いのだ。
もし今、振り返ったら……羽継が憎々しげに私を見ているのかもしれない――なんて、思ってしまって。
……だって羽継がそこまでガン見する時って睨んでる時とか怒ってる時とかが多いんだもん。
そもそも羽継は私を「傷物」にした責任をとって私の「お仕事」にも付き合ってくれているだけで、本心は友達と遊んだりひとりの時間を過ごしたいと思ってるはず。
でもあの子は優しい子だから、そういう態度に出さないだけで――なんて、あの子の視線を感じる度に、延々と胃が重く沈みそうなことを考えてしまう。
でもうだうだしてたら不審がられるし、時間が勿体無いから、私は息を吸って心を落ち着かせ、何でもない顔で振り返った。
「……おつかれ」
私が振り返る前に視線を逸らした羽継は、何故か空を見上げてそう言った。
……オイなんだその態度、と言いたいけれど、労いの言葉は優しかったから黙っておく。
「―――えっと…なんかね、今年も肝試しやろうってバカいっぱいいるみたい」
「ああ、もう夏だしな」
私はさっさと立ち上がって、ここ数日七不思議の一つである「おうち」に接触を図った生徒のことを教えた。
その多くが噂を聞いたばかりの一年生で、何度か起動しかけはしたものの私のお父さんが施した封印にがっちり拘束されていたために七不思議は起こらなかった。
「でも、万が一のこともあるから、何度か様子見とく」
「そうか」
羽継がチラッと「おうち」を見る。
さっきから私を見ないくせになんだよー! と思って無意識に摘んだ紅葉苺を「おうち」に投げると、ぽっかり空いていた「おうち」の穴に見事入っていった。
(……………「おうち」…か。)
この小鳥小屋は、学校で作られた物ではない。……「朝桐」、つまり私のお母さんの家の物が創り出した呪物だ。
恐らく実験か試運転の目的で「朝桐」の人間は同学年であった女生徒を唆した。
「不思議なことが起こる」――そう、好奇心の強い女生徒に。
深く考えもしなかった女生徒は「呪物」を覗き見る。
穴から見えたのは葡萄のように連なった眼球で、ぶち、と一個が潰れて女生徒の身にかかった。
それは「起動」の合図――呪いが肌に染みて、女生徒は一つの「異常」を抱く。
隣にいないのに、まるで耳元で囁かれたように、「心の声」が聞こえる。…そんな「異常」。
女生徒は噂好きだったから、初めはこの「異常」を喜んだ。
大好きな彼の「気持ち」、誰かの知られたら恥ずかしい「妄想」、秘しておきたい悩み、怒り、憎み、喜び、悲しみ。
―――その女生徒が知らぬことはない。まるで神様になったようだと、彼女の遺した日記に書かれている。
……けれど、「神様気分」はすぐに終わる。
女生徒が口の堅い人間であればまだ…いや、きっと結果は変わるまい。
口の軽い女生徒は簡単にひとの「秘密」を暴き過ぎた。最初はこぞって女生徒からゴシップを得ようとしていた周囲は、「次は自分の秘密を暴かれるのでは」と不安になり、暴かれたものは憎悪を抱く。
―――その結果が「無視」。
最初は暴行などもしようとしていたらしいが、心の読める人間には簡単に回避される。そのことがますます気味悪がられて、最終的に全ての人間に無視をされた。
けれど、女生徒は誰にも話しかけられないのに、常に悪質な「話し声」が頭を溢れる。
女生徒の大好きなゴシップ情報を消すほどに、頭の中は「悪意」で埋まっていく―――。
耐え切れなくなった女生徒は、家に引きこもることになった。
その頃には「異常」は膨れ上がって、数軒先の家の内情まで知れた。……けれど平気だった。学校にいる時と違って、誰も女生徒のことを考えないからだ。
女生徒は、誰も自分と会話をしてくれないから、ノートに日々知った情報を書いていった。
そうしてると日記に夢中になってきて、どんどん部屋に引きこもるようになった。
最初は気楽に構えていた女生徒の両親は娘のその様子に眉を寄せるが、結局何もしないうちに突然、娘――女生徒は自殺した。
女生徒が書いた最後の頁は、真っ黒のマーカーペンで塗り潰されていた。
なんて書いてあったのかは誰にも分からないそれは、「友人」の手で教室に披露され、気味悪がられ他の子へのいじめの道具にされた。
そんな、救われない女生徒の葬式後、彼女の両親はすぐに離婚したそうだ。
そして、両者はすぐに他の相手と結婚したらしい。
………と、話は締めくくられる。
ちなみにそれ以降、面白がった生徒が彼女の日記に書かれたこの小鳥小屋を覗いて気が触れたり自殺未遂をしたという事件がたびたび起き、一時はこの中庭の使用を禁止したこともあったらしい。
けれど長い時を経てまた使用を許したところ、似たような事件が続いたために当時中学生であった私のお父さんが封じたのである。
そしてお母さんの魔術で、ここら一帯の通行を拒む紅葉苺を番人に変えた。
これは対人間というか対怪異で、この呪物に近づく怪異の類は魔の刺に抱かれてその力を削がれるのだ。
私たち魔術師も怪異に近い存在であるため、本来なら一般人よりも侵入が困難――のはずなのだが、流石にお父さんの封印と違って魔術が弱まってきている。羽継が簡単に抑えることができるほどだ。
「この紅葉苺、強化しなきゃ……一旦出ようよ、羽継」
「ああ」
私の言葉に、羽継は先に出るとまたも出入りを阻む紅葉苺の棘から庇ってくれた。
痛いだろうに一切顔に出さない羽継は―――今、何を思っているんだろう。
紳士な理由で私を守ってくれたのか、……過去の罪悪感を消すために私を庇ってくれたのか。
………毎日毎日、私に付き合ってばかりで…――本当は……この時間を、友達と過ごしたいんじゃないかな…。
……私の面倒だって、お喋りだって……本当は、したくないのかな…。
(……いかん、引きずられる)
――――さっき「おうち」に触れていたせいか、ネガティブな思考に陥って「知りたい」と願う自分がいる。
こういう、心の防御が弱いところがまだまだ半人前なんだ。その手の誘惑に負けたら安居院の名が廃ってしまう。
「……どうした?」
「ん…―――いや、ちょっとね」
私の変化に目敏く気づいた羽継に苦笑いで手を軽く振る。
「そうか」と紅葉苺から手を離し、通り終わった「道」を塞ぐ羽継――の背を見ながら、私はなんとなく問いかけた。
「―――ね、羽継は…なんでも知る力なら…得たいと思う?」
「は?」
「その…無効化能力じゃなくて、何でも知ることの出来る力。どっちか得られるとしたら、後者の方がいいと思う?」
私は――まあ、今の能力がいいな。
安居院家の一員であることに誇りを持っているし、私じゃ上手く扱えないような気もするし。
……それに、私がどうしても知りたいことはただ一つだし……。
でも、羽継はどうかな…羽継は賢い子だし、私の家が能力を調節する術を与えるだろうから、案外チョロイ人生を歩めてイイのかもしれない。
そう考えていると、私の急な質問に不思議そうな顔をしていた羽継は笑って、
「考えるまでもない。"今の"能力だよ」
「え?」
「何でも知ることができたって、俺には役立たずな力だ。対人はともかく、【怪異】に思考はないからな」
「あ、うん…?」
「いざってときに局面を打開できない力に用はないさ」
「……羽継は、"こっちの世界"で生きてくつもりなの?」
まるで【怪異】と戦い続けるような言い方だ。
羽継はお父さんと同じくお医者さんにでもなるのかと思ってたんだけど、実は【霊安室】で働きたいのかな?そりゃ、羽継みたいな異能力者なら【霊安室】も大歓迎だろうけど……。
私の質問には答えず、ただ笑っただけの羽継は「ほら、さっさと終わらせて次行くぞ」と手を振った。
私は渋々頷き、紅葉苺と向き合う。
お母さんに教わった術式を起動させようと目を閉じると、
「…第一、俺はそんな力よりも、……気持ちがすぐに伝わる関係の方がいい」
背後の羽継はそう言った後、「つまりだ、あれには魅力がない」と奥の怪異を評した。
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彩羽さんは過去、羽継が原因で怪我を負ってまだ痕が薄ら残っている(いつかその辺もしっかり書きます)のが彼に罪悪感を与えていると考えています。
つまりアレです……羽継は不憫な子なのでした。




