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5-5

 それからのヤギさんは、宣告通り時も場所も選ばなかった。

 好機と見れば、家の中はもちろん外出先でも、果敢にわたしを口説きにかかるのだ。さすがにご両親や桃花さんをはじめ人前では、あからさまな言動を慎んでくれる。しかし側に人の気配がなければ、手を握られたり肩を抱かれたりなど、一歩間違えばセクハラになるような事をしでかしてくれる。

「や、ヤギさん、これはセクハラですっ」

 と文句の一つでも言えば、

「嫌いな相手ならばともかく、好意を持った相手からの行為はセクハラにはならん」

などと言い返されてしまう。確かに人間としては好意を持っている。教師として尊敬してもいる。あの家から連れ出して貰った恩もあるし、何よりもヤギさんの家に住まわせて貰っているのだ。だが同じ好意でも、異性に対するものではない場合、セクハラは成立するのではなかろうか。

「お前が本気で俺を訴えたいのなら、そうすればいい」

 開き直りとも取れる強気な発言に、思わず開いた口が塞がらない。

「だが訴えないのなら、遠慮はしない」

 ずりずりと後退るわたしを、口元に笑みを刷いたヤギさんが追って来る。

「どうしてそんな、両極端な選択肢しかないんですか」

 ヤギさんは一気に間合いを詰める事をせず、わたしと同じ速度でじりじりとにじり寄って来ていた。

「そんなもん、決まっている」

 下がって下がって、壁ぎりぎりにまで追い詰められる。

「俺に、余裕がないからだ」

 軽く肩を押され、背中がとんと壁に突き当たった。

「わたしなんかより、ずっと余裕があるじゃないですか」

 ヤギさんが仕掛けて来る愛情表現とやらに煽られているのも振り回されているのも、いつもわたしの方だ。ヤギさんはいつだって笑顔で、それはそれは楽しそうにわたしを翻弄していると言うのに。

「当たり前だ。お前より何年長く生きていると思っている」

 改めて考えるまでもなく、わたしとヤギさんの間には十年の差がある。それはそのまま人生経験の差だと言いたいところだが、社会人になって数年のわたしと、教師という立場で多くの学生達を育て見送ってきたヤギさんとでは、人間としての厚みに圧倒的な差があった。

「と格好つけて言いたいところだが、実のところ、お前に関しては余裕なんぞこれっぽっちもない」

 どこが、と心の中で思わずツッコミを入れてしまう。

「お前の周りには、男なんかごまんといる。さっさと捕まえておかないと、見も知らない男に横からかっ浚われかねんからな」

 いや、そもそもわたしに対して恋愛云々を仕掛けて来ているのは、現在のところヤギさんだけなのだが。ヤギさんの目にわたしがどう映っているのか知るのが怖いが、必要以上に買い被られているのは間違いないだろう。

「ヤギさんこそ、学校でモテモテなのに。わたしなんかにかまけなくても、いくらでも引く手」

 数多なのに、と言いかけた時だった。だんっ、と頭の両側に、大きな音を立ててヤギさんの手のひらが押しつけられた。

「俺は、お前が良いと言っているんだ。それ以上ふざけた事を言うなら、実力行使でその口を塞ぐぞ」

 至近距離から言い放たれた言葉に、身が竦んだ。

「じ、実力行使って、なに」

 何をする気なのかと続くはずの言葉は、宣告通りヤギさんによって、口ごと封じ込められた。近すぎて、ヤギさんの顔の輪郭がぼやける。唯一見えるのは、真っ直ぐにわたしの目を見るヤギさんの瞳だけだ。

 押しつけられただけの唇が離れたのは、ほんの数秒後だっただろう。しかし呼吸を忘れていたためか、まるで何分もの間そうしていたかのように感じた。

「麻妃」

 名前を呼ぶ声ではたと我に返ると、まだ互いの鼻が触れ合うほど近くに、ヤギさんの顔がある。今あったばかりの出来事を思い出し、顔に一気に血の気が上って来た。心臓が今まで経験した事がないくらいにばくばくと脈打つ。

「な、な、な」

 何をするんですかと言いたいのに、言葉にならない。

 少しだけ角度を変えたヤギさんの顔が再び近付いて来る事に気付き、内心慌てるものの思うように体が動かない。手足に力が入らないのだ。もう一度唇が触れ合う寸前、わたしの根性なしの膝ががくりと崩れ、壁伝いにずるずると座り込んでしまった。

 不意打ちにもほどがある。いや一応は警告というか予告をしていたのだから、正確には不意打ちではないのかもしれないが、心の準備も何もあったものではない。

「ヤ、ヤギさんの、ばかー。あほー。ひきょうものー」

 熱く火照った頬を両手で押さえ、呻き声に近いほど小さな声で呟く。

 悪態を吐かれているというのに、壁に手を突いたままのヤギさんが笑っている気配が伝わって来た。

サイトで公開しているのがここまでですので、ここで完結とさせていただきます。

今後の予定は、未定です。


最後までおつきあい下さった皆様、ありがとうございました。

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