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30.「……アランの所まで、連れて行って下さい。」

お久しぶりです。


 隊長は暗闇に紛れ、そして己の勘を頼りに敵の基地内を歩いていた。

 遠くからはまだ争いの声や音が聞こえており、彼が居る場所の奇妙な静けさが漂っている。ここに残っていたらしい精鋭たちはもうほとんど彼とアランが倒してしまったらしく気配すらなかった。


 あるとすれば、細い呼吸音。おそらく先程切りつけた兵士の中にまだ息がある者が居るのだろう。しかし、それに構っている時間はないし、別にとどめを刺す必要もない。


 今彼にはやらなければならないことがあるのだ。


 始まった当初にあった、呑まれるような空気が消えたことに気づいた彼は、そっとその場から離れ、ひとり自国の姫を探して居た。それが今の彼にできることだ。それ以外はない。


 それもそのはず。切りつけられた左腕の付け根の血は今こそ止まっているが、さっきは動くごとに傷口が開いて血が出ていた。そろそろ出血が酷いために、めまいがしてきたのだ。


 ―――もうそろそろやばいな……


 目が眩み、足取りも危うくなっている。だが、ここで倒れるわけにはいかない。覚束ない脚を何とか動かしながら、隊長は懸命に進んだ。


 何とか周りを見渡す。片目はもうつぶらずにはいられない。痛みを堪えるせいで、汗が溢れ出ていた。


 そんな片目の状態で彼は何とか自分ができることを達成するために努力していた。

 と、何故か目についてやまないテントが一つ。何故か判らないが、異様な雰囲気を感じた。


 それにだけ何か黒い渦のようなものが纏っているように見えてならない。とうとう自分の目が可笑しくなったのかと疑ったが、すぐに思い返す。リリアナはカランの手によって攫われた。彼女が捕らえられている場所に魔法がない方が逆におかしいのだ。


 だが、何故その渦が自分に見えるのか、彼自身にもよくわからない。魔力が皆無の彼にどうしてその変なものが見えるのか。


 しかし、今はそんなことどうだっていい。姫を助けることさえできればそれでいいのだ。


 咄嗟に思い付き、そこらへんに転がっている奴の胸元から赤い石のついたネックレスをもぎ取る。麻の紐でついていたそれはいとも簡単に隊長の手の中に納まった。


 それを2、3個、もう力がほとんど入らない左手に括りつけると、その手でテントを開く。確かにそれは効果があるらしく、黒い靄は隊長の手を避けるように逃げて行った。


 紐を解き、中を窺う。辺りが暗いためそれほど中と外での明るさに変わりはない。それでもほんの少しだけ月が光源となった。


 彼は目を細めて中を見つめる。と、暗がりの中、何かが動いた。

 視界が薄まる中、さらに目を細めて視点を合わせようとする。そして、一か八かに賭け、声を発した。


「……姫さま?」


 その声に反応し、中にいる影は身体を震わせた。


「その声は……隊長様?」

「…よかった。」


 声を聞き安堵した彼は、そこに崩れ落ちた。

 一気に身体の力が抜け落ちる。自分の意思など関係なく、体の緊張が解けてしまった。手に握っていたあの赤い石も転げ落ちる。それほどまでに彼の身体は限界に達していた。


 そんな彼に駆け寄ろうとしても、彼女も疲弊していて上手くいかない。それでもなるべく早く近寄ると、腕に触れた。


 目を閉じ、右手に力を入れる。隊長の肩のあたりに触れるか触れないかの距離を保って手をかざし、必死に祈った。


 ―――どうか、彼を助けて……


 血は止まっているようだが、彼には生気が足りない。彼に元気が戻るようにリリアナは祈り、その光が消える頃には隊長の顔色は戻りかけていた。だが、完全ではない。彼女の力を持ってしても、この状況ではどうしようもないのだ。


「姫さま、このような状況で貴方の力を使われる必要は……」

「そのような身体で何を言っているのですか!」


 一蹴され、隊長は寝そべったまま言葉を呑みこんだ。


 一方の彼女は、ようやく月の光に目が慣れてきていた。ずっと真っ暗な建物の中にいると思っていたのだが、どうやら違うらしい。自分が居た場所がとてつもなく小さな、しかも簡易的なテントだと知り、驚いていた。


 そして、妙に納得していた。

 こんな戦乱の中、強固な監禁場所があるはずがない。ならば、幻覚で見せればいいと思ったのだろう。逃げ出せないと思わせるにはそれで充分だ。リリアナは見事術中に嵌ったと言うわけだった。


「隊長様がこんな怪我を負うなんて……戦は、一体どうなったのですか?!」


 悲鳴を上げるかのように、彼女の声はかなり上ずっていた。

 その声に隊長は顔を顰める。そして、言葉を絞り出した。


「戦の状態はわからんが、おそらくまだ続いている。アランと二人で乗り込んだはいいが、自分はこんな状況だ。アランは……」


 そこで苦渋の表情を浮かべる。一瞬置かれた間にリリアナはアランの身に何か起きたのではないかと不安に思った。


 それが分かったのか、隊長はアランに怪我がないことを伝える。彼女は小さく息を漏らした。だが、その安心もつかの間。すぐに不安が押し寄せてくるような事実を告げられた。


「現在はカラン殿と戦っている。」


 彼女は気が遠くなるような絶望感を感じた。誰も叶うはずがない。今世紀最大の魔法力の持ち主と謳われる彼に、一介の騎士であるアランが勝てるわけがないと思ったのだ。


「姫さま、そんな顔しなくても大丈夫さ。奴はやるときはやる。そうだろう?」


 不安を表情から読み取ったのか、リリアナは隊長に励ましの言葉をもらい、思い直した。


 このような状況で自分よりも確実に体調が良くない人間に励まされている事実を恥ずかしく思い、し

っかりしなければいけないと心を前向きにした。


 まだ争いが続いていると言うならば、自分にも何かできるかもしれない。一人ずつで闘っても駄目ならば、二人で力を合わせて戦えばいい。その方が勝つ可能性があると言うものだ。


「ごめんなさい。これ以上隊長様を癒す事は出来そうにありません。」


 それは一瞬ネガティブな発言に思われた。しかし、彼女の顔は先程の弱気なものではない。顔色は悪いが、目には炎が宿っているように隊長には思えた。


「……アランの所まで、連れて行って下さい。」


 力強く言い切られたその言葉に隊長はニヤッと不敵な笑みを浮かべる。そして、すっと立ち上がった。


 その様子を見ていたリリアナは驚いて自分も立ち上がる。さっきまで死にそうにしていた人間が多少の癒しを与えたとはいえ、そんなにすぐ回復するはずがない。身体を支えようと駆けよったはずなのに、その自分がふらついて身体を支えられる羽目になった。


「姫さまもこのところ患者の治療で力を浪費していたはずだ。無理はしちゃいかん。」

「いえ、隊長様の方が心配です。だって、ものすごくたくさんの血を流されたようですから。」


 顔色の悪さや傷の状態から分かったことだが、リリアナは痛みを和らげること以外の治療ができない歯痒さを感じていた。


 治療としては血液を増やすと言う魔法もある。しかし、今の彼女の実力ではその魔法を使うことはできなかった。


 そして、この数日間、彼女はかなりの人数の患者を見てきた。一人ひとりに充分な治療ができないほどの人数だったため、その力の消費は激しい。彼女がこうしてここに立っていられることの方があり得ない事実なのだ。


 そんな彼女の状態が分かっているからこそ、隊長は自分を顧みずに彼女を支えようと出来るのだった。


 二人はお互いを支え合って進んで行く。そして、先のような場面に遭遇することになったのだった。


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