11:差し伸べる手
ひゅ、と、喉から息がすり抜けていく。床に打ち付けられた身体が痛み、グローリーは目に涙を浮かべた。窓から差す光が圧し掛かる身体によって遮られ、暗い影に包まれる。
「っ、あ……ぅ」
呼びかけようとした声は、細い指に締められて掻き消えた。首を絞める大きな手は震え、そのおかげか息苦しいが全く呼吸できないわけではない。ふらりと手を添え、涙で滲む視界で見上げる。
「あ、る……ッ」
力がかかり、びくりと身体が跳ねる。苦しさで、身体がはちきれそうだ。爪が彼の腕を掻く。白い肌に、赤く筋が残る。力が緩み、ひゅぅっと喉が鳴った。
「ごめ、な、さ……ごめんなさ、い……」
「あ……」
グローリーはアルゼンタムを見上げ、涙を零した。殺意を向けられたということは、結局、彼にとって自分は好意を向けられることもおぞましい存在であったということだ。彼に殺されようとしていることよりも、彼に嫌われたことがただ悲しい。
「すきになって、ごめんなさい……」
義務に過ぎない優しさに、責任に過ぎない温もりに、甘えて勘違いをして。
アルゼンタムは青ざめた顔でグローリーを見下ろし、自分が何をしているか確かめるように白い首を撫でた。ぎし、と細い首が絞められる。まるでグローリーに怯えるかのように、震えながら。目を潤ませて、恐怖に顔色をなくして、擦れた声が零れる。
「……めろ、やめろ、俺は……っ」
「く、ぁ……ッ」
「わるくない、からっ、やめろっ、呼ぶな、うそだぁっ!」
ぎゅう、と気管が絞まる。優しく髪を撫でたその手が首を絞め、柔らかく語りかけた口は錯乱し畏怖の言葉を零し、暖かな感情を与えてくれたその人に殺されようとしている。
それでもいいと。
グローリーは膜を隔てたように遠のく世界で、ぼんやりと思った。彼の手で終われるなら、今この瞬間に死ねるなら。自分は最期に、愛を知って逝くことが出来る。愛する人を感じながら死ぬことが出来る。
「……っ!!」
不意に、ひゅうと音を立てて喉に空気が滑り込んできた。身体は貪欲に空気を求め、グローリーはひりつく喉で咳き込んだ。酸っぱいものが込みあがり、また咳き込んで、ようやくグローリーは何が起きたのかを知った。
アルゼンタムが、倒れている。グローリーに身体を半分ほどかぶせて、ぐったりとうつ伏せになっていた。
「ぁ、る……っ!」
「大丈夫だよ、身体は何も傷ついてない。落ち着いて」
熱のこもった頬にひんやりとした手が添えられた。見上げると、『心眼』がしゃがみこんでいる。彼が、アルゼンタムに何かした、のだろうか。
「ある、は? ぶじなの?」
「キミはまず、自分の身体を心配すべきだと思うんだけどなぁ……」
苦笑を浮かべた『心眼』は幼い外見に似合わない、老成したまなざしでグローリーを見下ろした。少し困ったようにアルゼンタムを眺め、手を伸ばしかけてそれを引っ込める。
「まいったな、こりゃ、誰か人を呼ぶしかない。とりあえず、悪いけどキミは自力でそこから出てこれるかい? ボクはちょっと……アルゼンタムに触れそうにないから」
『心眼』の言葉を怪訝に思うが、しかしアルゼンタムの身体にいつまでも押しつぶされているわけには行かない。いくら細身といえど成人した男性、それなりの重みがある。ずるずると身体を引きずり出すと、『心眼』はグローリーの手をとって立たせた。
「あ、ありが……」
「お礼の前に、部屋から出よう。今アルゼンタムが目を覚ましたらマズイから」
「え?」
ぐいと引かれて、よろめきながら部屋から連れ出される。グローリーはおろおろと後ろを振り向くが、アルゼンタムは反応なく倒れたままだ。
「で、でも、アルが……」
「また殺されかかりたいのかい」
今までになく冷たい声で、ぴしゃりと言葉が打ち付けられる。グローリーはそれでも不安だったが、アルゼンタムの意識を奪ったのが『心眼』なら、今は従うしかないだろう。
それに、アルゼンタムの豹変の意味を教えてくれそうなのは『心眼』しかいない。嫌われたのだろうとは思うが、しかしそれでもアルゼンタムはどこかおかしかった。怯え、震えて、グローリーを殺そうとした。
「アルは……、アルは、大丈夫なの?」
縋るように、手を引く小さな背中に呼びかける。グローリーの知る他人の中で最も年月を重ねた落ち着きを持つ彼ならば。『心眼』はしばしの沈黙の後、ぽつりと零した。
「……それを、ボクも知りたいと思っているんだよ」
その声は泣き出しそうなほどに切なく、グローリーの心を映したようにか細く震えていた。
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応接間のソファーに身体を沈みこませて、グローリーは戸惑いながら『心眼』を見た。連れられたときのまま、手は繋いだまま二人でソファーに腰掛けている。幼い外見の二人がそうして身を寄せ合う様は微笑ましくすらあるが、しかしそこには張り詰めた空気が存在していた。
ぎゅ、と掴んだ手に力を込めて、『心眼』は躊躇いがちに口を開いた。
「何があったのか、教えて欲しい。……といっても、覗き見は既にしているんだけどね。それだけじゃよく分からないから」
覗き見、の言葉にグローリーは首をかしげ――手元を見下ろしてその意味を把握した。ずっと繋がれた手は、心を読むため、だったのか。温かかった気持ちが急激に冷めていく。
「……不快だろうけど、このまま頼むよ。キミが回想して整理するのを、きちんと『視』たいんだ」
「わかり、ました」
心を覗かれる。今まで意識したことがなかったが、何というか、酷く居心地が悪い。それでも、『心眼』の態度には悪意は感じない。言われなければ気付かなかったのに、わざわざ心を読んだことを言う素直さにも好感が持てた。
グローリーは細く息を吐き出して、必死に思い返した。
「……アルの、誕生日だってお姉さまに聞いて。だからプレゼントを用意したの。渡したときは、普通、だったと思う。でも、わたしが……愛してると、言って、そうしたら」
アルゼンタムの顔は見る見る青ざめ、表情には怯えが走った。今までずっと見てきた優しく笑った顔が消えうせた。エルウや『心眼』と話すときのような苛立った顔とも違う、初めて見た、恐怖の顔。
そして、手は伸ばされた。ハンカチが床に落ちて、グローリーはそれを見ていた。身体を打つ痛みと息苦しさが襲い掛かり、グローリーはようやく気付いた。
「アルがあんな顔するなんて、知らなかった……アルだって悲しんだり怯えたりするはずなのに」
そういった感情とは、どこか遠い存在だと思っていた。いつも穏やかに笑い、グローリーを慰め、ときには本気で心配して怒り。自分を守ってくれる完璧な存在なのだと思っていた。
「……アルは、わたしと、二つしか違わないのに」
「賢い子だね。それが分かっていれば上々さ、キミは大丈夫だよ」
ぽんと、離れた手が軽く肩を叩く。優しく暖かなその仕草に、グローリーは寂しさも感じた。彼であれば、微笑んで優しく頭を撫でてくれるだろう。そう思うことも、過剰な期待なのかもしれないが。
「ごめんね」
「え?」
見れば、『心眼』は空いた手を所在無く握り締めて、苦笑していた。衰えた老父のような、あがく力を年月にすり減らされ疲れきった表情。
「ボクが直接触れば、心の深いところまで感じてしまう。相手の精神が混乱状態にあれば、それに巻き込まれてしまう。アルゼンタムを助け起こすことも出来ないし、キミを慰めることも出来ない」
「あ……」
前もそうだった。急に倒れたアルゼンタムに寄り添ってはいたが、決して触れようとはしなかった。手を伸ばし、それを止める。そんな仕草を何度か見た覚えがある。本当は触れたかったのだろうか、彼に手を差し伸べるだけでなく。
「ごめんなさい、わたし……」
「ん? 謝らないでいいよ。考えることを止めろなんて言えないからね」
笑みを浮かべるその真意は量れない。グローリーの要求は、彼にとっては苦痛でしかないのに、フォローまでさせてしまった。誰よりも触れたいと願っているのは、他でもない彼だろうに。
大人だと思っていたアルゼンタムは二つしか違わない子供だった。全てを見透かすと思っていた『心眼』は触れることすら出来なかった。思い込んでいたものが、そうあるべきと思っていた世界が、呆気なくも偽りだったと知らされる。
小さな世界が崩れる音がした。




