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公爵は心底嘆かわしそうに悲鳴をあげた。
「借金と引き換えに、叙爵を決めたのですか!? それはつまり、金で爵位を売ったということですぞ!? なんと不謹慎な…………!!」
「予算は大事じゃ」
桜子は断定した。
何事も先立つものがなければ、話ははじまらない。
だが公爵は、療養仲間以外の大臣達を見渡して非難しはじめた。
「そなたら! 何故、陛下をお止めしなかった! 特にオーロ男爵! よもや、貴様の入れ知恵ではなかろうな!? この守銭奴めが、陛下が世間を知らぬのをいいことに…………!!」
「やめよ!!」
女王が宰相を一喝した。
「なんと聞き苦しい。財務大臣に非はない。すべて妾が考え、実行したことじゃ。貸主達への叙爵。これは決定事項じゃ、撤回はせぬ。それより本題じゃ」
「本題?」
「以下の者達を処分する」
女王陛下が指示すると、横に立っていた役人が十名ちかい貴族達の名をあげ、それぞれに対する罷免や爵位の降格、そして罰金などの処分を読みあげていく。
ドゥーカ公爵は仰天した。
爵位や役職は様々だが、みな彼の『お仲間』『とりまき』の貴族達ばかりである。
当然、怒った。
「なにを馬鹿げたことを…………!」
「馬鹿げてなどおらぬ。罪状は様々じゃが、みな不正に関わった者達ばかり。証拠はそろっておる。たとえばマルケーゼ侯爵」
女王が公爵の隣の人物に顔を向けた。
「そなた、国内中の工事を一手にとりしきる建設大臣の立場を利用し、賄賂を得ていたな」
「な、なにを馬鹿な…………」
口ひげを整えた建設大臣は否定したが、一気に表情がこわばる。
「すべての工事計画を、一から検討し直した。真実、必要かどうかを。すると興味深い事柄が判明したのじゃ。資材の発注や運搬経路。その他、わざわざ経費のかかる方法がとられておったのじゃ」
アウラの琥珀色の瞳が怒りの光を放ちはじめる。
要約すれば、裏取引だった。
たとえば、領内で木材や石材を産出する貴族は当然、それらを国の工事で買ってほしい。そこで国内の全工事を司るマルケーゼ侯爵に「自分の所から資材を購入してくれ」と賄賂を渡す。マルケーゼ侯爵は他にもっと割安で品質の良い産出地があるにもかかわらず、その貴族と購入契約を結ぶ。
それどころか、どうでもいい記念碑や記念館のような口実までひねり出して、工事の数を増やしてすらいた。
「工事は必要です! 国が工事を行うからこそ、雇用が生まれるのですぞ!?」
「工事の必要性は、妾も承知しておる。大規模な公共事業も、時には必要であろう。しかし」
マルケーゼ侯爵の反論に、女王の底光りする瞳が向けられる。
「それと、無用に予算を費やすことは別問題じゃ。ただでさえ、ロヴィーサの国庫は危機的状況にある。にもかかわらず、いい加減な計画で予算を湯水のように使うなど。まして、その増額した費用の一部が特定の大臣の懐に流れるなど、言語道断!」
「し、しかし、雇用が…………民が賃金を得る手段が…………」
「工事計画を詳細に見直した。その賃金自体、相当金額を抑えておったな。浮いた予算は、どこへ流れたのじゃ? そなたがうけとった高額の賄賂。その金額は、工費に上乗せされていたのではないか? 賄賂がなければ、大工達の賃金を上げることも、工費を抑えて国庫の支出を減らすこともできたのではないか?」
「…………」
「そもそも予算の原資は、民からの税金! 今、ロヴィーサの民は重税にあえいでおる。工事の破格の予算のために税がはねあがり、にも関わらず、手にする賃金は少額で明日のパンを買うのもやっと。税を払うどころではない。雇用などと言いながら、本末転倒ではないか!」
大臣は顔色を失って絶句する。
「マルケーゼ侯爵。そなたは本日をもって、建設大臣の任を罷免する。ご苦労であった」
女王が合図すると、役人が一枚の書状を侯爵にひろげて渡した。
侯爵は愕然と、己の名が記された罷免状を凝視する。
「お待ちください! 大臣の任命、罷免については、私を通して…………!」
ドゥーカ公爵が抗議の声をあげるが、桜子は無視してつづける。
「そなたの受けとってきた金額、及び国庫に与えた損害の大きさを考慮して、卿のマルケーゼ侯爵位は剥奪。王宮からも永久追放とする。ただし息子への爵位や財産の相続については、領地の一部の没収を条件に、許すものとする」
女王陛下はさらに別の大臣達を見た。
「コンテ伯爵、グラーフ伯爵。両名も大臣の任を解く。ご苦労であった」
「えっ…………」
「何故です!? 我らが、なにをしたというのです!?」
「何故もなにも。両名とも四ヶ月、いや、もう五ヶ月の長期療養ではないか。これ以上、仕事が滞るのはかなわぬ。正式に解任するので、治療に専念するがよい」
「そ、それは…………」
「お待ちください! 我らはこのとおり、全快しました!! 即刻、職務に戻れます!!」
「だが、会議に遅刻するようではな。やはり本調子ではないようじゃ。無理せず休むがいい」
「陛下…………!!」
役人から正式な解任状を手渡され、絶望の声をあげるコンテ伯爵とグラーフ伯爵の様子に、ドゥーカ公爵も顔を赤くして若い女王をにらみつける。ようやく状況を理解したのだ。
「陛下、お戯れにもほどがあります。一時の迷いで重臣を罷免するとは、無能のそしりを免れませぬぞ」
「戯れではない。本気じゃ」
「なお悪うございます。彼らを失うことは、国の支えを失うこと。ロヴィーサの統治におおいに差し障りましょう。そもそも、なんの権限があって彼らを罷免、解任すると?」
「女王たる妾に大臣の任命権がないほうが、おかしいであろう」
「陛下に任命権はございます。しかしそれは、宰相たる私めの許可を得て…………」
「そなたの許可を得ずとも、妾は大臣を任命も罷免もできる。そもそも宰相の任命権も、国王たる妾の権限じゃが?」
「なにを馬鹿な…………」
「書類もこのとおり、そろっておる」
役人がさし出した書状を、ドゥーカ公爵はひったくるように受けとり目をむいた。
「こんなものは無効だ!! 宰相たる私の署名がない!!」
「宰相たるそなたの署名がなくとも、国王たる妾の署名があれば、書状は効力を発揮する。ロヴィーサの法に照らして、問題はない。そうじゃな? 法務大臣」
「は」
初老の大臣が女王の問いに短く応じた。とっさに宰相がにらむと、すっと視線をそらす。
「だが、私はこのようなことを知らされては…………」
「そなたにいちいち知らせずとも、会議は進む。妾の署名があるのだから。そう変更した」
「変更した、ですと!?」
女王がふたたび合図すると、役人が何枚かの書状をひろげた。
すべて、新しい法律や規則に関する内容だ。
要約するとそれは、これまで宰相や他の大臣達の署名を必要とした多くの書類が、担当の大臣一人と国王、もしくはそれに準ずる者の署名があれば事足りる、というものだった。
「これまでの規則は手間がかかりすぎる。執務が滞りなく進むよう、大幅に改善した」
ロヴィーサを牛耳ってきた宰相の目に、ゆったり語る女王の堂々とした姿、琥珀色に底光りする瞳が映る。
様々な局面で、宰相の署名が必要とされなくなる。
それはすなわち、ドゥーカ公爵の権限が削られたことを意味していた。
これまでのロヴィーサでは、執務上の手続きに時間がかかった。やたら会議が多く、簡単な認定一つにも、宰相をはじめとする三人以上の大臣の署名を必要とする。そのくせ宰相達が毎日長い時間、仕事するわけでもない。執務室に、目を通されるのを待つ書類が積みあがるのは当然の帰結だった。自然、現場の作業も遅れていく。
(まあ、気持ちと目的はわかるんだけどね。要は自分がすべてをにぎって、すべてを把握しておきたかったってこと)
桜子は内心で毒づく。
八歳で即位した女王の摂政に就いて以来、ドゥーカ公爵は自分達に権限を集中してきた。
軍事でも建設でも法務でも、多くの認定で宰相の署名を必要とする。小さな決定事項も会議を開いて宰相達が出席しなければ、無効となる。
それはすなわち、それらの事柄が宰相の支配下に入る、という意味だ。
女王陛下のドレス一着を注文するにも、宰相の署名がなければ動かないとなれば、女王はドレスを注文するために宰相に頭を下げなければならなくなる。
ドゥーカ公爵とそのとりまき達は、そうやってロヴィーサを支配してきたのだ。
(冗談じゃない)
実際、本物のアウラであれば、宰相達に対抗することは難しかったろう。
桜子も言及したように、彼女の教育はドゥーカ公爵に握られ、ダンスやマナーや楽器の演奏など『若く美しい女王』としての価値を高める教育は山ほどうけても、政治に関することは基礎の基礎、最低限の内容しか教わっていなかった。
今回の公爵達の集団療養にしても、アウラ相手なら効果があったに違いない。
桜子も政治に関しては素人だ。
しかし経理ならば、少し自信がある。
桜子はまず、自分の得意分野で戦うことに決めた。
ロヴィーサ国庫の帳簿を精査し、赤字の原因をつきとめ、借金の軽減に奔走する。
その過程で財務大臣の信頼を得、彼をとっかかりに、他の大臣達からの支持を集めることにも成功したのである。
有り体に言えば、療養に入らなかった大臣達もアウラに忠誠を誓っていたわけではない。単に、ドゥーカ公爵と敵対する派閥だったから、とか、どちらに与するべきか様子を見ていたから、とか、そういう理由だ。
しかし桜子が借金の三分の一を片付けると、彼らの女王を見る目は変わった。ドゥーカ公爵一派に反感を抱いていた者達は一気に女王派に傾き、桜子もこの機を逃さず、公爵達が不在の間に、会議で必要とされる人数をしぼり、会議の回数そのものも減らし、公的文書で必要とされる署名の数を厳選して、宰相達の許可を得ずとも女王の署名があれば政策が動くよう整え、公爵一派の権勢を削ぐことに尽力した。
桜子の署名量は一気に増えたが、政策が動く速度は目に見えて向上した。
そして目に見えて向上したことで、より女王への支持が集まった。
(本当に、公爵達が療養してくれて助かった。彼らが真面目に出廷していたら、絶対ここまでうまくいかなかったはず…………)
ドゥーカ公爵のアウラに対する侮りが、皮肉にも桜子に対しては好都合となったのである。
(本当は、この狸親父こそ罷免してやりたいんだけど)
そうするには理由がなかった。
現実には、ドゥーカ公爵は怪しすぎる立場だ。マルケーゼ侯爵の賄賂やその他の貴族の不正一つとっても、根をたどればドゥーカ公爵につながっているのは確実だろう。この狸親父はそうやって、公爵や宰相としての表の収入以外にも莫大な裏の収入を得て、毎晩の夜会だの舞踏会だのに注ぎ込んでいるのだ。
ただ、今回はそこまで証拠を集めることができなかった。
マルケーゼ侯爵がうけとった証拠は入手できても、その先が入手できなかったのである。
さらにドゥーカ公爵は自身の地位に対して何重にも防御をかためており、不正の証拠が手に入らなかった以上、女王の署名だけで罷免することは不可能だった。
(本当、自分の既得権益を守ることには頭が回るんだから)
桜子は舌打ちをこらえる。
が、ここであきらめるわけにはいかない。
ロヴィーサを立て直してアウラの処刑を回避するため、なんとしてでもドゥーカ公爵には、まだ当分おとなしくしていてもらう必要があった。
「残る本題じゃ、ドゥーカ公爵」
桜子は公爵を見た。
ドゥーカ公爵は青筋を立て、血走った目で女王陛下をにらみつけてくる。
本来は狡猾な政治家のはずだが、傀儡と思っていた道具から予想外の手痛い損害をうけて、憤慨のあまりポーカーフェイスを保つことができなくなったらしい。
桜子も内心では怯んだが、気づかないふりをして話を進めた。
「そなたには重要な任についてもらう」
「重要、ですと?」
嘲るような呪うような声。
それも次の一言で吹き飛んだ。
「妾は結婚する」