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足抜け

「……肝が冷えたぜ」


 押し殺すような声を、浮橋が出した。


「良太殿。浮橋殿は冷えたらしいですから、もう一度……」

「レンノールてめぇっ! そういう意味じゃねぇ! ったく……」


 再び俺に炎を出されてはたまらないと思ったのか、浮橋がレンノールを怒鳴りつけた。


「ちなみにですが、今の炎で良太殿の全力の何割くらいですか?」

「何割? んー……三分(さんぶ)くらいでしょうか」


 大体こんなもんだろうという見当でしか無いのだが、権能を大分使い慣れたのと、こっちの世界に来てから(エーテル)が増えた分を考えると、実際はもっと控え目な数字かもしれない。


「さ、三分!? それは私の予想を遥かに超えていますね……」


 逆にレンノールはさっきの炎を、俺のかなり本気を出した物だと考えていたようだ。


(さっきの十倍くらいの威力の炎を、周囲に影響が出ないように雷で封じ込めれば、もしかして核融合……いや、やめておこう)


 ちょっと危ない方向に考えが行ってしまったが、発電する訳じゃないので、興味本位でそんな事をしても意味が無い。


「まあ、やれって言ったのは俺だからな……で、改めて聞くが、何か用があるのか?」


 落ち着きを取り戻す為か、軽く頭を振ってから、浮橋が俺に向き直った。


「では単刀直入に言いますが、夕霧さんを下さい」


 ビキッ!


(あれ? なんか間違えたか?)


 実際には音などしなかったのだが、俺が浮橋に言った瞬間、夕霧さんと黒ちゃんと白ちゃんの周囲の空気が固まった音が聞こえた気がした。


「……お前、それは夕霧を嫁にくれってことか?」

「あ! そ、そういう事じゃなくてですね……」


(あー……あの言い方じゃ、そりゃそうだよな)


 自分の行動を振り返ってみれば、どう考えても父親に結婚の承諾をお願いするワンシーンだ。


 少し視線を動かすと、真っ赤な顔をして落ち着かない様子の夕霧さんと、魂が抜けたように憔悴しきっている黒ちゃんと白ちゃんが目に入った。


「えっと……お嫁さんに欲しいという事では無くてですね、夕霧さんを自由の身にしてあげて欲しいんです」

「そりゃあ、足抜けをさせろって事か」

「そうなりますね」


 軽く返してしまったが、忍者を扱った漫画や小説などで、足抜けというのが一大事なのはわかっている。


「それでですね、出来れば穏便に済ませたいんですが。可能ならお金とかで」


 抜け忍を扱った作品では、大概の場合は殺して口を封じる為に、次から次へと刺客が送り込まれてくるのがパターンだ。


「穏便に、ねぇ……」

「念の為に言っておきますけど、さっきのは脅すためにやったんじゃ無いですからね?」


 さっきの炎を威嚇みたいに取られるのは困る。何より、こっちが見せようとしたのでは無く、言われたからやってみせただけなのだ。


「もしも源家との契約の関係とかいう事でしたら、俺が直接話に行きます」


 護衛と言うか、行動を見守る対象である頼華ちゃんが俺と一緒にいるので、現状では源家に忍を増員する必要は無いはずだ。


「まあ、今の所契約しているのは、確かに源家なんだがな」


 浮橋はあっさりと、源家との雇用関係があるのを認めた。


(情報漏洩に関する約款とかは無いのかな?)


 仮に雇用契約があるとわかっても、握っている情報さえ漏洩しなければ大丈夫なのかもしれないが、それにしたって少し緩く感じるのは気の所為だろうか。


「まあ、夕霧が知っている情報で、外に漏らされて不味い物ってのは別に無いんで、そこは大丈夫なんだがよ……」

「では、何か他に問題が?」


 どうやら源家での夕霧さんのポジションは、俺の知っている頼華ちゃんの護衛兼給仕のまんまだったようだ。


(となると夕霧さんが知っているのは、源家の人達の表向きの情報だけか……)


 雇っている源家の人達と夕霧さんは、直に接する機会があると言っても、基本的には領民に接する時と変わらないだろうから、重要な情報なんかに触れる事は無いのだろう。


 結果的に夕霧さんが知っている情報は、頼永様や雫様、頼華ちゃんの好みの傾向くらいだと思える。まあそれを知っていれば、贈り物を考える時などには役に立つが。


(そういえば、雫様の猪のカツが好きなのは、相変わらずなのかなぁ……)


 上品で細身の源家の奥方の雫様の、いったいどこに入るのかと思えるくらい大量に猪のカツを食べる姿は、物凄く印象に残っている。


「わかり易く言うとな、忍は育成するのに時間が掛るんだよ」

「それは……なんとなくはわかります」


 成長の早い麻の種を撒いて、幼い頃から毎日その上を飛び越える事によって脚力を鍛える、というのは定番の忍者の修行法だ。


 鍛錬以外にも、任務内容によって身に付けなければならない技能や、護衛に付く人の身分によっては作法や教養なども必要になってくるので、育成には時間も手間も掛かるのだろう。


「大体、金でって言うが、夕霧の為にどんだけ積む気なんだ?」

「金貨五十枚くらいで勘弁して貰えますか?」


 いきなり持っている全額を提示すると、足りない場合に後が続かなくなるので、先ずは失っても惜しくない程度から切り出した。


 無論、夕霧さんの足抜けの金額にしては、安過ぎるだろうという自覚はある。


「「「!?」」」


 夕霧さんを下さいと言った時には、空気が固まるのと同時に夕霧さんと黒ちゃんと白ちゃんが息を呑んだが、今度は夕霧さんと浮橋とレンノールが息を呑む番だった。


「お、お前……」

「りょ、良太殿……」

「足りなかったですか?」


 五十枚くらいで勘弁して欲しかったが、浮橋とレンノールの反応は芳しくない。どうやら全財産を出す必要がありそうだ。


「りょ……りょうたさぁん……」

「え。なんで夕霧さんは泣いちゃってるんですか!?」


(もしかしたら「そんなに安い女じゃありません!」とか言われちゃうかなのかな?)


 それより何より、金で解決とか考えたのが、そもそもの間違いだったのかもしれないのだが。


「あー……お前さんの本気はわかった。だがまあ、貰い過ぎちまうとバチが当たるからな」

「え? それじゃあ……」


 思いもよらぬ言葉が、浮橋の口から出た。


「金貨で二十枚。それで夕霧は自由にしてやるよ」

「ありがとうございます!」


 どうやら少なかったと思っていたのは勘違いで、倍以上の額を提示した俺に、浮橋とレンノールは呆れていたらしい。


「うぇぇぇぇぇ……りょ、りょうたさぁぁん……」

「良かったですね、夕霧さん」


 泣きながら抱きついてきた夕霧さんを、優しく抱きとめた。


「あ、あたしぃ……あたしぃ……いいお嫁さんになりますぅぅ……」

「お嫁さんに貰ったんじゃ無いですよ!?」


 ギギギギィ……


 夕霧さんの言葉を聞き捨てならないと思ったのか、黒ちゃんと白ちゃんが歯ぎしりしながら、物凄い形相で見てくる。


(だ・め・だ・よ)


 黒ちゃんと白ちゃんに口パクで注意すると、膨らみかけていた殺気が消失した。


「うぇぇぇぇぇ……」

「……」


(やれやれ……でもまあ、穏便に済んで良かったな)


 まだ泣き続ける夕霧さんには困ってしまうが、とりあえず荒事にならなかった事には安堵した。



「私物はそれだけなんですか?」


 浮橋の家を出て、集落の出入り口の辺りで待っていると、風呂敷包みを手に提げた夕霧さんが走ってきた。


「そうですぅ。殆どは任地で調達しますからぁ、殆ど自分の物というのは無いんですぅ」


 忍の集落では家族で住んでいる者以外は、食事はまとまって済ませるので、愛用の食器なども無いらしい。


 源家では衣類は支給されていたので買う必要も無く、結果として夕霧さんの私物は風呂敷包みに収まってしまう程度だという。


「夕霧さんにもその内、福袋を買いますね」

「えっ!? で、でもぉ、あれって高いですよぉ?」

「まあ、安くは無いですけど」


 今後、夕霧さんの私物は増えるかもしれないし、風呂敷はこれはこれで優秀なバッグ代わりだと思うが、さすがに魔法の道具には敵わない。


「あのぉ、ところでぇ、本当にあたしの為にぃ、良太さんに大金を使わせちゃってぇ、良かったんですかぁ?」


 夕霧さんが私物取りに行くまでの間に何度か交わされた話題が、また蒸し返された。


「主殿の決定に文句があるのか?」

「そ、そういう訳じゃ無いけどぉ……」


 呆れた表情で言う白ちゃんに、夕霧さんが可愛らしく唇を尖らせる。


「そんなに気になるのなら、働いて返せ」

「金貨二十枚なんて無理ですぅ!」


(まあ、無理だよな)


 現代の価値で言えば、金貨二十枚は二千万円だ。一人の忍を足抜けさせる金額として、高いか安いかは意見が分かれるだろうけど、普通に考えればかなりの高額だ。


 ちなみに、源家が忍を一人雇用するのに支払っている額は、経費込みで年間金貨五枚だそうだ。一見すると安く感じるが、衣食住は源家が持つ。


 支払われる額の二割、要するに金貨一枚が忍の個人収入になる。これも少なく感じるが、雇われている時と同じく集落で衣食住は賄われるので、収入は百パーセント手元に残るシステムだ。


(でも、場合によっては色仕掛けをしたりするんだから、割に合うかと言うと……)

 

 一年間身体を張っての収入だと思うと、決して高くもないが安くもない、というのが本当のところだろう。そして鍛錬は幼い頃から、引退するまで続くのだから。


「じゃあ行きましょうか……っと、夕霧さん、御家族に御挨拶とかしないでいいですか?」


 浮橋に金を積んで要件を済ませた気になっていて、危うく礼儀を忘れるところだった。


「あれぇ、話していませんでしたかぁ? あたしってぇ、孤児(みなしご)なんですよぉ」

「えっ!?」


 この集落が故郷だと聞いていたので、夕霧さんは家族と一緒にっこで暮らしているのだと思っていた。


「ここが生まれ故郷って言いましたけどぉ、実際には京の町外れ辺りで浮橋様が拾って下さったらしいんですがぁ、それ以外はわからないんですぅ」

「そうですか……」


 信心が行き届いている世界ではあるが、やはりそういう事が一切無いという事にはならないようだ。


(悪事を働く人間もいるしなぁ……)


 夕霧さんを手放した親の状況はわからないが、やむを得ない事情だったのだと思いたい。


「そういえば夕霧さんじゃなくて浮橋さんに訊くべきなんでしょけど、ここと鎌倉って随分離れてますけど、雇用関係を結ぶには不便じゃないんですか?」


 俺が引き抜かなければ夕霧さんは源家から呼び出され、再び鎌倉に赴く事になったのだろうけど、京と鎌倉は距離があり過ぎる。


「それはですねぇ、忍の集落というのがここだけじゃ無いからなんですよぉ」

「ここだけじゃ無い?」


 京から見ると関東は遠いが、位置的には日本のほぼ真ん中辺りなので、ここから各地に向けて忍を派遣していると思っていたのだが、どうやら違ったようだ。


「胡蝶ちゃんは甲州の山の中でぇ、若菜ちゃんと初音ちゃんは箱根の山の中の集落の出身なんですぅ」

「そういう事ですか……」


 どうやら忍には独自のネットワークのような物があって、依頼主の要望によって誰を派遣するかというのを、各地の集落から決めているようだ。


(情報の伝達だけなら専門家に任せれば、それなりに早く伝えられるか……)


 街で韋駄天の加護を受けた飛脚便などが普通に使われているので、忍の集落間に似たような伝令の要員がいれば、関東から京まででも、それ程時間を掛けずに連絡が出来るのだろう。


(それにしても、場合によっては殺し合いにまではならないにしても、情報の奪い合いとかにはなるんじゃないのかな?)


 知っている人達、例えば胡蝶さんと若菜さんが別々の雇い主の元で、敵味方に分かれて戦う姿というのは、正直なところ想像もしたくないが、その辺は契約内容とかによるのだろう。


「では良太殿、石のある場所へ向かいますか」


 夕霧さんの件が無事に済んだので、今度は里の整備の為に思考をシフトしなければならない。


「はい。宜しくお願いします」

「……」

「夕霧さん、行きますよ」


 集落を出たところで、夕霧さんが来た道を振り返っている。


「はっ!? は、はいですぅ!」

「荷物預かりますね」


 邪魔になる程の量では無いが、両手が空いている方が安全なので、夕霧さんの風呂敷包みを受け取った。


(やっぱり、名残惜しいのかな?)


 二度と集落に戻れないという事は無いと思うが、今日からは夕霧さんも立場的には部外者なので、色々と感慨があるのだろう。


「はぁい。お願いしますぅ」


 などと俺が思ったのは勘違いだったのかと感じる程、夕霧さんは朗らかに笑っている。



「ここなんですが」


 忍の集落を出て二時間弱。山間部から平地に下り、北東方向に歩いて再度山間部に入って少し登ったところで、レンノールが立ち止まって指を指した。


「成る程……」


 見上げた先では剥き出しの岩石で形成された断崖が、垂直にそびえ立っている。


「これは確かに、石を切り出せても運び出せませんね」


 俺達が今いる場所は木々の間を縫う獣道の行き止まりで、レンノールの先導が無ければここまで辿り着けたかどうかも怪しい。


「そうなんですよ。背負子にでも載せられる程度なら話は別ですが、建物の基礎なんかに使うような大きな石とかになると、運ぶ為の道を切り開くところから始めないと」


 お手上げと言うように、レンノールが肩を竦めた。


(武人の能力の所為で城を建てても無用の長物になるから、石の需要というのも変化しているんだろうな……)


 元の世界の江戸では、近郊に良い石の産地が無かったので、近くても伊豆、遠くは関西などから運んで普請したと記憶している。


 天変地異や悪天候、火災などの災害に関しては信仰によってある程度回避出来るので、結果としてこっちの世界の日本でも、豊富に存在する木材を使った家屋が主流になっている。


 従ってこちらの世界の日本では、元の世界とは違う理由で石は需要が低くなっている。


「試しに少し切り出して見ましょうか……黒ちゃん、白ちゃん、落石の処理をお願い出来るかな」


 石を切り出す際に、砕け散った破片などを全く出さないというのは無理なので、周囲に危険が及ばないように黒ちゃんと白ちゃんに注意して貰う。


「おう!」

「承知した」

「良太殿、何かお手伝いは出来ますか?」

「あたしも何かぁ、出来ますかぁ?」

「レンノールさんと夕霧さんは、危ないので下がってて下さい」


 厚意はありがたいのだが、破片でも当たったら只では済まない。


「心苦しいですが、わかりました」

「役立たずでぇ、すいませぇん……」

「いや、そんな……」


 レンノールには、ここまで案内してくれただけでも感謝しているし、夕霧さんに様々な役立って貰うのはこれからだ。


 二人揃って申し訳無さそうな顔をしているが、只の石礫(いしつぶて)なら黒ちゃんと白ちゃんは物ともしないので、こればっかりは適材適所だから仕方が無い。


「じゃあ行ってきます」

「な!?」

「ふぇぇ……良太さんってぇ、御使(みつかい)様だったんですかぁ!?」


 部分变化(ぶぶんへんげ)によって背中から翼を生やして飛び上がった俺を見て、レンノールと夕霧さんが、ぽかんと口を開けている。


(また説明の必要が出来たけど……まあ後の話だな)


 断崖の岩場を目指しながら、俺は上昇して行く。


「この辺が良さそうだな……」


 二百メートル程上昇して、岩場の頂点の平になっている場所に降り立った俺は、比較的表面がなだらかで罅なども見えない、大きく切り出せそうな場所の見当をつけた。


「お前が頼りだ……」


 独り言ちながら腕輪を操作して、腰に鞘ごとセットした巴を抜き放ちながら、岩場の奥の方へ歩く。


「……ここからでいいかな」


 岩場の頂点を断崖側から十メートル程奥まで歩いたところで、平らな部分が途切れている。この場所から石を切り出せば、凹凸を無くす面倒な加工を少しだが省略出来る。


「ふんぬっ!」


 平らな岩場の縁の部分に、逆手に握った巴を突き入れると、一気に柄本まで岩の中に潜り込んだ。


「……っ!」


 しゃがんだ姿勢で、岩に潜り込んでいるままの巴を断崖側に向けて引き切りながら歩く。


「っと!」

「きゃっ!? りょ、りょうたさぁあん!?」



 思い通りに断崖側まで石に切れ込みを入れられたのだが、刀身が石同士の圧力から開放された瞬間に、勢い余って崖下に落ちそうになった。


 下から見守ってくれていた夕霧さんが、心配そうに悲鳴を上げる。


「大丈夫です! 黒ちゃん、白ちゃん! 落石は?」


 夕霧さんを安心させるのに一声掛け、黒ちゃんと白ちゃんに安全確認をする。


「おう! 飛んできたけど、叩き落としたよ!」

「下の事は、俺達に任せておけ!」


 破片は落下したようだが、想定通りに黒ちゃんと白ちゃんが処理をしてくれたみたいだ。俺は作業を再開する。


「っ!」


 最初に巴を突き入れた場所から、今度は横方向に五メートルくらい切込みを入れ、最後にその場所から直角に折れ、断崖方向へ向けて仕上げの切込みを入れる。


「ふぅ……」


 全力を出し切ってはいないが、巴の構造力と自分の身体能力の強化の為に、かなりの(エーテル)を注ぎ込んでいたので、少しだけ疲労を感じる。


「さぁて、最後が上手く行けばいいけど……」


 想定通りに事が運べばいいいのだが、もし裏目に出ると崖の下が大惨事になる。


(黒ちゃん、白ちゃん。最悪の場合は、レンノールさんと夕霧さんを頼んだよ)

(おう!)

(任せておけ)

(じゃあ、始めるね)


 一応、事前に二人には計画を話してあるのだが、念和で最終確認をしてから作業の開始を告げた。


「っぐぅぅぅぅ……」


 俺は左右に切込みを入れた岩の真ん中の辺りに再び突き入れた巴と、自分を強化する為に(エーテル)を注ぎ込むと、突き当りの場所で両脚を踏ん張って、断崖方向に向けて思いっきり柄を押し出した。


 ぎ……ぎし……


 自分の居る場所の下から、軋むような悲鳴のような音が聞こえてくる。


(もう、少し……)


 更に全身に力と(エーテル)を込め、巴の柄を押し出して行く。


 無茶な使い方をしているにも関わらず、巴は曲がりもしないし、折れる気配もない。神木である銀杏(いちょう)から作られた柄もビクともしない。


 びき……びききききき……


 身体の下で発していた音が少し変化し、連続的な物になったと感じた瞬間、踏ん張っていた脚が離れ、押し出していた石が少しずつ傾いていく。


「っ! みんな、離れてっ!」


 巴を鞘に納めながら、傾きながら離れていく石の上に飛び乗った俺は、断崖側に駆け出しながら下に向けて叫んだ。


(間に合ってくれ……)


 更に傾く角度が増した石の上を駆け抜けた俺は、空中に飛び出すと同時に背中に翼を展開させた。


「よっ、と!」


 傾いて落下し始めた石の下に回り込んだ俺は、空中に向けて左腕を突き出す。


「……あ、あれ?」

「い、石がぁ、消えちゃいましたぁ!?」


 安全圏まで下がって、更に念の為に黒ちゃんと白ちゃんに護らせていたレンノールと夕霧さんの眼の前で、落下しかかっていた石、というよりは岩塊と呼んだ方が相応しい巨大な物体が、急に消失したの。


「夢……じゃあぁ、ありませんよねぇ?」


 あまりにも唐突な出来事なので、夕霧さんが白日夢と思ってしまうのも無理はないのだが、夢ではない証拠にまだ落下してくる細かな破片と、仰ぎ見れば断崖の一部が四角く消失しているのが目に入る。


「なんとか上手く行ったみたいだな……みんな、怪我とか無いですか?」


 地面に降り立った俺は、大丈夫だとは思っていたが、全員の無事を確認するために歩み寄った。


「無事は無事ですが……良太殿こそ大丈夫なのですか?」

「ほ、本当にぃ、あんまり無茶をしないで下さぁい……」

「あ、はい……」


 よほど驚いたのか、涙ぐんだ夕霧さんが抱きついてきた。


「「……」」


 黒ちゃんと白ちゃんが微妙な表情で俺と夕霧さんを見てくるが、とりあえずは何も言ってこない。


「ところで良太殿。あの落ち掛かっていた石というか岩は、いったいどこに?」

「ああ、ここです。んしょっと……」


 ズ……ズン……


 今、俺達がいる場所が十分に広い事を確認してから、空中で腕輪に収納した岩塊を取り出した。重さに負けて鈍い音を立てながら地面にめり込み、土煙が上がる。


 俺自身も空中なのではっきりとは確認出来ていなかったが、大体頭の中で描いた通りに、縦と高さが約五メートル、横が約十メートルくらいの、少し歪な直方体に岩塊を切り出せたみたいだ。重さは百トンを軽く超えているだろう、


「な!? ど、どうやって!?」

「この腕輪って、福袋と同じように物品を収納出来るんですけど、大きさや重さに特に制限が無いんです。だから入るかなって」


 ヴァナさんに貰った時に、個数制限はあるけど移動不能オブジェクトじゃ無ければ収納可能と聞いていたが、ここまで巨大で質量のある物体で試した事が無かったので、実際に収納出来るかどうかは賭けだった。


(鳥羽の港に入った時に、十蔵さんに試させて貰えば良かったな……)


 浦賀から海路で大坂を目指す時に世話になった船長の十蔵さんに頼んで、廻船を収納出来るか検証しておけば良かったと、今更ながらに後悔する。


 これまで旅をしてきて、今の所は廻船より大きな移動可能オブジェクトには、まだお目に掛かっていないので、実験にはもってこいだったのだ。もっとも、許可が降りたとは限らないけど……。


「なんにせよ、これだけあれば里で色んな物が作れます」

「あ、ああ。そうですね……」

「あははぁ……」


 手間が省けて俺は嬉しいのだが、何故かレンノールと夕霧さんは、引きつった笑いを浮かべている。



「では私は仲間の元へ戻ります。良太殿、頼まれました物は、なるべく早急にお届けします」


 岩の採取を終えたので、レンノールとは一旦お別れだ。


「そんなに急ぎませんが、お願いします」


 レンノールには竹や合成弓(コンポジットボウ)など、様々な物を依頼してある。だが緊急性の高い物は多くない。


「じゃあ、俺達も行きましょうか」

「はいですぅ」

「おう!」

「行くか」


 レンノールの背中を見送ってから、俺達は里へ向けて歩き始めた。



「夕霧さん、お昼は簡単な物でいいですか?」


 何事も無く里へ戻った俺達は、午後からの作業に向けて早めの昼食にする事にしてゲルの中に入った。


「はぁい。贅沢は言いませぇん」


 夕霧さんは笑顔で同意を示してくれた。


 本格的な調理も出来なくは無いのだが、せっかくなので厨房などを整えてから、ちゃんとした料理を作りたい。


「じゃあ……こんなもんかな」


 江戸を出る前に緊急時を想定して作り置きしておいた、おにぎりにから揚げ、だし巻き卵に大根の味噌汁と漬物という、自分的遠足セットとでも言うような組み合わせの食べ物を、人数分取り出してゲルの床に並べた。


「全然簡単な物じゃ無いじゃないですかぁ。どれも凄くおいしそうですぅ」

「そうですか?」


 腕輪と福袋に収納してあったから出来たての状態は保っているが、心理的にその場で作って出すのでは無いと、手抜きな気がしてならない。

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