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黒い怪鳥

「しかし兄上は、凄い事を考えますね」

「そうかな?」


 俺の考えた鵺への対処法を話すと、頼華ちゃんが呆れたように言った。


「なんていうか、良太も意外とえげつないね」

「おりょうさんまで!?」


 一応、鵺とも意思疎通の余地はあるかと、ノンリーサルの方向で考えたアイディアなのに、酷い言われようだ。


「まあいいや……頼華ちゃん、お手伝いしてもらうのは夜中になるから、御飯食べたら早めに寝ておいてね」

「わかりました! 夕餉は咖喱(カレー)ですか?」

「食べたいなら作るけど……」


 後になっておりょうさんに聞かされたが、入浴するのに着物を脱いだ頼華ちゃんのお腹は、見た目にもぽっこり膨らんでいたらしい。


「良太殿、私は猪を揚げた物を……」

「雫様もですか!?」

「お前達……」


 頼永様の呆れ顔を見て雫様と頼華ちゃんが、さっと視線を逸らした。


「良太殿、申し訳ない……」

「いえ。作るのは別に構わないんですけど……」


 カレーがあったので問題は無かったのだが、猪のカツには、単独で食べるには致命的に欠けている物がある……ソースだ。


(塩で食べる手もあるけど、俺的には一切れくらい、それもレモンとかが無いとキツイものがある……勿論、人それぞれではあるが)


「あ……おろし醤油って食べ方があったか」


 たまの外食の時に、魚介のフライとカツの盛り合わせの定食に、大根おろしが添えられている物があったのを思い出した。


(他にもちょっと考えてみるか。せっかくだから、おいしく食べて欲しいしな)


「良太殿?」


 俺の呟きの意味がわからなかったのだろう、頼永様が呼び掛けてきた。


「夕餉は、雫様の御要望にお応えします」

「えっ!?」


 頼永様に窘められたので諦めていたのか、雫様の驚いた顔を初めて見た気がする。


「良太殿、宜しいのですか?」

「ええ。病み上がりの方に、少しくらい優しくしたっていいでしょう」

「良太殿……」


 なんか雫様の目が潤んでる。


「肉ばかりじゃ良くないから、何か他の物も作りますね」

「かたじけない……ところで良太殿、少々伺いたい事があるのですが」

「なんですか?」

「良太殿は巴という刀を打たれたが、剣術は身につけておられるのかな?」

「あー……」


 話題を切り替えてきた頼永様の俺への質問は、非常に答え難い物だった。


「実は……本格的に修行した事はありません」

「そうですか。その割には、あの抜き打ちは見事でしたが」

「ははは……」


 頼永様の頭上に、横薙ぎの一閃をさせた事を言っているのだろうけど、我ながら刀身の長い巴を、良く一息に抜けたなと思う。


「良太殿の膂力と闘気(エーテル)ならば、特に技術が必要とは思えぬが、良ければ訓練場で試し斬りでもされては?」

「あ、それはありがたいです」


 実際、巴が完成したら、作ったホルダーを装着したりとか、色々と試したい事はあったので、ここはお言葉に甘えよう。



 巴の試し斬りをする前に、頼華ちゃんに弓の腕前を見せてもらった。


(どうしてこういう進化をしたのか、和弓って大きいよな)


 頼華ちゃんの背丈と同じくらいある和弓は相当な張力があるみたいで、素手では無く革製の手袋のような「弓懸(ゆがけ)」という物を、右手に装着して弦を引き絞り、放った。


「どうですか、余の腕前は!」


 放たれた矢は、殆どドロップする事無く五十メートル以上は先にある的のど真ん中に、狙い違わず命中した。かなり威力もあったようで、矢の中程までが的にめり込んでいる。


「大した物だね。頼りにしてるよ」

「はい!」


 お世辞抜きで信頼出来る腕前だとわかったので、頼華ちゃんを褒めたら、にぱっと、お日様のような明るい笑顔になった。


「では次は良太殿ですな。腕前拝見します」


 頼永様が手で示す先には、地面に打ち込まれた青竹に藁が巻き付けてある物が、三メートルくらいの間隔で三本並んでいる。


「青竹に藁を巻いた物は、斬った感覚が人間に近いと言われております」

「そうですか……」


 訓練には非常に効果的な物なんだろうけど、説明を聞いちゃうとやり難いな……俺は腰にベルトを巻くと、右側のホルダーに鎖付きの苦無を、左側のホルダーに巴を装着した。


「ふぅ……」


 俺は鯉口を切って巴を抜き放つと、正眼に構え、軽く息を吐いた。


「……ふっ!」


 両手で握った巴を、柔道の一本背負いのようなフォームで左肩の上で振りかぶると、呼気と共に素速く一歩踏み出し、藁を巻いた竹へ斬り付けた。


 殆ど抵抗無く藁と竹は切り裂かれ、俺が構えを戻した後で斜めの切断面から落ちて、尖った先が地面に突き刺さった。どうやらここでも再構築された身体は、俺の思い通りに動いてくれたみたいだ。


「凄い……」

「剣筋が、良く見えなかったねぇ……」

「良太殿、今のはなんという技ですか?」


 見ていた頼華ちゃんとおりょうさんが、溜め息混じりに感想を漏らすと、頼永様が興味深そうに質問してきた。


「あれは『担ぎ技』です」


 以前に読んだ、主人公が剣道をやっている漫画で、ライバルキャラが使っていた技だ。


 なんとなく格好良く思って、形だけは素人にも出来る技だったので真似て、中学の体育の授業で使っていた。勿論、習得しているとかそんなレベルでは無い。


「あと、俺に出来る技というと……」


 今度は身体の右側、顔の横辺りに柄を持ってきて切っ先を振り上げ、左手を自然に添えて構える。その構えから、渾身の力で巴を斬り下ろす。


「っ!」


 さっきと同様に、抵抗無く巻かれた藁と竹を切断出来たが、何故か今度は衝撃が逃げなかったのか、地面に深々と打ち込んであった竹が、切り離された上部と共に吹っ飛んだ。


「あ、あれ?」


 間違い無く斬れているのに、鈍器で殴ったように吹っ飛んだ竹を見て、思わず間抜けな声を出してしまった。


「うわぁ……」

「あれじゃ、受け止めたとしても……」

「なんと恐ろしい……」


 目の前で起こった事が信じられないという表情をしながら、頼華ちゃん、おりょうさん、頼永様が呟いた。


「……良太殿、今のは?」

「今のは一応、『示現流』という流派の技です」


 確か、構えは蜻蛉(とんぼ)で、的をに斬りつけるのを置き蜻蛉(とんぼ)って言うんだと思った。これも勿論、ただ見様見真似をしただけだ。


「示現流とは、確か南の方の「二の太刀いらず」と言われている流派でしたな」

「俺のは、構えだけを真似た物です」

「いや。どちらの技も、良太殿の持ち前の力を活かすには、非常に適していると思います。実戦では鎧や甲の上から叩き割るような斬撃が、最も有効ですから」


 そういえば示現流は、その辺を念頭に置いた流派だったっけ。もっとも、こっちの世界では闘気(エーテル)の防御があるので、見た目には軽装の武人も多いみたいだけど。


「今日、良太殿の技を拝見して確信しました。もしも源の一統の者が良太殿と敵対する事になったら、無条件で降伏するように厳命しておきます」

「えっ!?」


 心なしか、頼永様の視線が宙を彷徨っているように見える。気の所為……だよね?


「そりゃあ、ねえ。戦ったって、ただの無駄死にになっちまうし……」

「おりょうさん!?」

「兄上。誰だって、身体が欠損するような死に方はしたくありませんよ」

「頼華ちゃんまで!?」


 まさかの、おりょうさんと頼華ちゃんからの追い討ちが来た。


「ですから、そうならないように無条件で降伏させます。もういっその事、頼華を娶って鎌倉を支配しては如何ですか?」

「いきなり話が飛びましたよ!?」


 なんか頼永様が、達観したような表情で遠くを見ている。


「いや、俺には領主なんて……」

「良太……鎌倉がいいの?」

「おりょうさん?」

「あ、あたしは良太がいいんなら、鎌倉でも……」

「いや、鎌倉は好きですけど、そういう話じゃなくてですね……」


 なんでおりょうさんまで、頼永様の話に乗っかってきてるんだ?


「むぅ……やはり余は側室ですか?」

「まだ正室も娶ってないからね!?」


 無条件降伏なんて言っていた割には、俺の意見は無視されている気がするんだけど……多分気の所為じゃない。


「と、とりあえず、その辺の話は一旦置いておいて、鵺ですよ鵺!」

「ああ、鵺でしたね」

「鵺だったねぇ」

「鵺ですね」


 かなり無理矢理にだが、なんとか話題を変えられたので、俺は逃げるように、夕餉の支度をしに厨房に向かった。



「揚げたての匂いは、また格別ですね……」


 少し厚めにした猪のカツから立ち昇る、揚げた肉と脂の匂いを嗅ぎながら、雫様がうっとりとした表情で、目を閉じながら呟いた。


「つけダレを何種類か用意しました。お口に合えばいいですけど」


 猪のカツ自体にも、少し塩と胡椒で下味をつけているが、小皿に塩、大根おろしと醤油を用意した。


 それと、手持ちの野菜を擦り下ろした物に、砂糖を焦がしたカラメルと酒や酢、香辛料を加え、煮てから漉して、なんちゃってなソースを作った。どう考えても煮込み時間が少ないし、熟成もさせられていないけど、全く無いよりはマシ程度の物は出来たと思う。


 付け合せにキャベツの千切りと思ったが、大根の千切りと玉葱のスライスに醤油と酢で和えて、削った鰹節と刻み海苔と胡麻を振った物に、仕上げに胡麻油を少し掛けてを出した。所謂、大根サラダだが、ここでは浅漬と言っておこう。


「それでは、頂きます」

「「「頂きます」」」


 なんとなくバタバタした昼食の時とは違い、落ち着いた空気の中、頼永様の号令で夕食が始まった。


「はぁぁぁ……噛み締めると猪の肉汁と脂が口いっぱいに。お塩で食べると、脂の甘味が引き立ちますね」

「おろし醤油も、良い具合に脂を中和してくれるねぇ。昼にたっぷり食っちまったのに、また食欲が……胡蝶さん、お代わり」

「はい……」


 幸せそうにカツを頬張り、御飯を食べる雫様とおりょうさんを見ながら、給仕をしている胡蝶さんが、乏しい変化ではあるが、恨めしそうな表情をしたのを俺は見逃さなかった。


(仕事とは言え、ちょっと可哀相だな。今度なんかの形で労ってあげよう。やっぱりプリンか?)


 そんな事を考えながら、俺は即席ソースでカツを食べてみた。


「……まあこんな物か」

「良太兄上? 何か御不満なのですか?」

「ちょっと、ね」


 ソースと言うよりは、ただ材料を混ぜただけの物にしかなっていないのが、自分的に不満だった。


「変わった色のつけ汁ですが、豊かな味わいで充分おいしいですよ」

「ええ。とっても」


 頼永様と雫様が、笑顔で食べながら言ってくれているのは、本心からだというのはわかるが……。


「この汁物も、良い風味に、あっさりと塩味でおいしいねぇ」

「それは、正恒さんにお願いしてあった燻製で作ったんですよ」


 鹿の腿の燻製から外した骨を煮込んでスープにして、一口サイズに切った大根と長葱と、ほんの少量の燻製肉を具にした。燻製自体に塩気があるので、味付けは整える程度の塩と胡椒だけだ。


「良太殿のおかげで、獣の肉のおいしさに目覚めてしまいそうです」

「本当に。正恒殿には、鹿も融通してくれるように頼もうかしら……」

「あの、正恒さんも、不自由な生活の中でやりくりしてますから、程々に……」


 大丈夫だとは思うが、頼永様と雫様に、念の為にお願いしておく。


「ははは。正恒殿に、御迷惑はお掛けしないようには気をつけます。こちらからも、山では手に入れ難い魚などを、運んで差し上げようと思っておりますし」

「ああ、それはいいですね」


 海の幸が食べられるようになれば、正恒さんだけではなく、山で暮らしている人達にも喜ばれそうだ。


「おや良太。やっと笑ったね」

「え……」

「なんかずっと難しそうな顔をしていたよ」

「そう、ですか……」


 おりょうさんに指摘されるまで気が付かなかった。


(自分だけならいいけど、他の人と一緒の場で考え込んでちゃいけないな……)


「おりょうさん、ありがとうございます」


 まだ半分は苦笑だが、なんとか笑顔でおりょうさんにお礼を言って、俺は止まっていた箸を再び動かし始めた。


「そうそう。食事は楽しくしなくちゃね。胡蝶さん、お代わり」

「胡蝶、私にもお代わりを」

「私もです!」

「あ、胡蝶さん、俺も……」

「……畏まりました。少々お待ちを」


 胡蝶さんには気の毒だなと思いながらも、俺も空になった茶碗を差し出した。 



「……こんなもんかな?」


 昼にお願いした通りに、頼華ちゃんには夕食後すぐに眠ってもらった。俺は与えられた部屋で、空いた時間を利用してポンプの図面や香辛料の配合、カレーやカツのレシピなどを、貰った紙に筆で書き込む作業を行った。


「一発勝負なのが厳しいよな……」


 高級品である紙に墨と筆で書き込むので、失敗出来ないから物凄く神経を使う。


「良太。一休みしたらどうだい?」

「おりょうさん? どうぞ入って下さい」


 一通りの作業が終わったところで、部屋の外からおりょうさんに声を掛けられた。


「お邪魔するよ」


 急須と湯呑を載せた盆を床に置いて、おりょうさんが障子を開けて入ってきた。


「……」


 おりょうさんは接客だけでは無く、かなり本格的に礼儀作法を習得しているように見える。それくらい、一つ一つの立ち居振る舞いが凄く自然で綺麗だ。


「どうしたんだい、そんなに見て?」


 急須から湯呑にお茶を淹れながら、おりょうさんが小首を傾げる。


「あの、答えたくなければ、それで構わないんですけど、おりょうさんって、もしかしてどこかの領主様とかのお屋敷で、仕事をしていたんですか?」


 俺の言葉に、おりょうさんが切れ長の瞳を細める。


「……どうしてそう思ったんだい?」

「それは……」


 さっきまで考えていた事を話して、俺は一度言葉を切った。


「それと、おりょうさんが習得している武術です。あくまでも俺の推測ですけど、おりょうさんは、胡蝶さんと同じような立場の人なんじゃないかなって」

「そうかい……」


 自分の分のお茶を淹れて、急須を盆に置いたおりょうさんは、綺麗な所作で湯呑を口に運び、一口飲んだ。


「まあ良太とは、短い間にあちこち行って、あれこれと見せちまったからねぇ」

「……」


 おりょうさんの言葉で、何度か見てしまった魅惑の肢体を思い出して、顔が熱くなった。


「別に、良太相手に秘密になんかするつもりは無いんだけど……お察しの通り。あたしは武家の娘でね」


 あっさりと、おりょうさんは自分の素性を話し始めてくれた。


「領主の屋敷で働いてたってんじゃないんだけど、親と一緒に出向かなければならない事は多くてね。小さい頃から礼儀作法は、ばっちり仕込まれたのさ」


(という事は、おりょうさんの親はそれなりの身分の人か、そうでなければおりょうさん自身が、何らかの役職を持っていたという事か?)


 疑問が浮かんだが、話の腰を折っては良くないので、おりょうさんが話を再開するのを待った。


「何度か見せているけど、あたしは無手で戦う武術を、子供の頃から叩き込まれていてね。御先祖様が、甲斐から東北に移り住んで発祥させたらしいんだけど」


 一息入れたおりょうさんは、持ったままだった湯呑に、再び口を付けた。


(甲斐って、山梨県の辺りだったっけ? 確か元の世界では、武田氏が栄えた土地だな)


 そんな事を考えていると、湯呑を置いたおりょうさんが、再び話し始めた。


「今はあたしの親が、その武術を領主様を始めとする人達に指南していて、あたしは奥方やお姫様、屋敷で働く女性への指導を任されていたんだよ」

「ああ、だから……」

「そう。教える立場だけど、失礼な接し方は出来ないから、面倒な作法なんかも叩き込まれたって訳さね」


 おりょうさんの説明で、色んなパーツが噛み合う感じがした。


「でも、そうか……」

「なんだい?」


 俺の呟きに、おりょうさんが興味深そうに、少し顔を近づけてくる。


「俺はもしかしたら、おりょうさんも頼華ちゃんみたいな、どこかのお姫様なのかな、とも思ってました」

「あたしが? よしとくれよ。こんながさつなお姫様がいるもんかい」

「そんな事は……」

「あるだろう?」


 おりょうさんはあっさりと否定するけど、俺はそうは思わなかった。


「おりょうさんの、伝法な感じの話し方や態度も好きですけど、時折見せてくれる品の良さに、お姫様っぽさも感じてましたよ」


「っ! りょ、良太は、どっちのあたしが……好き?」


 顔を赤くしたおりょうさんが、チラチラと流し目を送ってくる。


「どっちって……そんなの、どっちもですよ」

「っ!? あ、ありがと……」

「いえ……あの、もう遅いですから、おりょうさんは先に休んでは?」


 作業を開始してからそれなりに時間が経過していた。普段なら既に寝ている頃合いだ。


「ううん。あたしも、鵺ってのが見てみたいんでね」


 真っ赤になって俯いていたおりょうさんだったが、話題が変わって顔を上げた。


「でも、危険ですよ?」


(おりょうさんには危険と言うが、頼華ちゃんには手伝って貰うんだよな……)


 自分で言っておいて、大きな矛盾を感じている。


「危ないだろうけど、良太が護ってくれるんだろう?」

「そ、それは勿論です!」

「なら安心だね」


 言葉通りに安心しきったおりょうさんの笑顔を見て、頼華ちゃんと共に絶対に護ってみせると、俺は決意を新たにした。



 俺と頼華ちゃんは、迷彩効果のある外套を身に着けて、源の屋敷の玄関前に座って息を殺していた。


 おりょうさんは頼華ちゃんに対して、ほんの少しではあるがライバル心を抱いているので、待ち伏せをするために外套を借りるのに、ちょっとだけ揉めたが、おりょうさんの外套を俺が借りて、俺の外套を頼華ちゃん


が、という方式にしたら納得してくれた。


(江戸に戻ったらドランさんの店に行って、在庫があったら頼華ちゃんの分も買おうかな……随分とお世話にもなってるしな)


 周囲に気を配りながらではあるが、そんな事を考えていると、急に周囲の雰囲気に変化があったように感じた。  


(来たな……)

(来ましたね……)


 気の所為では無く、首の後に微かにチリチリとした物を感じた俺の小さな呟きに、同じ物を感じ取ったらしい頼華ちゃんが応えてくれた。


「……」

「……」


 俺に視線を送ってきたので小さく頷くと、頼華ちゃんは外套の下から弓を引っ張り出し、矢を(つが)えた。空を見上げると、晴れて星は出ているが月は無いので、現代とは比べ物にならない程の暗さだ。


(兄上。私の目には、何も見えません)


 顔を寄せた頼華ちゃんの囁きを聞いて、俺は目を凝らして空を見る。すると、明らかに星の瞬きとは違う、歪みのような物が確認出来た。


(頼華ちゃん。俺の指示通りに、構えた弓の方向を変えてくれる)

(わかりました)


 背後に立った俺は頼華ちゃんの肩に手を置き、呼吸を合わせていく。


 次第に呼吸だけではなく、お互いの(エーテル)までも同調させると、弓を(つが)える頼華ちゃんの手が、自分の物のように感じてくる。


 やがて、約二十メートル上空に見える歪みの中心に狙いが定まり、これから放つ矢と目標が繋がったのを確信した。


(今だ!)

(っ!)


 俺が合図をするまでも無く、以心伝心で頼華ちゃんが引き絞っていた弓から矢を放った。


「グアアァァッ!?」


 命中した矢の先端が弾けたようになり、紙に包んで装着してあった、ここ最近の食卓で嗅ぎ慣れたカレー粉の香りが、周囲にパッと広がる。


「やった!」

「やりましたね!」 


 矢を射掛けられた鵺と思われる目標が、絶叫を放ちながら地面へ落下した。高度は二十メートルくらいだが水平距離は十メートルも無いので、一息で距離を詰められた。


「兄上、飛ぼうとしています!」

「逃がすかっ!」


 地面に落ちた鵺らしき影は、唐辛子入りのカレー粉に悶絶しながらも飛び立とうとしていたが、俺は右腰のホルダーから鎖付きの苦無を抜いた。


 (エーテル)で強化した鎖を巻き付かせ、同時に鵺の(エーテル)自体を捉えて逃さないようにする。かなり抵抗する力は強いが、どうやら抑え込んでおく事は出来そうだ。


「クソッ! ハナシヤガレ!」

「「喋った!?」」

 

 伝承通りの羽の生えた鶏の身体に猫の顔で、まさかの人語を鵺が話した事に、俺と頼華ちゃんの驚きの声が重なった。


「えーっと……人の言葉を話すようだけど、俺の言う事はわかるかな?」

「ググ……懐カシキ気配ニ誘ワレテ来テミレバ、ドジヲ踏ンダヨウダナ」


 ちゃんと意思疎通がされている上に、しわがれた、多少籠もった感じの声ではあるが、はっきりと聞き取れる。


「ハハハ! イイ様ダナ!」


 唐突に、眼の前の鵺とは別の聞いた事も無い声が、どこからともなく聞こえてきた。


「っ!? い、今の声は!?」

「兄上。私の聞き間違えで無ければ、声は巴から……」

「なん、だと……巴?」

「オウ! 呼ンダカ、御主人?」

「ご、御主人?」


 俺を主人と呼ぶ存在? 油断せずに鎖にエーテルを送り込みながら、右腰の巴に視線を送った。


「誰だかわからないけど、良かったら姿を見せてくれるかな?」

「オウ!」


 掛け声と共に巴から煙のような物が立ち昇り、空中で凝縮したかと思ったら、こちらも伝承通りの外見の、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇の妖怪が出現した。


「えっと……巴の中にいたの?」


 展開が凄過ぎて、俺は逆に冷静になってしまったようで、目の前の妖怪にそんな質問をした。


「オウ! コノ姿ニ戻ルニハ時間ガ掛カッタガ、中々居心地ハ悪クナイゼ!」


(巴から、妙な気配なんかは感じていなかったんだけどな……元に戻るのに時間が掛かったという事は、つい最近の話なのかな?)


「まあ、いいか。それで、懐かしい気配というのは、えっと……彼なのか彼女なのかはわからないけど、この鵺の事なのかな?」

「ソウヨ。ツイデニ源ノ子孫ヘ、チョット嫌ガラセデモト欲張ッタラ……」

「コノ様ッテ訳カ! 笑ワセヤガルゼ! ハーッハッハッハッハッ!」

「クッ……」


 巴から出てきた方に高笑いされて、捕縛されている方の鵺が、悔しそうに歯噛みしている。


「良太殿、大丈夫ですか?」

「それが鵺かい?」


 玄関を入ってすぐのところで待機していた、頼永様とおりょうさんが出てきて、異様な姿の二体の妖怪に目を見張る。


「でも、なんで二体いるんだい?」

「なんか、こっちのは巴の中にいたらしいんですよ……」

「なんと!?」


 頼永様が驚くのも無理はない。


「もしかしたら、今回の騒動って俺が原因なんじゃ……」

「オット。ソイツハ違ウゼ御主人」

「「喋った!?」」


 俺と頼華ちゃんの時と同様に、鵺が喋った事に、頼永様とおりょうさんの驚きの声が重なった。


「ググ……完全ニ無関係トモ言エナイガナ」

「「こっちも!?」」


 捕まえている方が喋った事にも驚いて、再び頼永様とおりょうさんの声が重なる。


(それにしても、この形態でどうやって発声しているんだろう?)


 明らかに人間とは発声器官が異なるはずなんだが、妖怪って時点で細かく考えるのはナンセンスか。


「ソノ疑問ハ最モダ。ナラバモウ少シ、ワカリ易イ形態ニナロウカ?」

「わかり易い形態?」


(声には出していないのに……俺の思考を読まれた?)


「ソウダ。コンナ感ジニ……」


 驚いている間に、巴の中から現れた時のように、黒い煙のようになった鵺は、少し縦長な形に凝縮したと思ったら、虎縞の毛皮を胸と腰に巻き付けた、体型からすると女性に变化(へんげ)した。


「宜しくな、御主人!」


 さっきまでのしわがれた感じの声とは違い、变化(へんげ)した鵺の声は可愛らしい女性、というか少女の物だった。


「「「えーっ!?」」」


 静まり返った夜中の鶴岡若宮の境内に、俺達の驚きの声が響き渡った。

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