黒い翼
「……戻りました」
「……良さん、何があったよ?」
正恒さんが指差す方向には、掛け布団が丸く盛り上がった物が見える。多分、いや、間違い無くおりょうさんだ。
「何も、無かったんですよ……」
「何もって、何もか? あー……そうか。何も無かったのか。姐さん、最後に怖気づいちまったんだな」
俺の言葉と状況から察してくれた正恒さんは、小さく溜息をつくと苦笑した。
「良さん、そんなとこに突っ立ってないで、こっちに来て座れよ」
「はい……」
「そいじゃ、俺もひとっ風呂浴びてくるかな。良さん、俺を待ってる事なんざ無えから、さっさと寝ちまいな」
「はい……あ、これ、良かったら使って下さい」
俺は福袋から石鹸を十個ほど取り出して、正恒さんに渡した。
「こいつは?」
「石鹸と言いまして、汚れ、特に脂なんかが良く落ちます」
俺は肌に合わない場合と、髪の毛を洗う際の注意を簡単に説明した。
「正恒さんなら、鍛冶の作業の後なんかに使うのには、もってこいだと思います」
「そいつはいいな。これもドランとかいう商人の店で買ったのかい?」
「そうですよ」
「ふむ。江戸に行く機会があったら寄ってみるかな。良さん、こいつはありがたく使わせてもらうよ」
「ええ」
手拭いと石鹸、それと俺のアドバイスに従って酢の入った容器を持った正恒さんは、小さく鼻歌を歌いながら家の外へ出ていった。
「……寝るか」
静まり返った家の中で独り言ちた俺は、布団を引っ張り出して横になった。
「おやすみなさい」
「……」
ぴくっと、俺の呼び掛けに反応はあったが、おりょうさんからは何も言ってこない。頭から布団を被った俺は目を閉じて、今日の出来事をリセットするかのように、深い眠りについた。
見覚えのある景色の中に、俺は佇んでいる。
「ここは……源の屋敷か?」
鶴岡若宮の参道を通った敷地の奥にある源の屋敷、その入口の前。空を見上げると暗いので、多分夜だ。
「……夢、だな?」
眠ってから目覚めたという感覚が無いし、正恒さんの家で眠りについたので、自分はまだ夢の中なのだろうと、ぼんやりと考える。
「ん?」
見上げた空を、黒い何かの影が横切る。鳥にしては大きく、しかも形が妙に歪に見える。
「……あれ、なんか落ちてきた?」
黒い影が羽ばたくような動作をすると、翼から抜け落ちたのか、真っ黒な羽が空から落ちてきた。
「……あれ、やっぱり夢か?」
夜の鶴岡若宮の風景から、唐突に剥き出しの梁の見える天井のある、正恒さんの家に視界が切り替わった。
「なんかのお告げなんだろうか? でも、観世音菩薩様も、八幡神様も出てこなかったし……」
はっきりとした事はわからないが、源の屋敷のある鎌倉で何かが起きているのか、それともこれから起きるのか……行ってみればわかるか。俺は布団の中で身体を起こした。
「おう。良さん、起きたかい?」
「……」
「おはようございます」
既に起きていた正恒さんと、朝食の支度をしているおりょうさんへ朝の挨拶をしたが、俯いたままのおりょうさんからは、なんの返事も無かった。
「……顔洗ってきます」
それだけ告げて、俺は家の外に出た。
「良さん。鰻裂きの残りと目打ちも、そんなに時間を掛けずに作って送るからよ」
「わかりました。お願いします」
「……」
御飯や味噌汁をよそってくれたりはするが、おりょうさんはここまで終始無言だ。
(嫌われちゃったのかなぁ……)
思わず溜め息が出そうになるが、それをすると更に状況が悪化するのは目に見えているので、グッと我慢して飲み込んだ。
重苦しい空気の中で朝食を済ませて、支度を整えた俺は玄関先に出た。
「それじゃ気をつけてな。と言っても、こっから鎌倉は目と鼻の先だが」
「ええ。正恒さんもお元気で。時間が出来たら江戸にも来て下さいね」
「……」
相変わらず無言のままだが、おりょうさんも一緒に玄関先には出てきた。
(……こっからは一人旅かな? まあ、それもいいか)
「それじゃあ正恒さん、お元気で」
もしかしたら、おりょうさんは江戸の方へ向かうかもしれない。そんな事をぼんやり考えながら、俺は正恒さんに背を向けた。
「良さん、またな。おい姐さん、ちっと耳貸しな」
「……?」
俺の背後で、正恒さんがおりょうさんと何か話しているようだが、歩き始めた俺の耳には声は届かない。
自然と早足になっていたのか、気がつけば山道を抜けて、江戸と鎌倉を繋ぐ街道が見える場所まで来ていた。
「……行くか」
鎌倉へ通じる街道へ踏み出そう、と思ったその時。
「……た……良太ぁーっ!」
「……おりょうさん?」
昨夜から聞きたいのに聞けなかった、懐かしさすら感じる、おりょうさんの声が聞こえてきた。
「良太ぁぁーっっ!!」
俺の名を叫びながらおりょうさんが、着物の足元を見出しながら懸命に走ってくる。
「おりょうさん!? そんなに走ったら危ないですよ!」
俺の方からおりょうさんに向かって走り、距離を縮めた。
「良太っ! りょうたぁーっ!!」
「ごふっ!」
走ってきた勢いのままに、おりょうさんは俺に向かって飛び込んで来た。そのままだと気の防御が働いてしまうので、意図的に護りを解いて受け止めたら、衝撃で肺の中の空気を残らず絞り出された。
「ごめんよ……ごめんよぉ、良太ぁ……」
受け止めたおりょうさんは、顔を涙で濡らしながら、俺に向かって謝り続けている。
「い、今、良太を追い掛けなかったら一生後悔するぞ、って、正恒の旦那に……」
「そう、ですか……」
「それでもまだ、もたもたしてたら、『さっさと行きやがれ!』って、尻を叩かれて……」
「あー……」
比喩表現じゃなくて、正恒さんは本当におりょうさんのお尻を叩いたのか……本当なら正恒さんにお礼を言いたところだけど、ちょっとやり過ぎだ。
「おりょうさん、泣かないで下さい」
「でも……でもぉ……」
宥めようとした俺の言葉は逆効果だったみたいで、火に油を注いだように、おりょうさんの泣き方は激しさを増した。
(……これはもう、おりょうさんの気が済むまで泣かせておくしかないか)
このところ、色々な事に自分なりの対処出来ていたつもりだったが、チョコレートの時の頼華ちゃんや今のおりょうさんに対して、何もしてあげられない事に無力さを感じる。
十五分ほどの間、泣き続けるおりょうさんを胸に抱いたまま、街道脇の小路に俺は立ち尽くしていた。幸いな事に、時間が早いせいか付近の住民や旅人に、見咎められる事は無かった。
「……ご、ごめんね。結局また、良太に迷惑掛けちゃった……」
「だから、迷惑だなんて思って無いですよ」
「でもぉ……」
頭を押し付けている俺の胸に、おりょうさんが指でのの字を描く。まだ涙は出ているが、激しい慟哭は収まったみたいだ。
「ちょっと座りましょうか」
「きゃっ!?」
膝の裏に腕を回して横抱きにして、可愛らしい悲鳴をあげたおりょうさんを、地面に座った俺の脚の上に降ろした。
「び、びっくりした……」
急に身体が浮いたのに驚いたらしいおりょうさんが、胸につけていた顔を上げて俺を見た。
「やっと、顔を見せてくれた」
「っ! ご、ごめんなさい……」
「だから、おりょうさんに謝られるような事はされてませんよ」
「で、でもね、良太の事、意気地無しとか言っておいて、いざとなったらあたしが怖気づいちゃって……」
「いざとなってたんですね……」
おりょうさんが、自分で言うように怖気づいたので未遂で済んだが、そうで無ければ……。
「はわっ!? はわわわわわ……」
俺の返しに、おりょうさんが激しく狼狽えている。
「すいません。あの、昨日の夜の事は、無かった事には出来ませんけど、今までみたいな関係に戻るのは無理ですか?」
優しくて気の利くお姉さんという感じのおりょうさんとの良好な関係は、俺にとっては凄く心地が良かった。だから、出来る事なら江戸で過ごしていた頃のような接し方に戻って欲しい。
「それは、あたしとはやっぱり、その……恋仲とかにはなれないって事かい?」
「いや、そうでは無くてですね……」
どう言えばいいのか、俺にも良くはわかっていない。
「あの、俺はおりょうさんの事、好きですよ」
「っ! あ、ありがと……」
顔を真赤にしたおりょうさんは、照れ隠しか、再び俺の胸に顔を押し付けた。
「最初に出会った頃よりも、おりょうさんを好きな気持は増してます。だから、その気持がもっと大きな物になるまで、もう少し今のままの関係じゃダメですか?」
昨夜、あっさり流されそうになった俺が言っても、まったく説得力が無いけど、正直な今の気持ちだ。
(格好いい恋愛が出来る人って、やっぱ凄いんだなぁ……)
こっちの世界に来てモテ期か? なんて思っていたけど、いざ言い寄られると、なんとも情けない自分に呆れるしか無い。
(まあ俺がもっと好きになるまでの間に、おりょうさんが離れていくって可能性も低くはないんだけど……)
中々に暗い将来の展望だが、良い事ばっかり考えていると、あっと言う間に足元をすくわれてしまう。昨夜の入浴の時の俺のように……。
「……うん。あたし自身にも、もう少し時間が要るみたい」
少し顔を上げたおりょうさんが、上目遣いに俺を見ながら呟いた。
「だ、だから、あたしがもっと良太を好きになる間に……良太にも、あ、あたしを好きにさせるんだからねっ!」
これまで以上に、顔を鮮やかな真紅に染めながらおりょうさんが、高らかに宣言して俺の胸に顔を伏せた。
泣いている訳では無いので安心だが、おりょうさんは中々俺の胸から顔を上げてはくれなかった。
「関所が見えてきましたね」
「そうだねぇ……」
泣き腫らした上に、自分の発言が相当恥ずかしかったのか、顔を見せたくないと言う、外套のフードを目深に被ったおりょうさんを背負って街道を歩き、正恒さんの家を出てから二時間近く掛かって、源家の直轄地である鎌倉の関所に辿り着いた。
「……ん?」
関所で入領税を支払って鎌倉の地に足を踏み入れた瞬間、前回来た時には感じなかった、妙な気配のような物が肌に触れたような気がした。
「どうかしたのかい?」
「あの、関所を通る時、なんか変な感じがしませんでしたか?」
「あ……良太もかい? なんか肌がチリっとするような感じがしたけど、日差しのせいかもと思ったので黙ってたんだよ」
「おりょうさんにも感じられましたか……」
おりょうさんは武器こそ携えたりはしていないが、流派とかは不明だけど、かなりの武術の使い手だという事は、これまで行動を共にしてわかっている。特に無手の体術なら達人のレベルだろう。
そしてこの世界において武術に秀でているという事は、ある程度は気を使いこなしたり感じたりは出来るはずだ。
そんなおりょうさんが、俺と同じ違和感に気が付いたのだから、何かがこの鎌倉で起きているのは間違いない。
「おりょうさん、ちょっと急ぎます」
「あいよっ!」
歯切れの良い返事と共にしっかりと掴まってくるおりょうさんが、いつもの凛々しくも頼もしい感じに戻ったのを感じて嬉しく思いながら、俺は鶴岡若宮へと急いだ。
「失礼。江戸の鈴白です」
若宮の参道を通り、源の屋敷に辿り着いた俺は、背負っていたおりょうさんを降ろしてから、屋敷の中へ呼び掛けた。
「これは良太様。ようこそお出で下さいました」
出迎えてくれたのは、頼華ちゃんと共に大前で働いてくれている胡蝶さんだった。今日、頼華ちゃんと一緒に鎌倉に戻る予定だったが、俺達よりも先着していたみたいだ。
「胡蝶さん、頼永様は?」
「良太様をお待ちです。どうぞこちらへ……」
胡蝶さんの案内で、やはりというか、浴場へ案内された。神前に詣でるので仕方がないが、気掛かりな事がある今は、この時間が煩わしく感じる。
出来るだけ丁寧にしつつも手早く入浴を終えよう、とか思っていたら、前回と同じ様に頼永様の奥方、雫さんが浴場に入ってきた。
「良太様、お手伝いを……」
今回も俺をからかうために浴場に入ってきたと思っていた雫様が、ふらっとよろめいた。
「……雫様!?」
倒れ込みそうになった雫様と浴場の床の間に、間一髪で滑り込んで抱きとめた。
「雫様! 雫様!?」
頭を打ったりはしていないはずだが、顔色が悪い。手首を軽く掴んで脈拍を計ると、おそらくだが平常よりは早いだろう。
「……」
念の為に、目を凝らして雫様を見ると、体の周囲を覆う気に、何か黒い靄のような物が纏わりついている。
(これが、雫様の具合を悪くしている原因か? 黒い靄を吸収してもいけど、頼華ちゃんのチョコの時みたいに、俺が雫様と同じ状態になる可能性も……)
俺は雫様を抱き上げると、脱衣所へ向かった。
「誰か! 誰か来て下さい! 雫様が倒れました!」
呼び掛けておけば胡蝶さんか、他の使用人の女性が来ると思うので、俺は雫様を慎重に床に下ろすと、腕輪の機能を使って一瞬で服を身に着けた。
「失礼致しますっ! し、雫様!?」
「突然倒れました。頭とか打っていないですが、目を覚ましません」
脱衣所に入ってきた、顔を蒼白にしている胡蝶さんに説明した。
「良太様。申し訳ありませんが、雫様を運ぶお手伝いをお願い出来ますでしょうか?」
「わかりました」
普段はあまり表情の変化を見せない胡蝶さんが、明らかな焦りの色を浮かべている。
(もしかして、俺が思っている以上に緊急事態なのか?)
胡蝶さんの先導で雫様を抱えて歩く俺は、暗澹たる気分になっていった。
「良太様。雫様のお召し物を替えますので、お手伝い下さい」
「っ!? そ、それは不味いのでは!?」
浴場で倒れた雫様の衣類は、濡れた洗い場の床の湯を吸っているので、確かに着替えは必要なんだけど……。
「実は、この屋敷で暮らす人間の大半が、謎の病に臥せっております」
「えっ!? もしかして頼永様もですか?」
「頭領も具合を悪くされておりますが、領民や他の領地に対して弱みは見せられないと、気丈に振る舞っておられます」
(どうやら緊急事態なのは間違い無いようだ。頼永様の体調も良くないみたいだが、一刻も早く会わなくては……)
「胡蝶さん。雫様の着替えを急ぎましょう」
「はい」
脱がすのと着付けは胡蝶さんに任せて、俺はぐったりしている雫様の身体を動かしたり持ち上げたりするのを手伝った。
(雫様、こんなになっているのに、俺をもてなすために浴場まで来てくれたんだろうか……)
苦しそうな表情で、俺や胡蝶さんのなすがままにされる雫さんの心遣いに、胸が痛んだ。
「胡蝶さん、頼永様に合わせて下さい」
あくまでも丁寧にだが、作業的に雫様の着替えを終えた俺は、胡蝶さんに案内を頼んだ。
「畏まりました。こちらへ」
胡蝶さんに先導されて、俺は八幡神様に拝謁した別棟に入った。奥の祭壇の前には、しっかりと背筋が伸びているが、顔色の良くない頼永様が座っている。隣には頼華ちゃんもいる。
「良太殿。ようこそおいで下さった」
「兄上、お待ちしておりました」
「頼永様。非礼は後程お詫びしますので、巴をお渡し下さい」
この場合は礼を返すべきなのはわかっているんだが、俺は単刀直入に要件を切り出した。目を凝らすと、予想通り頼永様にも、雫様に纏わりついていた黒い靄が見える。
「そのためにお呼びしたのですから勿論ですが、どうされました?」
「兄上?」
頼永様も頼華ちゃんも、俺の行動を訝しんでいるが、今は時間が惜しい。
「説明は後です」
「……わかりました。では、お受け取り下さい」
頼永様が、傍らに置いてあった長い布の包みを取り上げて差し出して来たので、俺は頭を下げながら両手で受け取った。
「拝見します」
包みの口を結んであった紐を解き、中に右手を差し入れて掴み、引っ張り出した。
「……」
俺がお願いした通り、柄は木地のままで、鞘の方は漆を塗られて丁寧に仕上げられている。特に何も言わなかったが円形の鍔が付けられており、良く見れば陰陽太極図になっていいる。
「ありがとうございます。見事な出来栄えですね」
「そう言ってもらえると。職人達に、褒められたと伝えておきます」
「では、俺なりに仕上げを……」
ドランさんの店で預かった、細長い鵺の皮を取り出し、柄に巻いていく。
「っ!?」
「こ、これは!?」
驚く俺と頼永様の眼の前で、初めて鵺の靴を履いた時のように、柄に巻き付けた皮が蠢き、最初からその場所にあったかのように柄と一体化した。これで本当の意味で、巴の完成だ。
「毎度、驚かせてくれるな……頼永様、御無礼を!」
俺は左手で巴の鞘を握って腰の辺りで構え、右手で柄を握ると同時に鯉口を切った。
「良太殿? いったい何を……むっ!」
俺が片膝を立てて巴をの刀身を抜き放つと、澄んだ鞘鳴りがした。
「兄上!?」
「良太!?」
頼永様の頭上で巴を一閃させると、驚愕に目を見開いた頼華ちゃんが立ち上がって俺に向かって飛び掛かり、背後からは入浴を終えて入ってきたらしい、おりょうさんの悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
「良太殿……」
今の俺は、飛び掛かってきた頼華ちゃんに床に倒されて胸ぐらを掴まれて押さえつけられ、巴を握った右腕を、おりょうさんに腕ひしぎ十字固めでホールドされている。
敢えて気での防御はしなかったので、叩きつけられた背中と、固められた腕が折れそうに痛い。
「いくら兄上でも、許しませんよ!」
「源のお殿様に斬り掛かるなんざ、なんの乱心だい!」
「……頼永様、御気分は如何ですか?」
呆然としている頼永様の顔の色は、さっきよりも明らかに良くなっている。
「む? あ……ここ最近の不快感が無くなりました。良太殿、これはどういう?」
「兄上、どういう事ですか?」
「……斬り掛かったのは、なんか理由があっての事なのかい?」
頼永様とのやり取りを聞いて、俺が危害を加えようとした訳では無いとわかってくれたのか、首を傾げながらも、頼華ちゃんとおりょうさんが開放してくれた。
一刻を争うと思ったが、やっぱり何も説明しないのは不味かったか。俺が乱心したと、頼華ちゃんとおりょうさんが思ったのも無理はない。
「その説明の前に、雫様と、他の具合の悪い人のところへ案内して下さい」
「わかりました」
雫様が運ばれた部屋に入り、今回は予め巴で身体の近くを振り抜くと申し合わせておいてから、身体に纏わりついている靄を切り裂いた。
雫様の顔色が良くなり、呼吸が落ち着いたのを確認してから、屋敷内の他の人達の靄も処理して、やっと落ち着いた。
「頼永様。念の為に、領地内で他に同じ様な症状の人がいないかを確認をして下さい」
以前に来た時に食事をした広間に、頼永様、頼華ちゃん、胡蝶さん、おりょうさんと俺が、湯気の上がる湯呑の置かれた座卓を囲んだ。
「わかりました。胡蝶」
「はっ!」
頭を下げて、少し早足に胡蝶さんが部屋を出ていく。
「ところで良太殿。そろそろ巴と、あの行動についてを教えて頂けますかな?」
「兄上。余も聞きたいです!」
「あたしゃ、良太がおかしくなっちまったのかと思ったよ……」
「お騒がせしました……」
説明の前に、俺は深く頭を下げた。
「実は巴は、頼華ちゃ……頼華さんと立ち会った時に思いついた機能を持たせてあるんです」
一応、見知った人間だけしかいない場では無礼講になっているんだが、親の頼永様の前でちゃん付けで呼ぶのは不味そうなので言い直した。
「ほう? それはまた、どのような機能でしょう?」
「それはですね、失礼して、巴を抜きますね……」
断りを入れてから、俺は巴を抜いて、黒と白の色違いの刀身を見せた。
「俺は巴に、自分の気を斬り付けた相手に注ぎ込む機能と、相手の持っている気を吸収する機能を持たせようと思って打ったんです」
「しかしそれは……相反する機能になりますね?」
当然の指摘が頼永様からされた。
「ええ。おかげで大変だったんですが……」
槌を打ちながら、漠然とそういう風に出来れが良いな、くらいに思っていたんだが、物凄い反発を感じながらも、両方の機能が巴には付与されたのだ。
「では巴は、相手の防御の闘気を吸収しながら、良太殿の莫大な闘気を叩きつけられるという事ですか? なんと恐ろしい……」
感心半分、呆れ半分といった感じで、頼永様が呟いた。
「ふぇぇ……あ、兄上、先程は御無礼致しました!」
「いや、頼華ちゃ……頼華さんに振るう気は無いよ?」
対頼華ちゃんウェポンとして考えて誕生した巴だけど、いくらなんでもオーバーキル過ぎるので、余程の事が無い限り、頼華ちゃんを含めて対人戦で使う予定は無い。
「そんな物を考えて作っちまうとは、呆れたねぇ。ところで、その変な黒い靄ってのは、巴を通して良太が吸収したのかい?」
「そこは、俺も気になってたんですが……」
巴を通して靄を吸収すれば、チョコでおかしくなった頼華ちゃんの赤い靄の時のように、俺にも異常が発生すると思っていたが、その兆候は現れなかった。
「もしかしてなんですけど、靄は巴自体が吸収したんじゃないのかと……」
「……あんた、それって妖刀とかの類のする事じゃないのかい?」
「うーん……別に、今も触れていますけど、妙な感じはしないんですよね」
おりょうさんに言われる前にその辺を考えたが、インテリジェンスソードの疑いもある巴からは、俺や周囲を害するような気配は感じられない。
「もしも巴が妖刀で、今回の件の原因だとしたら、俺が自分の手で処分します」
「そこまでしろとは言わないけど……」
「りょう殿の懸念も尤もですが、さすがに自分で起こした騒ぎを自分で鎮めるなどとは、妖刀ならばしないでしょう」
「それもそうですねぇ。騒動を起こしたいのなら、放置しておいた方が効果がありますから」
頼永様の言葉に、おりょうさんも納得したようだ。
「ところで、今回の事と、おそらくは関連しているんじゃないかと思うのですが、実は昨夜……」
俺は正恒さんの家で見た夢の話を説明した。
「それは……もしや鵺では?」
「えっ!? でも鵺って、空なんか……あ」
「ええ。鵺には二種類の姿が伝承で伝わっております」
猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾はヘビというのが、一番知れ渡っている姿だが、頭が猫で胴は鶏と書かれた文献もあるみたいだ。
「この皮を手に入れた店でも聞きました。鵺は唯一の個体ではなく、複数存在していたのではないかと」
「動物のように雌雄が存在して繁殖するのかなどは不明ですが、もしかしたら特徴の異なる存在がいて、今回の元凶は鶏の胴をもっている鵺の可能性がありますね。もしも鵺ならば、我が源に恨みを持っていてもおかしくありませんし」
都を騒がす鵺のせいで帝が病気になり、退治を依頼された源頼政が源頼光が使っていたという弓で射落として、手下の猪早太がとどめを刺したんだったっけ。
「先ずは領地内の住民に被害が出ているのかの確認ですね。伝承通りに鵺ならば、現れるのはおそらく夜でしょう」
普通の病気と違って、時間の経過での回復の見込みは無さそうだから、被害に遭っている人がいるなら、一刻も早く対処しなければならない。
「しかし、この八幡神様に守護されている鎌倉に、鵺の侵入を許すとは……」
頼永様が苦々しいという感じに呟いた。
「それは……風水に基づいて整備された都にも鵺は侵入したのですから」
風水による四神配置で整備されているのに、安倍晴明という稀代の陰陽師がいた時期にも、都には妖怪が跋扈していた。この辺は空爆やテロと同じで、どれだけ万全と思われる対策をとっていても、明確な意図を持っての行為を、完全に防ぎ切る事は出来ないと考えるしか無いのだろう。
「そうなのですが……では、鵺を迎え撃つ準備をしましょう。侵入してくるとしたら、やはり……」
「鬼門からでしょうね」
そしておそらくは、来る時間は丑三つ時……また無駄な中二知識が役に立ってしまった。
鎌倉も寺社だらけだから、源の本拠である若宮の表と裏の鬼門もしっかり押さえてありそうだけど、さっき俺自身が言ったように、都でも鵺は暗躍したんだから、今は予防よりも対症療法を考えた方がいいだろう。




