萬屋
昨日と同じ様に、俺と嘉兵衛さんは鰻屋で出す料理の試作、おりょうさん達には掃除を頼んだ。店内には他に大工や左官の職人も入って、改装の作業をいている。
「串焼きはこんなもんかな? 次は、作っておいた蒲焼きで……」
四角い銅の鍋に出汁と少量の醤油を入れて溶きほぐした卵を流し入れ、火が通ったところで長さと幅を切って整えた蒲焼きを乗せて巻き込んでいく。うまきだ。
「今更ですが、良さんはどんだけ器用なんですか?」
感心しているというよりは半ば呆れた感じで、嘉兵衛さんが出来上がったうまきを見ながら言った。
「す、少しだけ練習したんですよ……」
別に料理人を目指したりはしなかったんだけど、出汁巻きとオムレツは、なんかうまく焼けるまでムキになって練習した。その成果がこんなところで活かされた。
「あとは『うざく』と、今日は丼じゃなくて……」
嘉兵衛さんが用意してくれた調理器具や食器類を使って、他の料理を作ったり盛り付けたりした。
「ふぅ……出来上がりですね」
「それじゃ試食して、店で出す物を選びましょうか」
「ええ。御飯ですよー!」
「「「はぁーい!」」」
俺の呼びかけに、掃除をしていた三人が元気に応えた。
「串焼きと言っても、何種類もあるんですね!」
「あ、お華ちゃん、肝焼きは苦いよ?」
「この倶利伽羅焼きというのは、蒲焼きとはまた違った味でおいしいですね。蒲焼きよりも鰻のクセを感じません」
「うざくってのは、酒のツマミにはもってこいですなぁ。胡瓜と酢で、口ん中がさっぱりする」
それぞれの料理の評価は悪くないみたいで、とりあえずはホッと一息。
「白焼きは、山葵が合うもんですな」
俺は鰻はタレ味が好きだけど、嘉兵衛さんには白焼きも口に合ったみたいだ。
「こっ、このうまきって料理……うまっ!」
「そんなにですか? こ、これは……」
「鰻と卵なんて、物凄く精のつきそうな組み合わせだねぇ……」
女子はみんな卵好きだというが、やはりうまきの評判が一番良いみたいだ。おりょうさんの意味深な言葉と流し目は気になるけど……。
「今回は御飯は丼じゃなくて、これをどうぞ」
塗り物の桶なんか無かったので、杉のお櫃に御飯を入れ、その上に刻んだ鰻を敷き詰めて櫃まぶしにしてみた。各自の小ぶりな茶碗によそい分ける。
「これは……鰻丼と同じなんでは?」
嘉兵衛さんの疑問ももっともで、確かにこの時点では、盛りが少なめの鰻丼だ。
「量が少ないから、食べ終わりましたね? では二杯目は……」
二杯目には刻んだ葱や細切りにした海苔、胡麻なんかの薬味を載せた茶碗を配る。
「味噌汁や漬物とは違うけど、味わいが変わるもんだねぇ」
おりょうさんの言う通りなんだけど、これは好き嫌いが別れるんじゃないかと俺は思っている。
「三杯目は、こうやって……」
二杯目のように薬味と、少量のすり下ろした山葵を載せてから、昆布とカツオの出汁をかける。
「これは要するに、鰻の出汁茶漬けですね? うん。酒の後の締めには悪くねぇ」
「でも、御覧の通り、これはかなり手間が掛かるんですよ。それと、薬味を載せたり出汁をかけたりは、好みは別れると思います」
「私は、これも嫌いじゃないけど、中入れ丼の方が好きです! あとは、うまき!」
「あたしは苦いけど肝焼きが好きだねぇ。あとは、うまき」
「私はクセがなく脂の抜けた串焼きはどれも好きです。あとは、うまき」
うまきが圧倒的だな。好きという意見が無かったので、櫃まぶしは微妙という評価か。
「嘉兵衛さんはどうですか?」
「あっしは、鰻丼は当然ですが、串焼きにうざくはイケると思います」
「となると、櫃まぶしは手間もあるし、無しって方向ですね?」
「いえ。読み通りに繁盛したら、常連になってくれる客もいるでしょう。そういう客は、ちょっと変わった物を食わせろとか言ってくるかもしれやせんから、そんな時に出そうかと」
「ああ、それはいいですね」
常連さんの裏メニューって奴だな。
「鰻ってなぁ、うまいもんなんだな」
「嘉兵衛の旦那、この店が開いたら贔屓にするぜ」
「おう、頼まぁ。昼はその丼だけだが、夜は色んな料理に、酒も出すからよ」
改装をしてくれている職人さん達にも、鰻丼を試食してもらったが、中々良い感触だ。広めてくれるといいけど。
「それじゃ嘉兵衛さん、早上がりします」
「お疲れ様です。明日には店の体裁は整ってると思いますんで」
嘉兵衛さんに挨拶をして、俺達は買い物に向かった。運ぶ手間を考えて、品川ではなくこの界隈の店を回る事にした。
「食器類は店のを使わせて貰えばいいから、衣類と布団くらいかねぇ」
おりょうさんの言う通り、元の世界と違って家電品なんかは無いから、買う物はそれ程多くないし、食器など、住む場所に既にある物も必要ない。
二組の布団を購入し、嘉兵衛さんの店へ運んでもらう手配をし終わるまでには、それ程時間は掛からなかった。
「お次は着物だね」
「あの、おりょうさん、俺は別行動していいですか?」
「えー……りょうた兄上は来てくれないのですか?」
「いや、男の俺が付いていっても、役に立たないし……」
おまけに、女性の買い物、特に服を買うのには相当に時間が掛かるだろう。そこで、おりょうさんや胡蝶さんが、ついでに自分のもと言い出したら……。
「仕方ないねぇ。そいじゃ、あたし達は買い物が終わったら、早ければ嘉兵衛さんの店に荷物を置きに行って、長く掛かって遅くなるようなら直接、品川に帰るよ」
「そうして下さい」
「兄上、また後で!」
「……」
笑顔のおりょうさん、元気な頼華ちゃん、無言で頭を下げる胡蝶さんに見送られて、俺は数日前にお世話になった店を目指した。
「いらっしゃい。おや、お客様は確か先日、綺麗なお嬢さんと一緒に御来店された……」
「こんにちは。ええ。この靴を買った者です」
俺は少し脚を持ち上げて、靴を示した。
「再度の御来店、ありがとうございます。どうですか、靴の履き心地は?」
「とてもいいです。何度か窮地を救われました」
本当に鵺の靴の効果かは不明だが、少なくとも品川から藤沢まで走ってもビクともしないのだから、その点だけを取っても高い買い物では無かっただろう。
「それはお役に立てて何よりです。それで、今日はどういった御用向きで?」
「実は入手した素材があるので、買い取りをお願いしたいのですが……これです」
俺は福袋の中から、鹿の毛皮と角、熊の毛皮を取り出した。
「ほうほう? これは……鹿の方は皮はちょっと傷んでますけど角は立派だ。熊の方は毛皮も荒れていないし大物ですね」
「ちょっと価値はわからないので、値段の方はお任せします」
「そうですね……では鹿が毛皮と角で銀貨三枚。熊の毛皮が銀貨七枚では?」
「それでお願いします」
合わせて銀貨十枚を店主さんから受け取る。正恒さんからの貰い物に、たまたま遭遇して倒した熊が稼ぎになったんだから、言う事無しだな。
「それにしても鹿ですか。いいなぁ……」
「鹿がお好きなんですか?」
「ええ。故郷では良く食べたんですが、この国ではあまり出回りませんので……山間部に行けば、それなりに食べられるみたいなんですけどね」
「でしたら、少しお分けしましょうか?」
「えっ!?」
俺は鹿の背肉と腿、腸詰を数本を、福袋でカバーしながら、収納してあった腕輪から取り出した。
「おお! こ、これは……」
「良かったら、猪と熊もありますけど?」
「い、いいんですか!? では、少しお分け下さい!」
「え、ええ……」
予想を上回る激しい反応に驚きながら、俺は猪のロースを五キロほどと、熊はどこがうまいのか良くわからないので数ヶ所の肉を、併せて五キロほど取り出した。
「どうぞ。さっきの腸詰は鹿肉に猪の脂を混ぜて作ってあります。燻製になってないので、食べる時には良く火を通して下さい」
「ところで、代金の方はお幾らで?」
「たまたま手に入れただけの物なので、タダでいいですよ」
「そんな、お若いのに欲の無い……では、今後は買い取りやお買い物には便宜を図らせて頂きますよ」
思っても見なかった特典が得られた。相談したい事もあったので、これは嬉しい。
「ありがたい! 早速今夜は、故郷の料理を作って食べます!」
「失礼ですけど、どちらの御出身なんですか?」
不躾なようだが、今回の来店の目的が、この店主の出身地を知る事でもあった。
「お客さんは御存知かわかりませんが、この国から西へ向かって海を超えた大陸の、その更に西の方にある、寒い地域の『黒い森』というところから来ました」
黒い森? もしかして、元の世界のドイツのシュヴァルツ・ヴァルトに当たる場所か?
「あの、ご主人はもしかして……」
「ええ。私は『黒い森』の奥深くの、更に奥にある山の中の国に住む、ドワーフ族です」
やっぱり! 通りで鵺の革なんて物を加工出来るわけだ。
「立ち入った事を伺いますけど、どうしてこの国に?」
「なんと言いますか、故郷ではやり尽くした感があったと言いますか……手に入る素材で物を作るのに飽きたんですよ」
「は、はぁ……」
自分の作品をわかる人間だけに使って欲しいという正恒さんとは、違った方向の悩みだな。
「それで、珍しい素材や製法なんかの噂を聞きながら、東へ東へと旅を続けて、この国に辿り着いたという訳です」
「それは、凄いですね……あの、失礼ですけど、相当に戦ったり出来る方なんですよね?」
「斧を持ったら、それなりには戦えますよ」
店主さんは謙遜してるけど、強力な護衛でも雇うんじゃなければ、この世界で大陸を横断したり、海を渡ったりする事は、相当な実力者でなければ出来ない事だろう。
「この国は、中々面白い素材も手に入るし、珍しい工芸品や絵画なんかは故郷の方では高く売れるので、革製品の製造や売買をする傍ら、輸出入の窓口的な事もやっております。しかし……はぁー」
「何かお悩みでも?」
仕事の内容を自信を持った感じで話してくれていた店主さんは、急に意気消沈したようになり、大きく溜め息をついた。
「いえね、この国は金額辺りの食い物の満足度は高い。特に魚介類は抜群にうまいんですけど、肉料理を出す店が少なくて……」
「ああ、それはそうですね」
畜産の方が発達していないのだろうというのは、街中に肉料理を出す店が少ない事からもわかる。あったとしても、おりょうさんが言ってた猪や兎くらいだろう。それも狩猟による獲物だから、供給は安定していないはずだ。
「故郷では、食べ物といったらまずは肉です。ですので、お客さんから頂けたこの肉は、大変嬉しいです。はぁぁ……今夜は鹿を焼くか、それとも腸詰を野菜と煮込むか……」
既に店主さんの心は、心は今夜の食卓へ移ってしまっているようだ。
「はっ? いかんいかん。お客様の前で申し訳ありません。失礼ついでに、頂いた物を仕舞ってきてもいいですか?」
「どうぞ。お待ちしてます」
「ではちょっと失礼して……♪」
店主さんは嬉しそうに、小さく鼻歌を歌いながら、いそいそと店の奥へ入っていった。
「いやぁ、夕食が待ち遠しいなぁ。どうもお待たせしました」
御機嫌な様子で、店主さんが戻ってきた。
「あの、さっき故郷の料理と言っていましたけど、それはどんな?」
「そんなに大したもんじゃございません。腸詰と野菜の煮込みに、鹿肉は焼いて塩と胡椒を掛けるだけです」
「ちょ、ちょっと待って下さい。胡椒が手に入るんですか?」
「ええ。何かおかしいですか?」
店主に詳しく聞いたところ、流通量は少ないが、この国には数百年以上前に胡椒が渡来しており、この近くに扱っている店もあるそうだ。
「薬研堀という、薬種問屋が集まっている一帯がありますから、そこなら色々な香辛料も入手出来ますよ。お安くは無いですけどね」
これは凄い情報を得た。これはもしや、異世界でカレーの再現が……あ、野菜類が無いか。ん? もしや……。
「あの、腸詰と野菜の煮込みって、野菜は何を入れるんですか?」
「興味がおありで? その時々違いますが、今回は芋と人参と玉葱、それとキャベツ(コール)です」
店主さんの話を聞く限りでは、料理はポトフみたいな物っぽい。しかし、大事なのはそこではない。
「ちょ、ちょっと待って下さい! その野菜って、入手出来るんですか!?」
「え、ええ……」
俺の無自覚な剣幕がよほど凄かったみたいで、店主さんが怯んでいる。
「人参はそれなりに栽培されていますので、普通に買えますよ。芋は南の方で栽培されていたのが、少しずつ伝わってきたみたいです」
人参って栽培開始早かったのか。じゃが芋は、確か九州の方には結構早く伝わったんだったか?
「玉ねぎは、芋と一緒で船の航海に適した野菜なので、どっかの外国船が持ち込んだんじゃないですかね? 私は手に入れた物を、懇意にしている農家に作ってもらってます」
玉ねぎは冷蔵とかしなくても、それなりに保存が効くしな。成る程。
「キャベツは、この国では食用では無く観賞用で渡来していた物を、これも栽培してもらってます」
確かイタリアでも、トマトは元々は観賞用で、しかも鮮やかな赤い色のせいで毒だって言われてたんだったな。日本ではキャベツが同じ扱いだったのか。
「あのですね、人参以外の野菜を、譲って頂く事はできるでしょうか?」
「構いませんよ。芋なんか私一人では、芽が出る前に食べ切る事も出来ませんし」
どれくらい栽培してもらっているのかは不明だが、強い作物のじゃが芋は、収穫量も多いのだろう。
「ありがとうございます! じゃあ、店主さんの必要の無い分を全部お願いします!」
「ぜ、全部ですか!? かなりの量ですよ?」
「構いません!」
「じゃ、じゃあ、少しお待ちを……」
カレーが出来ないにしてもシチューは出来る! 玉ねぎなんかは生でも食べられるしな。
「よっこらしょ、っと……ふぅ」
さすがドワーフというか、小柄なのに力があるらしい店主さんは、大きな木箱を三つ抱えて戻ってきた。
「お渡し出来るのはこんなもんですね」
重なっていた木箱を順に下ろすと、それぞれの箱に各種の野菜が入っている。玉葱とじゃが芋がそれぞれ二十キロくらいか? キャベツは十玉だ。
「どうぞ、木箱ごとお持ち下さい」
「ありがとうございます」
店主さんは信頼出来そうなので、俺は福袋ではなく、収容能力の大きい腕輪の方に野菜類を仕舞っていく。
「おや、その腕輪は魔法の道具で?」
「ええ。こっちでは入り切らなそうなので」
俺は福袋を店主さんに示した。
「もし必要でしたら、似たような商品を取り扱っていますので、その時は御利用下さい」
「えっ!?」
またもや、思ってもいなかった申し出が店主さんからあった。
「見せて貰う事は出来ますか?」
「ええ。えっと……これとこれですね」
店主さんが取り出したのは、俺の使っているような布製ではなく、革製のリュックのような背負うタイプの物と、一見すると籐編みの蓋付きの葛籠のような物だった。
「こっちの背負う方は、私の故郷ではポピュラーなタイプです。鉱山で、トロッコが開通していないようなところでは、掘削した土や鉱石を運ぶのは人力ですから」
「ああ、かなりの負担軽減になりますね」
いくらドワーフが力持ちでも、一度に運べる量は限られるだろうから、必要に応じてこういう道具が生み出されたのか。
「ええ。こっちの方は、部屋を広く使うための物です」
それぞれの開口部から入れられる大きさの物を約二百キロまで収容可能。最大まで物を詰め込んでも、持ち上げる時には五キロ程度にしか感じないと、どちらも俺が使っている物と能力的な差は無いみたいだ。
「ちなみに、価格の方は?」
「壊れにくくしたり、容量拡張の付与なんかもしてますので、安くは無いんですよ。どちらも金貨一枚になります」
ファンタジーRPGなんかではベテラン冒険者の装備だから一見すると高いけど、妥当な価格設定だろうな。
「それじゃ、両方頂けますか」
「えっ!? 両方お買いになるので?」
「売約済みとかですか?」
「いえ。靴の時にも思いましたが、思いっきりの良い買い方だと思いまして」
さっきの野菜の件といい、確かに買い物の仕方が雑だよな。少し自重した方がいいかな?
「この箱型の方は、知り合いの商売の役に立ちそうなので。バッグの方は、なんとなくですけど、買っておいた方がいいかなって」
「売る方が言う事じゃ無いですが、なんとなくで買う物ではありませんよ?」
「でも、この機会を逃すと、買えないような気もするので」
「そりゃまあ、作れはしますが、あまり数が出回る物では無いですからね」
店主さんの言葉通り、例えばこの間行った鎌倉で扱いがあるのかという事だ。確かに余計な買い物かもしれないが、この道具自体が取引材料にもなるから、決して無駄にはならないだろう。
「それじゃ、金貨二枚と、さっきの野菜はお幾らですか?」
「野菜の方は、銅貨三十枚で結構ですよ」
産直野菜よりも安い気がするが、言われた金額を渡しておこう。
「ではこれで。それで、随分と回り道をしちゃいましたが、ここまでの話とは別に相談がありまして」
店主さんにお金を渡しながら、俺は本来の要件を話し始めた。
「実は刀の柄に巻く滑り止めの皮が必要なんですが、この靴に使ってある鵺の素材の余りとかは無いでしょうか?」
「鵺の、ですか?」
「ええ」
俺は簡単に打った刀、巴の事を店主さんに説明した。
「柄と鞘を作ってもらっている最中なので、まだ現物をお見せ出来ないんですけど」
「そうですか……ちょっと待ってて下さい」
思案顔になった店主さんは、店の奥に行って、すぐに戻ってきた。
「これですが、使えそうですかね?」
俺とおりょうさんの靴を作って、余った素材だと思われるものを店主さんが見せてくれた。小さかったり細長かったりと、パーツを取る際に出た端切れなので、形は様々だ。
「これなんか、使えるんじゃないでしょうか?」
店主さんが手にしたのは、それぞれ長さが一メートルくらいで、幅が五センチくらいの物と三センチくらいの物だった。
「こっちの細い方が良さそうですね」
なんとなく、直感が俺に告げている。
「良かったら、半端な材料で使い途も無いですから、残りはお持ちになりませんか?」
「いいんですか?」
「他の素材と組み合わせるのも難しいですしね。捨てずに取ってあっただけなので、何かお客さんのお役に立つなら、差し上げますよ」
「……あ」
すっかり忘れていたが、正恒さんにお願いしてあった物があったのを思い出した。
「あの、この素材で、こういう物を作ってもらえますか?」
俺は頭の中で浮かんだ物を、店主さんに説明した。
「ちょっと、具体的な大きさと形状を確認しましょう。こちらへ」
店主さんの後に続いて歩き、店の奥の座卓のある場所に移動した。椅子を勧められて座る。
「こんな形でいいですか?」
店主さんが、木枠で囲まれた黒っぽい板みたいな物に、細長い棒状の物で図形を描いていく。
「それってなんですか?」
「これは石盤と言いまして、この棒で書いた物は布とかでで拭けば消えるんですよ。お客さんに必要な物の形の確認をする時や、簡単な書付をするのには便利です」
「へー」
要するに、元の世界で言うホワイトボードの小型の物か? 白くないけど。ペンのような棒状の物の先端が尖っているので、描線がかなり細い。これなら文字だったら、かなりの量を書き込めそうだ。
「それって普通に売っているんですか?」
「ええ。ただ、天然石を切り出して薄く加工している物なので、生産量は少ないはずです」
そもそも何屋で扱っているのかが不明だな。持っていれば便利なんだが。
「予備がありますので、良かったらどうぞ」
「えっ!?」
「素材が石ですから、長持ちしますので。私も知り合いからタダで貰った物ですから、遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます!」
紙が貴重で高いので、図を描いて説明したい時などに、この石盤は凄く便利だ。
「あの、代わりと言ってはなんですけど……」
「何か?」
「さっき話した刀を打つのを教わった人に、鹿や猪の肉が手に入ったら、こちらへ回して貰えるようにお願いしておきます」
「それは本当ですか!?」
「ええ。確約は出来ませんし、不定期にでしょうけど」
革の素材なんかは正恒さんも必要かとも思うので、その辺も含めて、今度お邪魔する時にでも頼んでみよう。
「その方の商売の方でも、お役に立てるといいですなぁ」
「逆に、鉄製品を発注なさってもいいのでは?」
「その手がありましたか。久々に斧を……ああ、なんだ。そうか、自分で狩りに行くって手もありましたね……」
なんか店主さんの目が怪しく光ったような気がしするが、無かった事にしておこう。
「では用途と形状はわかりましたので、そちらは制作に取り掛かります。すぐに出来ますから、明日以降で時間のある時にでも御来店下さい」
「わかりました。素材はお言葉に甘えますが、加工賃の方は?」
「金属の材料なんかも少し使いますので、銅貨五十枚というところですか」
「わかりました。お願いします。っと、その前に、ここでは石鹸と外套なんかは扱ってますか?」
この店は輸出入もしているという事なので、ついでに聞いてみる事にした。
「石鹸ですか? オリーブオイルと海藻の灰を材料にした物でしたら、取り扱ってますよ」
店主さんは近くにあった木箱を開けて、ぎっしり入っていた緑がかったグレーの塊の一つを取り出した。石鹸一つは豆腐一丁の半分くらいの大きさだ。
「香料とかは入っていませんけど、汚れは良く落ちます」
「あ、でも、ほのかにオリーブオイルの香りが……」
料理くらいでしかオリーブオイルの香りなんか嗅いだ事は無いが、なんとなく懐かしく感じる。
「輸入品なので少し高いですが、一つ銅貨五枚です。この箱には百個入ってます」
「じゃあ、この一箱買います」
輸入品だが、石鹸一つが五百円相当は確かに高く感じるが、鯨の返り血と脂を浴びた時には切実に欲しかったので、ここは買っておこう。
「ぜ、全部ですか? そりゃうちは商売ですから、買って頂くのはありがたいですが……」
一個くらいしか買わないと思っていたのか、店主さんは驚いている。
「ちょっとこの間、酷く汚れる目に遭いまして。その時に、見つけたら買っておこうと思ったんですよ」
「そうですか。えっと、あとは外套でしたね。用途は靴と同じく旅行用ですか?」
「そうですね。ですから、出来れば防水で、頭まで覆う物がいいんですけど」
雨天を考えると、フードがあれば便利だ。
「それでしたら……ちょっとお待ちを」
店の奥に行った店主さんは、二枚、いや、二着か? の、外套を持って戻ってきた。色は薄い灰色と濃いグリーンだ。
「これなんですが、ちょっとお客さんの要求からすると、性能が過剰過ぎるかもしれませんが」
「過剰、ですか?」
なんか凄そうなのが出てきちゃったな。
「材質は羊の毛で、防水、防寒性能は、ほぼ完璧です。多少ですが防御力も期待できます」
なんかファンタジーRPGのアイテムっぱいな。
「最大の特徴は、身を隠そうとした時に、周囲の景色に溶け込んだように見せかける効果を持っている事です」
透明化では無いが、カモフラージュを補助してくれる外套か。某指輪を火山に捨てに行く作品に、エルフ作のそんなのが出てきたな。
「着けてみてもいいいですか?」
「ええ。どうぞ御自由に」
俺はグレーの方を着けてみる。前開きになっている外套は、首の辺りに革のベルトの留め具が付いていて、左右どちらを前にしても合わせられるようになっている。
丈は俺の身長では膝の少し上くらいで、防水のためにかなり密な織りになっているはずだが、着けた感じは非常に軽く、動きが妨げられる感じはしない。
「これは我らドワーフと、森に住む種族との交易品です」
って、もしかして本当にエルフ製なのか!?
「色が違うようですが?」
「色違いですが、どちらにも同様の効果があります。周囲の状況にもよるでしょうけど、それほど大きな差は無いです」
外套の色や織り方に効果があるのか、何か魔法的な効果でカモフラージュを補助してくれるのかはわからないが、その辺はどうでもいいか。
「これは、売り物なんですよね?」
「ええ。福袋や同じ効果のチェスト(つづら)程ではありませんが、一枚が銀貨五十枚です」
福袋の機能からすると、外套の価格は妥当に思える。欲を言えば自動修復とかもあれば良かったけど、仮にその機能が付与されてたら、価格が跳ね上がるだろう。
「じゃあ二枚とも買います。他の支払いと併せて……」
野菜と石鹸、外套の分の代金を、まとめて支払った。
「ありがとうございます。それにしても、これだけ大口で御購入頂けるなら、何かオマケをお付けしたいですね……」
「いやぁ、こちらも必要な物を買っているだけですし、野菜とか色々と融通もしてもらってますから」
「しかしですね……ああ、そうだ。私とした事が失念しておりましたが、先日、靴をお買い頂いたのに、靴下の事を伺っていませんでしたね?」
「靴下? ええ」
「では、お買い物のオマケで、靴下を差し上げます」
店主さんは、近くにあった油紙の梱包の一つを開くと、紐で数足がまとめられた靴下を取り上げた。
「とりあえず十足、差し上げます。あ、お嬢さんの分も必要ですね……」
店主さんは別の梱包を開け、サイズ違いと思われる靴下の束をもう一つ取り出した。
「毛織物の、飾りっ気の無い物ですが」
「いえ、十分ですよ。これは本当にタダでいいんですか?」
「ええ。でも次回以降は、一足で銅貨三枚頂戴します」
店主さんは、髭の生えた顔に笑みを浮かべる。ここは御好意に甘えよう。
「色々と面倒な事をお願いしてすいません」
「いえいえ。肉の件だけでも、感謝してもし足りませんよ」
「それを言うなら、野菜の件が……」
ここまで言って、俺と店主さんは顔を見合わせて吹き出した。
「今後も、あなたとは良い取引が出来そうです。大変遅くなりましたが、私はこの萬屋の店主、ドランと申します」
萬屋とは、正に名は体を表わしている店名だ。
「こちらこそ遅くなりました。鈴白良太です」
「鈴白様、今後共宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします。でも、その様はやめて下さい」
「客商売の礼儀みたいなものなんですが……では、鈴白さんで」
「ええ。それでお願いします」
俺は購入したり貰ったりした物を腕輪に収納し、何度も頭を下げるドランさんに見送られながら、萬屋を後にした。




