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プロポーズ

「そ、そりゃあ選ぶのは良太だから、結果がどうなるのかはわからないけどぉ……」


 おりょうさんが、何か言い難そうにもじもじと身体を捩るのだが、相変わらず膝の上に座ったままなので、非常にあちこちが気持のいい事になっているのだが勘弁して欲しい。


「その、ね……」

「?」


 はっきりしない態度のおりょうさんは、頭を抱えこんでいた右腕を離し、空いた右手の人差指の先で俺の胸元をグリグリする。


「あ、あの……」


 指でグリグリするだけなので痛みなどは感じないが、凄く気になる。


「あ、ごめんね! その、ね、良太は、例えば朔夜様から本気で迫られたとしたら、その……拒めるのかな、って」

「あー……」


 おりょうさんの迫るというのが、身体の関係をって事ならば絶対に拒否する。あんまりやりたくは無いけど力ずくでもだ。


 ただ、それまでの生活を投げ出して俺と一緒に旅に出るって話になってくると、ちょっと話が変わってくる。一応、止める方で話をするつもりではあるが。


 しかし江戸を出る際に、おりょうさんと頼華ちゃんを振り切れなかったという前科があるので、ちょっと止めきれる自信が無い。


(夕霧さんにも、そういう風に話してあるしなぁ……)


 世間一般で言う安定した生活というのを捨ててまで俺に付いてくる言われてしまうと、互いに好意を持っている相手だったら多分拒めない。これは朔夜様や紬にも言える事だ。


(とはいえ、紬は玄と一緒で、里を捨てて旅に出る事なんて出来ないだろうけど)


 最期の命の灯を燃やし尽くしてでも、侵入した俺を排除しようとしたくらいなのだから、紬の里への愛着は半端では無い。


「まあ、幸いと言っていいのかはわからないんだけど、あたしが一番で頼華ちゃんが二番てのは、安泰みたいなんだけどねぇ」

「余も、最低限そこは譲れませんが、兄上が許容出来るのでしたらいいと思います」

「おりょうさん、頼華ちゃん……」


 どうやら俺の嫁さん候補の二人は、随分と理解があるようだ。


(それにしても、俺の許容か……)


 幸い力仕事とかをするのに不安は無いし、料理もまあ出来る方だと思うから、最低限、家族になる人を飢えさせる事は無いだろう。


(……婚約指輪とか結婚指輪って風習は、こっちの世界の日本にはまだ無さそうだけど、用意した方がいいよなぁ。金は柔らかいからプラチナと行きたいけど、鉱床ってどっかにあったっけ? 二人の指輪の分くらいなら、ドラウプニールで海水から集めるって手もあるか)


「良太? 急に考え込んじまって、どうしたんだい?」


 俺が急に黙ってしまったので、おりょうさんが顔を覗き込んできた。


「えっ!? あ、ああ、すいません。二人への贈り物の事を考えていて……」

「「贈り物?」」


 左右の耳元で、おりょうさんと頼華ちゃんが同時に呟いた。


「あの、俺の暮らしていた場所では、その……つ、妻になる相手に、指輪を贈るって風習があるんです!」

「「……」」


(遂に言っちまったなぁ……)


 しかし声を上ずらせ、血を吐くような思いをしながら口に出した俺の言葉に対して、二人からの反応は薄かった。


「「……えええっ!?」」 

「えっ!?」


 とか思っていたら、一拍置いて耳元で同時に叫ばれた。


「つっ、つつつつ、妻って、誰の事なんだい!?」

「あ、姉上! まだ伏兵がいたみたいですよ!」

「あのですね……」


 決死の覚悟で吐き出した俺の言葉は、どうやら二人の心には届かなかったようだ。


「あの……話の流れ的にも、俺が妻にしたい相手っていうのは、おりょうさんと頼華ちゃんに決まってるでしょ?」

「「!!」」


 ここまで言ってようやく、わたわたしていたおりょうさんと頼華ちゃんの動きが止まって、二人して俺の事をまじまじと見つめてくる。


(我ながら、十六歳にもならないのにプロポーズをする事になるとはな……)


 その辺を言い出すと、おりょうさんだって数えで十八、頼華ちゃんに至っては十一だ。


「指輪はまた後日って事になっちゃいますけど、約束の印に……」


 ちゅっ……ちゅっ


「「え……」」


 直ぐ側に位置していたおりょうさんと頼華ちゃんの唇を、素早く奪った。


 俺の初めてのキスという行為なので、全く上手く出来る自信が無かったから、ほんの僅かだけ唇同士を触れ合わせただけで、経験とか技術の無さを誤魔化した。


「「……」」

「ん?」


 またもやなんの反応も無いので不安になり、二人の様子をチラッと伺う。


 すると今まで見た事が無い、赤を通り越して黒っぽいぐらいの顔色になったおりょうさんと頼華ちゃんの身体から力が抜け、ぐらりと傾いたと思う間も無く湯船の中に崩れ落ちた。


「ちょっ!? おりょうさんっ!? 頼華ちゃんっ!?」


 悪いと思いつつ、湯の中でぐったりしている頼華ちゃんを麻袋のように肩に担ぎ、おりょうさんを横抱きにして脱衣所へと急いだ。


 二人を慎重に脱衣所の床に寝かせると、呼吸が安定しているのを確認して、念の為に(エーテル)を送り込んだ。


(妙な反応は見えないから、大丈夫そうだな……)


 一応、目を凝らして(エーテル)の状態も確認したが、特に異常は見当たらない。少しだけホッとした。


 意識は取り戻さないが二人共苦しい素振りとかは見せないので、一度入り口から外へ出て、隣の脱衣所から先に渡しておいたタオル代わりの布と寝間着用の貫頭衣、脱いであった着物などを回収して来た。


「用意しておいて良かったな……」


 二人を寝かせている場所まで戻った俺は身体を拭いてあげてから、下着類を履かせるのは諦めて、構造が簡単な寝間着だけを着せた。


「のぼせた訳じゃないから、大丈夫だよな……」


 枕も用意してあったので二人の頭の下に入れながら、まだ顔は赤いが呼吸は安定しているのを確認する。


「ふぅ……」


(自分でした事とは言え、驚きの結果になっちゃったなぁ……)


 頼華ちゃんはともかく、色々と世の荒波に揉まれていそうなおりょうさんが、キスで気を失うとは思わなかった。


(でも、ちょっと嬉しいな)


 思いの外、おりょうさんが初心(うぶ)というか純情というか、この手の行為に慣れていないっぽいのが嬉しかった。


「……まだ目を覚ます気配は無さそうだな」


 少し様子を見ていても、苦しそうにはしていないが、二人共起きる気配は無い。


「なら、ちょっと……」


 湯船に手拭いを放りっぱなしでもあるし、俺は身体も洗っていないので、回収がてら風呂に入り直してくる事にした。



「ふぅぅー……」


 回収したおりょうさんと頼華ちゃんの使っていた手拭いを湯船の縁に置き、自分の手拭いを頭に載せて、俺は大きく溜め息をついた。


(……まあ一度口から出た言葉は、引っ込められないしな)


 おりょうさんと頼華ちゃんに、遂に言ってしまった求婚の言葉について頭を悩ましているが、別に後悔をしている訳では無い。


 少し早かったなとは思っているが、それより何より、二人を他の誰にも渡したくないと結論付けたからだ。


(プロポーズしたからって、すぐに結婚しなきゃならないって訳じゃ無いしなぁ……)


 これは逃げようとか考えているのでは無く、他の人間にはあまり事実を公表したくないというだけだ。


 とはいえ、黒ちゃんと白ちゃんに黙っている事は出来ないし、紬や身内同然の夕霧さんにも、適当な機会に伝える必要がある。


(出来る事なら鎌倉には知らせたくないけど、それは無理だよなぁ……)


 鎌倉周辺を治める源家の頭領の息女である頼華ちゃんが婚約となったら、お祭り騒ぎに発展するのは目に見えている。それくらい領内の人達に頼華ちゃんは人気があり、愛されているのだ。


(……なんか頼永様と雫様の、物凄くいい笑顔が頭に浮かぶな)


 頼永様は雫様が御懐妊されたから、送り出す頼華ちゃんの事は死んだものとして扱うとか言っていたけど、まんまと計略通りに運ばれてしまったようでちょっと癪だ。


「折を見て、一度鎌倉には出向かないとな……」


 頼華ちゃんと結婚するにしても、こっちの世界での成人である十五歳になってからの話なのだが、その前に報告だけでもしておくのは、一応のけじめというものだろう。


 そしてその時に、改めて鎌倉の領地運営などには関わらないという事を明言しておかなければ、後々になって頼永様達に迷惑を掛けてしまう事になる。


 しかし、成り行きとは言え頼華ちゃんと一緒にいる事を選択したのだから、もしも鎌倉がピンチに陥ったりしたら駆けつけるつもりではある。無論、報奨などは求めないが。


「……ん? おりょうさんの御両親にも、挨拶には行った方がいいんだよな?」


 家の方針に逆らって家出同然に出奔したとおりょうさんからは聞いているので、いきなり向かうのでは無く相談した方がいいのは間違いないが。


「でも、おりょうさんは必要無いって言うだろうなぁ……」


 御両親を始めとする御家族にも挨拶をしたいところだが、おりょうさんが気が進まないなら無理強いはしないつもりだ。


「あ! 二人にプロポーズしたからには、出来るだけ秘密は無くしたいんだけど、俺の事は話しちゃっても……大丈夫だよな?」


 この間、神仏が四柱も降臨したのだから聞いておけば良かったのだが、その時にはすっかり忘れていた。


 こっちの世界には俺の両親はいないので、紹介したりするのは不可能なのだが、その上で自分の身の上を何も説明しないというのは、あまりにも不誠実だ。


「……まあタイミング次第だな」


 忘れていたのは、多分だがその時点でそれ程は重要だと考えていなかったのだし、もしも話して不味いようだったら神様が降臨したり、何か邪魔が入ったりするだろう。


「さて、と……」


 季節的に寒くは無いし、ちゃんと服も着せてきたのだが、あまり放置するのも申し訳ないので、俺は身体を洗う為に湯船から出た。



「……まだ目は覚まして無いのか」


 手早く身体を洗って脱衣所に戻ったが、おりょうさんも頼華ちゃんもまだ眠ったままだ。


「呼吸は安定はしているな」


 二人の口元に耳を寄せてみると呼吸は安定しているし、俺が風呂に入る前と比べると、顔の赤みも大分取れている。寝間着の上から見た胸の上下も規則正しい。


「あ、そうだ」


 下着を着け、ドラウプニールを操作していつもの作務衣姿になった時に、頼華ちゃんに作務衣が欲しいと言われていたのを思い出した。


 二人が目を覚ますまで夕食にはならないので、既に支度を終えているので手持ち無沙汰になった今、作ってしまおうと考えたのだ。


「色は……モスグリーンでいいかな」


 頼華ちゃんが普段着にするかもしれないので、派手な色は避けて深い緑にした。デザインはなんの捻りも無く俺が着ている物と同じにして、サイズだけを小さくして仕立てた。


「ついでって言うと失礼だけど、おりょうさんのも作るか……」


 二人が目を覚まさない内に頼華ちゃんの作務衣が完成してしまったので、不公平にならないようにおりょうさんの分も作る事にした。色は、これも目立たない濃紺をセレクトした。


「出来た、っと。二人共似合いそうだなぁ。まあ何着ても似合うんだけど」


 おりょうさんと頼華ちゃんが作務衣を着ている姿を想像すると、民芸作りの料理屋の看板姉妹というイメージが浮かんだ。


(繁盛しそうだなぁ)


 元気良く注文を取ったり料理を運んだりする姿が、本当に見た事があるかのように頭に浮かぶ。


「……何が似合うんだい?」

「おりょうさん? 目が覚めましたか。喉とか乾いていませんか?」


 俺の独り言が聞こえたからか、目を覚ましたおりょうさんが身体を起こしたので駆け寄った。


「ああ、大丈夫だよ。頼華ちゃんは?」

「う……うぅーん……」

「あ、目を覚ましたみたいです」


 おりょうさんが名を呼んだタイミングで、頼華ちゃんも意識を取り戻したようだ。


「二人共、はい、冷たい麦湯どうぞ」


 ドラウプニールから取り出した冷えた麦湯を、湯呑に注いで二人に渡した。


「ありがとう。ん……」

「ありがとうございます! ん……ぷはぁーっ! おいしいです!」


 のぼせて気を失っていた訳では無いのだが、それでも風呂上がりなので、おりょうさんも頼華ちゃんも、喉を鳴らしておいしそうに麦湯を飲み干した。


「もっと飲みますか?」

「まだ入りそうだけど、夕食の前だからよしとくよ」

「余も、控えておきます!」


 二人は空になった湯呑を俺に差し出した。


「わかりました。そのままでもいいと思いますけど、頼華ちゃんに頼まれた服を作ったので、おりょうさんのも用意しておきました」


 俺は畳んでおいたそれぞれの作務衣を、二人の前に置いた。


「あの……二人にその服を着せはしたんですが、下着までは……」

「「あ……」」


 俺の言葉の意味を悟り、次いで何があって現状に至ったのかを思い出した二人は、再び顔を赤くした。


「しょ、食事は厨房で済ませましょうね! 俺は先に行って待ってますから!」

「う、うん……」

「あ、はい……」


 二人からは気の無い返事をされたが、これは恥ずかしいからだろう。、俺は靴を履いて厨房へ向かった。



「お、お待たせ……」

「お、遅くなりました!」


 食器を並べ終わったところで、おりょうさんと頼華ちゃんが厨房の扉を開いて入ってきた。


「いえいえ。丁度準備が出来たところですよ」


 今日の料理は大きめの皿に盛り付けるタイプなので、提供するまでに時間が掛かるので、本当に二人はいいタイミングでやって来たのだった。


「……」

「に、似合わないかい?」

「おかしいですか?」

「いやいや! 二人共、凄く似合ってますよ!」


 二人は脱衣所で着ていた貫頭衣の寝間着では無く、俺が用意した作務衣の着替えていたのだ。


 直感的に決めた作務衣の色もいい具合にマッチしていて、おりょうさんも頼華ちゃんも、落ち着いた中に活動的な雰囲気がある。


(本当に、料理屋の看板姉妹って感じになってるなぁ)


 この姿の二人に「「いらっしゃいませ!」」、って元気に迎えられたら、毎日常連が詰め掛けて繁盛するのは間違い無いだろう。


「さあ、掛けて下さい。ちょっと粗末な椅子ですけど……」


 ちゃんとした椅子を作る程の木材が無かったのだが、建材に使えない根本近くの切り株が幾つか残っていたので、そこに蜘蛛の糸の布で座布団を作って敷いて椅子代わりにしたのだ。


「こういうのも風情があっていいじゃないか。江戸の呑み屋じゃ樽に座布団を敷いて使ってるところも少なくないしねぇ」

「そう言って貰えると……」


 どっかの国の公共事業みたいに、箱だけ作って中身無しな状況になって少し恥ずかしかったので、おりょうさんにこう言って貰えると少し救われた気がする。


(面白くなったからって、先走って建物ばかりになっちゃったからなぁ……)


 里のコンストラクトモードを使って建物や施設の設置をやり始めたら、段々と面白くなってきて止まらなくなってしまったのだ。中に入れる家具類や道具類も無いのに……。


「おおおぉ……あ、兄上! なんですかこの素晴らしい料理は!?」


 頼華ちゃんは着席せずに、身を乗り出して料理の盛りつけられた皿に見入っている。


「料理自体は今までに出した物ばかりだよ。ちょっと盛り付けに工夫したんだけどね」

「そ、そうなのですか!? それにしても、なんと豪華な!」


 本当に目新しい料理は無くて、お子様ランチ的に盛り付けに工夫を凝らしただけなのだ。


 元の世界の長崎にトルコライスという、ピラフ、とんかつ、ナポリタンを盛り合わせた、大人のお子様ランチと呼ぶに相応しい料理があるのだが、今回はこれを目指してみた。


 鶏肉と擦り下ろした人参を入れて鶏のスープで炊いた御飯を、バターで焼いた卵で包んでオムライス、ニンニクと少量の塩と唐辛子で味付けて綿実油で炒めたパスタ代わりの麺、両者の間に猪のカツをと鶏の唐揚げを載せ、そこに咖喱(カレー)を掛けて出来上がりだ。


 今回は使い勝手を試して貰うのに、敢えて箸を付けずに作ったばかりのフォークとスプーンを添えて、氷を浮かべた冷たい麦湯の入った湯呑と一緒に出した。


「あ、姉上! 兄上! 早く食べましょうっ!」


 もう待ちきれないとばかりに、頼華ちゃんは両手に持ったフォークとスプーンをブンブンと振り回している。


(元の世界の女性に出したら、呆れられるか驚かれるかのどっちかだろうけど、頼華ちゃんが喜んでくれて良かったな)


 どれくらいのカロリーになるのか見当がつかないが、トルコライスもどきを見つめる頼華ちゃんの瞳はギラギラと輝いている。


「そうだねぇ。せっかく良太があたし達の為に作ってくれたんだ。冷めない内に頂こうかねぇ」

「そうして下さい。では、頂きます」

「「頂きます」」


 脱衣所での妙な緊張感は消え失せ、和やかな雰囲気の中で夕食が開始された。


「良太。早速済まないんだけど、これはどうやって使えばいいんだい?」


 スプーンの方は形状からなんとなくわかっているようだが、おりょうさんはフォークの使い方がイマイチ思い浮かばないようだ。


「好きに食べてくれればいいんですが……例えばですけど、こう、麺を巻き取ってですね」


 俺は麺を少量フォークで巻き取って、少し咖喱(カレー)を付けておりょうさんの口元に運んだ。


「えっ? ええっ!? ふぇぇぇっ!?」


 俺の差し出したフォークを前にして、おりょうさんが挙動不審になった。


「嫌でしたら……」

「ま、待ってぇぇぇ!」


 諦めて自分の口にフォークを運ぼうとすると、おりょうさんが必至の形相で俺の腕を捕まえた。


「わ、わかりましたよ……」

「うー……あ、あーん」


 少し唸っていたおりょうさんは、掴んだままの俺の腕を誘導して、フォークを自分の口に運んでパクっと咥えた。


「……うん。軽い塩味と辛味、にんにくの風味でおいしいねぇ」

「そ、そうですか。他の料理もどうぞ」

「うん!」


 俺の腕を開放してくれたおりょうさんは、使い方のわかったフォークで猪のカツを刺して、笑った形になっている口に運んだ。


「……」

「ん? 頼華ちゃん、食べないの?」


 直前までは逸る気持ちを抑えきれないといった風情だったのに、頼華ちゃんはスプーンを咥えたままで、俺の方を据わった目でじーっと見つめている。


「……余にはやって下さらないのですか?」

「な、何をかな?」


 なんとなく予想はつくが、一応、頼華ちゃんに確認した。


「わ、わからないと仰るのですか!? で、では余が兄上に……ど、どうぞ!」


 頼華ちゃんは小柄な身体を、食卓代わりの作業台の上で精一杯に延ばし、俺に向けてフォークで突き刺した唐揚げの一つを差し出してきた。


「あーん……ありがとう、頼華ちゃん。はい、お返し」


 唐揚げを飲み込んでから、俺はフォークで刺した猪のカツにカレーを付けて、頼華ちゃんの口元へ持って行った。


「っ! は、はいっ! あーん!」


 元気良く大きく口を開けて、頼華ちゃんがフォークごとカツにかぶりついた。


「ん……っはぁ! 凄くおいしいです!」

「そりゃ良かった。他の料理もおいしく出来てると思うから、いっぱい食べてね」

「はいっ!」

「……」


 おりょうさんがジト目で俺を見てくるが、二人っきりならともかく、これ以上「あーん」を続けると食事が進まない。


 申し訳無いけど知らんぷりをさせて貰って、フォークでオムライスを少し崩して、咖喱(カレー)を付けて自分の口に運んだ。


(うん。人参の擦り下ろしを入れたピラフは、悪くないな)


 ケチャップが無いから、見た目だけでも赤いライスにしようという苦肉の策だったのだが、綺麗な色で人参の甘みも出ていて、これはこれで中々味わい深い物がある。


「兄上! この乳酪(バター)風味の卵は、咖喱(カレー)に実に合いますね!」

「頼華ちゃんの口に合ったのなら嬉しいよ」

「はい!」


 バター風味のオムレツは咖喱(カレー)に合わせると少し重いかと思ったが、香ばしい風味とコクは相乗効果を(もたら)してくれて、味わいを更に豊かにしてくれている。


「ふぅん。慣れるとこの食器は使い易いねぇ」


 おりょうさんは食べる手を止めて、フォークをしげしげと眺めている。


「もう少し早く作っていれば、里の子供達に使わせてあげたかったんですけど、もう箸の使い方を覚えちゃいましたか?」


 見た目は三歳くらいだが、里の子供達は生まれたばかりと言ってもいい状態なので、身体能力は並外れているが手先の器用さは養われていない。


 しかし個人差はあるが技能の習得の速度が尋常では無いので、最初に与えた食事の時点でも、失敗を重ねつつ箸の使い方を覚えた子もいた。


「そうだねぇ。まだ危なっかしい子もいるけど、具が滑りやすい煮物とか粒の小さい豆とかじゃ無ければ、同じ年頃の子達よりも箸の使い方は上手だねぇ」

「そうですか」


 凄く綺麗に箸を使うおりょうさんのお墨付きだから、子供達の箸使いは既に問題が無さそうだ。


「兄上! お代わりが欲しいです!」

「はいはい。っと、その前に。頼華ちゃん御要望の石窯焼きの肉を出そうね」

「おおっ! な、なんとも良い焼き色と香りではないですか!」


 ごくり……


 天板ごと置かれた石窯でローストされた鹿肉を前にして、頼華ちゃんが喉を鳴らした。


「すぐに切り分けるからね」

「はいっ!」


 見た目にもワクワクしている様子で、頼華ちゃんが肉を盛り付けてくれるのを待っている。


「はい、おりょうさんもどうぞ」

「ありがとう。こいつは綺麗な断面だねぇ。でも、ちょっと生っぽくないかい?」


 焦げ目がついて褐色になっている外側から、中心に行くに従って鮮やかな赤のグラデーションになっている肉の断面を見て、おりょうさんが少し心配そうな顔をしている。


「中までしっかりと火は通ってますから、大丈夫ですよ。さあ、召し上がれ」

「良太がそう言うなら……んんっ!? な、なんだいこれっ!? 柔らかいけど歯応えもあって、しっとりとした内側から肉汁が溢れ出して……」


 おりょうさんは言葉を途切れさせると目を閉じて、口の中でゆっくりと肉を噛み締めながら味わっている。


「う、うっま! 兄上っ! この肉には、何か特別な調味料でも使ってあるのですか!?」

「いや。塩と胡椒だけだよ」

「そ、それだけでこんな味が!? 余は本当の鹿肉の味を知らなかったのですね……あ! け、決して今までの兄上の作ってくれた鹿肉の料理が、おいしくなかった訳では無いのですよ!?」

「大丈夫。わかってるから」


 今までの鹿肉の料理を頼華ちゃんが必死で養護してくれている姿が可愛らしく、そして嬉しかった。


(腕前だけじゃどうにもならない、道具や調理法の差ってのがあるからなぁ)


 同じ材料を使っても、調理器具や調理法でガラッと性格が変わるし、味の好みというのもあるので、本当に料理というのは難しい。


 こっちの世界にはまだオーブンとか石窯なんかはそれ程は普及してないだろうから、味も悪くは無かったと思うが、もしかしたら初めての味わいだから、おりょうさんも頼華ちゃんもおいしく感じているかもしれない。


「もっと肉を食べる? それとも咖喱(カレー)とかの方がいい?」

「両方頂きます!」


 半ば予想通りの回答ではあるのだが、既に頼華ちゃんは結構な量を食べている。


「……ゆっくり、良く噛んで食べてね?」

「はい!」


 元気な返事をする頼華ちゃんに苦笑しながら、俺はリクエストの応えてあげた。


「おりょうさんも、もう少し食べますか?」

「そうだねぇ。肉をもう少しと、この麺を頂こうかね。咖喱(カレー)は無しでいいよ」

「はい」


 咖喱(カレー)好きのおりょうさんだが、シンプルな塩胡椒に鹿肉と、これもにんにく風味のシンプルな麺をお気に召してくれたみたいだ。



「食後にはこれをどうぞ」


 食事を終えて食器類を流しに置いた俺は、湯呑に白っぽい飲み物を注いで二人の前に置いた。


「これは?」

「外国の淹れ方そしたお茶です。少し甘めだから、咖喱(カレー)や肉の味から口の中を切り替えてくれると思います」


 咖喱(カレー)の後なので、鍋に水と牛乳と紅茶の茶葉とスライスした生姜を入れて煮立てて黒糖で甘みをつけ、インドのチャイっぽくして出してみた。


「ふぅん……甘いのに少しピリッと辛くて、ちょっと変わってるけどおいしいねぇ」

「この白いのは牛の乳ですか? コクがあるのに口の中がさっぱりする気がします!」


 頼華ちゃんのさっぱりさせると言うのは、牛乳の油脂分が咖喱(カレー)や麺の辛味成分を取り払ってくれるのでそう感じているのだろう。


 ぽふっ……


 その時どこからか、膨らんだ袋を弱い力で押しつぶしたような、鈍い音が聞こえた。


「ん?」

「なんか変な音がしたねぇ」

「あ! 兄上、あそこです!」


 頼華ちゃんが指差す、流しの脇の窓の下に置いてあった壺から、中身が溢れ出ているのが見える。


「ええっ!? なんでこんな……」


 近寄って見ると、壺の中に仕込んでおいた天然酵母のパン種が、口を塞いでいた布を押し退けて溢れ出していた。


「な、なんか妙な色をしてるけど、そいつはなんなんだい?」


 壺から溢れているオレンジ色のドロドロした謎の物体を目にして、おりょうさんが表情を引き攣らせている。


「外国で主食にしているパンって食べ物の素になる物なんです。人参の擦り下ろしから作ったんですけど、こんなに一気に……」


 適温じゃ無かったり、酵母の機嫌を損ねると上手く培養されないのだが、俺が仕込んでおいた酵母は物凄い勢いで増殖して、蓋をしていた布を飛ばしたのだった。


「……腐ってはいないみたいだな」


 少しアルコールっぽい、それでいて人参由来の甘い香りがするので、酵母としてはいい状態で培養されたみたいだ。勢いが尋常では無いが……。


(俺が(エーテル)を送り込んだからかなぁ……)


 考えられる要因はそれくらいなのだが、ちょっと効果があり過ぎだ。

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