矢野栞の正体
「あんたは誰なんだよ? 俺たちに何の恨みがある?」
明は矢野栞にそう問いかける。すると、彼女はクスッと笑った。
「そうですか。まさかご本人さんが来てしまうとは。あなた、私のこと覚えてませんか?」
「……いや、知らないが」
だが、明は心当たりがなさそうに戸惑う。少し考えた彼女はああ、と納得する。
「そういえば前に会ったときはこの姿ではありませんでしたね。なら、これならどうですか?」
その瞬間、彼女の姿がみるみる変わった。白いフードをかぶった全身白ずくめの女性。その姿を見た明は驚愕する。
「……あんた、あのときの、俺にこの機械を渡したあいつか!」
「何だと!」
武が叫ぶ。
「思い出していただけて何よりです。さて、私の依頼ですが、この分だとお受けいただけそうにないでしょう。ですから、私の方は依頼取り下げということでいいです」
「依頼取り下げ……?」
優希は唖然としたまま聞き返す。
「ええ。二人を倒して私の開発した機械、アダムを返してもらおうと思ったんですが、それはまた別の機会にすることにします」
明に手渡された機械はアダムという名前らしい。彼女は一方的に自分の用件だけを伝えると、ASCを出ていこうとした。
「おい、お前は何者なんだ! 何のためにここに来た!」
武は本能的に彼女に聞く。彼女は振り返るとこう答えた。
「そうですね、開発者とでも名乗っておきましょうか。目的は、ナイショです」
「ふざけてんのか!」
ペロッと舌を出した彼女に武は激昂した。
「そう簡単に話すわけないでしょう。そもそも、今のあなたたちにそれを邪魔されるのはこっちとしても困るんですよ」
「どういうことだよそれ?」
「だから、それはナイショです」
彼女は再びそれを隠した。
「とにかく、そういうことですので私は失礼しますね。松野武さん、相沢優希さん、またお会いしましょう」
矢野栞はそのままACSを出ていく。
「おい待て、何でお前が俺たちの名前を知ってるんだ! それにまだ話は終わってないぞ!」
武は彼女を追いかける。だが、ASCを出た武の目の前には何もない路地裏が広がっているだけだった。
「悪い、見失った」
武は中に入ってからそう謝った。
「いや、それは別にいいんだけど……。あたし、何が起こったのかさっぱり分からなかったわ」
「俺もだ。なあ、あいつは何者なんだ?」
武も明にそう聞いてみる。だが、
「いや、俺も分からない。あいつの目的が何なのか、俺にもさっぱりだ」
明も浮かない顔をするばかりで、それ以上の解答は得られなかった。武は少し唸ると、
「とりあえず、この問題はいったん忘れよう。明の依頼を解決する方を優先した方がいいだろ。分からないことを考えても仕方ないし」
そう提案する。
「そうね、ここであれこれ考えてても時間の無駄だと思うわ」
「……そうだな」
優希、明も同調する。だが、明の顔にだけは明るい色は戻らなかった。
「なあ、月兎の園にいつ行くかだけ決めて、今日はもうお開きにしないか? お前、今いろいろ話し合える状態じゃないだろ?」
その様子を見た武はそう明に提案した。
「……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうか。何だかいろいろと悪かったな」
疲れ切った様子の明はそう言うので精いっぱいだった。
ところ変わってここはとある研究所の中。いくつかのコンピュータが設置されていてなかなか広い場所である。この中に一人の人物がいた。
「どういうことですか? せっかくあなたのところに依頼しに来たのに、私が接触済みの子がいるなんて想定外もいいところなんですけど」
先ほどASCから撤退した矢野栞だった。どうやら誰かと連絡を取っているらしい。
「すまないって、謝られてばかりでも困るんですけど。私たちの目的はこんな小さなことじゃなくてもっと先にあるんですから、その事よく分かってます?」
その人物は何かしらの返答を返した。
「分かっているならいいですけど。あなた、一応ここのリーダーなんですから、しっかりしてくださいよ。では、また何かありましたら連絡しますから、それまではしっかり表の顔を演じていてくださいね」
そう言って矢野栞は電話を切った。
「さて、どうしましょう。私の手違いではないとはいえ、せっかく作ったアダムが本来の目的ではない人たちに渡ってしまったのは非常に不本意です」
「別にそれを量産すればいいんじゃないの? あんたの技術力なら難しくないでしょ?」
そんな独り言を呟く彼女の声に反応する声があった。矢野栞はため息をつく。
「……いたんですか。姿を消すのは止めなさいと言ってるでしょうに」
「あんたのアダムが使い物になるのかどうかをテストしてやってるんじゃない。文句があるなら別に報告義務もないからこれもらっちゃってもいいのよ?」
「……すみませんね」
彼女は便宜的に謝る。ここで謝っておかないとあとが面倒だ。
「分かればいいのよ分かれば。まあ、あんたの発明はあたしも含めて全員満足して使わせてもらってるから、そこのところは安心しなさい。あんたが発明できなくなるようなことがない限り、あたしはあんたを見捨てたりはしないわよ」
ケラケラと笑ったその人物は、透明にしていた体を元に戻すと、矢野栞の前に現れた。水色のショートヘアに低い身長の女性だった。
「それで、あいつは何て言ってたの?」
「何でも、想定外のことが起きたそうですよ。向こうにとっても日野明がACSを訪ねてきたことは予想外だったそうです」
「予想外ね。そりゃそうだろうけど」
言い訳にしか聞こえないその言い分を聞いて、女性は呆れたような声を上げる。
「言うまでもないとは思うけど、次の手を打っとかないと後手後手に回るわよきっと。あんたのことだから次の手は用意してるんでしょ?」
その女性の声に矢野栞はにやっと笑う。
「それはもちろんです。でも、それにはそれなりの準備が必要なので、しばらくは好機を待つことにしますよ。そしてそれは多分、月兎の園の件をあの二人が解決してからになるでしょうし」
「言っとくけど、あいつをあてにしすぎるのは良くないわよ。そもそも今回だってそうだったじゃない」
矢野栞の心の中を見透かしたかのようにそう言う女性。
「大丈夫ですよ。次に頼むのは場所の提供だけですから。私だって毎回毎回計画を邪魔されたんじゃたまったものじゃありませんし」
「さすがに同じ轍は踏まないってことね。それならいいわ。じゃあ、あたしはまた自分の仕事に戻るわね
。何かあったら連絡するわ」
「了解しました。ああ、アダムの報告は忘れないでくださいね」
「言われなくても分かってるわよ。それじゃあね」
そう言った女性は再び姿を消すと、ドアを開けて部屋から出て行った。
(相変わらず面倒な人です)
矢野栞はだるそうにため息をついた。彼女にとってこの女性の性格はあまり得意なほうではないのだ。
(しかし、それより面倒なのはあのミスです。能力を持った人間をすべて叩き潰すという私たち全員の崇高な目的がこのたった1つのミスで失敗しないことを祈るばかりですが)
だが、それよりも問題なのは今回のミスである。彼女の計画も立て直さなければならないのだ。
(まずは次の計画を修正しなければ)
矢野栞は1台のパソコンの前に座ると、計画の修正を始めるのだった。
「で、とりあえず明は帰したけど、これからどうするよ。そもそも月兎の園って結局能力者の温床ってことしか分からなかったわけで、何であの女が俺たちを使ってあそこを潰させようとしてたのかとか、目的は何なのか、とか月兎の園にどうやって突入するのかとか、問題は山積みだぜ?」
武は優希にそう話しかける。依頼人の日野明はすでに帰宅していて、今は彼ら二人しかいない。
「……うーん、今はまず月兎の園を何とかすることを念頭に置いたほうがいいんじゃない? あっちもこっちもって考えてたらたぶんどっちも失敗すると思うし」
優希はそう返す。よく分からないなりに的はきちんと絞っていたらしい。
「っていうかさっきいったん忘れようって言ってたじゃない。何で今更……」
「あいつ、俺たちの名前をフルネームで知ってただろ?」
優希の質問は分かっている、といったように武は彼女の言葉を途中で遮った。
「ああ……。でも、そんなのあたしたちだったら別に不思議でも何でもないじゃない。私たちの悪名なんてそれこそそこら中に広まってたんだから」
「いや、そうじゃない。俺たちのことを知ってるのは俺たちにやられたことがあるそこらのチンピラか、じゃなかったらせいぜい警察とか俺たちを入学させようと調べてた先生みたいなその辺りの人間だろ? だけどあいつはそのどっちでもない」
「ああ、言われてみると……」
優希は思い出す。あの場面でそこまで観察していた武に対して彼女は素直に舌を巻いていた。
「だとすると、あいつは俺たちのことを調べた上で俺たちを利用したんじゃないかっていう疑問が出てくるんだよ」
「えっ? どうして?」
優希は驚く。どうしてそこまで一足飛びに話が飛ぶのか分からなかったのだ。
「さっきも言ったけど、俺たちの知名度なんてたかが知れてる。一般人なんかは俺たちのことなんか調べようとしなければ分からないはずだ。でも、あいつは俺たちのことを知ってた。その上で俺たちに依頼をしてきたんだ。これがどういうことか考えてみると、なかなか恐ろしいことになると思うんだよ」
「確かに……」
優希が考え込んでしまったのを見て、武は口には出さないがこんなことも考えていた。
(あるいは、俺たちの事を元々知っていた誰かによるものとかな。だとしたら、俺たちに対する復讐っていうのも十分に考えられるわけだし)
「どっちにしてもさっき言った通り、今は余計なことは考えないほうがいいってことに直結するんだけどな。ただ、あいつらのことは頭の片隅にはとめといたほうがいい」
「開発者ね……」
二人はやはり深刻な顔で考え込んでしまった。そのまましばらくの時が流れた。
「……ねえ、武」
しばらく黙ったままだった二人の間に流れる沈黙を破ったのは優希だった。
「ん、どうした?」
「タイミングなくなっちゃったけど、とりあえずお店の開業準備しない?」
「ああ、そうだな。そういえばまだ開業もしてないんだったっけ」
優希の発言で二人はようやくお店の準備を再開することとなった。
「よう、店の調子はどうだ……ん?」
「何だ先生か。呼び鈴くらい鳴らしてくれよまったく」
それから1時間後、いきなり開いたドアに驚いて二人がその方向を見ると、そこにいたのは飯田霧也だった。
「何だ、まだ開店もしてなかったのか。外も何だか地面にひびが入ってたりでおかしな感じだったように見えたけど、何かあったのか?」
「……ああ、いろいろとな。でも、もうそろそろ準備も終わる。予定より大幅に狂っちまったけど、ようやく開店できるまでになったよ」
武は深くは話さなかった。
「そうか」
飯田もそれ以上は聞かなかった。
「あとはこれさえそこに貼れば終わりよ」
「それは何だ?」
優希の取り出した大きな2枚の紙を見て飯田は首を傾げる。
「見れば分かると思うけどっ!」
武はその紙の1枚を受け取ると、優希と一緒に壁に張り付けた。そこにはそれぞれ『自分の信念を貫く』・『諦めない』と書かれてあった。
「なるほど、目標みたいなもんか。心がけとしては悪くないかもな」
飯田も納得する。モチベーションというのは時に絶大な効果を発揮することを彼は知っていたからである。
「よし、あとはこれだけだな。先生も一緒にやろうぜ」
武は大きな木の板を手に持つと、飯田を促した。
「お、おい、俺は別に……」
「いいからいいから」
優希も先生の背中を押すと、外まで押しやった。武が木の板を屋根の上に張り付けて降りてくる。その木の板にはASC~ALL SOLUTION COMPANY~の文字があった。彼らの看板である。
「自分で考えたのが店の名前になるのはなかなか恥ずかしいもんだな」
「いいじゃない。いい名前なんだから」
優希は照れ臭そうにしている飯田にそう言った。
「さ、これで準備OKだ。それじゃ、みんなで掛け声やろうぜ。ACS開業! でな」
「そうね。景気づけにやりましょう」
「お、おい、そんな恥ずかしいこと俺は……」
飯田は逃げようとするが、優希にしっかりと腕をつかまれていて動けなかった。
「いいからいいから」
悪魔のような笑顔で飯田に微笑む優希。飯田の顔から血の気が引いていく。
「じゃあいくぜ。せーのっ!」
武の声で覚悟を決めた飯田も含めた3人は一斉に叫んだ。
『ASC開業!』




