重力操作(グラビティコントロール)
「知りたいか? だったらかかってこいよ松野武。俺の名前は日野明。お前ともう一人、相沢優希を試しに来た月兎の園の代表だ」
男は不敵に笑う。
「月兎の園の代表、日野明だと……?」
武は聞き返す。彼が名乗った名前にも、その施設の名前にも、武には確かに聞き覚えがあった。それは間違いなく矢野栞という女性が依頼してきた施設の名前であり、倒すべきはずの敵ではなかったか。
「知ってるんなら話は早い。俺はお前に用があるんだ。だが、お前の実力だけは試させてもらいたいんでな。少々大げさな手だが辺り一帯を俺の能力に巻き込ませてもらった」
男はどうといったことはないといったような様子でそう言った。
「てめえ、そのためだけにこの辺りをこんな酷いことにしたのか?」
武は怒りを抑えながら質問する。
「だったら何だ?」
だが、男は意に反さない様子で答える。その目に感情のようなものはない。
「それならその挑戦受けて立つ。お前にはこっちもちょうど用事があったんでな!」
そう答えた武は男に突撃する。3メートルほどあった距離は数秒で1メートルほどの距離まで縮まった。
「お前は俺に近づけない。それが俺の能力だ」
そう言って男が手を武のほうに手をかざした瞬間だった。
(あ、れ……?)
武は急に体が下に落ちていくような感覚を感じた。否、それは感覚などではなかった。本当に彼の体が落ちているのである。男性に近づいたはずの距離はみるみる遠ざかり、武の体は倒れている電柱の方へと落ちていく。そして武の体は思いっきり倒れている電柱へと叩きつけられた。
「ぐはっ!」
全身に走る痛みと鈍い衝撃。武はまるで高いところから突き落とされたかのような、そんな痛みを感じていた。
「くっそ……」
さらに不思議なことは続く。そのまま立ち上がると、武の視界がおかしなことになっていた。
「な、何だよこれどうなってんだよ……?」
武は倒れた電柱の上に立っていた。それだけなら何のことはないが、彼の目の前にあったのは地面だった。武は地面に水平に立っていたのだ。逆の方向を向くと空があり、天井であるはずの方向を向くとそこには先ほどまで目の前にいたはずの男が立っていた。
「お前、俺に何しやがった?」
首を上に向けながら聞く武。
「重力操作だよ。お前にとっての地面が電柱になっただけだ。俺の能力はあらゆるものの重力を操ることなんでな。重力があるから人は地面に縛り付けられる。その重力の方向さえ操ることができれば壁だって歩けるし、空へと人を落として殺すことだってできる」
「てめぇ……」
武は睨むが、現状このままでは何も出来ないのもまた事実であった。だが、
「まあこのままだと相手にならないから元に戻してやるよ、そら」
「うわっ!」
男がいきなり能力を解除したので、背中から地面に落ちる武。
「いって…」
「こんな能力じゃ対抗のしようもないだろ。そもそもこれは俺の本来の能力じゃないし」
「本来の能力じゃない? どういうことだ?」
「それが知りたかったら俺に一撃でも食らわせてみろよ。お前ら中学生最強だったんだろ? まさかこの程度の実力で最強を名乗ってた訳じゃねーだろうな?」
「言われなくてもそのつもりだっての!」
武は再度男の方へとダッシュする。
「馬鹿の一つ覚えか?」
男は再び武に右手をかざす。武にかかる重力の方向を変えようとしているのだろう。だが、武はその場にしゃがむとポケットの中の釘を投げた。
「しまった!」
男の向けた手の方向には釘がある。釘は武の代わりに男の能力を受けた。
「お前のが馬鹿の一つ覚えじゃねーか。それに、俺の釘はお前の重力には従わねーよ」
「何だと!?」
電柱に落ちていくはずの釘は武の投げた勢いを維持したまま、男へと突き進んでいく。
「どういうことだ!? なぜお前の釘は重力を無視している!」
彼の能力の的外れ(ミスマーク)によるものなのだが、武はその問いには答えない。ゆっくりとこう言った。
「突き刺され」
「ちっ! 姑息な真似を」
男は釘を腕ですべて振り払うと、武の姿を探す。だが、先ほどまでいたはずの武の姿はそこにはない。
「どこへ行った!」
「ここだよここ」
男の声に反応する声が1つ。ただしそれは男の後ろからであった。男は後ろを向いて自分の手を武の方向に向けようとするが、どこを探しても武の姿は見えない。
「いつの間に後ろに移動しやがった!」
実は武が釘を投げたのはもちろん釘だけで相手を倒そうとしたわけではない。さすがにただ投げただけの釘では人の一人も倒せないからだ。あれは本気の威力で投げるか優希の変化地点があって初めて通用する手である。今回の武には別の目的があった。
「お前の能力は見えないと使えないんだろ? 手で対象を指定するタイプだからな。なら、俺の姿が見えなくなればお前の能力は無効化できる。そういうことだろ?」
前回は影にガードされてしまった上に視線を外せなかったので使えなかった手だが、この釘には相手の視線を一時的に誘導させることで、自分の姿を消す的外れ(ミスマーク)の応用能力の成功確率を上げる狙いもあったのである。人というのはどうしても1ヵ所に気を取られると、他の場所が見えなくなる傾向にある。それを逆手に取ることで武は自分の能力を成功させたのだった。
「くそ! どこだ、どこにいる!」
相変わらずキョロキョロする男。だが、武はすでに男の懐に潜り込んでいた。
「そのお前の視線、的外れ(ミスマーク)だよ」
一度視線が外れてしまえば、武の能力から逃れることはほぼ不可能だ。次の瞬間、武の壮絶な拳の嵐が男に降り注ぐ。どこから攻撃が飛んでくるか分からぬまま拳を食らい続けた男はそのまま気を失った。
「……い、おい、起きろよ!」
日野明は武のこの声で目を覚ました。いつの間にか室内に運ばれていたらしい。
「ああ、やっと起きやがったか。なかなか起きないんで心配したぜ」
「ここは……?」
「ここはASC。俺たちが今日から職場にする場所だよ。お前のせいで開業準備が止まっちまったけどな」
武は呆れたように言うが、
「よく言うわよ。この人傷だらけじゃない。まったく、どんな強さで殴り続けたらこうなるんだか」
「いや、俺だって割と高いところから落とされて死にかけてたんだけど……」
優希はその武にぶつぶつ文句を言いながら明の傷の手当てをする。
「背中の打撲だけじゃない。それでここまでリンチ紛いのことするなんて、武くん大人げなーい」
「何だよその白々しい演技は」
武は優希を白い目で見る。
「何? 何なら今から傷の手当て変わってあげてもいいのよ? むしろ武のせいで開業準備が止まってるんだから」
「……ごめんなさい」
少し考えて勝ち目がないと判断した武は即座に謝ることにした。
「分かればよろしい」
満足そうな優希は再び明の足に消毒液をつけた。
「いてっ!」
「このくらい我慢しなさいよ。男でしょ」
優希は再び丁寧に怪我の手当てを始める。そのまま擦り傷には絆創膏、打撲には湿布を貼り、ネットで湿布が剥がれにくいような処置まで施した。
「……お前ら、俺にここまでする意味あるか? 一応俺はお前らを襲撃した側なんだぞ? お人好しにも程がある」
明は不思議そうに尋ねる。
「お前一応用事があってここに来たんだろ? ならお客さんって訳だ。それなら丁寧に対応するのが普通だろ」
「そのお客をボコボコにして余計な仕事を増やしたのはどこの誰かしらね」
「だから悪かったって言ってんだろ」
このままこの話を続けた場合、おそらく優希がこの話題で延々愚痴ってくる気がしたので、武は単刀直入に本題に入ることにした。
「で、お前は俺たちにどんな用があったんだよ? そもそも、お前には俺たちの方が用事があったんだが」
「どういうことよそれ?」
武は優希に事の次第を説明する。
「え、じゃあこの人日野明君なの?」
「そういうこと。だからなおさらいったいどうしてお前がここに来たのか気になってるんだよ」
だが、当の本人である明はやはり首をかしげていた。依頼文を武から受け取った明はこう聞き返す。
「おかしな動き? それに、この依頼主の名前……」
「名前? 名前がどうかしたのか?」
武が不思議がって聞くが、
「いや、何でもない」
明はそれ以上のことを話したがらなかった。なので武もこれ以上は聞かないことにした。
「で、それ日野君に聞いちゃうの?」
「ああ。本人が来ちまったなら本人に聞いた方が早いだろうし」
優希の疑問に武はこう返した。だが、武の質問の答え、それは思わぬ形で返ってくることとなる。
「いろいろとよく分からない点は残るが、もしかするとこれの事かもしれないな」
明はそう言ってうずまき型の機械を取り出す。
「……これは何だ?」
武は不思議そうにその機械に触れる。
「早い話が異能を手に入れる魔法の機械だよ。依頼文を読んだ感じだと、お前らも多少は月兎の園については知ってるんだろ?」
「ああ。異能者を育てる場所だとは聞いてるけど」
武たちには飯田から聞いた程度の知識しかない。説明はこの程度が限界だった。
「それだけ知ってれば十分だ。あそこはそういう特殊な能力を生まれながらにして持った奴らが集まる場所だからな。ただ、別に育てる訳じゃない。俺たちがしてるのはあいつらに居場所を提供してるだけだ」
「居場所、ね」
それは武や優希にも心当たりがある。能力をもって生まれてきたがために世間からのいじめを受けていた時期もあったからである。
「ところが、その居場所にこの前おかしなやつがやって来てな。そいつが俺と弟に渡したのがこの機械って訳だ」
「それはつまるところが能力を持たない者に能力を付与する機械って事でいいのか?」
武は聞く。だが、明は首を横に振った。
「いや、これは能力を持つ者にもきちんと効果が適用される。早い話が化け物製造機さ」
武は深いため息をつく。
「で、こいつを俺に渡したやつはまだ俺たち二人にしか接触していない。だが、また来るときには他の奴にも接触するって言ってた。それを何とかしたいっていうのが俺の依頼だ」
「なるほど。まあ事情は分かったけど、そのもう1人の弟はどうしたんだよ? お前しかここにいないじゃねーか」
武の指摘に明は観念したように頷く。
「あいつは……俺とは違ってその機械を肯定している。俺と同じように何度かこの機械を試したらしい。そしたらあいつはすっかりこれの虜になっちまった。だから弟を止めてほしいっていうのも俺の依頼の1つに入るな」
「そういうことか……」
武は今度こそ納得した。この日野明という人物はどうやら弟を止めたいという目的を最優先にこの場所に来ているらしい。もちろん、その謎の人物と接触するというのを避けるのも彼の目的には違いないのだろうが、それなら兄弟二人で対抗すればいい。つまり、最終的な彼の目的は弟ととの和解、ということになる訳だ。
「そういうことなら任せろ」
武はそれが分かった瞬間に即答していた。
「いいの? 学校側からの最初の依頼を無視することになるのよ?」
「この依頼は日野明本人から直接頼まれたもんだ。手紙だけのあの依頼よりはよっぽど信頼できるだろ。それに、一週間後っていう割にはその依頼者はここに来てねーじゃねーか」
と誠が鋭い指摘をした直後、ACSの呼び鈴が鳴った。
「こんにちは。こないだ依頼の手紙をお送りした矢野栞というものですが……」
その依頼者の声がする。
「ゲッ、依頼者まで来ちまった」
「ここは日野君を隠して何とかやり過ごさないと……」
慌てる2人。だが、依頼人の日野明は冷静だった。
「とりあえずそいつを通そうぜ。俺に用事があるんだろそいつ」
この2人の間の誤解を解かないとまずいと判断したのだろう。明はそう言った。
「……まあお前がそう言うなら」
「そうね、ここは日野君に任せましょう」
2人はその意見を素直に聞き入れ、依頼人を中に通すことにした。
「どうぞお入りください」
優希が来客用の声で応対する。その声を聴いた彼女はドアを開けた。
「こんにち……」
だが、そこ茶髪でセミロングの女性、矢野栞の声は止まる。日野明の姿が彼女の目に入ってきたからだった。てっきり倒してほしいと依頼していた依頼人が目の前にいるから困惑しているのではと思っていた2人は、次の明の一言でそれが全くの勘違いであることを悟ることになった。
「やっぱりな。俺の知ってる限り、矢野栞なんて人物は月兎の園には存在しない。それでもなお的確に俺と俺の弟の名前を挙げてきたってことは、俺たち2人にそれなりの恨みがあるんじゃないかと踏んではいたが」
「えっ?」
「どういうことだよ明?」
全く話についていけていない2人。明はその様子を気にすることなく、こう矢野栞に聞いた。
「なあ、あんた誰だ? どうして俺と、よりにもよって月兎の園を復讐対象にした?」




