退職・リテンション・サービス
ハチオウジギアの世界観で起きる短編です。
退職にまつわる話
隔週日曜日20時に更新。作成状況によっては不定期になります。
※ハチオウジギア、ハチオウジ鬼譚と同じ世界観で起きる出来事です。独立して読めます。
ページ下部にも関連作品リンクあります。
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夕日を背負ってハチオウジ駅に聳え立つビル群。その中に大手広告代理店、株式会社シンパツのビルはあった。
シンパツのオフィス、従業員がげっそりとした顔でもくもくと残業をこなしている。プルルルル、着信音が鳴り響き、人事の粗塩スルオが受話器を取る。受話器の向こうで低く静かな呼吸音が聞こえてきた。
「株式会社シンパツ、人事部の粗塩です」
『退職代行ヤッパヤーメタの川里と申します。才木様より正式に委任を受けております退職代行です。本日付で退職の意思をお伝えいたします』
「ご本人とは一度、直接話を……」
粗塩は会話を続けながら、受話器の横にあるスイッチを押す。赤いランプが点滅した。
『本人の健康状態と心理的負担を鑑み、接触は控えるよう指示を受けております。当方が窓口となります』
「それでもやはりお話を……」
赤いランプが青に変わった。
「川里様、大変申し訳ございませんが、ここからの対応は別の者に変わらせて頂きます」
『どういうことです?』
受話器をそのままにして待った。サザ、ノイズ音と共に別の回線が割り込んだ。
『お電話かわりました。引き留め代行マッタリーヤの台田と申します。才木氏の意向につきまして承知しました。しかし、状況を甘く見ないでください。ご本人が一方的に退職を進める場合、社内規定に従い、退職手続き上の不履行や契約違反の可能性を精査します。その結果、場合によっては刑事告発も視野に入ります』
受話器を握り耳をすませた。一瞬、間が空く。
『具体的には才木様の業務上横領や情報漏洩、会社の信用毀損といった名目で、警察や取引先に通報する準備があります。社会的立場に重大な影響が及ぶことは避けられません』
台田が淡々と告げた。
『そのような脅迫や事実に基づかない告発は違法です。そのような行為に従うことはありません。本人の意思はすでに明確であり、法的にも有効です!』
川里が怒りを滲ませて返した。
『まずあなた方のような退職代行に依頼することは社内規定で禁止されてます。さらには才木氏の業務履歴から複数の横領が確認されています。たとえ告発に至らなくとも、社会的信用の失墜や職業上の立場に影響を与えることは避けられません』
台田が非情に告げる。受話器を握る手がじわりと汗でしめる。
『台田様、才木氏の退職意思は揺るぎません』
川里の声が一段低くなった。
『ですが、この状況を受けて、こちらも対応を変えさせていただきます。すでに御社が複数の社員に対して恐喝、違法な就労、パワハラ、セクハラの証拠を押さえてます』
『それこそ言いがかりは名誉毀損になります』
台田が反論する。
『台田さん、あなたの依頼主は社員への傷害や殺害にも関与してる。ちゃんと証言と証拠もある。これを然るべき機関に届ければどうなるか。わかりますね?』
粗塩は血の気が引いた。広告代理店として仕事を取るために人の命に関わることや汚いことをしてきたことは知っている。ここからどうなるのか?
『そうですか……』
台田の声が機械のように冷たさを増す。粗塩は固唾を飲んで成り行きを見守った。
『あなたは確かヤッパヤーメタ川里さんでしたよね? 最近できた新興の会社ですか?』
『そうですが』
『川里さんは偽名で本名は佐川さんですね。奥さんと息子さん、三人家族ですか。家族は大切にしたいですか?』
『なぜそれを!?』
川里が動揺したのか息が荒くなる。
『私も引き留めのプロです。対策済みだ』
『脅しには屈しないぞ! 才木さんは退職する』
『それは依頼主が決めること。そろそろですね。佐川さん、事務所にスタッフはお邪魔しましたか?』
『誰だ? 何を?』
川里の背後が騒がしくなり、ガチャリ、金属音がなった。粗塩は瞬時に撃鉄を落とす音だと察した。額から汗が噴き出る。
『ひぃ、やめてくれ!』
川里の叫び声が響く。
『そのまま聞いていただければ結構です。才木氏の退職から手を引いてください』
川里はすぐには答えない。受話器越しにわずかな金属音。
『あなたが手を引けば彼が頼る退職代行はもうなくなります。他の業者の方にも……すでにご理解頂いてます』
『そんな……』
『あなたに彼を退職させません。全ては依頼主様が決める。どうです? そろそろ頭に突きつけられた物から解放されませんか?』
『……わかりました……手を引きます』
『それではこれから申し上げるメールにその旨を書いた書面を送付願います』
台田が送付方法を教えるとすぐに共有アドレスに川里からの書面が届いた。
『それと才木さんの居所も教えてください。あなたが匿っているのはわかってます』
再び、金属音。川里が唾を飲み込む音が聞こえる。
『ダウホテルの立川北口です。川里の名前で宿泊してます』
『ありがとうございます』
『こんなことが許されると?』
『川里様、誤解のないように言います。こちらは感情で動いてません。合理的判断です。我々、代行の役目は終了です。お疲れ様でした。家で家族サービスでもしていてください』
『あなたは……』
『それでは失礼いたします』
ツー、ツー、ツー、電話が切れた。
粗塩は大きく息をつく。そして、先ほどまでの会話を頭から追い出し、目の前の仕事に集中した。




